連累/吉鶴話譚

蘭歌

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連累終/師匠の後悔

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 その日、私は珍しく師匠の方から呼ばれて、家に伺っていた。もっとも、連絡をしてきたのはKで、どこか少し嫌そうな声音ではあったけれども。数日前から少し体調を崩していたという師匠は、普段よりも青白い顔をして、目の下の隈もいつもよりひどかった。そうして、布団の上で私とKと向き合って座り、いつものあの穏やかな口調で話してくれたのは、今まで聞いたことのなかった、師匠の後悔の話。

 師匠が立て続けに、親しい相手を亡くしてきた事は知っていた。その中でも、僕が名前を継いだ兄弟子、先代の無明師匠―基、寛涛―と、Kの父親であるT・Hの死が、師匠の今に、とてつもなく大きな影響を与えていることも。だから僕はその二人が、どうにも好きになれない。同時に、今の僕やKがあるのはその二人のおかげでもあり、少々複雑ではある。

 兄弟子である先代Mは、不思議な人だったという。紫色の右目に片眼鏡を嵌めて、常に人を食ったような態度を取る、つかみどころのない男。異例の速さで真打になったにもかかわらず、それから二、三年で亡くなった。先代Mを覚えているのは師匠くらいなもの。戦争で関連するものはほぼすべて焼けて、残ったのは師匠がよく着ている銀鼠の着物と、Kが持つネタ帳のみ。師匠は何かと先代Mにかわいがってもらったらしい。年が近く、大所帯であったという弟子入り先で、直近の兄弟弟子だったから、実の兄弟のように接していたという。その先代Mが亡くなったのは昭和の頭。前日まで例の怪談噺の稽古を付けてもらっていて、急に亡くなる様な気配はなかったという。ちゃんと感謝も何も、伝えることができなかったと、Kを見る師匠は幻覚に囚われていた。

 Kの父、Hとはかつて師匠が巻き込まれた事件―大正十五年暮れの、連続殺人事件―の時に、知り合ったのだという。それ以前からも、寄席でよく姿を見かける警官として、認識はしていたらしいが。その事件の事に関して、関わってしまったことは事実らしいが、その記憶だけがすっぽりと今も抜け落ちたままなのだという。けれど、それ以降師匠はHの家に居候する形で、二十年近くを一緒に生活していたという。そして、昭和十八年の春先、突如Hに突き放される形でその生活は終わりを告げた。妻、つまりKの母親のもとへと帰ったのはわかっていたし、当然の事と。けれども、あまりに突然かつ一方的で、理解が追いつかなければ、気持ちもついて行かなかったという。そして、半年後、Hの死を知り、同時にHから家主と居候という関係以上に、大切にしてもらっていたことを悟った。だからこそ、弱っていく自分を見せたくないと、嘘をついてまで突き放したのだろう。実際、師匠が弔問にと行った際Hは最後に見た時よりも、細くやつれていたらしい。本当はずっとそばにいたかった、とKを見つめる師匠は幻覚に囚われていた。数日前から体調を崩して青白い顔色のせいで、いつも以上に黒い目と隈が目立って、本当にもう、幻覚から引き返せないところまで行ってしまったように感じた。

「ごめんなさい。アニさんにあんなにお世話になったのに、何も返せなかった。Hさんに大切にしてもらっていたのに、何も答えようとしなかった。何もかも、遅いことはわかっているんです。それが、Hさんやアニさんを傷付けたことも。ごめんなさい、ごめんなさい……」
 そういって涙を流す師匠は、私たちの事を見ているようで、見ていなかった。私たちを通して、父や兄弟子を見ている。それがわかったから、何か言いたげにこちらを伺ってきたKに視線だけで、騙れ、と告げた。私の言いたいことをKは理解していただろう。それでも、それをすることに彼なら、絶対に抵抗がある。だから、先回りして口を開いた。

「もういい、そんなに自分を責めなくていい」
 Kの目配せの意味は解っていた。Kは父を、僕は寛涛を騙れ、と。けれど、それをしたら師匠はもう戻れない。たとえそれがこの場で一番良い事だったとしても、僕はそれを躊躇した。きっとKはそれを気づいていただろう。だから奴は僕が悩むより先に、いつもより淡々とした声音で、父の代わりに師匠を赦す言葉を口にしたのだろう。そうなったら、僕も腹を決めるしかない。幸か不幸か、僕は寛涛の、先代の事を知っている。知っているものを騙るなら、まだできる。

「あァ。もういィんだ。お前は十分やってくれた。楽になってくれやなァ」
 Kがらしからぬ、にや、とした笑みと口調で、騙る。私は話を聞いただけで、想像の父を騙っただけなのに、Kはまるで先代を知っているかの様な騙り方だった。私たちの騙りに、師匠はハッとしたように大きく目を見開いた。その瞬間だけは、師匠の目に理性と生気が戻った。恐る恐るといった様子で伸ばされた、師匠の腕を私たちはほぼ同時に取っていた。

「ごめんなさい、ありがとう……。あぁ……、やっと、ちゃんと伝えられた……」
 そう言って、僕たちにすがる様にして師匠はまた、涙を流す。少しでも師匠の肩の荷を下ろすことができたのなら、あの瞬間先代を騙ったことは間違ってなかったのだと、少し安心した。

 師匠が亡くなったのは、翌朝の事。容態が変わり、危篤だと私が連絡をもらってから、Kと共に師匠の元へ行くまでに、三十分もかからなかったと思う。

 師匠の家に着いた時、すでに師匠は息を引き取った後だった。お手伝いさんや来ていた医者が目を離した僅かな間だったという。それでも、師匠の口元が笑っていたし、右手が誰かの手を握っているような形だったから。寛涛かKの父、どちらか両方が迎えに来たのだろうし、それは、きっと、師匠にとって一番幸せな最期だったのだろうと、僕は今も思っている。

 同時に、父と先代Mが救われたのも、その瞬間だったのではないかと私は思う。
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