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謎の真犯人を追え
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私はまず、「一番遠ざけたいもの」を思い浮かべたみた。
嫌いなもののことだろうか?遠ざけたいものなのだから。
嫌いなものなら魚はあまり好きではない。他をいうならお裁縫が嫌いだった。
淑女の嗜みではあるが、そんなに器用ではない私にとって裁縫ほど得意じゃないものはない。どうやらルミエラは得意だったようだけれど。
それ以外のものといえば、あれしかないだろう。
「攻略対象者」たちだ。
まさか攻略対象者のことを言っているのだろうか?それなら、そもそもメルヴィア自体も関わって来る話だ。
もし、メルヴィアが真犯人だった場合…
そう考えるとぞっとして来たので考えるのをやめた。
そもそも攻略対象者が真犯人という可能性は薄いような気がする。根拠はないが、強いて言うなら「攻略対象者」だからだろうか?
ヒロインの攻略対象者が悪役なんて聞いたことがない。そんな悪人はいないはずだ。
とりあえず、一番身近になりつつある人に探りを入れてみることにした。
まずその人を探しに保健室まで行く。
中に入ってみるが、その人はいない。それに、保健室の先生もいなくその人のことを聞くことができない。
他の場所を探しに行こうと保健室を出ようとしたその時、ドアが開いた。
「あっ!」
目当ての人物を見つけた。その人は…
「ルミエラ様?こんなところでどうされたのですか?」
リュアンだ。
「リュアン様!丁度よろしいところにっ。も、もしかして休みに来られたんですか?それなら申し分けないのですが、少しだけお時間を頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです」
リュアンは保健室の椅子に座ると、「どうぞ」と席に促されたので、その向かいの席へと座った。
「それで、用件は?」
そう聞かれてはたと気付く。探りを入れてみるのはいいものの、どのように探りを入れればいいのだろうかと。
「え、えと…リュアン様は恨みを持っている方などはいますか?」
これは、ど直球過ぎたかな…?
「恨み…ですか?僕は別にいませんよ」
…え?終わり?
リュアンはそれ以上何も言おうとせずに、ニコニコと私の顔をただじっと見つめているだけだ。
「急にこんなことを聞いて申し訳ございません。ありがとうございました」
立ち上がり頭を下げ、保健室を出ようとしたら、腕を掴まれた。
「どこに行かれるんですか?」
「ウィルニー様のところに行こうと」
そう言うと、目を少しだけ見開いたリュアンは、「そうですか…」と腕を離した。
私はそんなリュアンを不思議に思いながら保健室を出た。
私が保健室を出た後に、リュアンが「やっぱり最初は兄様から潰した方がいいのかな…」そう呟いていたとは知る由も無いことだった。
「ずっと…ずっとあなたが憎かった!!」
まさか、この人が真犯人だったなんて…
そう、私が思いもしなかった人物。でも、ある意味その人は私が「一番遠ざけたいもの」だったのかもしれない。
真犯人が見つかった理由はアルバートが白状したからではない。
その人本人は遂に感情が抑えきれなくなって私の目の前に出て来てしまったのだった。
私はウィルニーに事情聴取へと向かったのは向かった。
だがウィルニーがなかなか見つからないところある人に出会った。
「こいはな」のヒロインイアナ・ロマンヌその人だ。
「イアナ様!丁度よろしいところに」
「ルミエラ様!私に何かご用が…?」
「いえ、あなたに用があると言うわけではないの。実はウィルニー様を探していて。あることをお聞きしたいのだけれど」
そう言うと、イアナはニコッと微笑んでみせた。
「そう言うことなら、わざわざルミエラ様が行かなくとも私が聞いてお伝えしますよ」
「いえ、とても有り難い行為を無下にするようで悪いのですが、急ぎの事でして」
「そう、ですか。ウィルニー様は生徒会室にいると思います。私も丁度行こうとしていたところだから、一緒に行きませんか?」
「はい」
この学園には、生徒会というものが存在する。
でも生徒会といっても名ばかりで、それは有力貴族ばかりが集められた会であった。
確かに学園での行事は執り行われているが、生徒会の仕事である雑務は一切生徒会は手をつけておらず、その雑務は爵位の低い、要は貧乏貴族と呼ばれる者達がこなしていた。
その事に不満を持っていたルミエラだったが、ウィルニーにご執心だったため、気持ちの重さで負けてしまい、愛しているウィルニーにそんな反論を到底言えるはずもなかった。
イアナはその事については何も思わないのだろうかと気になった。もしかしたら、ヒロインとして助けてくれるかもしれないと。
ヒロインなだけあり、彼女はとても純粋で無垢で可愛くて、私とは正反対な、誰もが守ってあげたくなるようなそれはそれはお可愛らしい女の子なのである。
「ウィルニー様。私です、イアナです。入りますね」
そう一声扉の外から声をかけると、イアナは扉を開けた。
中はとても豪奢で、広かった。一番奥の執務机には書類の山はなく、そもそも書類すら見当たらない、羽根ペンだけ置いてある広い机を無駄遣いしている光景だけだった。
座り心地の良さそうな椅子にウィルニーはぐったりと腰掛け、こちらを見据える。
が、私を見て態度を一変した。
私に「なぜお前がここにいるんだ」と目で訴えかけてきた。
「ウィルニー様に聞きたいことがあり、わたくしはイアナ様に案内してもらいました」
「俺に聞きたいこと?一体なんだ?」
「唐突ですが、恨みを持った方はいますか?」
「恨みを持ったやつ?」
そう復唱すると、ふんっと鼻で笑ったウィルニーは、「お前だよ」そういった。
「はい?」
聞き間違えだろうか。あまりにもすんなり言われてしまって、驚きが顔に出ない。
もしかしてこのアホバ…元婚約者様が真犯人なのだろうか。
「どうせ今日はそんなことを聞きに来たんじゃなくて、俺とイアナの仲を邪魔しに来たんじゃないのか」
そう自信ありげに言ったウィルニーを見て、私はこいつが犯人じゃないと確信した。
こんなアホバカ野郎が果たしてイアナと婚約を結びたいだけに私を殺そうとするだろうか。そもそも、私はちゃんと身を引いたわけだから、いつでも二人は婚約してもいいはずだ。
もしかして、何も考えていなかったアホバカ野郎が今更になって周りの目を気にし始めたのだろうか。
そうも思えてきたが、一旦思考を止め、私はウィルニーが言ったことを否定する事にした。
「いいえ、断じてそんなことはございません。反対にわたくしはお二人が婚約されることを応援していますもの。頑張ってくださいませ」
心のこもっていない声でそう告げたが、イアナの方は頬を綻ばせ、「ありがとうございます!」と満開の花を咲かせながら微笑んでいる。
「…お前は、何も思わないのか」
「は?」
いきなりのウィルニーの発言に反応が遅れる。
「なんでもない…」
答えようと口を開いたのに、あちらから話を終わらしてしまったため、私は口を閉じた。
ふいっと顔を背けたウィルニーはなんだか落ち込んでいるようにも見えた。けれど、どこに落ち込む要素などあったのだろうか。
「ではわたくは失礼しますわ。わざわざお時間をとって頂き誠にありがとうございました」
そして、淑女の礼をとり、生徒会室を出た。
「ルミエラ嬢?」
生徒会室を出た途端にかけられた声。
この声を私は知っている。私の耳をくすぶる低音の心地よい声。
ばっと後ろを振り向けば、その人は立っていた。
「カ、カ、カ、カナン様っ!」
「生徒会室に何か用だったか?」
「いえ、それはもう済ませましたわっ。カナン様はウィルニー様の護衛に…?」
「あぁ、授業が終わったところでな」
「そ、そうでしたの!あ!どうぞお入りになって!」
生徒会室の扉の前に立っていたため、カナン様の邪魔になっていた。
さっと私がどくと、「ルミエラ嬢は面白いな」とふっと笑ったカナン様。
頂きましたー!!カナン様の笑顔!
スチルで見せた笑顔も良いけど、やっぱり現実に比べればもう、全然違う!あぁ、美しい!カッコいい!可愛いぃぃぃ!
「ルミエラ嬢?大丈夫か?」
私が硬直していたことを心配そうに見ているカナン様。
「大丈夫ですわ!ご心配をおかけしてすみません」
平静を取り戻そうと一旦落ち着く。
「そうか。それなら良かった」
「あっ、カナン様。あの、お聞きしたいことが…」
こんなことをカナン様に聞くのは心が痛むけど…
「カナン様は、誰か恨みを持っている方はいますか?こんなことを聞いてすみません!」
「恨み…そうだな。…いる」
「え…?」
「俺はある奴等を憎んでいる。そいつらが罪を悔い改めても、自分で命をたったとしても、許すことはない」
カナン様が言う奴等。それは、カナン様のお母様と妹様を殺した盗賊のことを言っている。
今から八年前、ある事件が起きた。
盗賊が旅行中だったカナン様達家族の乗った馬車を襲った。もし、そこにカナン様のお父様がいたのなら何か変わっていたのかもしれない。
当時カナン様のお父様は騎士団長だった。今はその席を息子のカナン様に譲ったけれど。
国王の護衛で忙しく、旅行に行く事が出来なかったカナン様のお父様。
盗賊はカナン様のお母様と妹様を殺め、そしてカナン様も殺めようとしたが、そこで丁度その国の騎士団が通りかかり、カナン様だけは殺められず助かった。
でも、一人だけ生かされたカナン様は二人を助けられなかった悲しみにくれた。
「…カナン様」
もしも、私がカナン様に寄り添ってあげられたなら。その悲しみを払拭する程の力が私にあったら良かったのに。
でもそんな力私にはないから。もし願うならばヒロインのイアナが、カナン様の心を癒す事が出来ればいいのに。
「…すみません。嫌なことを思い出させてしまった、ようで…」
「すまない。変な事を言って…」
「いえ!そんなことはありません!すみませんわ、本当に!」
ばっと頭を下げた後、私はカナン様に背を向けて走り出した。
そして向かった先は図書室。
全力疾走した結果、ぜぇぜぇと息切れが絶えない。
つい二時間程前は寝ていたメルヴィアだったが、同じ席に座ったまま起きていた。本も読んでいない。まるで私が来るのが分かっていたかのように私を見つめる。
「…メルヴィア、様!わたくし、見つけられ…ませんでしたわっ」
「走ってきたのお~?お疲れぇ~」
「は、はいっ…」
「それで、見つけられなかったんだぁ~。そっかそっかぁ~」
そう微笑んだメルヴィア。私は次の言葉を待つ。
でも、その続きを聞けることはなかった。
「あの…それで?」
やっと息切れがお染まった私は、メルヴィアに言葉の続きを求める。
「んー?それでって~?」
「え?だから、わたくし見つけられなかったんです。だからっ…」
「だーいじょうぶ。多分君に接触して来るはずだよぉ~。もう一度、ウィルニーさまに話しかけてみなよ~。生徒会室から中庭に移動してるはずだよー」
なぜメルヴィアはウィルニーの場所を知っているのだろうか。それに、なんで私がウィルニーと話したことを知っているのか。
そんなこと、メルヴィアに伝えてないのに。
それよりもまず優先すべきは真犯人の方か。
「あのっ、メルヴィア様。そもそも、面倒なことをするよりも、メルヴィア様が真犯人を誰か教えてくれればいいのでは?メルヴィア様は、誰か知っているのでしょう?」
「え~。そんなの面白くないよぉ~」
「お、面白くない…!?」
「って言うのは冗談で~。きっと、俺が言ってもルミエラは信じないよぉ~」
「信じない…?」
つまり、よほど私が信頼している人…?それとも、私がそれだけ予想だにしない人だと言うこと…?
「とにかくさ、俺の言う通りにして中庭に行って話しかけてみなよぉ~」
「分かりました。ところで、何故中庭なのですか?つい先ほどまで生徒会室にいらしたのに」
「今日は外でティータイムだよぉ~。ウィルニーさまたち生徒会員はねぇ~。丁度この時間からさぁ」
「そういえば、そうでしたわね…」
なるほど、だからウィルニーが中庭にいると言ったのか。でも、なんで私がウィルニーの所を訪ねたことを知っていたんだろうか。それだけが謎だ。
「じゃぁねぇ~?いってらっしゃーい」
そう言われ、ばいばーいと手を振られた。
「え?あっ、はい。行ってまいります…?」
つられて私も手を振り返してから図書室を出た。
中庭に着くと、もうティータイムは始まっていた。優雅に有力貴族の子息や令嬢がお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、話に花を咲かせたりしている。
その中で、一番豪奢なテーブルに座っている男に目をつける。もちろん、ウィルニーである。
同じテーブルにイアナも座っていて、楽しそうに喋っている。
水を差すようで悪かったが、でも迷っている暇なんて私にはないので、遠慮なく声をかけさせてもらった。
そのことに一瞬驚いた様子を見せたウィルニーだったが、すぐに嫌悪感を露わにしながら「また何か用か?」と聞いてきた。
「いえ、用という程でもないのですが…ただ」
ただ、メルヴィアにウィルニーに話しかけてみろと言われたからそうしただけなのだが。
話しかけても何も起こるようすはなかった。どうすればいいのかと思ったが、ウィルニーが何か「そうか!」と声を上げた。
「俺と一緒にお茶したかったんだな。そうならそうと最初から言え。特別に生徒会員ではないお前の参加を許す。そこに座れ」
何か一人で納得したようで、そこ、と言われたそこを見る。
カナン様が同じテーブルにあった椅子を後ろに引いてくれた。
カナン様の律儀な対応を無下にするわけにもいかなく、私は喜んで「失礼します」といってそこに座った。
その時、だんっ!とテーブルに手を叩きつけ、椅子が倒れる程の勢いでその場を立ち上がったものがいた。
「ずっと…ずっとあなたが憎かった!」
そう私を睨みつける、澄んだ、空色の瞳。今は憎しみに染まったその瞳。
そして、勢いよく立ち上がった時に乱れた美しい桜色の髪。
「まさか…そんな…」
そんなわけあるはずがない。けれど…まさか、本当にあなたが…?
「私の方がウィルニー様を愛しているのに!どうして!?さっさと死んでしまえばよかったのに!それなのに、毎回毎回あの男が出てきて私の邪魔をする!どうして!?どうして…私の邪魔を、するの!?」
そう目に溜めていた涙を撒き散らしながら私の目の前で怒鳴り散らす彼女。
あぁ、まさかそんなことをするなんて…私は思いもよらなかった。
物語の希望が、まさか、真犯人だったなんて…。
そう、真犯人は彼女、「こいはな」のヒロイン…イアナ・ロマンヌだ。
「…イアナ様。あなたが、私を殺そうとしていたのですか?」
そう私が聞くと、イアナは怒っていたのが嘘のように笑った。
いや、笑った、というよりも狂ったように笑い声を上げ始めたという方が正しいのかもしれない。
「ふふっ、あははっ、あはははははははは!!!そうよ!私があなたを殺そうとした真犯人!だったら、なんだっていうの?」
これは本当にあのイアナなのだろうか。
いつもおしとやかに笑い、誰に対しても優しい、品行方正、文武両道の彼女が…。
信じられない。嘘だと言って欲しい。だって、あなたはヒロインなのだから。私とは違う。悪役ではない、ヒロイン、なんだから…。
「どうして、私を殺そうとなんて!」
「まだ分からないの!?あなたがウィルニー様の愛を独り占めしてるからよ!いくら私が愛してもウィルニー様はいつもあなたのことばかり!いつまでたっても私に振り向いてくれないっ」
きっ、と睨まれ、あまりにもすごい剣幕に気圧される。
「…最初は、ただ純粋に片想いするウィルニー様を応援していたわ。私が平民だからって、ウィルニー様はそんなことを気にしなかったお優しい人だから。この人の力になりたいと思ったの。でも、あなたに寄せるひたむきな愛情を知っていくたびに私はウィルニー様への想いが募っていくばかりだった…」
そうポツリポツリと話しながら、彼女は静かに涙を流す。それは綺麗な、美しい涙…。
「…でも、あなたはその愛に気づかない。そして遂には、婚約破棄という嘘を言い渡されてそれをすんなりと受け入れた。その事は本当に嬉しかった。婚約が解消され私はウィルニー様に思う存分この想いをぶつけられると。でも意味はなかった。ずっと、ずーっと…あなたのことばかり」
「そんなことはないはずですわ。だって、あの婚約破棄はイアナ様と婚約を結ぶためにされたものでしょう?」
「あなたの、そういうところが嫌いなの!!!」
また豹変した彼女は私に向かって怒号を飛ばす。
「おい、待て。状況が追いつかない。どういうことだ、イアナ」
そう割って入ってきたのはウィルニー。
今の会話でわからなかったというのだろうか。
「わたくしを殺そうとしていた犯人です。昨日ハンディカム子爵家の次男、アルバート様が捕まったことはお聞きしませんでしたか」
「そういえば、そうだったな…」
「そのわたくしを殺そうとしていた真犯人が、イアナ様だったということです」
「イアナが…?そんな、まさか…」
驚きの目を向けるウィルニーに、イアナは肩をしゅんと落とした。
「…イアナ、貴様なんてことをしでかした!誰が誰を好いていただと?ルミエラに手を出しておいて何が俺が好きだ!お前なんてこれっぽっちも好きじゃない。俺の前から消えろ」
そう言ったウィルニーに次の瞬間、乾いた音が響いた。
そして、ウィルニーは自分の左頬を抑える。
「…あなたは、人の気持ちをなんだと思っているのですか」
私が、ウィルニーの頬を叩いたのだ。
許せなかった。同じ女としても、人間としても。
「確かに、イアナ様の私に対する行動は許せるものではありません。でも、それまでしてあなたのことを想っていたということです。私を殺したいほどにも。それなのに、その気持ちを踏みにじって、俺の前から消えろ?ふざけているのですか!」
今こそ、悪役令嬢の力を発揮する時だ。私の生まれ持ったこの顔はこういう時に役に立つ。
相手を睨み、目を釣り上げる。
「あなたの方が今すぐイアナ様のの前から消えなさい!」
そう怒鳴った私を、ウィルニーは屈辱的な目で見つめる。
だけど、何か悔しさも混じっているような気がした。その悔しさは私に言い返せない悔しさか、それとも違う何かか…到底、私には分かりはしないことだけれど。
ウィルニーはふいっとそっぽを向き、歩いて行った。その後をカナン様も追う。
「…あなたに助けられたなんて思わないわ。そもそも、私だってウィルニー様にあぁ言われてもおかしくない事をしたのだもの」
「それでも、あなたの気持ちを踏みにじった彼が許せなかっただけですわ。わたくしは人として当然のことをしたのですもの」
「そう…」
「…あなたの、罪がなくなることはありませんわ。だけど、死刑にはさせません。わたくしが、絶対に。それから、あなたを見てくれる人は、ちゃんといるのではなくて?あんな振り向いてくれない人なんてほっておいた方がいいわ」
「見てくれてる人?私を平民だと貴族は罵る人ばかりだわ。見ていてくれる人なんて…」
「あなたの為に動いてくれたアルバート様は違うのかしら。ちゃんと罪を償った後に、彼に謝ってきなさいな。あなたの為に、動いてくれたのだから」
イアナの涙はとめどなく溢れてきた。止まることをしらないように。
泣いて顔をぐしゃぐしゃにしながら彼女は言った。
「…ありがとう」
そして、彼女は罪を認めた。全ての罪を。代わりにアルバートは釈放された。
「ルミエラ様」
縁起の悪いこと、彼は悲しい事件があったというのに、ニコニコと私に声をかけてくる。
「リュアン様…」
「イアナ様、捕まったんですね。このままアルバート様が犯人のまま死刑にされると思っていましたが…」
ん?待てよ。今のリュアンの口ぶりだとまさか…
「あの、リュアン様はイアナ様が犯人だと知っていたのですか?」
「はい、そうですけど?ルミエラ様の部屋のドアのどの切り傷も浅いものばかりでした。普通男性がやったなら、もっと深い傷が付くはずです。だから、きっと女性がやったとは思っていました。あとはルミエラ様に恨みを持つ人を考えてみたんです。一人だけ、そういう人が思い浮かんだので」
「な、なんで知っていたのに隠していたんですか!」
「僕は彼の誠意に感服しただけです。好きな人の為に死ねるなんて素敵じゃないですか」
「…そうでしょうか。そもそも、リュアン様はそんな人がいるのですか?」
そう聞くと、「はい、目の前に」そう目の前の悪魔は笑いながら言った。
「あの、すみませんが、もう一度言っていただけますか?」
「え?聞こえませんでしたか?僕の好きな人は今目の前に立っています」
そう言われて、後ろを見てみるが誰もいない。
そして、私はまさかと思いながら、自分を指差して見た。
「はい、あなたです」
そう答えられた。この悪魔様様は。
「…あの、何かの間違いでは?」
「間違いって?」
「だから、私を好きなどあり得るわけないじゃないですか!だ、誰かとお間違いなのでしょう。イアナ様とか!」
「イアナ様は好きではありません。あなたが好きです、ルミエラ様」
「いや、そんなはずはあり」
「ありえます」
私があわあわ戸惑っている様子を見て、リュアンはくすりと笑った。
「…僕はどうやら、周りにはとてもいいこちゃんに映ってるみたいなんです。でも僕はいい子ちゃんじゃありません。ってことは知ってますよね?」
あっ、はい。知ってまーす。なんて言えないけれど…。
「だから…いいよね?」
え?何が?なんて聞く余地もなく、リュアンの顔が近くに来たと思ったら私の唇に柔らかいものが触れた。
その柔らかいものはゆっくりと離れていき、そして、目の前にいる悪魔は、にこりなんてものじゃなくて、ニヤリと笑いながら「…しちゃった」と私の頬を撫でながらそう言った。
数秒間、私は時が止まった。無論止まったのは私の時だけである。
リュアンは固まる私に目の前で手を振って大丈夫かと確かめている。
だけど、徐々に私の顔には熱が集まって来た。
その様子に、「ふふっ、真っ赤」と言って、追い討ちか私の頬にキスを落として来た。
「なっ、う、あっ…な、にしてるんですか!わ、私達は婚約者でもないんですよ!」
「私、ですか?わたくし、じゃなくて」
クスクスと面白そうに微笑んだリュアン。そうだ、忘れていた。あまりの出来事にお嬢様らしく喋らなければならなかったのに。
「わ、わたくしたちは婚約者ではありません。未婚の男女がこ、こんな…」
「唇を交わすことは確かに早かったかもしれませんね。責任を取って婚約しますよ」
「なっ!?そ、そういうことではありません!」
「だから、言っているでしょ?あなたが好きって。好きな人を手に入れる為ならどんな卑怯な手も惜しみません」
そういいながら、私の手をそっと取る。
「僕はあなたが欲しい」
真面目な顔でそう言ったリュアンから手を振り払い、一目散に寮へと逃げた。
次の日の朝のことだ、悪魔は私に告げる。
「イアナ様の罪を軽くする代わりに、僕の婚約者になってくれませんか」
「…っ!」
「このままでは、彼女は死刑になってしまいます」
「で、でも私がなんとか…!」
「公爵家でも流石にそれは無理です。僕ならなんとかなります。本来は死刑になる者をそう簡単に殺さずにどうにかすることなんてできません。僕じゃなければ…ね。ほら、どうするの?」
悪魔はまさしく悪魔のように微笑み、私にそう告げる。
もう、答えは一つしかないじゃない。
「…婚約、します」
彼は本気だ。本気で、私を欲しがっている。
好きなんて信じられない。
だって、私みたいな悪役令嬢を好き、なんて。
きっと彼には何か、意図があるはずだ。
嫌いなもののことだろうか?遠ざけたいものなのだから。
嫌いなものなら魚はあまり好きではない。他をいうならお裁縫が嫌いだった。
淑女の嗜みではあるが、そんなに器用ではない私にとって裁縫ほど得意じゃないものはない。どうやらルミエラは得意だったようだけれど。
それ以外のものといえば、あれしかないだろう。
「攻略対象者」たちだ。
まさか攻略対象者のことを言っているのだろうか?それなら、そもそもメルヴィア自体も関わって来る話だ。
もし、メルヴィアが真犯人だった場合…
そう考えるとぞっとして来たので考えるのをやめた。
そもそも攻略対象者が真犯人という可能性は薄いような気がする。根拠はないが、強いて言うなら「攻略対象者」だからだろうか?
ヒロインの攻略対象者が悪役なんて聞いたことがない。そんな悪人はいないはずだ。
とりあえず、一番身近になりつつある人に探りを入れてみることにした。
まずその人を探しに保健室まで行く。
中に入ってみるが、その人はいない。それに、保健室の先生もいなくその人のことを聞くことができない。
他の場所を探しに行こうと保健室を出ようとしたその時、ドアが開いた。
「あっ!」
目当ての人物を見つけた。その人は…
「ルミエラ様?こんなところでどうされたのですか?」
リュアンだ。
「リュアン様!丁度よろしいところにっ。も、もしかして休みに来られたんですか?それなら申し分けないのですが、少しだけお時間を頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです」
リュアンは保健室の椅子に座ると、「どうぞ」と席に促されたので、その向かいの席へと座った。
「それで、用件は?」
そう聞かれてはたと気付く。探りを入れてみるのはいいものの、どのように探りを入れればいいのだろうかと。
「え、えと…リュアン様は恨みを持っている方などはいますか?」
これは、ど直球過ぎたかな…?
「恨み…ですか?僕は別にいませんよ」
…え?終わり?
リュアンはそれ以上何も言おうとせずに、ニコニコと私の顔をただじっと見つめているだけだ。
「急にこんなことを聞いて申し訳ございません。ありがとうございました」
立ち上がり頭を下げ、保健室を出ようとしたら、腕を掴まれた。
「どこに行かれるんですか?」
「ウィルニー様のところに行こうと」
そう言うと、目を少しだけ見開いたリュアンは、「そうですか…」と腕を離した。
私はそんなリュアンを不思議に思いながら保健室を出た。
私が保健室を出た後に、リュアンが「やっぱり最初は兄様から潰した方がいいのかな…」そう呟いていたとは知る由も無いことだった。
「ずっと…ずっとあなたが憎かった!!」
まさか、この人が真犯人だったなんて…
そう、私が思いもしなかった人物。でも、ある意味その人は私が「一番遠ざけたいもの」だったのかもしれない。
真犯人が見つかった理由はアルバートが白状したからではない。
その人本人は遂に感情が抑えきれなくなって私の目の前に出て来てしまったのだった。
私はウィルニーに事情聴取へと向かったのは向かった。
だがウィルニーがなかなか見つからないところある人に出会った。
「こいはな」のヒロインイアナ・ロマンヌその人だ。
「イアナ様!丁度よろしいところに」
「ルミエラ様!私に何かご用が…?」
「いえ、あなたに用があると言うわけではないの。実はウィルニー様を探していて。あることをお聞きしたいのだけれど」
そう言うと、イアナはニコッと微笑んでみせた。
「そう言うことなら、わざわざルミエラ様が行かなくとも私が聞いてお伝えしますよ」
「いえ、とても有り難い行為を無下にするようで悪いのですが、急ぎの事でして」
「そう、ですか。ウィルニー様は生徒会室にいると思います。私も丁度行こうとしていたところだから、一緒に行きませんか?」
「はい」
この学園には、生徒会というものが存在する。
でも生徒会といっても名ばかりで、それは有力貴族ばかりが集められた会であった。
確かに学園での行事は執り行われているが、生徒会の仕事である雑務は一切生徒会は手をつけておらず、その雑務は爵位の低い、要は貧乏貴族と呼ばれる者達がこなしていた。
その事に不満を持っていたルミエラだったが、ウィルニーにご執心だったため、気持ちの重さで負けてしまい、愛しているウィルニーにそんな反論を到底言えるはずもなかった。
イアナはその事については何も思わないのだろうかと気になった。もしかしたら、ヒロインとして助けてくれるかもしれないと。
ヒロインなだけあり、彼女はとても純粋で無垢で可愛くて、私とは正反対な、誰もが守ってあげたくなるようなそれはそれはお可愛らしい女の子なのである。
「ウィルニー様。私です、イアナです。入りますね」
そう一声扉の外から声をかけると、イアナは扉を開けた。
中はとても豪奢で、広かった。一番奥の執務机には書類の山はなく、そもそも書類すら見当たらない、羽根ペンだけ置いてある広い机を無駄遣いしている光景だけだった。
座り心地の良さそうな椅子にウィルニーはぐったりと腰掛け、こちらを見据える。
が、私を見て態度を一変した。
私に「なぜお前がここにいるんだ」と目で訴えかけてきた。
「ウィルニー様に聞きたいことがあり、わたくしはイアナ様に案内してもらいました」
「俺に聞きたいこと?一体なんだ?」
「唐突ですが、恨みを持った方はいますか?」
「恨みを持ったやつ?」
そう復唱すると、ふんっと鼻で笑ったウィルニーは、「お前だよ」そういった。
「はい?」
聞き間違えだろうか。あまりにもすんなり言われてしまって、驚きが顔に出ない。
もしかしてこのアホバ…元婚約者様が真犯人なのだろうか。
「どうせ今日はそんなことを聞きに来たんじゃなくて、俺とイアナの仲を邪魔しに来たんじゃないのか」
そう自信ありげに言ったウィルニーを見て、私はこいつが犯人じゃないと確信した。
こんなアホバカ野郎が果たしてイアナと婚約を結びたいだけに私を殺そうとするだろうか。そもそも、私はちゃんと身を引いたわけだから、いつでも二人は婚約してもいいはずだ。
もしかして、何も考えていなかったアホバカ野郎が今更になって周りの目を気にし始めたのだろうか。
そうも思えてきたが、一旦思考を止め、私はウィルニーが言ったことを否定する事にした。
「いいえ、断じてそんなことはございません。反対にわたくしはお二人が婚約されることを応援していますもの。頑張ってくださいませ」
心のこもっていない声でそう告げたが、イアナの方は頬を綻ばせ、「ありがとうございます!」と満開の花を咲かせながら微笑んでいる。
「…お前は、何も思わないのか」
「は?」
いきなりのウィルニーの発言に反応が遅れる。
「なんでもない…」
答えようと口を開いたのに、あちらから話を終わらしてしまったため、私は口を閉じた。
ふいっと顔を背けたウィルニーはなんだか落ち込んでいるようにも見えた。けれど、どこに落ち込む要素などあったのだろうか。
「ではわたくは失礼しますわ。わざわざお時間をとって頂き誠にありがとうございました」
そして、淑女の礼をとり、生徒会室を出た。
「ルミエラ嬢?」
生徒会室を出た途端にかけられた声。
この声を私は知っている。私の耳をくすぶる低音の心地よい声。
ばっと後ろを振り向けば、その人は立っていた。
「カ、カ、カ、カナン様っ!」
「生徒会室に何か用だったか?」
「いえ、それはもう済ませましたわっ。カナン様はウィルニー様の護衛に…?」
「あぁ、授業が終わったところでな」
「そ、そうでしたの!あ!どうぞお入りになって!」
生徒会室の扉の前に立っていたため、カナン様の邪魔になっていた。
さっと私がどくと、「ルミエラ嬢は面白いな」とふっと笑ったカナン様。
頂きましたー!!カナン様の笑顔!
スチルで見せた笑顔も良いけど、やっぱり現実に比べればもう、全然違う!あぁ、美しい!カッコいい!可愛いぃぃぃ!
「ルミエラ嬢?大丈夫か?」
私が硬直していたことを心配そうに見ているカナン様。
「大丈夫ですわ!ご心配をおかけしてすみません」
平静を取り戻そうと一旦落ち着く。
「そうか。それなら良かった」
「あっ、カナン様。あの、お聞きしたいことが…」
こんなことをカナン様に聞くのは心が痛むけど…
「カナン様は、誰か恨みを持っている方はいますか?こんなことを聞いてすみません!」
「恨み…そうだな。…いる」
「え…?」
「俺はある奴等を憎んでいる。そいつらが罪を悔い改めても、自分で命をたったとしても、許すことはない」
カナン様が言う奴等。それは、カナン様のお母様と妹様を殺した盗賊のことを言っている。
今から八年前、ある事件が起きた。
盗賊が旅行中だったカナン様達家族の乗った馬車を襲った。もし、そこにカナン様のお父様がいたのなら何か変わっていたのかもしれない。
当時カナン様のお父様は騎士団長だった。今はその席を息子のカナン様に譲ったけれど。
国王の護衛で忙しく、旅行に行く事が出来なかったカナン様のお父様。
盗賊はカナン様のお母様と妹様を殺め、そしてカナン様も殺めようとしたが、そこで丁度その国の騎士団が通りかかり、カナン様だけは殺められず助かった。
でも、一人だけ生かされたカナン様は二人を助けられなかった悲しみにくれた。
「…カナン様」
もしも、私がカナン様に寄り添ってあげられたなら。その悲しみを払拭する程の力が私にあったら良かったのに。
でもそんな力私にはないから。もし願うならばヒロインのイアナが、カナン様の心を癒す事が出来ればいいのに。
「…すみません。嫌なことを思い出させてしまった、ようで…」
「すまない。変な事を言って…」
「いえ!そんなことはありません!すみませんわ、本当に!」
ばっと頭を下げた後、私はカナン様に背を向けて走り出した。
そして向かった先は図書室。
全力疾走した結果、ぜぇぜぇと息切れが絶えない。
つい二時間程前は寝ていたメルヴィアだったが、同じ席に座ったまま起きていた。本も読んでいない。まるで私が来るのが分かっていたかのように私を見つめる。
「…メルヴィア、様!わたくし、見つけられ…ませんでしたわっ」
「走ってきたのお~?お疲れぇ~」
「は、はいっ…」
「それで、見つけられなかったんだぁ~。そっかそっかぁ~」
そう微笑んだメルヴィア。私は次の言葉を待つ。
でも、その続きを聞けることはなかった。
「あの…それで?」
やっと息切れがお染まった私は、メルヴィアに言葉の続きを求める。
「んー?それでって~?」
「え?だから、わたくし見つけられなかったんです。だからっ…」
「だーいじょうぶ。多分君に接触して来るはずだよぉ~。もう一度、ウィルニーさまに話しかけてみなよ~。生徒会室から中庭に移動してるはずだよー」
なぜメルヴィアはウィルニーの場所を知っているのだろうか。それに、なんで私がウィルニーと話したことを知っているのか。
そんなこと、メルヴィアに伝えてないのに。
それよりもまず優先すべきは真犯人の方か。
「あのっ、メルヴィア様。そもそも、面倒なことをするよりも、メルヴィア様が真犯人を誰か教えてくれればいいのでは?メルヴィア様は、誰か知っているのでしょう?」
「え~。そんなの面白くないよぉ~」
「お、面白くない…!?」
「って言うのは冗談で~。きっと、俺が言ってもルミエラは信じないよぉ~」
「信じない…?」
つまり、よほど私が信頼している人…?それとも、私がそれだけ予想だにしない人だと言うこと…?
「とにかくさ、俺の言う通りにして中庭に行って話しかけてみなよぉ~」
「分かりました。ところで、何故中庭なのですか?つい先ほどまで生徒会室にいらしたのに」
「今日は外でティータイムだよぉ~。ウィルニーさまたち生徒会員はねぇ~。丁度この時間からさぁ」
「そういえば、そうでしたわね…」
なるほど、だからウィルニーが中庭にいると言ったのか。でも、なんで私がウィルニーの所を訪ねたことを知っていたんだろうか。それだけが謎だ。
「じゃぁねぇ~?いってらっしゃーい」
そう言われ、ばいばーいと手を振られた。
「え?あっ、はい。行ってまいります…?」
つられて私も手を振り返してから図書室を出た。
中庭に着くと、もうティータイムは始まっていた。優雅に有力貴族の子息や令嬢がお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、話に花を咲かせたりしている。
その中で、一番豪奢なテーブルに座っている男に目をつける。もちろん、ウィルニーである。
同じテーブルにイアナも座っていて、楽しそうに喋っている。
水を差すようで悪かったが、でも迷っている暇なんて私にはないので、遠慮なく声をかけさせてもらった。
そのことに一瞬驚いた様子を見せたウィルニーだったが、すぐに嫌悪感を露わにしながら「また何か用か?」と聞いてきた。
「いえ、用という程でもないのですが…ただ」
ただ、メルヴィアにウィルニーに話しかけてみろと言われたからそうしただけなのだが。
話しかけても何も起こるようすはなかった。どうすればいいのかと思ったが、ウィルニーが何か「そうか!」と声を上げた。
「俺と一緒にお茶したかったんだな。そうならそうと最初から言え。特別に生徒会員ではないお前の参加を許す。そこに座れ」
何か一人で納得したようで、そこ、と言われたそこを見る。
カナン様が同じテーブルにあった椅子を後ろに引いてくれた。
カナン様の律儀な対応を無下にするわけにもいかなく、私は喜んで「失礼します」といってそこに座った。
その時、だんっ!とテーブルに手を叩きつけ、椅子が倒れる程の勢いでその場を立ち上がったものがいた。
「ずっと…ずっとあなたが憎かった!」
そう私を睨みつける、澄んだ、空色の瞳。今は憎しみに染まったその瞳。
そして、勢いよく立ち上がった時に乱れた美しい桜色の髪。
「まさか…そんな…」
そんなわけあるはずがない。けれど…まさか、本当にあなたが…?
「私の方がウィルニー様を愛しているのに!どうして!?さっさと死んでしまえばよかったのに!それなのに、毎回毎回あの男が出てきて私の邪魔をする!どうして!?どうして…私の邪魔を、するの!?」
そう目に溜めていた涙を撒き散らしながら私の目の前で怒鳴り散らす彼女。
あぁ、まさかそんなことをするなんて…私は思いもよらなかった。
物語の希望が、まさか、真犯人だったなんて…。
そう、真犯人は彼女、「こいはな」のヒロイン…イアナ・ロマンヌだ。
「…イアナ様。あなたが、私を殺そうとしていたのですか?」
そう私が聞くと、イアナは怒っていたのが嘘のように笑った。
いや、笑った、というよりも狂ったように笑い声を上げ始めたという方が正しいのかもしれない。
「ふふっ、あははっ、あはははははははは!!!そうよ!私があなたを殺そうとした真犯人!だったら、なんだっていうの?」
これは本当にあのイアナなのだろうか。
いつもおしとやかに笑い、誰に対しても優しい、品行方正、文武両道の彼女が…。
信じられない。嘘だと言って欲しい。だって、あなたはヒロインなのだから。私とは違う。悪役ではない、ヒロイン、なんだから…。
「どうして、私を殺そうとなんて!」
「まだ分からないの!?あなたがウィルニー様の愛を独り占めしてるからよ!いくら私が愛してもウィルニー様はいつもあなたのことばかり!いつまでたっても私に振り向いてくれないっ」
きっ、と睨まれ、あまりにもすごい剣幕に気圧される。
「…最初は、ただ純粋に片想いするウィルニー様を応援していたわ。私が平民だからって、ウィルニー様はそんなことを気にしなかったお優しい人だから。この人の力になりたいと思ったの。でも、あなたに寄せるひたむきな愛情を知っていくたびに私はウィルニー様への想いが募っていくばかりだった…」
そうポツリポツリと話しながら、彼女は静かに涙を流す。それは綺麗な、美しい涙…。
「…でも、あなたはその愛に気づかない。そして遂には、婚約破棄という嘘を言い渡されてそれをすんなりと受け入れた。その事は本当に嬉しかった。婚約が解消され私はウィルニー様に思う存分この想いをぶつけられると。でも意味はなかった。ずっと、ずーっと…あなたのことばかり」
「そんなことはないはずですわ。だって、あの婚約破棄はイアナ様と婚約を結ぶためにされたものでしょう?」
「あなたの、そういうところが嫌いなの!!!」
また豹変した彼女は私に向かって怒号を飛ばす。
「おい、待て。状況が追いつかない。どういうことだ、イアナ」
そう割って入ってきたのはウィルニー。
今の会話でわからなかったというのだろうか。
「わたくしを殺そうとしていた犯人です。昨日ハンディカム子爵家の次男、アルバート様が捕まったことはお聞きしませんでしたか」
「そういえば、そうだったな…」
「そのわたくしを殺そうとしていた真犯人が、イアナ様だったということです」
「イアナが…?そんな、まさか…」
驚きの目を向けるウィルニーに、イアナは肩をしゅんと落とした。
「…イアナ、貴様なんてことをしでかした!誰が誰を好いていただと?ルミエラに手を出しておいて何が俺が好きだ!お前なんてこれっぽっちも好きじゃない。俺の前から消えろ」
そう言ったウィルニーに次の瞬間、乾いた音が響いた。
そして、ウィルニーは自分の左頬を抑える。
「…あなたは、人の気持ちをなんだと思っているのですか」
私が、ウィルニーの頬を叩いたのだ。
許せなかった。同じ女としても、人間としても。
「確かに、イアナ様の私に対する行動は許せるものではありません。でも、それまでしてあなたのことを想っていたということです。私を殺したいほどにも。それなのに、その気持ちを踏みにじって、俺の前から消えろ?ふざけているのですか!」
今こそ、悪役令嬢の力を発揮する時だ。私の生まれ持ったこの顔はこういう時に役に立つ。
相手を睨み、目を釣り上げる。
「あなたの方が今すぐイアナ様のの前から消えなさい!」
そう怒鳴った私を、ウィルニーは屈辱的な目で見つめる。
だけど、何か悔しさも混じっているような気がした。その悔しさは私に言い返せない悔しさか、それとも違う何かか…到底、私には分かりはしないことだけれど。
ウィルニーはふいっとそっぽを向き、歩いて行った。その後をカナン様も追う。
「…あなたに助けられたなんて思わないわ。そもそも、私だってウィルニー様にあぁ言われてもおかしくない事をしたのだもの」
「それでも、あなたの気持ちを踏みにじった彼が許せなかっただけですわ。わたくしは人として当然のことをしたのですもの」
「そう…」
「…あなたの、罪がなくなることはありませんわ。だけど、死刑にはさせません。わたくしが、絶対に。それから、あなたを見てくれる人は、ちゃんといるのではなくて?あんな振り向いてくれない人なんてほっておいた方がいいわ」
「見てくれてる人?私を平民だと貴族は罵る人ばかりだわ。見ていてくれる人なんて…」
「あなたの為に動いてくれたアルバート様は違うのかしら。ちゃんと罪を償った後に、彼に謝ってきなさいな。あなたの為に、動いてくれたのだから」
イアナの涙はとめどなく溢れてきた。止まることをしらないように。
泣いて顔をぐしゃぐしゃにしながら彼女は言った。
「…ありがとう」
そして、彼女は罪を認めた。全ての罪を。代わりにアルバートは釈放された。
「ルミエラ様」
縁起の悪いこと、彼は悲しい事件があったというのに、ニコニコと私に声をかけてくる。
「リュアン様…」
「イアナ様、捕まったんですね。このままアルバート様が犯人のまま死刑にされると思っていましたが…」
ん?待てよ。今のリュアンの口ぶりだとまさか…
「あの、リュアン様はイアナ様が犯人だと知っていたのですか?」
「はい、そうですけど?ルミエラ様の部屋のドアのどの切り傷も浅いものばかりでした。普通男性がやったなら、もっと深い傷が付くはずです。だから、きっと女性がやったとは思っていました。あとはルミエラ様に恨みを持つ人を考えてみたんです。一人だけ、そういう人が思い浮かんだので」
「な、なんで知っていたのに隠していたんですか!」
「僕は彼の誠意に感服しただけです。好きな人の為に死ねるなんて素敵じゃないですか」
「…そうでしょうか。そもそも、リュアン様はそんな人がいるのですか?」
そう聞くと、「はい、目の前に」そう目の前の悪魔は笑いながら言った。
「あの、すみませんが、もう一度言っていただけますか?」
「え?聞こえませんでしたか?僕の好きな人は今目の前に立っています」
そう言われて、後ろを見てみるが誰もいない。
そして、私はまさかと思いながら、自分を指差して見た。
「はい、あなたです」
そう答えられた。この悪魔様様は。
「…あの、何かの間違いでは?」
「間違いって?」
「だから、私を好きなどあり得るわけないじゃないですか!だ、誰かとお間違いなのでしょう。イアナ様とか!」
「イアナ様は好きではありません。あなたが好きです、ルミエラ様」
「いや、そんなはずはあり」
「ありえます」
私があわあわ戸惑っている様子を見て、リュアンはくすりと笑った。
「…僕はどうやら、周りにはとてもいいこちゃんに映ってるみたいなんです。でも僕はいい子ちゃんじゃありません。ってことは知ってますよね?」
あっ、はい。知ってまーす。なんて言えないけれど…。
「だから…いいよね?」
え?何が?なんて聞く余地もなく、リュアンの顔が近くに来たと思ったら私の唇に柔らかいものが触れた。
その柔らかいものはゆっくりと離れていき、そして、目の前にいる悪魔は、にこりなんてものじゃなくて、ニヤリと笑いながら「…しちゃった」と私の頬を撫でながらそう言った。
数秒間、私は時が止まった。無論止まったのは私の時だけである。
リュアンは固まる私に目の前で手を振って大丈夫かと確かめている。
だけど、徐々に私の顔には熱が集まって来た。
その様子に、「ふふっ、真っ赤」と言って、追い討ちか私の頬にキスを落として来た。
「なっ、う、あっ…な、にしてるんですか!わ、私達は婚約者でもないんですよ!」
「私、ですか?わたくし、じゃなくて」
クスクスと面白そうに微笑んだリュアン。そうだ、忘れていた。あまりの出来事にお嬢様らしく喋らなければならなかったのに。
「わ、わたくしたちは婚約者ではありません。未婚の男女がこ、こんな…」
「唇を交わすことは確かに早かったかもしれませんね。責任を取って婚約しますよ」
「なっ!?そ、そういうことではありません!」
「だから、言っているでしょ?あなたが好きって。好きな人を手に入れる為ならどんな卑怯な手も惜しみません」
そういいながら、私の手をそっと取る。
「僕はあなたが欲しい」
真面目な顔でそう言ったリュアンから手を振り払い、一目散に寮へと逃げた。
次の日の朝のことだ、悪魔は私に告げる。
「イアナ様の罪を軽くする代わりに、僕の婚約者になってくれませんか」
「…っ!」
「このままでは、彼女は死刑になってしまいます」
「で、でも私がなんとか…!」
「公爵家でも流石にそれは無理です。僕ならなんとかなります。本来は死刑になる者をそう簡単に殺さずにどうにかすることなんてできません。僕じゃなければ…ね。ほら、どうするの?」
悪魔はまさしく悪魔のように微笑み、私にそう告げる。
もう、答えは一つしかないじゃない。
「…婚約、します」
彼は本気だ。本気で、私を欲しがっている。
好きなんて信じられない。
だって、私みたいな悪役令嬢を好き、なんて。
きっと彼には何か、意図があるはずだ。
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