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田舎娘と王子さま 1
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それから数時間後。ノエルとわたしたち家族は、夕食の席で改めて顔合わせをしていた。
「疲れたでしょう? 遠慮なく食べてちょうだいね」
言ったのは母さまで、「そうだよ、自分の家だと思って」と続けたのは父さまだった。邸の食堂には、わたしと父さまと母さま、それから二つ年上のエトワス兄さまとノエルが揃っていた。
「ありがとうございます。いただきます」
わたしの向かいに座ったノエルはそう言ったものの、にこりともせずカトラリーを手に取る。その様子に母さまが少しだけ心配そうに眉をひそめ、父さまを見やった。父さまは大丈夫だよ、というみたいに小さく頷き返しているけれど……。
(……緊張しているのかしら)
スープを口にしながら、わたしは、行儀良く肉を切り分けているノエルを見つめた。その表情は平然としていて、とても緊張しているようには見えない。けれど、本当のところはどうだかわからない。なにせ彼は今、知らない土地の知らない家族に囲まれているのだ。緊張しているわけではないにしても、居心地がいいとは言えないだろう。
(うーん)
わたしは、ついさっき父さまに言われた言葉を思い返した。
『マリエール。ひとつ頼みがあるんだが』
『なあに?』
『うん。ノエル君がうちにいる間、話し相手になってあげてほしいんだ。彼はある事情で自分の家にいられなくなってしまってね、だから……』
『ある事情って?』
『ご家族の問題でね。落ち着くまではここで暮らしてもらうことになったから。……無理にとは言わないけど、なるべく彼が過ごしやすいようにしてあげたいんだ』
『わかったわ』
『頼めるかい……?』
『もちろんよ! ちょうど弟がほしいって思っていたところだし』
わたしが「任せて」と胸を張ると、父さまは安堵するように息をついた。いつものんびりとした父さまの、そんな困ったような顔を見るのは本当に稀で──ノエルの抱えている事情というのは、とても大変なものなのだろうと推察できた。
(わたしから話しかけるべきよね)
ノエルはさっきから少しもこちらを見てくれないし。
向かいに座り合っているというのに、夕食がはじまってから一度も視線が合っていないことに気づいて、わたしは声をかけてみた。
「美味しい? お肉が好きなの?」
今まさに肉を口に運ぼうとしていたノエルが手を止めて、わたしを見つめた。やっと目が合った。そう喜んだのも束の間。
「ああ」
ノエルは一言そう言うと、何事もなかったかのように食事を再開した。せっかく合った視線も外れてしまう。わたしは負けじと会話を続けた。
「そうなんだ。わたしもね、お肉は好きよ。でも野菜も好き。苦手なのは辛いものよ。耳が痛くなるの」
「ふうん」
興味なさそうではあったけれど、無視されなかったことに安心して、わたしは調子に乗ってしまう。
「ノエルは苦手なものはある? あ、もしかして人参? 食べてあげましょうか?」
メインの肉料理に添えられていた人参の甘煮だけが端に避けられていたから「もしかして」と思って善意で申し出たのだけれど。
「は?」
言葉と同時──思い切り睨まれてしまう。怖い。
「食える。ガキ扱いすんな」
「………………ごめんなさい」
(でも、子供じゃない)
喉まで出かかった言葉は、流石に飲み込んだ。
これは、とうとうやってしまったかもしれない。
そう落ち込みそうになったわたしの隣から、兄さまが助け船を出してくれる。
「じゃあ、甘い物はどう? このあとシェフが張り切って作ったケーキが出てくるんだけど」
「ケーキ……」
ノエルがぴくりと反応して、それから小さく顎を引いた。やっぱり笑顔でこそなかったものの、ほんの少しだけ目が大きくなっている。好きなのかもしれない。
「食えます……」
「そう、良かった。僕は苦手だから、僕の分も食べてくれると嬉しいんだけど、入りそう?」
「はい」
(好きなんだ)
確信したけど、また睨まれたらと思うと怖くて口を挟むことは出来なかった。
(それにしても、兄さまには敬語なのね)
その後もぽつぽつと会話が続いたけれど、わたしとノエルの視線が再び交わることは終ぞなくて。父さまから託された任務──その遂行の難しさを、ひしひしと実感してしまったのだった。
◆ ◆ ◆
(……なんなんだあいつは)
夕食を食べ終えたあと。
俺は与えられた個室のベッドの上に寝転び、よく口の回る少女──マリエール・ブノアのことを思い返していた。栗色の巻き毛に同じ色の瞳。健康的な小麦色の肌。くるくると変わる表情。今まで周りにいなかった性格の少女に、俺は少なからず困惑、もとい苛立ちを覚えていた。
ただでさ長旅で疲れていて余裕なんてないというのに、マリエールは意味不明なことばかりを口にして、俺に構ってきた。たとえそれが善意だったとしても、正直言って煩わしかった。
俺が肉好きだったら何だっていうんだ? そんなことお前に関係ないだろう。それとも俺を絆そうとしているのか。ひねくれた考えが脳裏をよぎり、ついきつい言葉を吐き出してしまった。一瞬気まずくなった空気を悪いとは思ったものの、やはりマリエールに感じた苛立ちは消せなくて、最後まで大人気ない態度を取ってしまった。
(これからのことを考えないといけないのに)
胸に靄を抱えたまま、俺は目を瞑り、意識からマリエールを追い出した。
そうして、思考を整理するため、ひと月ほど前のことを思い返す。
ブノア家の人間が、俺を訪ねてきた夜のことを。
「ブノア家? アルシェペール……?」
聞いたこともない家名と、地名。
それを口にしたのは、何度か見かけたことある凡庸な文官だった。──たしか名前はリルウェール・ブノア。……ああ、こいつの領地か。
「そこで身を隠し暮らせと?」
半笑いで言った俺の前に、リルウェールはそつのない所作で膝を折った。右手を心臓に当て忠誠を。頭を垂れ服従を示す。
(なるほど。こいつは俺に〝つく〟つもりなのか)
頭痛を堪えて、俺はリルウェールを見つめた。
「はい」
見上げた男と視線が絡む。幾度か会った過去を探り、こんな目をした男だっただろうかと、訝しむ。
愚問だった。
一見凡庸としか思えない男は、けれどこれまで策略の蔓延る王城内でのらりくらりと生き残ってきたのだ。牙がない、わけがなかった。むしろ隠すのが上手い分、厄介な類だった。
「殿下の御身をお守りさせて頂きたく、進言致します」
「負け戦だぞ」
俺は吐き捨てるように言った。
夜半。
鎮まり返った王城の片隅。俺の部屋には、リルウェールと年老いた従僕だけが揃っていた。俺を取り立てようとしていた貴族家が失墜したのが七日前。母上が毒殺されたのが、昨夜だった。
「…………」
喉の奥にこみ上げたものを耐え、俺は首を横に振る。
「申し出はありがたいが、貴殿に迷惑をかけるだけだ。悪いが」
「なにか勘違いされているようですが」
リルウェールは穏やかに微笑んだ。
「わたしはただ貴方に生きて、幸せになって頂きたいだけです。玉座などつかれなくても構いません」
「…………なにを言っている」
リルウェールの真意がわからなくて、俺は強く眉根を寄せた。
──これまで、何人もの貴族が俺を玉座に据えようと近づいてきた。現在生きている王子は七人。俺の王位継承権は四位だったが、少し前、三位に繰り上がった。第一位だった王子が不慮の死を遂げたためだった。
そうして三位になった俺と俺の母上も命を狙われる事態になり、結果、俺だけが生き残ってしまった。食事の中に、毒が守られていたのだ。
喪に服す俺に声をかける者は数える程度しかいなかった。
事実、大勢いたはずの側近は今や幼い頃から仕えてくれたいた老爺のひとりだけ。
後ろ盾を失った俺には、なんの価値もないからだ。
しかし──目の前のこの男は、玉座などつかずともよく、ただ俺を守りたいなどと言う。意味がわからなかった。
「答えろ、なにを考えている」
「言葉通りです。他意はありませんよ」
「…………」
「まあ、信じろと言うほうが無理な話ですよね、すみません」
順序を間違えましたね、こんなだから僕は……。
リルウェールはそう言いながら懐から一通の手紙を取り出した。その筆跡に俺は思わず息を呑む。
「これは生前、貴方の母君から送られたものです。──自分になにかあった時、貴方の力になってほしいと」
俺はひったくるようにリルウェールから手紙を奪い、中身を取り出し、読み込んだ。そこには旧友への挨拶と俺が心配だということばかりが綴られていた。年々悪化していた王城の空気に、ずっと不安を抱いていたのだろう。
(母上)
読み終えることもできず、鼻の奥がつんと痛んだ。
隣で、リルウェールが静かに言った。
「殿下もご存知の通り、わたしの身分は高くはありません。争いの場に立つことすら許されない。ですから表だって助けて差し上げることは適いませんでした」
悔いるような間があった。
母上と友人関係だったというのは、真実なのだろう。
読み古されたような便箋が、それを物語っていた。
「……ですが、貴方を保護させて頂くくらいの財は持ち合わせているつもりです。殿下、わたしと城を離れましょう」
「疲れたでしょう? 遠慮なく食べてちょうだいね」
言ったのは母さまで、「そうだよ、自分の家だと思って」と続けたのは父さまだった。邸の食堂には、わたしと父さまと母さま、それから二つ年上のエトワス兄さまとノエルが揃っていた。
「ありがとうございます。いただきます」
わたしの向かいに座ったノエルはそう言ったものの、にこりともせずカトラリーを手に取る。その様子に母さまが少しだけ心配そうに眉をひそめ、父さまを見やった。父さまは大丈夫だよ、というみたいに小さく頷き返しているけれど……。
(……緊張しているのかしら)
スープを口にしながら、わたしは、行儀良く肉を切り分けているノエルを見つめた。その表情は平然としていて、とても緊張しているようには見えない。けれど、本当のところはどうだかわからない。なにせ彼は今、知らない土地の知らない家族に囲まれているのだ。緊張しているわけではないにしても、居心地がいいとは言えないだろう。
(うーん)
わたしは、ついさっき父さまに言われた言葉を思い返した。
『マリエール。ひとつ頼みがあるんだが』
『なあに?』
『うん。ノエル君がうちにいる間、話し相手になってあげてほしいんだ。彼はある事情で自分の家にいられなくなってしまってね、だから……』
『ある事情って?』
『ご家族の問題でね。落ち着くまではここで暮らしてもらうことになったから。……無理にとは言わないけど、なるべく彼が過ごしやすいようにしてあげたいんだ』
『わかったわ』
『頼めるかい……?』
『もちろんよ! ちょうど弟がほしいって思っていたところだし』
わたしが「任せて」と胸を張ると、父さまは安堵するように息をついた。いつものんびりとした父さまの、そんな困ったような顔を見るのは本当に稀で──ノエルの抱えている事情というのは、とても大変なものなのだろうと推察できた。
(わたしから話しかけるべきよね)
ノエルはさっきから少しもこちらを見てくれないし。
向かいに座り合っているというのに、夕食がはじまってから一度も視線が合っていないことに気づいて、わたしは声をかけてみた。
「美味しい? お肉が好きなの?」
今まさに肉を口に運ぼうとしていたノエルが手を止めて、わたしを見つめた。やっと目が合った。そう喜んだのも束の間。
「ああ」
ノエルは一言そう言うと、何事もなかったかのように食事を再開した。せっかく合った視線も外れてしまう。わたしは負けじと会話を続けた。
「そうなんだ。わたしもね、お肉は好きよ。でも野菜も好き。苦手なのは辛いものよ。耳が痛くなるの」
「ふうん」
興味なさそうではあったけれど、無視されなかったことに安心して、わたしは調子に乗ってしまう。
「ノエルは苦手なものはある? あ、もしかして人参? 食べてあげましょうか?」
メインの肉料理に添えられていた人参の甘煮だけが端に避けられていたから「もしかして」と思って善意で申し出たのだけれど。
「は?」
言葉と同時──思い切り睨まれてしまう。怖い。
「食える。ガキ扱いすんな」
「………………ごめんなさい」
(でも、子供じゃない)
喉まで出かかった言葉は、流石に飲み込んだ。
これは、とうとうやってしまったかもしれない。
そう落ち込みそうになったわたしの隣から、兄さまが助け船を出してくれる。
「じゃあ、甘い物はどう? このあとシェフが張り切って作ったケーキが出てくるんだけど」
「ケーキ……」
ノエルがぴくりと反応して、それから小さく顎を引いた。やっぱり笑顔でこそなかったものの、ほんの少しだけ目が大きくなっている。好きなのかもしれない。
「食えます……」
「そう、良かった。僕は苦手だから、僕の分も食べてくれると嬉しいんだけど、入りそう?」
「はい」
(好きなんだ)
確信したけど、また睨まれたらと思うと怖くて口を挟むことは出来なかった。
(それにしても、兄さまには敬語なのね)
その後もぽつぽつと会話が続いたけれど、わたしとノエルの視線が再び交わることは終ぞなくて。父さまから託された任務──その遂行の難しさを、ひしひしと実感してしまったのだった。
◆ ◆ ◆
(……なんなんだあいつは)
夕食を食べ終えたあと。
俺は与えられた個室のベッドの上に寝転び、よく口の回る少女──マリエール・ブノアのことを思い返していた。栗色の巻き毛に同じ色の瞳。健康的な小麦色の肌。くるくると変わる表情。今まで周りにいなかった性格の少女に、俺は少なからず困惑、もとい苛立ちを覚えていた。
ただでさ長旅で疲れていて余裕なんてないというのに、マリエールは意味不明なことばかりを口にして、俺に構ってきた。たとえそれが善意だったとしても、正直言って煩わしかった。
俺が肉好きだったら何だっていうんだ? そんなことお前に関係ないだろう。それとも俺を絆そうとしているのか。ひねくれた考えが脳裏をよぎり、ついきつい言葉を吐き出してしまった。一瞬気まずくなった空気を悪いとは思ったものの、やはりマリエールに感じた苛立ちは消せなくて、最後まで大人気ない態度を取ってしまった。
(これからのことを考えないといけないのに)
胸に靄を抱えたまま、俺は目を瞑り、意識からマリエールを追い出した。
そうして、思考を整理するため、ひと月ほど前のことを思い返す。
ブノア家の人間が、俺を訪ねてきた夜のことを。
「ブノア家? アルシェペール……?」
聞いたこともない家名と、地名。
それを口にしたのは、何度か見かけたことある凡庸な文官だった。──たしか名前はリルウェール・ブノア。……ああ、こいつの領地か。
「そこで身を隠し暮らせと?」
半笑いで言った俺の前に、リルウェールはそつのない所作で膝を折った。右手を心臓に当て忠誠を。頭を垂れ服従を示す。
(なるほど。こいつは俺に〝つく〟つもりなのか)
頭痛を堪えて、俺はリルウェールを見つめた。
「はい」
見上げた男と視線が絡む。幾度か会った過去を探り、こんな目をした男だっただろうかと、訝しむ。
愚問だった。
一見凡庸としか思えない男は、けれどこれまで策略の蔓延る王城内でのらりくらりと生き残ってきたのだ。牙がない、わけがなかった。むしろ隠すのが上手い分、厄介な類だった。
「殿下の御身をお守りさせて頂きたく、進言致します」
「負け戦だぞ」
俺は吐き捨てるように言った。
夜半。
鎮まり返った王城の片隅。俺の部屋には、リルウェールと年老いた従僕だけが揃っていた。俺を取り立てようとしていた貴族家が失墜したのが七日前。母上が毒殺されたのが、昨夜だった。
「…………」
喉の奥にこみ上げたものを耐え、俺は首を横に振る。
「申し出はありがたいが、貴殿に迷惑をかけるだけだ。悪いが」
「なにか勘違いされているようですが」
リルウェールは穏やかに微笑んだ。
「わたしはただ貴方に生きて、幸せになって頂きたいだけです。玉座などつかれなくても構いません」
「…………なにを言っている」
リルウェールの真意がわからなくて、俺は強く眉根を寄せた。
──これまで、何人もの貴族が俺を玉座に据えようと近づいてきた。現在生きている王子は七人。俺の王位継承権は四位だったが、少し前、三位に繰り上がった。第一位だった王子が不慮の死を遂げたためだった。
そうして三位になった俺と俺の母上も命を狙われる事態になり、結果、俺だけが生き残ってしまった。食事の中に、毒が守られていたのだ。
喪に服す俺に声をかける者は数える程度しかいなかった。
事実、大勢いたはずの側近は今や幼い頃から仕えてくれたいた老爺のひとりだけ。
後ろ盾を失った俺には、なんの価値もないからだ。
しかし──目の前のこの男は、玉座などつかずともよく、ただ俺を守りたいなどと言う。意味がわからなかった。
「答えろ、なにを考えている」
「言葉通りです。他意はありませんよ」
「…………」
「まあ、信じろと言うほうが無理な話ですよね、すみません」
順序を間違えましたね、こんなだから僕は……。
リルウェールはそう言いながら懐から一通の手紙を取り出した。その筆跡に俺は思わず息を呑む。
「これは生前、貴方の母君から送られたものです。──自分になにかあった時、貴方の力になってほしいと」
俺はひったくるようにリルウェールから手紙を奪い、中身を取り出し、読み込んだ。そこには旧友への挨拶と俺が心配だということばかりが綴られていた。年々悪化していた王城の空気に、ずっと不安を抱いていたのだろう。
(母上)
読み終えることもできず、鼻の奥がつんと痛んだ。
隣で、リルウェールが静かに言った。
「殿下もご存知の通り、わたしの身分は高くはありません。争いの場に立つことすら許されない。ですから表だって助けて差し上げることは適いませんでした」
悔いるような間があった。
母上と友人関係だったというのは、真実なのだろう。
読み古されたような便箋が、それを物語っていた。
「……ですが、貴方を保護させて頂くくらいの財は持ち合わせているつもりです。殿下、わたしと城を離れましょう」
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