上 下
31 / 592
二章:狼は赤頭巾を被る

第5話 庭師の信頼

しおりを挟む


 勉強の終わる数字に、時計の針が動いた。ごーん、と音が鳴る。クロシェ先生が微笑んだ。

「はい! 今日はここまで! お疲れ様!」

 本日の授業内容の濃さに、あたしとメニーがぐったりと、その場で脱力した。クロシェ先生がきょとんとする。

「あら、駄目よ。二人とも。貴族のお嬢様は、何があっても涼しい顔してないと!」

 あたしはメニーに耳打ちする。

「メニー…、よく見なさい…。あれは美女なんかじゃない…。彼女こそ…野獣というやつよ…」
「お姉ちゃん…、私…初めて野獣を見たよ…」

 あたしとメニーが顔を青ざめて、ホワイトボードを片付けるクロシェ先生を見つめる。

「あ、そうだ」

 クロシェ先生があたしとメニーにドリルを配る。

「はい。これがテリーの分」
「いっ!」

 算数と国語。

「これがメニーの分ね」
「ひぇ!」

 算数と国語。

「テリーの範囲は、算数はここからここまで」
「いっ!」
「国語はここまでよ」
「ひい!」

 あたしは絶望した。

「メニーの範囲は、算数はここからここまで」
「ひぇ!」
「国語はここまでね」
「ぐっ…!」

 メニーが絶望した。

「それじゃあ、お疲れ様! 明日は歴史と理科よ。頑張りましょうね!」

 クロシェ先生が先に部屋から出て行った。あたしとメニーは顔を見合わせ、再びうなだれた。

(…死ぬ)

 このままでは、宿題と言う地獄に、生き埋めになってしまう。

「お姉ちゃん…」

 あたしはその声に振り向く。メニーのか細い声に、慰めが必要だと思って振り向けば―――そこにいたのは、目をキラキラ輝かせるメニー。

「勉強、終わったね」

 メニーが笑ってる。

「終わったんだよね?」

 メニーが希望の目に微笑む。

「お姉ちゃん!」

 あたしは顔をひきつらせた。

「トラブル探しに行こう!」

 メニーがあたしの手を引っ張って、颯爽と勉強部屋から出て行く。

「お姉ちゃん! 早く! 早く! 皆が! トラブルバスターズを、待ってるよ!!」

(ぐぅうううううううう!! やめろ! 引っ張るな! あたしは疲れたのよ! ちょっと休ませてよ! 目をキラキラさせやがって! だから嫌いなのよ! お前!)

 だが、顔に出すわけにはいかず、あたしはにこにこ顔をひきつらせ、メニーに引っ張られる。

「おほほほ! メニーったら! あわてんぼうのせっかちさんなんだから! そんな簡単に、トラブルは落ちてないんじゃなぁい? あたしね、その、勉強の後だし、一度、休んだ方がいいと…」
「はっ! 見て! お姉ちゃん!」

 メニーが指を指す。

「ミセス・ポットが困ってるよ!」
「っ」
「助けに行こう!」

 掃除の手が足りないメイドのミセス・ポットの掃除を手伝う。ミセス・ポットがお礼を言ってきた。

「ありがとうございます! テリーお嬢様。メニーお嬢様」
「とんでもないです!」
「ほほほ…」

(さて、掃除の手伝いは終わったわ)

「ねえ、メニー? ほら、そろそろその、休憩…」
「あ! お姉ちゃん! フレッドが何か、うろうろしてるよ!」
「っ」
「行ってみようよ!」

 使用人のフレッドの落し物を二人で探す。見つかって、フレッドに渡すと、フレッドがお礼を言ってきた。

「ありがとうございます! お嬢様方!」
「とんでもないです!」
「ほほほ……」

(よし、探し物は見つかったわ)

「ねえ、メニー? そろそろお部屋に戻って宿題でも…」
「見て! お姉ちゃん! 雪虫が飛んでるよ! …雪降るのかな?」

 知るかーーーーーー!!

 メニーが窓を覗いてうっとりする。あたしの口角がぴくぴく痙攣する。

(メニィイイイ…!)

 怨念の目でメニーの背中を睨みつける。

(お前、普段引きこもりのくせに、なんでこういう時に限って活発になるのよ! お姉様は疲れたっつってんだろ! この馬鹿女! くたばれ! てめぇはさっさとくたばれ! 人に気遣いの出来ないお前なんて火星人よ! 彗星人よ! そこにだいたい愛があるだけなのよ! くたばれ! メニー!)

「あれ、リーゼだ」
「ん?」

 メニーが呟き、あたしも窓を覗き込む。リーゼが庭の周りをうろうろして、首を傾げている。

「何か悩んでるみたい」

 メニーがあたしに振り向く。あたしは内心うなだれるが、メニーには笑顔を見せる。

「行ってみる?」
「うん!」

 メニーに手を引かれ、庭へ駆けていく。植物の温室小屋の前で、リーゼが腕を組み、難しい顔で唸っていた。

「うーん!」
「リーゼ」

 あたしが呼ぶと、リーゼが振り向く。

「あら、これはこれは、テリーお嬢様、メニーお嬢様!」
「悩み事?」
「ええ、それが」

 リーゼが三歩下がり、指を差す。

「ここに、案山子を作ろうかと思いまして」
「案山子…」
「鳥達が悪戯するために小屋に入らないよう、設置しておけば良いと思いまして」

 ただ、問題が一つ。

「この屋敷での庭師は私だけですし、まだ仕事が残ってます故、案山子の準備が出来ないんです。せめて、大量の藁と大量の布があればいいのですが…」
「お姉ちゃん」

 メニーがあたしの手を引っ張った。

「私達も、どうせこの後部屋に戻って宿題やるだけだし、集めに行こうよ」
「そうね」

 あたしの可愛い植物ちゃんを守るためにリーゼが提案してくれたのであれば、

(いいわ。そういうことなら動いてあげる)

「リーゼ、あたし達が集めに行ってくるわ」
「えー! いいのですか!?」
「どれくらい必要なの?」
「なるべく多い方が、幸いですわ!」
「布は?」
「布は最悪継ぎ接ぎで何とかなりますので、切り端だけでも多く頂ければ!」
「メニー、行くわよ」
「うん!」
「ああ! 何とお礼を言ったらいいのか!」

 リーゼが両手を握りしめた。

「私は植木達の面倒を見ながらお待ちしてます。すみませんが、よろしくお願い致しますわ!」


 罪滅ぼし活動ミッション、案山子を完成させる。


「メニー、まずは布からよ」
「うん!」

 メニーが弾むように頷き、あたしと手を握って、再び駆け出した。


(*'ω'*)


 布といえば、洗濯物をアイロンしているメイドに訊くのが一番だ。

「エレンナ、余ってる布はない?」

 身長の高い、肩幅の広い、筋肉がムキムキの、使用人の男性よりも男らしいメイド、エレンナがアイロンがけをしていて、その周りをあたしとメニーがうろうろする。エレンナがにっこりと微笑み、シワを見せる。

「これはこれは、どうしたんですか。お嬢ちゃん方」
「エレンナ! 案山子を作るの!」

 メニーの言葉に、エレンナがきょとんとする。

「案山子?」
「うん! リーゼが作ってくれるんだって!」
「何でもいいのよ。継ぎ接ぎでも作れるって言ってたから。なんか余った布があったらくれない?」
「切れ端ならいくらでもありますよ。それでも良ければ」

 エレンナがレトロな茶色のタンスから、大量の布の切れ端を腕に掴んでみせる。

「ほらほら、重たいから、お二人でお待ちよ」

 あたしとメニーが半分ずつ腕に抱える。本当に大量だ。あたしは横目でメニーを見る。

「メニー、一度庭に戻るわよ」
「うん!」
「二人とも、大丈夫ですか? 私も行きましょうか?」
「ううん! エレンナ! これは! 私たちの役目なの!」

 メニーがめらめらと燃える目で伝えると、エレンナがくすりと笑った。

「ああ、そうですか。ふふっ。転ばないようにね」
「お姉ちゃん! 前気をつけて!」
「メニー、あんたこそ気をつけなさい。そこ壁よ」
「いたいっ!」

 壁にぶつかったメニーに、エレンナがまた肩を揺らして笑いだした。


(*'ω'*)


 次は藁。藁と言えば、ベックス家の土地で育てている農作物を見ている使用人達に訊くのが一番だろう。

「ドリトル、藁なんてない?」
「藁?」

 網籠に入れた林檎を運ぶドリトルに訊くと、歩いた先にあった倉庫をドリトルが開ける。

「藁なら、こちらに沢山ありますよ」
「わあ! お姉ちゃん、大量だよ!」
「メニーお嬢様、危ないですよ。私めがお持ちしますから」
「ドリトル、これはね、私とお姉ちゃんがやらないと、駄目なの!」
「ほう?」

 ドリトルがくすっと笑う。

「何だかよくわからないが、そうおっしゃるのならば、私は何も言いませんよ。でも重たいので、気を付けて運んでくださいね」
「お姉ちゃん、気を付けてね」
「メニーこそ」

 あたしとメニーが藁を持った。

「よっこいしょー!」

 倉庫から、二人で足を揃えて出て行く。


(*'ω'*)


 庭へ辿り着き、運んできた藁を置く。するとリーゼが跳ね飛んで喜んだ。

「まあ! 素敵! これだけあれば、十分ですわ!」

 リーゼがエプロンのポケットから針と糸を取り出す。

「やりますわよ!」

 リーゼの目が輝き出し、とんとんちくちくちこりーたと針で縫っていく。布と布が重なり合い、繋ぎ合い、どんどん形が出来てくる。だが、やはり時間はかかるようだ。

「メニー、しばらく待つみたいだから、手遊びでもしてましょう」
「やる!」

 メニーと手遊びの唄を歌う。

「「らんらんららん」」

 音符を重ねて、歌声を重ねて。

「「らんらんららん」」

 メニーと手遊びをしている間に、リーゼが糸を噛み切った。

「完成ですわ!」

 藁でぱんぱんに膨れ上がった案山子が出来上がる。案山子を立てて、リーゼが微笑んで自分の麦わら帽子を被せ、完成した案山子を見て満足そうな顔をすると思いきや、リーゼは眉をひそめ、また首を傾げた。

「おかしいです…。何かが足りません…」
「リーゼ、顔は描かないの?」

 メニーの一言に、リーゼがはっとした。

「はっ! 顔! 顔を忘れてましたわ!」

 リーゼがポケットからペンを取り出す。

「はてさて、どんなお顔がよろしいでしょうか?」

 リーゼがあたしとメニーを見下ろした。

「何がいいと思いますか? テリーお嬢様」
「怖いのがいいんじゃない? その方が鳥たちも近づかないでしょ」
「でも、それだとテリーお嬢様も怖いかもしれませんよ」
「怖くないわよ。案山子でしょ」
「メニーお嬢様は、どのような顔がいいと思いますか?」
「私、可愛いのがいいな」
「可愛いと鳥たちが寄ってくるんじゃない?」
「うーん、そっか」
「困りましたわね…」

 リーゼが再び難しい顔で唸り出す。

「うーん!」
「お姉ちゃん、今度は案山子の顔を考えようよ」
「賛成」

 このミッションは、案山子が完成するまでは終われない。

 あたしとメニーは唸るリーゼを置いて、温室小屋の椅子に座り、テーブルに紙を広げ、クレヨンを握る。

「クロシェ先生の授業がここで役に立つとは思わなかったね。お姉ちゃん」
「世の中、何が起きるかわからないわね」

 あたしとメニーはクレヨンを走らせる。顔を描いていく。

「こんなのは?」
「お姉ちゃん、これは?」
「それは可愛すぎない?」
「お姉ちゃんこそ、無表情すぎるよ」

 お互いに没を出し合って、再び描いてみる。

「これは?」
「これはどう?」
「メニー、それは猫じゃない」
「お姉ちゃんのは……鼠?」
「……馬鹿ね。貴族のお嬢様が、鼠なんて、そんな汚らわしいもの描くわけないでしょ」
「じゃあ、それ何?」
「……クマちゃんよ」
「……クマって、ひげあったっけ…?」

 再び描いてみる。

「これは?」
「んっ」

 メニーがぴんとひらめいた。

「お姉ちゃん、ちょっと貸して」
「うん?」
「私の絵と、お姉ちゃんの絵を合体させると」

 おおおおおおお!?

「なにこれ、変な顔!」
「お姉ちゃん! この変な顔でいこうよ!」
「確かに、言われてみたら、人間っぽくて、人間っぽくない!」
「お姉ちゃん! これでいってみよう!」

 あたしとメニーが紙を持って、小屋から出て行く。

「リーゼ!」
「うーん!」
「リーゼ、これを!」

 あたしとメニーが紙をリーゼに見せる。リーゼが紙を見て、再びはっとする。

「こ、この顔は…!?」
「私とお姉ちゃんとで考えたの!」
「なかなかに良い出来だと思わない?」
「素晴らしいですわ!!」

 リーゼがポケットからペンを取り出し、紙を参考に、案山子の顔を描き出す。

「なんて素晴らしいお顔なのかしら!」

 思わず、リーゼが感動した。

「これこそ、案山子の顔ですわ!!」











 へ へ
 の の
  も
  へ













「変な顔ですわ!」
「変な顔だわ」
「変な顔だね。お姉ちゃん」
「何度見ても変な顔ですわ!」
「何度見ても変な顔だわ」
「何度見ても変な顔だね。お姉ちゃん」
「間抜け面ですわ!」
「間抜け面だわ」
「間抜け面だね。お姉ちゃん」
「人間のようで人間じゃない顔ですわ!」
「人間のようで人間じゃない顔だわ」
「人間のようで人間じゃない顔だね。お姉ちゃん」

 リーゼとあたしとメニーが案山子を見上げる。しかし、案山子はこれで完成だ。人間のようで人間じゃない顔の案山子が、出来上がった。


 罪滅ぼし活動ミッション、案山子を完成させる。


(まあ、リーゼは喜んでるし、メニーは満足そうだし)

 とりあえずは、成功かしら?

「この花瓶を傍に置いて、完成ですわ!」

 リーゼが花瓶を置き、その中に温室小屋の鍵を入れる。メニーがきょとんとした。

「リーゼ、何やってるの?」
「鍵を失くしてしまった時に困らないよう、予備を入れたんです。花瓶は便利なのですよ。こうやって入れておけば誰にも気付かれません。案山子が守ってくれてますから」

 リーゼがメニーに微笑む。

「メニーお嬢様も何かの鍵を見つけたい時、花瓶を探してみてくださいな。意外と予備が入っているものですよ」
「へーえ!」
「メニー」

 あたしは部屋に戻りたくて、メニーを呼ぶ。もう足が痛いわ。しんどいわ。

「リーゼの悩みも終えたし、部屋に戻って休憩よ。宿題もやらないと」
「………」
「返事は?」
「はぁーい」

 メニーがつまらなさそうに、返事をした。




(*'ω'*)





 ミッション後は、あたしの部屋でメニーと宿題をやっていく。世間話は一切せず、ただひたすら、えんぴつだけを走らせる。

(数字大嫌い)

 一度目の世界でもそうだったけれど、算数は本当に苦手だった。答えは一つしかないけれど、その答えにたどりつくのが、もう、苦労に苦労を重ねるのだ。

(まだ5ページも残ってる…)

 いい方向に考えれば、あと5ページで終わる。

(でもそれが終わったら今度は国語が待ってる)

 ああ、勉強尽くしだ。

「ママとアメリ、いつになったら帰ってくるのかしら」
「ん?」

 メニーが顔を上げた。ドリルを眺めるあたしを見て、再び目線をドリルに戻す。

「そうだね。クロシェ先生が来てから、もう四日くらい経つし、そろそろ戻ってくる頃かもね」
「明日くらいかしらね」
「かもしれないね」
「帰ってきたら、そこでトラブルバスターズは解散ね」
「えー」

 メニーが残念そうに声を出す。あたしはドリルのページをめくった。

「しょうがないでしょう。ママに見つかったら悪戯しちゃだめって怒られるもの」
「悪戯じゃなくて、良い事なのに」

 メニーが唇を尖らせる。あたしはそれを見て、メニーに顔を向ける。

「ねえ、メニー」
「ん?」
「今日、どうだった?」

 メニーがきょとんとする。

「トラブル探して解決して、楽しかった?」

 訊けば、メニーが笑顔で、頷く。

「うん!」
「そう」
「お姉ちゃんも、楽しかったでしょう?」
「ええ」

(ちっとも)

「楽しかったわ」
「ふふっ」

 メニーが嬉しそうに微笑んだ。

「あのね、お姉ちゃんと二人っていうのが、私、すごく楽しかったの」
「何よ? アメリのこと、実は嫌いなの?」
「そうじゃなくて、私、アメリお姉様も大好きだよ。でも、テリーお姉ちゃんのことも好きだから」

 それに、

「ほら、最近、テリーお姉ちゃんと遊べてなかったから、私、すごく嬉しかったの!」

 メニーの笑顔を見て、あたしもにこりと微笑む。

「あたしもよ。メニー。メニーと一緒の時間を過ごせて、あたしもすごく嬉しいわ」

(何も嬉しくない)

「こうやって一緒に勉強出来るのも、嬉しい。メニーがいるから、集中出来るの」

(お前の相手をしたくなくて、集中できるのよ)

「このひと時を、大切にしないとね」
「えへへ。照れちゃうよ」

 メニーが笑う。メニーが笑ってる。メニーが上機嫌だ。

(信頼は築けている)

 あたしは口角を上げる。

(あたしは、メニーの良いお姉ちゃんになれている)

 これが持続できれば、死刑回避の未来は、必ずやってくる。

(いいわ。あたし、よくやってるわ)
(この調子よ)
(この調子で、信頼を築くのよ)
(使用人も、メニーも)
(この無邪気な笑顔を利用して)

 何としてでも、信頼を築くのよ。

(そうすれば)
(裁判のデタラメ証言を回避出来て)
(死刑を回避出来て)

 あたし達家族は、

 あたしは、

 もう、絶対に、不幸になったりしない。





 ――――扉がノックされた。

 あたしはちらっと横目で見て、返事を返す。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 ギルエドが入ってくる。

「ギルエド?」
「おや?」

 あたしとメニーが向かい合って勉強している姿を見て、ギルエドの表情が一瞬和らぐ。

「ほう、これは感心ですな」
「ギルエド、どうかしたの?」

 メニーが首を傾げると、ギルエドが扉を閉め、あたし達に近づいた。

「たった今、電話が来ました」

(電話?)

 あたしの眉がひそめられると、ギルエドが口を開く。

「奥様とアメリアヌお嬢様ですが、しばらく、帰ってこられないとのことです」
「は?」
「え?」

 あたしとメニーの声が重なる。あたしは顔を思い切りしかめた。

「なんで?」
「ええ。それが、まあ、その、パーティーに参加した時に、思わぬ情報が入ったとか」
「思わぬ情報?」
「事業関係や、他の事情も重なり、そうですね。一ヶ月程度、戻ってこないと思います」
「一ヶ月!?」

 目を見開き、思わず声を漏らす。メニーもきょとーんと目を点にさせた。

「一ヶ月も隣町で、何するのよ!」
「お話ししたいところですが、詳しい事情は、私からはお伝え出来ないのです」
「なんで!?」
「これにも色々と訳があります故、私も無念の気持ちでございます」
「無念なんて絶対思ってないでしょ!」
「と、まあ、そういうわけで、奥様が外出している今、私が引き続き屋敷のことを管理致します。何かあれば、私に必ず連絡を」

 ギルエドのメガネがきらりと光る。

「よろしいですか?テリーお嬢様、メニーお嬢様」

 あたしはうんざりとして、メニーは平然として、頷く。

「…はい…。ギルエド」
「はい。ギルエド」

 あたしとメニーが返事をすると、ギルエドが微笑む。

「それでは、引き続き、宿題を頑張ってください」

 ギルエドが一礼して、部屋から出て行く。メニーとあたしが自然と顔を見合わせた。

「…一ヶ月…」
「…ママもアメリも、何してるわけ…?」

 あたしは鉛筆を置いて、うなだれる。

「ああ、一ヶ月もこの生活が続くの?あたし嫌よ。宿題で埋もれちゃう。課題だらけの脳みそになって死んじゃうじゃない」
「お姉ちゃん、弱気になっちゃ駄目だよ!」

 メニーが希望の瞳を浮かべて、あたしの手を握った。

「私達は、とらぶるばすたーずなんだよ! 諦めちゃ駄目!」
「…………」
「ふふっ! 一ヶ月は解散しないで済むね!」

 メニーがあたしから手を離し、再び鉛筆を握った。

「えっと、どこまでやったっけ?」

(………こいつとのこのお遊びも、一ヶ月も続くわけ…?)

 ああ、最悪。

(でも、いいわ)

 そういうことなら、やってやろうじゃない。

(ママとアメリが帰ってくるまでの辛抱よ)

 あたしは壁に貼られたカレンダーを確認する。

(一ヶ月後)

 クロシェ先生が死ぬ月。初雪の降る日。

(いいわ。それまでに、あたしは使用人達と交流を深めて)
(クロシェ先生の死を回避して)
(未来の裁判での嘘証言も回避してみせる)

 あたしは、テリー・ベックスよ。貴族の美しいお嬢様。

(やってやろうじゃない)

 あたしはぐっと身を起こして、再び鉛筆を握り、ドリルに鉛筆を押し当てた。







(*'ω'*)






 悪いものは青に見える。
 いけないものは青に見える。
 僕達が幸せになるためには青ではいけない。
 僕達が幸せになるためには赤でないといけない。

 僕は赤を求める。幸せになるために。
 僕は赤を求める。幸せでありたくて。
 僕は赤を求める。ママが死んだ。
 僕は赤を求める。残されたのは僕だけ。
 僕は赤を求める。僕は救われたい。
 僕は赤を求める。僕は抗う。
 僕は赤を求める。抗って生きるんだ。
 僕は赤を求める。命ある限り。
 僕は赤を求める。赤は救いだ。
 僕は赤を求める。これでいい。
 僕は赤を求める。これがいい。
 僕は赤を求める。これが幸せだ。
 僕は赤を求める。これが幸福だ。
 僕は赤を求める。沈んでいく。
 僕は赤を求める。溺れていく。
 僕は赤を求める。幸福は手の中にある。
 僕は赤を求める。握ってごらん。この幸せを。
 僕は赤を求める。大丈夫。これで幸せになれる。
 僕は赤を求める。大切だから抱きしめる。
 僕は赤を求める。ばれないように、赤のボロ布を羽織って。
 僕は赤を求める。唇が赤くなる。幸せだ。
 僕は赤を求める。肌が赤くなる。幸せだ。
 僕は赤を求める。爪が赤くなる。幸せだ。
 僕は赤を求める。手が赤くなる。幸せだ。
 僕は赤を求める。外に出られなくなる。でも幸せだ。
 僕は赤を求める。夜は快適だ。幸せだ。
 僕は赤を求める。青ではいけない。
 僕は赤を求める。赤でないといけない。


「赤は幸せな色」

 だけど、

「こんなのは良くない」

 分かってる。

「これは幸せじゃない」

 分かってる。

「僕は、幸せじゃない」
「幸せ」

 小さな赤が寄り添う。

「私は、幸せ」
「それでも僕は」

 寄り添う赤を撫でる。

「幸せじゃない」

 手は、やがて動かなくなる。





 赤は、青に成り代わる。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

きみと運命の糸で繋がっている

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:211

冒険旅行でハッピーライフ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:327pt お気に入り:17

グラティールの公爵令嬢

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14,158pt お気に入り:3,343

エリート先輩はうかつな後輩に執着する

BL / 連載中 24h.ポイント:1,938pt お気に入り:1,697

嘘つき預言者は敵国の黒仮面将軍に執着される

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:89

処理中です...