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五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)

第12話 10月26日(3)

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 22時。


 美味しくシチューをいただいて、あたしも風呂に入った後、家の戸締りを確認して、二人と一匹、あたしの部屋で地図を広げる。メニーがサイコロを振る。

「えい」

 メニーの駒が4マス進む。

「恋人が出来る」
「あら、良かったじゃない」

 あたしがサイコロを振る。

「えい」

 5マス。落とし穴に落ちる。

「は!?」

 前回の落とし穴マスに戻されて、お金も取られる。

「くうううう……! 何よ、このマス!」
「お姉ちゃん、ゲームだから……」
「畜生……」
「えい」

 メニーがサイコロを振った。2マス。結婚した。

「あ」

 結婚しやがった。
 あたしのこめかみにぴきっと青筋が立つ。

(あたしが落とし穴に落ちたのに、メニーは結婚……)

 まるで、一度目の世界みたい。

(チッ)

「お姉ちゃんの番だよ」
「えい!」

 力んでサイコロがドロシーに飛んでいく。

「にゃー!」
「あ、悪いわね」
「ふしゅー!」
「サイコロに怒ってくれる? あたしは悪くないわよ」

 1マス。転職する。

「……」
「転職だって」

 メニーがあたしを見る。

「お姉ちゃん、何屋さんになる?」
「お菓子屋になろうかしら」
「パン屋にはならないの?」
「あたしは作る方じゃないの。買って食べて批評する方なのよ」

 あたしはお菓子屋さんになった。

「収入もそこそこあるわ。素敵じゃない」
「ふふっ」

 メニーがサイコロを振った。

「お姉ちゃん、このゲーム面白いね。買って屋敷でもやろうよ」
「あんた、来年は13歳でしょう」
「来年は12歳だよ。二月生まれだもん」
「そうじゃなくて、ゲームして遊ぶ暇なんてないでしょう。ピアノも始めて、勉強も大変になってくるんだから」
「大丈夫。遊ぶ時間くらいあるよ」
「礼儀作法も覚えないといけないし」
「お姉ちゃんが教えてくれるから大丈夫」
「あのね」
「ふふっ!」

 メニーが笑った。

「お姉ちゃん、聞いたよ。来月のパーティー、参加するんでしょ?」
「……レイチェルの?」
「うん」
「あんた、レイチェル平気なの?」
「レイチェルさん、とっても綺麗な人で、優しいよ。意地悪なんて思えない」
「あんたには優しいのよ」

(確かに、だいぶ丸くなったわ。レイチェルも)

 一度目の世界では考えられないくらい、アメリも、レイチェルも、丸くなって、わだかまりが解けて、とても仲が良さそう。

「……あたしはパーティーよりも、ニクスに会いに行きたい」
「屋敷に呼べば?」
「ニクスが忙しいのよ。学業優先。おじさんとおばさんの目もあるし、遊ぶために遠い田舎からこっちに呼ぶわけにもいかないわ」
「そっか」

 あたしはサイコロを振った。結婚マス。

「あ」

 あたしの声が漏れた。メニーがマスを見下ろした。

「結婚」

 やった。

「やったわ!」

 あたしは喜んだ。

「おっほっほっほっほっ! まあ、落とし穴に入ったとはいえ、頑張れば結婚も出来るってことよ!! ああ、いい気分! メニー、次、あんたの番よ」

 メニーがじっと見つめる。あたしの結婚マスを見つめる。

「ほら、メニー、サイコロ振りなさい」
「誰と?」
「ん?」
「誰と結婚するの?」

 メニーが顔を上げた。澄んだ目をあたしに向ける。あたしはきょとんとする。メニーは見つめてくる。あたしは内心、眉をひそめる。

(……面倒くさいわね……)

「そうね」

 あたしはにこりと微笑む。

「素敵なイケメンと結婚するわ」
「誰?」
「イケメンはイケメンよ。すごくいい男」
「どんな人?」
「どんな人……」

 出た。メニーの詮索モード。

(適当に言っておこう……)

「イケメンで、ハンサムで、体つきが良くて、かっこよくて、身長が高くて、誠実で、謙虚で、気が利いて、マナーが良くて、礼儀正しくて、真面目で、浪費家じゃなくて、下品じゃなくて、でもとてもお洒落で、お金もそこそこ持ってて、借金がなくて、知的で、前向きで、明るくて、話が面白くて、一緒にいて楽しいと思えて、頼りがいがあって、思いやりがあって、笑顔が素敵で、悪い奴からあたしを守れる強さを持ってて、白馬が似合う人で、誰よりも優しくて、誰よりもあたしを愛してくれる人で、NOは言わない、美味しいパンが作れて、あたしのわがまま聞いてくれて、あたしを優しく愛でてくれる人で、一途であたししか見えなくて、価値観の合う人」
「ふふっ」

 メニーがくすっと笑った。

「お姉ちゃん、それ、無理だよ」
「馬鹿ね。貴族なんだから、これくらいの理想は持ってないと駄目よ」

 メニーが微笑みながらサイコロを振った。

「あんたも覚えておきなさい。理想を求めてこそいい相手に巡り合えるのよ」
「そうかな?」
「メニーももう少ししたら、理想が分かってくるわよ」
「理想ならあるよ」

(ん?)

 メニーが駒を進める。

「秘密だよ、お姉ちゃん」
「え?」
「理想の人、お姉ちゃんが教えてくれたから、私も教えてあげる」

 メニーが無邪気な目をあたしに向けた。あたしはきょとんとする。

「理想の人?」
「そう」
「メニーの?」
「そう」

 メニーがにんまりと笑って、あたしを手招いた。

「お姉ちゃん、耳貸して」
「なんでよ。ここで言えばいいじゃない」
「ドロシーには秘密だもん」
「にゃあ」

 ドロシーが鳴いた。メニーがくすりと笑う。

「耳貸して」
「……ん」

 メニーの理想の相手?

(予想してやる)

 誠実な王子様。

(どうせこれでしょ)

 あたしはメニーに近づく。メニーがあたしに近づく。メニーが手で口元を囲み、あたしの耳に口を寄せた。

「あのね」

 美しい声をひそめて、あたしに伝える。

「絶対に秘密ね?」

 メニーが照れ臭そうに、ふふっと笑って、呟いた。

「あのね」
「私の理想の人は」
「優しくて」
「かっこよくて」
「いつでも守ってくれて」
「愛してくれて」
「大切にしてくれて」
「不器用だけど、一生懸命で」
「いつも空振るんだけど」
「それがまた可愛くて」
「一緒にいて、胸が温かくなって」
「一緒にいて、胸がどきどきして」
「一緒にいて、落ち着いて」
「一緒にいたいとつい思ってしまう」
「私が心から」
「愛している」
「愛してしまう」
「そんな人」

 私の、理想の相手。

「赤い髪の人」

 メニーが離れた。あたしは瞬きをする。メニーを見る。メニーが頬を赤く染めて、恥ずかしそうにはにかんで俯く。ちらっとあたしを見て、また目を逸らす。

「秘密だよ?」
「……」

 残念ね。

(あんたと結婚するのは、青い髪の人よ)

 こいつの理想を聞いて、思った。

(リオンだ)

 優しくて、かっこよくて、いつでも守ってくれる。

(リオンだ)

 愛してくれて、大切にしてくれて、不器用だけど、一生懸命。いつも空振るんだけどそれがまた可愛い。

(リオンだ)

 一緒にいて、胸が温かくなって、胸がどきどきして落ち着いて、一緒にいたいとつい思ってしまう人。

(リオンだ)

 メニーが心から愛してしまう人。

(リオンだ)

 やっぱり、彼はメニーの理想通りの相手で、運命の人なのだ。

(チッ。むかつく)

 嫌いな奴の惚気話ほど、むかつくものはない。

「見つかるといいわね」

 あたしはお姉ちゃんらしい笑みを浮かべる。

「大丈夫。あんたなら素敵な王子様と結婚できるから」
「……ん」
「お互いにいい相手に巡り会えるように、未来に期待しましょう」
「……うん」

 メニーが頷く。あたしを見つめる。あたしはサイコロを振る。駒を進めさせる。

「あんたの番よ」
「うん」

 メニーがサイコロを投げた。

「不審者に会う」

 メニーが不審者に会い、逃げた。

「三マス戻る」

 メニーの駒が三マス戻った。

「……」

 あたしは黙ってメニーの駒を見る。メニーが顔を上げた。

「お姉ちゃんの番だよ」
「メニー」
「うん?」
「28日、あんたどこか出かける?」
「え?」

 メニーがきょとんとする。ドロシーの尻尾が揺れる。メニーが首を振った。

「特に、予定はないけど……」
「だったら、屋敷にいた方がいた方がいいわ」
「ん? なんで?」
「え? あんた知らないの?」

 あたしは鼻で笑った。

「10月28日って、一番ジャックが暴れやすい時期なのよ。悪いことが起こりやすいの」
「え? そうなの? 初めて聞いた」
「商店街の人が言ってたわ。ジャックの都市伝説で、言い伝えられてるんだって」
「へえ、そうなんだ……」
「悪夢の夜も収まらないし、どうせ商店街は閉鎖されてるし、屋敷でピアノの練習でもしてなさい」
「うん。分かった」

 メニーがこくりと頷く。

「……商店街が始まるのって、29日からだっけ?」
「そうよ」
「お弁当届けて大丈夫?」
「大丈夫だけど、多分混んでると思うわよ。商店街が解放されて、一気に人が来るだろうから」
「大丈夫。お姉ちゃんとお昼ご飯食べたいから、またお昼に行くよ」
「雨降ってたら喫茶店よ」
「じゃあ、お昼代持っていく」
「またナンパされるかもしれないわよ。屋敷に居たら?」
「大丈夫。行く」

 メニーが微笑む。

「リトルルビィにもアリスちゃんにも会いたいもん」
「……そう」

 あたしはサイコロを投げた。

「なら、好きにおし」
「はーい」

 メニーがあたしに返事をする。そして、ドロシーを見た。

「ドロシーも行きたい?」

 ドロシーがメニーの膝の上に頭を乗せた。

「ふふっ! ドロシー、可愛い」

 メニーがサイコロを振った。6マス。

「やった。ゴール」

 メニーが先にゴールした。お金の持ち金を確認するまでもなく、あたしの負けだ。

「にゃー」
「うふふ! 楽しかった!」

(……ま、結婚出来たからいいや)

 負けたが、結婚は大事だ。あたしは一人寂しく死なずに済むのよ。
 ゲームが終われば、さっさと片付ける。

「ほら、もう寝るわよ」
「うん!」

 メニーが頷き、ベッドにもぐりこむ。あたしもゲームを箱にしまい、机に置く。ドロシーもベッドの上で丸くなる。

「ドロシー、そこお姉ちゃんの寝る場所だよ」
「にゃー」
「電気消すわよ」

 明かりを消す。部屋が暗くなる。スリッパで歩き、ベッドに歩く。あたしの場所を占領してたドロシーを持ち上げる。

「にゃう!」
「あんたはこっち行って」

 ベッドの下のクッションにドロシーを置く。ドロシーが猫のまま仰向けに寝転がり、にゃーと一言鳴く。

 ――全く! 僕がいつも君を助けてあげてるのにこの扱い! ああ! なんてことだ! 恩を忘れるなんて! テリーってば酷いよ! 本当に酷い女だ! 君って奴は! この意地悪! ベッドで寝るくらい良いじゃないか! 残酷令嬢! 冷酷令嬢! 冷血令嬢! 血も涙もない! 君には人情ってものがないのかい!? 恥を知れ!!

「猫がベッドって贅沢よ。ドロシー」

 ふん、と鼻を鳴らして、ベッドに横になる。

「お姉ちゃん、もう少しこっち来れるよ」
「ん」

 少し奥に行く。メニーがあたしに向かい合う。

(あっち向け)

 メニーは後ろを向かない。そのままあたしを抱きしめるように、腕をあたしの背中に伸ばした。

(離れろ)

 ぎろりとメニーを睨む。

(触らないで)

「お姉ちゃん」

 メニーがあたしの胸に頭を寄せる。

「おやすみなさい」
「……おやすみ」

 あたしもメニーに腕を置く。瞼を閉じる。静かに呼吸をする。
 ――ふと、メニーが声をあげた。

「あ」
「ん?」

 メニーの鼻が、あたしの鎖骨にくっついた。

「お姉ちゃん、良い匂いがする」
「シャンプーの匂いでしょ」

 メニーの頭からふわふわ出てくる良い匂いにイラッとする。逆に、メニーは嬉しそうに声を弾ませる。

「じゃあ、お揃いの匂いだね」

(……メニーとお揃い……?)

 ブチブチブチィ。

(……理性という名のロープが切れてしまいそう……落ち着きなさい。美しいテリー。あたしは良いお姉ちゃん。メニーの前では良いお姉ちゃん。メニーくたばれ)

 優しくメニーを撫でる。

「メニー、もう寝て」
「うん。ごめんなさい」

 もぞもぞ。メニーが動く。あたしの腰を抱く。

「おやすみなさい」
「おやすみ」

 メニーがぴったりとくっつく。

「……お姉ちゃん」
「寝て」
「悪夢、見るかな?」
「大丈夫よ」

 ここにはドロシーがいるから。

「見ないから」
「見たら、慰めてくれる?」
「見たらね」
「うん」

 メニーが俯く。

「お姉ちゃん」
「今度は何」
「手」

 メニーが呟く。

「手、握って」

(死んでも嫌)

「いいわよ」

 優しく、メニーの手を握る。

「これでいい?」
「うん」
「寝てくれる?」
「うん」

 メニーがあたしに微笑む。

「ありがとう」
「うん」
「おやすみなさい」
「ええ。おやすみ」
「これで大丈夫だね」
「そうね」

 メニーが微笑む。
 あたしも微笑む。
 メニーが目を閉じる。
 あたしの笑みは引きつる。

(さっさと寝ろ)

 早く。

(この手を離したいのよ)

 早く寝ろ。

(さっさと寝ろ)

 あたしは瞼を閉じる。
 メニーの抱きしめてくる手と、握ってくる手が煩わしい。

(気持ち悪い)

 あたしは静かに呼吸する。

(早く、寝ろ)

 あたしは呼吸する。

(お前が寝たら)

 この手を、離せる。

(早く寝ろ)

 さっさと、

(早く……)



 あたしは安らかに眠りにつく。

 誰かの手が、そっと、あたしの頬を撫でた。

 ちゅ。

 優しい唇が、頬に押し付けられる。






 ジャックの足音が、鳴り響く。




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