無口なきみの声を聞かせて ~地味で冴えない転校生の正体が大人気メンズアイドルであることを俺だけが知っている~

槿 資紀

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第二十話

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 時間にして、きっと三秒もない。しかし、その息の止まったような沈黙は、それが永劫に感じられるほどに鈍重だった。

 久瀬を中心に時間が動きだすみたいに、彼がのっそりと俺の体の上から立ち退き、作業を再開した。何事もなかったかのように。

 ああ、そうだ。何事もなかった。俺もそうと思い込むことにし、起き上がって、スマホを握りしめて呆然とする伊吹へと歩み寄った。

「ごめん伊吹、なんだっけ、シフト? どうしたの?」

「あ、うん……ごめ、ちょっとびっくりしちゃって。男子ってたまにすごい距離近い時あるよね……」

「あ、ハハ……慣れない体勢で作業してて、腰とか痛くなっちゃって。マッサージしてもらってた」

「は、へぇ……仲良し、だねぇ……」

 まあね、と、久瀬の方をチラ見しながら、肩をすくめてみせる。輪に入る気はありませんオーラ全開だ。何も話さないし、こっちも見ないのに、存在感がすごい。伊吹も顔を引き攣らせている。

「ごめんね、作業の邪魔しちゃって……そうそう、シフトの相談なんだけど、ごめん、白沢くん、一時間だけ、ホールに入れたりしない? シフト入ってくれるよって人たち、みんなどうしても入れない時間があって、二日目の三時からなんだけど」

「あ、うん、それは全然……実行委員だしな。入りますよ」

「本当? ありがと……! あっ、それで、あのね? 相方、私になっちゃうんだけど、それも大丈夫かな……? ほかに一緒に入りたい子とかいれば、今から声かけても、全然……」

「あ、そこはもう、俺と一緒に入るのが嫌じゃなければ、全然、誰でも……」

 バキ、と、ただならぬ音が、背後から聞こえる。俺は敢えて振り返らず、素知らぬふりをした。どうせ声をかけても、久瀬は何も言わないだろうから。しかし、伊吹は音の正体が気になったようで、パチパチと瞬きを繰り返している。

「伊吹さん?」

「あっ、う、ううん! わかった、それじゃあ、当日はよろしくお願いします……!」

「こちらこそ……」

 伊吹はヒョコ、と手を振りながら踵を返し、軽やかに駆けていった。ふう、と息をつく。振り返ろうとすれば、肩がなにか大きなものにぶつかった。

 そして、そのまま、羽交い絞めするみたいに、腕ごときつく抱きしめられる。ビリビリと皮膚が粟立った。恋人からの抱擁なのに、これほど心温まらないものもないと思った。

「あの……久瀬、さん?」

「わかるよね」

「……ハイ」

 鼓膜が痺れるような、怒気の籠った声色。街灯のない、奥まった裏路地の暗がりのような、静かでざらついた恐ろしさが、全身にまとわりつく。

 何をするかわからない、の一端を覗いているのだと分かった。本当に、分かったものではない。

「じゃあ、なんでかは分かる?」

「……でも、仕方なくないか? 俺は実行委員で、伊吹さんは学級委員長で……シフトの穴埋めるには、それが手っ取り早かっただけだって。他意はないよ」

「向こうは、どうだろうね」

「ないない! ありえんって」

 ぎゅ、と、さらに腕の力が強くなる。蛇に締め上げられてるみたいだ、なんてことを思った。俺に独占欲なんか抱いても仕方ないと思うのだが。どうにも久瀬は俺を買いかぶりすぎる。

「そうは言っても、嫌なものは嫌なんだよ……カイリくんは女の子だって好きになれるんだ。僕はカイリくんだけなのに」

「じゃあ、一日! 一日じゅう、久瀬の言うことなんでも聞くから、一時間だけ、許して」

「……じゃあ、文化祭の次の日の休みは僕の家でメイドさんになりきって、僕のこと旦那様って呼んでね。それで、そのままお泊り。衣装もこっちで用意するから」

「え、ヤバ……変態じゃん……」

「嫌なら今すぐ委員長にシフト入るの無理って言ってきて」

「……やります」

「あはっ、カイリくんも変態なんじゃん」

「違わい!」

 突如として降りかかる身に覚えのない不名誉。どうなってるんだ芸能界。こんな穢れなんて知りませんみたいな綺麗な顔した男子高校生に不純な発想植え付けやがって。付き合うこっちの身にもなってみろってんだよ。

「……別に、久瀬になら何を要求されてもいいってだけだよ。困ってる人を助けられて、なおかつ久瀬の願望にも応えられるなら、一石二鳥だろ」

「なにそれ、僕は困ってる人の二の次ってこと?」

「うーん……結局さ、困ってる人を助けるって言っても、気付いちまったものを見過ごすのは気分が悪いから、やむを得ず手を出してるだけなんだよ。でも、久瀬には違って、自分から、何かしたいって思う。必要じゃなくても、久瀬のためになることができたら嬉しいなって……でもまあ、本質的には、どっちも、自分の満足のためにやってることなんだろうけど。順序はともかく、それが俺の特別の形なんだ」

 他の誰に言われても、メイド服なんか絶対に着ないけど、久瀬がそれで満足するなら、メイド服を着るくらい、なんてことはない。エロ同人じみた発想や、メイドコスする俺とかいう絵面の、ドブのようなキショさには抵抗を拭えないが、それはそれ、である。

「嫌だ……本当に……カイリくんと委員長が、クラスの人からそういう風に見られるの、本当に嫌。カイリくんは僕の彼氏なのに……」

「嫌な思いさせて、ごめん」

「本当に申し訳ないって思ってるなら、この際、委員長には、僕と付き合ってるって、ちゃんと言ってほしい」

「……まあ、伊吹さんになら、言ってもいいか。きっと、理解してくれるだろうし」

 ひゅ、と、久瀬の喉がか細く鳴る、息遣いが聞こえた。すると、みるみる、久瀬の呼吸が小刻みに震え、荒くなっていく。ああ、俺はきっと、また、無神経なことを言ってしまったと、冷や水のような絶望が湧き上がる。

「そういう、ことじゃ、ない……っ」

 久瀬はそう言って俺を突き飛ばした。俺はよろめきながら振り返り、途方に暮れる。俺は何を間違ったのだろう。久瀬は俺に何を求めていた?

「伊吹さんにならって何……⁉ やっぱり、委員長は他とは違うんだ! カイリくんの特別は僕だけじゃないんだね!」

「久瀬……? 待ってよ、そんなつもりは……」

「カイリくんがそんなつもりなくても、ダメなんだよ! 誰も、僕とカイリくんが付き合ってるなんて思いもしない……でも、カイリくんの相手が委員長になるだけで、周りの中ではそっちが正しくなる! お似合いだって……僕はどうあがいてもそう思ってもらえないのに! 委員長は堂々としていられるのに、僕は何も言えないんだよ……カイリくんは僕の彼氏だって、誰にも‼」

 カイリくんには、僕だけだって、思わせてよ……久瀬は、そう言って、その場にしゃがみこんだ。ズキズキと頭が痛む。どうすればいいか、何も思い浮かばなかった。

 だって、俺にも、久瀬しかいないのだから。周りからどう思われようと、変わることは無い。俺の中ではそれが絶対で、誰に認められようが、認められるまいが、決して否定できない感情だ。

 否定されるくらいなら、ハナから認められなくてもいい。きっと、伊吹なら否定しないだろうから、言ってもいいと、そう思っただけのことだった。

「ごめん……ごめんな、久瀬……何も分かってなくて、ごめん……」

 そう言って、嗚咽を漏らす久瀬のことを、抱きしめることしか出来なかった。
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