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第三十二話
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倒れて病院に運ばれた日以来、久瀬の口数はめっきり減ってしまった。日常生活も、とにかく、俺から離れない、ということに固執して、寝るも食べるも、すべて俺のリズムに同調しきっている感じ。一度、久瀬が寝ている間の夜中、コンビニに行って戻ったら、玄関ですすり泣きながら待っていたことがあって、色々な意味で肝が冷えた。
できるだけ、常に体の一部が俺に触れていなければ安心できないようだった。十分が限界といったところか、時間が経てば経つほど不安に駆られ、パニックに陥るらしい。
さりとて、どうしても、玄関から外には出られない様子だ。その理由を聞くにも、まず、今の久瀬からあれこれ聞き出す気にはなれず、ただでさえ口数が極端に減ってしまった久瀬から話してくれるわけがないので、結局分からずじまいな現状だ。
そんな様子の久瀬を置いて家に帰るわけにも、学校やバイトに行くわけにもいかず、終業式までの一週間は学校を休み、バイトもしばらく出ることができないと連絡した。
そして、母にも、しばらく家に帰れないと連絡した。電話口で軽く事情を伝えたら、着替えや差し入れを持っていくから、一度対面で話を聞かせてくれ、と言うので、一度、久瀬の家で、三人で話をした。
「母さん、今まで黙ってたことがある。俺と久瀬、恋人として、お付き合いしてるんだ」
まずは、これを話さないことには、何も始まらない。冬だと言うのに、背中にビッショリと汗をかきながら、真っ先に打ち明けた。俺の手を握る久瀬の力が強くなるのを感じ、苦々しい後ろめたさが込み上げた。
「……薄々、そうなんじゃないかとは思っていたわ。愛の形や方向性は人それぞれだから、母さんから何も言うことは無いけれど……でも、心配はある。性別だとか関係なく、あなたたちはまだ若いのだもの、苦しいことを抱え込んでいるなら、大人として、出来ることをしないと、と思うの」
「俺も……久瀬には、申し訳ないし、情けないけど、今の俺には、久瀬の悩みを解決する力がなくて、せめて、ずっと傍にいることしかできない。だから、母さん……」
母は真剣な面持ちで頷いた。そして、俺の手をずっと握って、怯えるように俯く久瀬の方を見て、やさしく微笑みかけた。
「久瀬瑞葵くん。貴方が、カイリの大事な人だと言うことは、そのまま、私たちの大事な人でもあるということよ。貴方が許してくれるなら、迷惑にならない範囲で、私たちに出来ることを提案していきたいの。どうかな……?」
久瀬は、しばらく逡巡して、じっと、横にいる俺のことを見つめてきた。俺が頷いてみせると、久瀬は、また、俺の手をぎゅっと強く握り、こく、と母に向かって僅かに頷いた。
「ありがとう。私たちも、色々考えて、知り合いにもあたってみるから。もし、心に少し余裕ができたら、カイリと一緒に、また、うちへいらっしゃい。いつでも歓迎するわ」
久瀬は、きっと、さっきよりも深く、ゆっくり頷いた。一瞬だけ、自分の意思で、俺の手から離して、きっちりと。
焦ってはいけない。少しずつ、少しずつ、変えていけるところを探そう……そう思っていただけに、やっぱり、俺以外の信頼できる人と会ってもらって、話すのは間違いではないのだと、光が見えた気がした。
もし、叶うなら、別れたあとも、家族のように思ってくれたらいい、と思った。うちを、かりそめでもいいから、実家だと思ってもらって、俺たちが、心の支えのひとつになれたら、と。
母が久瀬の家に来た次の日が終業式で、クリスマスイブだった。午前中は久瀬のベッドの中で、久瀬が起きるまでボーッとスマホを弄り、冬休みの課題の確認や、模試のスケジュールなんかを確認しつつ、ダラダラ過ごした。
昼前になって、久瀬が腹を鳴らしながら目を覚ましたので、母が持ってきてくれた食材を使って、イングリッシュ風のブランチを一緒に作って食べた。
「久瀬、もし、行けそうだったらでいいんだけど……夜になったら、駅前のイルミ、見に行ってみない?」
皿を洗いながら、もはや恒例の、背中ひっつき虫になった久瀬に、恐る恐る聞いてみる。反応はなく、ザアザアと水の音だけが響いた。やっぱり、別れようと言った分際で、厚かましい提案だっただろうか。今すぐ頭から雪山に突っ込んで埋もれてしまいたい気分に陥った。
「……行きたい、けど、こわい」
「怖い、か……」
「ハヤトが、また……」
胴に回された腕に力がこもる。なら、どうして……そう、口をついて出そうになった言葉を、すんでのところで飲みこんだ。
なら、なんで、アイドルに復帰なんか。あんな傲慢野郎が大きい顔をしているグループに戻っても、良いことなんてあるのか。
そんな、醜い感情が溢れ出て、頭の中を埋め尽くした。俺が、そんなことを口出す権利なんかない。久瀬は間違いなく望まれた存在で、久瀬の中にも、いくらか、それに応えようという意志もあるはずなのだ。
俺は、久瀬を尊重する。そう決めたじゃないか。久瀬がやりたいことのために、今はただ寄り添って、出来る限り力になる。それだけでいい。
「わがまま言ってごめんな。今日も家でゆっくりしよう。無理したっていいことないし。外は超寒いしな。ほら、雪降るかもって、予報でも言ってたもん。危ない、危ない」
背中に、小刻みな振動が伝わる。やがて、久瀬はぐすぐすと泣き始めた。慌てて手を拭き、身体の向きを変えて、抱きしめた。
落ち着くまで、慎重に、急かさず、ただ背中をさする。固くなった筋肉をほぐすように、摩擦で熱を起こすみたいに。
やっぱり、俺じゃ駄目だな、と、降り積もるような絶望に、身を委ねながら。
だって、俺は、久瀬に信用されていない。一度身勝手な独りよがりで別れを告げて、傷つけてしまった俺には、閉ざされてしまった久瀬の心を開くことはできない。むしろ、いたずらに不安を与えているだけ。
依存しているのは、どちらのほうか。俺からすれば、明白だ。
「ごめんな……ごめん……」
声を震わせて、俺も、しがみ付くように、久瀬の肩に手を回した。すると、久瀬はにわかに怒気を滾らせ、俺を引き剝がした。鼓動のごとに、滅多打ちにされるような痛みが、胸を満たしてならなかった。
久瀬はシンクの縁に手を置き、強引に俺の口元に噛みついた。いつになく乱暴な口づけだ。
恐怖と、快楽が、乱れるように押し寄せ、全身を駆け巡る。こちらの息すら奪うような、まさしく蹂躙行為。久瀬の怒りに触れるのは初めてだった。腰が抜けそうな衝撃がした。
舌の筋肉が痺れはじめて、顎に力が入らなくなったころ、久瀬はようやく離れてくれた。しばらく、まともに口が閉まらず、タラリと口の端から唾液が零れ伝った。
「なんで……もう、わかんない、カイリくんが、わからない。なんで……?」
「ご、め……」
「違う、ごめんじゃない! 謝ってほしいんじゃない……っ、だって、結局、僕は、カイリくんのために、何もできてないのに、なんでもするって言って……なにも……なんで、許すの? もっと怒ってよ、こんな無価値な僕なんか、受け入れないで」
「ち、違うっ、違うよ、久瀬……誤解させたのは、俺のせいだけど、でも、信じてよ、価値なんて考えたこともない。俺が好きになったのは、俺の目の前に現れた、いまもここにいる、きみだよ。何が変わっても、それだけは、ずっと変わらない」
だって、愛されることに価値が必要なら、愛することにも、資格がいるじゃないか。そんなの、俺には、どっちもないのに。俺が信じられるのは、久瀬が俺を好きでいてくれたということだけ。今は、分からないけれど……少なくとも、俺を必要としているはずだ。それが、良いことと言えるかどうかはともかくだが。
「ねえ、久瀬……気が済むまで、試してみればいいよ。俺が、どこまで受け入れられるか。俺、今日は、どんなことにも、嫌って言わないから。約束する。価値とか、そんなの、関係ないって……証明するよ」
ヒュ、と、か細い音が、久瀬の喉から鳴った。しばらく、じっと見ていれば、その喉仏が、ぎこちなく上下するのが分かった。
ややあって、久瀬の両の手のひらが、俺の首に触れた。指も小刻みに震えていて、しかし、次第に、少しずつ力がこもっていった。ゾクゾクと、さっき口づけされた時と同じ感慨が込み上げ、俺はうっとりと息を吐きながら目を閉じた。
俺は、何をされても、何を求められても、自分の目の前にいる、久瀬が好きだ。
もっと言えば。手の届かない場所へ行ってしまった久瀬のことを、俺は。
膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。それでも、俺の首から、久瀬の手は離れなかった。今はそれが、たまらなく安心できたのだった。
できるだけ、常に体の一部が俺に触れていなければ安心できないようだった。十分が限界といったところか、時間が経てば経つほど不安に駆られ、パニックに陥るらしい。
さりとて、どうしても、玄関から外には出られない様子だ。その理由を聞くにも、まず、今の久瀬からあれこれ聞き出す気にはなれず、ただでさえ口数が極端に減ってしまった久瀬から話してくれるわけがないので、結局分からずじまいな現状だ。
そんな様子の久瀬を置いて家に帰るわけにも、学校やバイトに行くわけにもいかず、終業式までの一週間は学校を休み、バイトもしばらく出ることができないと連絡した。
そして、母にも、しばらく家に帰れないと連絡した。電話口で軽く事情を伝えたら、着替えや差し入れを持っていくから、一度対面で話を聞かせてくれ、と言うので、一度、久瀬の家で、三人で話をした。
「母さん、今まで黙ってたことがある。俺と久瀬、恋人として、お付き合いしてるんだ」
まずは、これを話さないことには、何も始まらない。冬だと言うのに、背中にビッショリと汗をかきながら、真っ先に打ち明けた。俺の手を握る久瀬の力が強くなるのを感じ、苦々しい後ろめたさが込み上げた。
「……薄々、そうなんじゃないかとは思っていたわ。愛の形や方向性は人それぞれだから、母さんから何も言うことは無いけれど……でも、心配はある。性別だとか関係なく、あなたたちはまだ若いのだもの、苦しいことを抱え込んでいるなら、大人として、出来ることをしないと、と思うの」
「俺も……久瀬には、申し訳ないし、情けないけど、今の俺には、久瀬の悩みを解決する力がなくて、せめて、ずっと傍にいることしかできない。だから、母さん……」
母は真剣な面持ちで頷いた。そして、俺の手をずっと握って、怯えるように俯く久瀬の方を見て、やさしく微笑みかけた。
「久瀬瑞葵くん。貴方が、カイリの大事な人だと言うことは、そのまま、私たちの大事な人でもあるということよ。貴方が許してくれるなら、迷惑にならない範囲で、私たちに出来ることを提案していきたいの。どうかな……?」
久瀬は、しばらく逡巡して、じっと、横にいる俺のことを見つめてきた。俺が頷いてみせると、久瀬は、また、俺の手をぎゅっと強く握り、こく、と母に向かって僅かに頷いた。
「ありがとう。私たちも、色々考えて、知り合いにもあたってみるから。もし、心に少し余裕ができたら、カイリと一緒に、また、うちへいらっしゃい。いつでも歓迎するわ」
久瀬は、きっと、さっきよりも深く、ゆっくり頷いた。一瞬だけ、自分の意思で、俺の手から離して、きっちりと。
焦ってはいけない。少しずつ、少しずつ、変えていけるところを探そう……そう思っていただけに、やっぱり、俺以外の信頼できる人と会ってもらって、話すのは間違いではないのだと、光が見えた気がした。
もし、叶うなら、別れたあとも、家族のように思ってくれたらいい、と思った。うちを、かりそめでもいいから、実家だと思ってもらって、俺たちが、心の支えのひとつになれたら、と。
母が久瀬の家に来た次の日が終業式で、クリスマスイブだった。午前中は久瀬のベッドの中で、久瀬が起きるまでボーッとスマホを弄り、冬休みの課題の確認や、模試のスケジュールなんかを確認しつつ、ダラダラ過ごした。
昼前になって、久瀬が腹を鳴らしながら目を覚ましたので、母が持ってきてくれた食材を使って、イングリッシュ風のブランチを一緒に作って食べた。
「久瀬、もし、行けそうだったらでいいんだけど……夜になったら、駅前のイルミ、見に行ってみない?」
皿を洗いながら、もはや恒例の、背中ひっつき虫になった久瀬に、恐る恐る聞いてみる。反応はなく、ザアザアと水の音だけが響いた。やっぱり、別れようと言った分際で、厚かましい提案だっただろうか。今すぐ頭から雪山に突っ込んで埋もれてしまいたい気分に陥った。
「……行きたい、けど、こわい」
「怖い、か……」
「ハヤトが、また……」
胴に回された腕に力がこもる。なら、どうして……そう、口をついて出そうになった言葉を、すんでのところで飲みこんだ。
なら、なんで、アイドルに復帰なんか。あんな傲慢野郎が大きい顔をしているグループに戻っても、良いことなんてあるのか。
そんな、醜い感情が溢れ出て、頭の中を埋め尽くした。俺が、そんなことを口出す権利なんかない。久瀬は間違いなく望まれた存在で、久瀬の中にも、いくらか、それに応えようという意志もあるはずなのだ。
俺は、久瀬を尊重する。そう決めたじゃないか。久瀬がやりたいことのために、今はただ寄り添って、出来る限り力になる。それだけでいい。
「わがまま言ってごめんな。今日も家でゆっくりしよう。無理したっていいことないし。外は超寒いしな。ほら、雪降るかもって、予報でも言ってたもん。危ない、危ない」
背中に、小刻みな振動が伝わる。やがて、久瀬はぐすぐすと泣き始めた。慌てて手を拭き、身体の向きを変えて、抱きしめた。
落ち着くまで、慎重に、急かさず、ただ背中をさする。固くなった筋肉をほぐすように、摩擦で熱を起こすみたいに。
やっぱり、俺じゃ駄目だな、と、降り積もるような絶望に、身を委ねながら。
だって、俺は、久瀬に信用されていない。一度身勝手な独りよがりで別れを告げて、傷つけてしまった俺には、閉ざされてしまった久瀬の心を開くことはできない。むしろ、いたずらに不安を与えているだけ。
依存しているのは、どちらのほうか。俺からすれば、明白だ。
「ごめんな……ごめん……」
声を震わせて、俺も、しがみ付くように、久瀬の肩に手を回した。すると、久瀬はにわかに怒気を滾らせ、俺を引き剝がした。鼓動のごとに、滅多打ちにされるような痛みが、胸を満たしてならなかった。
久瀬はシンクの縁に手を置き、強引に俺の口元に噛みついた。いつになく乱暴な口づけだ。
恐怖と、快楽が、乱れるように押し寄せ、全身を駆け巡る。こちらの息すら奪うような、まさしく蹂躙行為。久瀬の怒りに触れるのは初めてだった。腰が抜けそうな衝撃がした。
舌の筋肉が痺れはじめて、顎に力が入らなくなったころ、久瀬はようやく離れてくれた。しばらく、まともに口が閉まらず、タラリと口の端から唾液が零れ伝った。
「なんで……もう、わかんない、カイリくんが、わからない。なんで……?」
「ご、め……」
「違う、ごめんじゃない! 謝ってほしいんじゃない……っ、だって、結局、僕は、カイリくんのために、何もできてないのに、なんでもするって言って……なにも……なんで、許すの? もっと怒ってよ、こんな無価値な僕なんか、受け入れないで」
「ち、違うっ、違うよ、久瀬……誤解させたのは、俺のせいだけど、でも、信じてよ、価値なんて考えたこともない。俺が好きになったのは、俺の目の前に現れた、いまもここにいる、きみだよ。何が変わっても、それだけは、ずっと変わらない」
だって、愛されることに価値が必要なら、愛することにも、資格がいるじゃないか。そんなの、俺には、どっちもないのに。俺が信じられるのは、久瀬が俺を好きでいてくれたということだけ。今は、分からないけれど……少なくとも、俺を必要としているはずだ。それが、良いことと言えるかどうかはともかくだが。
「ねえ、久瀬……気が済むまで、試してみればいいよ。俺が、どこまで受け入れられるか。俺、今日は、どんなことにも、嫌って言わないから。約束する。価値とか、そんなの、関係ないって……証明するよ」
ヒュ、と、か細い音が、久瀬の喉から鳴った。しばらく、じっと見ていれば、その喉仏が、ぎこちなく上下するのが分かった。
ややあって、久瀬の両の手のひらが、俺の首に触れた。指も小刻みに震えていて、しかし、次第に、少しずつ力がこもっていった。ゾクゾクと、さっき口づけされた時と同じ感慨が込み上げ、俺はうっとりと息を吐きながら目を閉じた。
俺は、何をされても、何を求められても、自分の目の前にいる、久瀬が好きだ。
もっと言えば。手の届かない場所へ行ってしまった久瀬のことを、俺は。
膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。それでも、俺の首から、久瀬の手は離れなかった。今はそれが、たまらなく安心できたのだった。
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