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【3】まるで絵に描いたような午後ー1

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 自分の作った味噌汁を嬉しそうに飲む日影を見て、折原は言葉にならない思いを噛み締めていた。
 強いて言うなら報われた、自己満足に過ぎなかった拘りや料理への想いが誰かに届いた。喜んで貰えたというそれだけの事が、こんなにも嬉しい。

(彼をもっと喜ばせたい!)

「日影さん……」
 折原はごくりと喉を鳴らし、逸る気持ちを必死に抑えて提案した。

「ねぇ、やっぱり髪を切らせてよ。襟足だけで良いから。揃えるだけにするからさ」
 本当は髪を切ることが目的ではない。
 彼が嫌がること、怖がることを一つずつクリアしていって少しでも自由にしてあげたい。
 そしてそれをするのは自分でなければならない。
 自分が、自分だけが彼の感謝も愛情も戸惑いも恥じらいも全て受け取るのだ。
 しかし日影はなかなかに頑固だった。

「髪は……嫌だ」
「どうして?」
「鏡が……怖い」
「……」
 いい年をした男が鏡を怖いと言う(因みに日影は三十三歳だ)。

「理由を聞いてもいい?」
「俺の……顔が突き付けられるだろ。隠していたものが暴かれて、あからさまにされる。醜いのに、直視しなきゃいけない。それも人前で!」
 涙ぐんだ日影を見て、折原がぽりぽりとこめかみを掻いた。
 急に饒舌になったのは、日影自身にも誰かに話したい、気持ちをぶちまけたいという思いがあったからだろう。

「俺はあなたを醜いとは思わない。でも鏡を見たくないならいいよ。日影さんが目を瞑っている間に終わらせる」
「……少しだけ?」
「少しだけ」
「いっぱいは切らない?」
「ほんのちょっと、傷んだ毛先を切って揃えるだけ」
「……ならいい」
 やっと了承して貰えて折原はホッとした。
 これでまた一つ彼の特別が手に入る。

「食事が終わったら準備しようか」
 折原は食べ終えた日影にほうじ茶を出し、広いベランダに椅子を置いた。
 そこに日影を座らせ、くるりと白いシーツを巻く。

「この髪の色って、地毛だよね?」
 折原が髪を掻き分けながらそう訊き、日影は黙って頷いた。
 濃いブラウンの髪は少し赤みがかっていて、手入れをすると銅みたいにピカピカと輝いた。
 前髪の奥に隠された瞳はよく見たら少し茶色いし、日に当たらず不摂生が祟った肌は病的なまでに蒼白い。
 きちんとすれば魅力的なそれらも、磨かなければ日影を変わり者に見せるだけだった。

「染めた色じゃないから、梳かすと艶が出て綺麗だね」
 折原はそう言いながら日影の髪を少しずつ、丁寧にくしけずっていった。
 髪を地肌から掬い上げるように掻き上げられ、日影の首筋にぞくりとしたものが奔る。
 髪に感覚は無い筈なのに、と日影は不思議に思う。

「適当でいいから、さっさと切ろよ!」
「ん~? まあまあ、やるからには全力を尽くすよ」
 折原は居心地の悪そうな日影を無視してマイペースに作業を進めた。
 やっと髪を梳かし終えると芝居がかった仕草で腕捲くりをし、軽やかに口笛を吹く。
 ふわふわとパーマの掛かった髪が楽しそうに風に揺れた。

(なんでこんな……)
 日影は絵に描いたような完璧な休日の午後が信じられない。
 そこに自分がいることが信じられない。こんな明るい場所には縁がないと思っていたのに。

 耳元ではシャキシャキと鋏の軽快な音がして、パサリパサリと足元に髪が落ちていく。
 不思議と、髪が軽くなると同時に身体も心も軽くなっていくような気がする。
 長年重く張り付いていたものが剥げ落ちていくようだった。

「日影さん、ちょっと下を向いてくれる? 襟足を揃えるから」
「うん……っ!」
 俯いたらうなじに触れられて吃驚した。

「日影さん?」
「……大丈夫」
 そう言いながらも日影の震えは止まらない。
 折原の指が首筋を撫でる度にビクビクと大きく身体が跳ねた。

「これだけで感じちゃうの? 敏感だね」
「ちがっ、感じてなんて――」
「隠さなくてもいいよ。動物にとって首の後ろは急所だからね、触られるのが怖くても仕方がないよ」
 そう言いながら折原は触れるのを止めないし、わざわざ口付けて小さく吸った。

「ヤッ!」
「ダメ。危ないから動かないで」
「だったら、ふざけるな――」
「ふざけてないよ。普段隠れているところに気をそそられるのは仕方がないでしょう?」
「普段なんて知らない癖に……」
 自分が社内でどんな風に見られているのかも、女性からどう噂されているのかも知らない癖に。
 そそられるなんて簡単に言って、これだからイケメンは嫌なんだ。

「日影さん、硬くならないで」
 折原は気楽にしていろと言いながら首筋への愛撫を繰り返す。
 動かないようにと両腕を外から掴まれ、繰り返される行為に日影はとうとう喘いでしまった。
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