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 俺がフラれてから一週間後、叔父さんは住んでいたマンションを解約して東京に引っ越した。

 ばあちゃんに聞いた話だと、前々から出版社の担当編集者に東京にこないかと誘われていたらしい。
 そうはいってもパソコンとネット環境さえあれば顔を合わせての打ち合わせはいつでも可能だし、原稿だって瞬時にメールで送ることができる。だからこれまで叔父さんは「東京に住む必要を感じない。人が多いところに住みたくない」といって誘いを突っぱねていたんだけど、このたび一念発起して引っ越しを決めたようだ。

「あの子は見た目と違って人付き合いが苦手だし、近所付き合いの多い田舎で暮らすよりも、都会での生活の方がしょうに合ってるのかもしれないわねぇ」
「そうかもね。都会は人が多い割に近所付き合いも少ないから。わたしだって離婚する前に住んでたマンションで、隣に住んでる人の顔もよく知らなかったくらいよ」
「あらま、そうなの?」
「たまに廊下で顔を合わせた時に挨拶するくらいだったわ」
「だったらやっぱり、聡にはあっちでの生活が合ってそうね。寂しいけど仕方ないわねぇ」
「それにしたって急よね。引っ越しを決めるキッカケが、なにかあったのかしら」

 それは俺が告白したせいですよ、きっと。

 夕食後、ばあちゃんと母さんのそんな会話を横に、デザートに出されたイチゴをフォークでつつきながら俺は思った。

 叔父さんが引っ越しを決めたのは、きっと俺のため・・だ。
 俺からの告白が迷惑だったからとか、俺に会いたくないからだとか、そんな理由じゃない。会わないほうが早く忘れられると思って、少しでも早く俺が叔父さんへの想いを断ち切れるように引っ越してくれたんだと思う。
 母さんやばあちゃんには言えないけど、でもきっとそれで間違いない

 ともかく俺はフラれた。
 幼い頃からの初恋が木っ端微塵に砕け散った。

 その後、傷心の俺がどうしたかというと。

 グレた。
 つまり、非行に走ったわけだ。

 まずは通っていた名門私立高校で暴力沙汰を起こして自主退学した。
 その後は地元の底辺校に編入した。そこは素行の悪い生徒が集まる学校として有名な工業高校で、学校中どこを見ても不良ヤンキーばかり。

 これまでとは種類の違う友人がたくさんできて、悪い遊びをたくさん覚えた。
 酒・たばこ・女・暴力・恐喝、ゆすり等々。バカみたいなことをバカな奴らと一緒になって、後先考えずになんでもやった。

 少年課の警察官たちと町中の鬼ごっこはスリルある楽しい遊びの一つだし、盗んだバイクで走り出したことも一度や二度のことじゃない。

 高二になってすぐの頃、学校でできた悪友からの紹介で、地元で最大勢力を誇る暴走族の頭をしてるヤツと知り合った。
 名前は慎吾。
 体が大きく強面で、いかにも喧嘩慣れしてそうなヤバい雰囲気の持ち主だけど、親しくなってみればびっくりするほど良いヤツだった。
 仲間思いで情に厚く、族の頭なんてやってるだけあってカリスマ性はすごいし喧嘩だってめちゃくちゃ強い。頭の回転も速ければ顔だってかなり良い。

 俺たちはすぐに友達になった。っていうか、すぐに友達以上の関係になった。つまり、同じベッドで裸になって抱き合う関係になったってことだ。

 とはいえ恋人ではない。
 慎吾には女がたくさんいるし、抱かれたいと思う男だって少なくない。慎吾の周りは慎吾に惚れたやつらで溢れ返っている。

 俺は慎吾に惚れてないし、他にもセックスする相手ならいくらでもいる。
 だけど話も気も合う慎吾のことは友達として大好きで、ベッドに誘われた時も特に嫌だと思わなかったから断らなかった。結果、俺のバックヴァージンは慎吾のものになった。

 それ以後、慎吾とは定期的にセックスしている。
 モテる慎吾は経験豊富なだけあって、男を喜ばせるポイントを熟知している。おかげで抱き合うたびに最高の快楽を得ることができた。

 最近の俺は、数いる慎吾のセフレの中でも、かなりのお気に入りのポジションにいるらしい。セックスするだけじゃなく、普通にデートに誘われることもあるくらいだ。
 俺の小綺麗な顔が、どうやら慎吾の好みのど真ん中らしい。
 それに俺はじいちゃんが政治家をしているくらいの、それなりに格式のある家で育ったお坊ちゃんで、言ってみれば育ちが良い。これまで慎吾の周囲にはいなかった珍しいタイプだったらしく、それが慎吾の興味を強く引いているようだ。

「雅已、おまえさ、俺らの仲間にならねぇ?」
「それって族に入らないかっていうお誘い?」
「そうだ」

 よく使うラブホテルの一室。事後のピロートークでそんなことを慎吾に問われた俺は、タバコをふかしながら少しだけ考えた。

「族かぁ……俺、慎吾の仲間たちと楽しく遊ぶのは好きだけど、単車にはあまり興味ないし、組織に属するのもちょっと面倒かなぁ。ごめんな、せっかく誘ってくれたのに」
「いや、断られるだろうとは思ってたから別にいい。ただ、もし仲間に入りたいって思ったら、いつでも迎え入れてやるからなって、そう言いたかっただけだ」
「そっか、ありがとう。仲間には入らないけど、誘ってもらえたことはすごく嬉しかった」

 そう言うと、慎吾は目を細めて俺を見た後、唇に触れるだけのキスをした。

 最近の俺は家に帰ることも滅多になく、母さんやばあちゃんともずっと顔を合わせていない。
 会ってもお小言を言われるだけだしね。面倒だからスマホに連絡が入っても無視してばかりいる。

 家に帰らない俺がどこで寝泊まりしているかというと、悪友たちやセフレの家に入り浸ったり、夜通し遊んで学校の授業中に寝たりとか、そんな不健全で自堕落な生活を送ってばかりいる。
 それでも高校に毎日顔を出しているのは、高校卒業資格くらいは手に入れておくべきだと分かっているし、留年するのもかったるいからだ。

 そうこうしている内に、三才年上の慎吾は成人した。それと同時に族を卒業して、慎吾は俺の住む町から少し離れた大きな都市にある、ヤクザの事務所の下積み構成員になった。
 正真正銘の裏社会の人間になった慎吾だけど、俺は慎吾の人間性が好きで友達やってたから、職業は気にせずにその後も付き合いを続けている。
 俺たちは時々会ってはくだらない話をして笑ったり、時にはホテルでセックスしたりした。

 慎吾と会ってない時の俺の生活は相変わらずで、学校の悪友たちと遊び回っている。
 たいした理由もなく対立グループのヤツらと喧嘩したり、近くの進学校に通う真面目くんをカツアゲしたり、その金を使ってゲームセンターで豪遊したり、女を抱いたり男を抱いたり抱かれたり。
 やらなかったのはヤクくらいなものだろうか。
 ともかく、悪逆の限りを尽くして遊び惚けていた。

 去年までは頻繁にかかってきていた母さんからの電話の数がぐっと減った。
 代わりに叔父さんからの電話が定期的に入る。
 母さんかばあちゃんにでも泣きつかれて、仕方なく俺を説得するために電話してきてるんだろう。

 義理でかかってくる電話に出る必要はないだろうと、俺は叔父さんからの電話をすべて無視した。


 やがて俺が叔父さんにフラれてから二度目の春が巡ってきた。
 俺は高校三年になり、その後もあっと言う間に月日は流れ、気が付くと高校の卒業式まであと一週間となっていた。

 その日、自由登校で暇だった俺は、慎吾からの呼び出しで馴染みの喫茶店に足を運んだ。ドアベルを響かせて店内に入ると、先に来ていた慎吾が窓辺の席に座っているのに気付いた。

 驚いたのは、知らない男が慎吾と同じテーブルに着いているのが見えたからだ。
 年齢は二十後半から三十代くらいでかなりガラが悪く、体も大きくて威圧感が半端ない。高価そうな仕立てのいいスーツ姿なのに安心感よりは不安感を煽られるという奇跡を生みだしている、どう見てもカタギではない筋者なヤバい人。

 え、なにあれ。
 俺、あそこの席に着かなきゃならないの?
 ものすごく怖いんですけど。

 俺は小学校低学年から高校生になるまでの間、ずっと空手道場に通ってた。既に黒帯だし、おかげで喧嘩には自信がある。これまで初見で誰かを怖いと思ったことは一度もない。
 けれど、それはあくまでも相手が自分と同じ学生ならば、での話だ。本物のヤクザだと話が違う。

 慎吾の隣に座る人を一目見た瞬間に、こりゃ絶対に逆らっちゃダメなタイプの人だと、俺の本能が激しい警告音を響かせた。

 でも、なんでそんな人と慎吾が一緒にいるんだ?
 いやもちろん慎吾は今やヤクザの組員(まだ下積み)なわけだから、怖い人に知り合いが多いのは当然のことだ。
 問題なのは、俺と会う約束の場所にどうしてアニキさん(?)を連れてきてるのかって、その理由だ。

 いやホント、マジでなんで?

 さすがに不安になってドアのそばで立ちすくんでいると、そんな俺に気付いた慎吾が声をかけてきた。

「雅已、こっちだ」
「……あ、ああ、慎吾」

 俺は恐怖を押し隠して平然を装うと、おっかなびっくりしながらも、促されるままに二人の前の席に座った。

 改めて慎吾を見ると、貫禄に差があるものの、隣のアニキさんと似たような雰囲気を醸し出している。
 いつもは「友達の慎吾」というフィルタ―越しで見ていたから気付かなかったけど、第三者的な目で客観的に見てみると、今では慎吾もすっかり危ないそっち系の人になっているんだと気が付いた。

 似合ってるけどな。違和感もないし。
 なんてことを考えていた俺に、慎吾が隣のアニキさんを紹介してくれた。

「これ、俺のアニキ」
「あ、う、うん」

 やっぱり事務所のアニキかよ。

「あっ、アニキって言っても、本物の血の繋がったアニキだから」
「え!」
「啓介だ。いつも弟が世話になってるな」
「あ、ああっ、いえ、そんなとんでもないです。俺の方が慎吾にいつも世話になってます」

 バリトンでドスの効いたかっこいい声。
 よく見ると、確かに顔はどことなく慎吾に似ている。

 なんだよ、脅かすなよ。見た目が恐いだけの本当のお兄さんかよ。
 ホッとした俺がにこやかに啓介さんに頭を下げて自己紹介すると、慎吾が追加情報をぶっこんできた。

「俺が頭はってた族があんだろ? あれの初代総長がウチのアニキだ。俺を今の仕事に誘ってくれたのもな」
「へ、へぇ」
「アニキはな、未来の幹部候補としてオヤジから期待されてるんだぜ? すげぇだろう!」

 瞳をキラキラさせて啓介さんに尊敬の眼差しを向ける慎吾。
 しかし、俺としてはそれどころではない。
 啓介さんは二重の意味で慎吾のアニキだった。しかも、かなり大物らしい。

 こわい、こわすぎる。

「そ、そうなんだ。す、すごいんですね。……それで慎吾、今日はどうして俺をここに?」
「それだけどな、雅已は卒業した後の進路はどうなってる?」

 突然そんなことを訊かれて不思議に思いながらも、俺は答えた。

「進学はしない。就職もまだする気はないし、しばらくはフリーターでもしながらノンビリしようと思ってる」
「そうか! じゃあ先のことはなにも決まってないんだな?!」
「うん、まあそういうことになるかな」
「だったらウチの事務所に入らないか? 雅已は見た目が綺麗でひ弱に見えるけど、実は腕っぷしは強いし度胸はあるし頭も良い。きっとヤクザこっちの世界に向いてると思うんだ」

 慎吾は俺を呼び出したのは、どうやらヤクザ事務所へ勧誘するためだったらしい。啓介さんが一緒なのは、本気で誘っていることを俺に示すためのようだ。

「そ、そっか。ありがたい話をありがとう。でも、返事は少し待ってもらっていいか? ちゃんと真面目に考えたいからさ。人生がかかっていることだし。……構いませんか?」

 俺の視線を受けた啓介さんが、ゆっくりと頷いた。

「もちろんだ、じっくり考えるがいい」
「良い返事を待ってるぜ。俺はこの先もずっと雅已と友達ダチでいたいし、仲間として一緒に働いていけたら最高だからよ」
「うん、分かった。真面目に考えるよ」

 その後はしばらく三人でおしゃべりを楽しんだ。
 啓介さんが暴走族を起ち上げて周辺チームを配下におくまでの抗争のアレコレや、事務所に入ってからの慎吾の失敗談、一般人に話せる範囲での仕事内容など、普通なら耳にできない面白い話が盛りだくさんで、思いのほか楽しい時間を過ごすことができた。

 色々と話した後、そろそろ解散するかという時になって、慎吾がトイレに行くために席を離れた。そのタイミングで啓介さんが俺に話しかけてきた。

「おまえ、知ってたか? 慎吾な、あいつはどうもおまえに惚れてるらしい」
「え?!」

 驚いた。俺と慎吾はただの友達で、性欲求の解消としてセックスをたまにするけれど、それはあくまでついでのことで、友達という関係が主体だと思っていたからだ。そこに特別な想いがあるなんて、考えたこともなかった。
 だからそう言うと、啓介さんは困った顔でため息をついた。

「おまえには上手く隠してるらしいがな、実際はかなり本気のようだ。今回の事務所への勧誘も、おまえとの関係を絶ちたくないからっていうのが慎吾の本音だろう」

 ヤクザと一般人がいつまでもつるんでいるわけにはいかない。
 それは分かる。一般人の方にデメリットがありすぎるからだ。
 ヤクザの友達がいるなんて知られるだけで、社会的信用を失うことになり兼ねないし、周囲の人にも迷惑をかけることになる。

 難しい顔になった俺に、啓介さんが言った。

「俺としては、おまえには事務所に入るのは遠慮してもらいたいと思ってる」
「それはつまり、慎吾との関係を断って欲しいってことですか?」
「そうだ。アイツは男も女もいける口だ。だったら女と付き合って欲しいってのが俺の考えだ。いずれは家庭を持って、親ってやつになってもらいたいからな」

 とはいえ二人が本気で付き合うっていうなら、それを反対する気もないがな。
 そう言いながら啓介さんは重いため息を吐いた。

「勝手なこと言って悪いな」
「いえ、気持ちは分かります。慎吾のこと、大切に思ってるんですね」
「まあな、これでも兄なんでな。アイツには幸せになってもらいたい。ヤクザにならせておいてどの口が言うんだって思うかもしれないが。気持ちは本物だ」

 そんな話をしている内に慎吾が戻ってきて、この話は打ち切りになった。


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