聖書サスペンス・領主殺害

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

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第一章 復讐とカリギュラの恋

(6) 意気地無し

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  馬車は三度も馬を取り替えて、ほとんど休まずに進み続けてやっと辿り着いたのだ。馬も人もルネ以外は倒れそうなほど疲弊している。


  馬車から疲れきった様子で降りたヴェトワネットのドレスを見て、メナリーは息を飲んだ。どす黒い汚れはどうも血飛沫を浴びたように見える。


  互いに魔の森を挟んだ境界近くとは言え、異世界瞬間移動魔方陣を使っても魔の森に捉えられ、魔の森から抜けるには数日を必要とする。芸術国からたったの一日で来れたはずはない。それなのに何故そんなに血塗れのドレスを着たままでと、メナリーはヴェトワネットの凄まじい異臭を放つドレスと顔色の悪さに魂の消え失せそうなほど驚いた。


  ヴェトワネットはメナリーにハグするように腕を回して崩れた。メナリーは、ヴェトワネットのドレスのすっかり乾いた黒い血糊が自分のドレスを汚すのではないかと悪寒が走った。

  それでも田舎の貴婦人らしくヴェトワネットを支えて叫ぶ。


「ジグヴァンゼラ、誰か、手を貸して」


  リトワールに駆け寄ったジグヴァンゼラが振り返る。


「はい、お母様。僕がご案内します。リトワール、後でね」


  ジグヴァンゼラは侍女と共にヴェトワネットに肩を貸して館に消えた。


「奥様」


  呼びかける声に振り向くと、若い執事が立っている。黒っぽい緑色の執事服に白い襟を立てた、見栄っ張りなルネ好みの古風な出で立ちだ。淡い灰色の大理石に似た目が印象的に映る。


「私はナヴァール家の執事、リトワールと申します。この度、先触れもなく、ザカリー伯爵様のご都合も顧みずにいきなり押し掛けて参りましたことについては」


  馬車の中から声がした。


「リトワール、挨拶は俺がする。夫人を此処へ」


  リトワールの眉が動く。馬車の中にはシーツで覆ったゲイルの死体が足元に踞った形でルネのオットマンになっている。


「奥様、私の主人がかように申しておりますが」


  リトワールは言葉に違えて眉を思い切りしかめ、首を真横に振る。ルネに従ってはいけないと、非言語コミニュケーションを試みた。


  だが、リトワールが両手を前に軽く突き出して夫人を制止するも、来客に対する興味に引きずられたメナリーにはその意味が通じない。


  メナリーは心の裡で『なあに、この慇懃無礼な男は。美しいからって、執事のクセに気取り屋なのかしら。それに伯爵夫人の私を呼び立てるなんて、ルネとやらも失礼極まりないわ。ふん、どうせ宜しく頼むってことでしょうけど、何があったのかは訊かせていただくわよ。こんな辺鄙で何も起きない暇すぎる暮らしでは、他人の不幸は蜜とか蝿が集る何とかってね。ほら、異世界人、そこをおどき』と蔑む。

「お話、お聞きしますわ」


  さっきから気になっているヴェトワネットのドレスに染み付いた血痕について、何やらただならぬことが起きたのだろうと積極的に理由を求めた。


  メナリーは夫に見捨てられた三十路半ばの肉感的な肢体をステップに乗せて、慎みも忘れて馬車のドアから中に屈み込む。


「きゃああっ」


  引きずり込まれた。

  後は首を絞められスカートを捲られ下着を剥ぎ取られゲイルの尻に突っ込んだ汚れたものを無理に押し込まれ、メナリーが息を吹き替えした時は突き上げられている。そして何度目かの白い液体をやっとで噴出してからルネは夫人を解放することになる。


(まさかこんなに直ぐに手を出すとはっ)


  リトワールは青くなったが、止めようともせずに、青ざめた御者に荷物を下ろすよう言い付けた。逆らって殺された仲間たちの顔が過る。


  御者と侍従たちも頑なに黙して、ギッギッと動く屋形馬車の屋根の上から次々と革の箱や木箱を下ろす。

  
  三台の馬車の全ての屋根に積み上げられた箱には、宝飾品と衣装と少しの豪華な美術品が詰まっている。前もって準備しておいたのが、今のルネとヴェトワネットの全財産だ。


(伯爵婦人はこれからルネの愛人になる。飽きることを知らないルネは、この館でも我が物顔で暮らすだろう。あのジグヴァンゼラ様のご家族がどうなるのか。ああ、私は悪魔をつれてきたのだ。平和なザカリー領にルネという悪魔を……)


  本当ならここで剣を取るべきなのにと、暗くなる。いくらルネでも致している最中には抵抗できないだろうと侮って、一か八かの賭けに走って失敗した者がいた。

 彼はヴェトワネットの父親の治める領地の一角で細々と商業を営む準男爵家の婚外子だったから、準男爵の愛人であった母親と妹がヴェトワネットの館に呼び寄せられて、餓血の餌食となった。


(伯爵婦人をお助けするため、ルネの蛮行をとどめるため。しかし裁判となれば、いかなる理由であれ貴族殺しの罪は一族諸とも処刑される。それはこのザカリー領でも同じだろう。妾として不遇に置かれている我が母が芸術国から呼び寄せられて、ルネのために処刑されるなんてっ。ルネのために死ぬなどとっ。忌々しいっ)


  いつもの言い訳が始まった。


(私はお止めしたのに伯爵夫人はご自分から乗り込まれたのだ。ああ、何と感の鈍い夫人だ。それでもそれは言い訳だ。私は意気地無しだ。一人では何もできない。それどころか、伯爵夫人からすれば私はルネの共犯者だ。私は伯爵夫人を見捨てることしかできない哀れな立場なのだから)


 今なら剣を取りさえすればルネを殺せるかもしれないぞ、リトワール。アイドならではの正義を振るうのだ。


止さぬかベルエーロ。アイドの自由意思に任せるのだ。


おお、口煩い天使よ。それが良かろう。自己憐憫にどっぷりはまってるアイドには何を言っても無駄だからなぁ。せめて槍で貫けばいくら化け物でも。


(武器。いや、立ち向かえばルネは伯爵夫人を盾にするだろう。私は無関係の夫人を殺して犯罪者にされるのだ。そんなことがあってはならない。だいたい、あの鼠の頭を鄭切って遊ぶ少年の母親だ。いや、だからって……私は止めたのだが、通じなかったんだ。言い訳にしかならないがもう遅い。それに、復讐の機会は今ではない。そして……その前に殺されるのだけは避けなければ。ああ、 伯爵夫人……申し訳が、申し訳が立ちません。必ずルネを討ち取ります。それでもあなたには、どうしても申し訳が立ちません)


  しかし、リトワールよ。こんなことが予測できていたなら、お前に阻止できただろうか。


アイドに話しかけるな、ベルエーロ。


  屋形馬車はギッギッと揺れ続けているが、リトワールも他の者たちも疲れはてて目を合わせようとはしない。最後の力を振り絞って馬車の屋根から下ろした箱を、ノロノロと玄関ホールに運び入れた。


  

         2020年 3月15日 初稿

         2025年 3月11日 加筆訂正



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