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第三章 純愛と天使と悪霊
(116)例え私が倒れても
しおりを挟むネイトは涙ぐんで走った。
どうしてお祖父ちゃんを
助けることができないの
神様……
神様は決して
意地悪をなさらないはずなのに
神様は決して
気まぐれではないはずなのに
どうして……
サレの祈祷は悪霊を追い詰めた。思い付くままに聖書の言葉を口にする。それは神に対する信仰の祈りであり、サレの人生だ。
「私の脚を、右にも左にも逸れることのないように見守ってください。神よ、あなたは私の灯火。私の通り道の灯火です。私は何者にも惑わされません。神よ、あなたが私の導き手だからです。私は私の敵対者を恐れません。肉体を殺すことはできても心を殺すことのできない者を恐れません。例え私がつまづいても、神よ、あなたが手を差しのべてくださいます。例え私が倒れても、あなたは私を覚えていてくださいます。神よ……たとえ私が倒れてもあなたへの崇拝は止みません」
サレの背後に光の柱が立つ。
悪霊はサレに追い詰められて銀杏の木を背にした。その悪霊の胸の厚みの分にサレの手が入り、肉体を持たない悪霊の顔が、奇妙に歪む。
半透明になった悪霊の身体を通り抜けて、サレの手に銀杏の幹の感触が伝わる。斜め上に上げたサレの手に重なって、高い場所から光の手が悪霊の胸に入った。
「うう……う……止めろ……」
「神よ、あなたは私の光です」
「うう……サレ。神はお前に何をしてくれた」
「神は万物を造り、地上を愛で満たした。我々はアガペーの元で生き、そして死ぬのです。それはあなたも同じなのではありませんか。万物のひとつとしてアガペーにより生み出されそして存在しているのですから」
悪霊にはサレの身体が真っ白に輝くように見えた。
メンデとモーナスは泣きながら叫ぶネイトに驚いた。厨房入り口から内に入りかけていたメンデが、慌ててネイトに駆け寄る。モーナスも香辛料の花壇前から走った。
「どうした、ネイト」
我慢強くて働き者のネイトが大声で助けを呼ぶのは余程のことだ。
「お祖父ちゃんが倒れた」
「何処だ」
「いつもの人参畑」
ネイトは言ってから、グラッセ用の人参を収穫し忘れたことに気づいたが、サレが倒れて人参処ではない。
「モーナス、医者を」
「わかった」
兄弟が左右に別れる。ネイトはメンデに付いて走った。井戸端でじゃがいもを洗いながらやり取りを聞いていたガレもびっくりして立ち上がる。
二騎の騎兵の一人が馬上からガレに声を掛けた。
「どうした、何かあったのか」
「お祖父ちゃんが倒れたって……」
「医者か。俺はこの子をサレ翁の処に連れていく。お前は……」
言っている横からモーナスが医者を背負って走って来た。
「の、乗せてくれるか」
騎兵は一瞬、モーナスは立派な体躯をしているのにどうして調理人の道を選んだのかと訝った。彼は、医者を引き上げながら、モーナスは親のいる点では恵まれているが、それはまたこのように家族の正念場にも直面するのだと、即座に理解した。
アナンダは街をぶらぶら探索して、珍しい物に溢れた市場で迷子になり、暫く歩いて夕方、街角で口笛を吹いた。鳥の悲鳴のように鋭く、遠くまで聞こえる口笛だ。時を待って何度か吹く。
若い女と老人がやって来た。女と老人は顔見知りのようで、アナンダに「口笛はあなたが」と聞く。
「はい。田舎から来たので」
「みなまで言うな。我々は他人を信用しない」
「でも、知っておくべきね。今日、王宮の会議室で証人が殺されたということよ」
「殺された……」
兄が警護して王都に運んだ
あの証人たちが……
「何故ですか」
「ザカリー領主を狙った刺客はカルマンザーレが送り込んだことまではわかったの。ジルベールエリキュアの居場所がわからないのよ」
「それならわかるかも」
「何で田舎から出てきたお前さんがわかるのだ」
エリキュアは男狩りが趣味で
拷問して殺す前に犯すんだ
そういう連中は
組織をつくっているから耳に入る
「王都には鉄格子という地下の居酒屋があるでしょう。教えてもらえないかな、その店」
「行ってどうするんだ」
「ふふ、僕に考えがある」
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