聖書サスペンス・領主殺害

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

文字の大きさ
39 / 128
第一章 復讐とカリギュラの恋

(38) 本懐を

しおりを挟む


  ヘシャス・ジャンヌの床に付くほどの長い髪は、どんなコートよりも美しく、流れる金鎖のように灯をかえしてきらきらと光を弾き返す。



「ヘシャス、本当に好きだったんだ。どうしてあのとき、もっと強く君を推さなかったのか。今更ながら本当に悔やまれる。君は第二王子の妃よりも聖女が相応しいと言う者もいたのだ。そんなことに惑わされなければ良かった」

「光栄ですわ、殿下。嬉しく存じます」



  さっきからもう何度も同じやり取りをしている。


  ヘシャス・ジャンヌのベッドに並んで腰かけて、ヨハネセン第二王子がヘシャス・ジャンヌの白い手に頬擦りをする。


  ヘシャス・ジャンヌは第二王子の婚約者選びに最終段階で落ちた。爵位と第二王子に献上する領地も問題だったが、アントローサ公爵に前王が肩入れすることを嫌う派閥の重鎮が、アントローサ公爵国のザカリー伯爵令嬢ヘシャス・ジャンヌを讒言で陥れて撥ね付けたのだ。



『聖女の位が相応しいと言うものの、あの娘には良からぬ点が……』



「あからさまな讒言など、誰も信じてはいなかった。今でもそうだ。ただ、君は病気だと聞かされて、私は押し付けられた婚約者の手前、君に何もできなかった」

「お心に留めていただけただけでも嬉しゅう存じます、殿下」

「ヘシャス、昔のようにヨハネと呼んでくれ」

「恐れ多いことですわ、殿下」

「ヨハネだよ、ヘシャス。あの頃はお互い、そう呼び合っていた。君にだけ許していたんだよ」




  花も自信を失うほど甘い香りを醸し出す二人の会話は、終わることがない。




「ふふ、ヨハネ。楽しい思い出がたくさんありますわ」




  思い出話を一つする度に「どうしてあのときもっと強く君を推さなかったのか後悔している」と言う。そして次は肩を抱き、また思い出話に興じる。



  ヨハネセンは、アントローサ公爵の話に乗って身分をオリバール・ルート子爵と偽り、ヘシャス・ジャンヌに会いに来た。



  先にコルネリアとアントニートがヘシャス・ジャンヌに会って、楽しく巧みな会話からヘシャス・ジャンヌの男性関係を聞き出そうとしたが、ヘシャス・ジャンヌが品格の確かな慈悲深い女性であることを証することになった。



  ヨハネセンは躍り上がって喜びたい気持ちで、ずっと抱き続けていた恋心のままにヘシャス・ジャンヌの前に現れたのだった。



  ヘシャス・ジャンヌは幼い時よりも透き通るように白く美しく、ヨハネセンは一目まみえただけで二度目の恋に堕ちた。一晩中語り明かしても尽きない。



  朝が来る頃、ヨハネセンはヘシャスの髪の毛を手に持って口づけした。




「まあ、ヨハネ……」

「愛している」




塔に蔓薔薇が這い延びて
甘く高貴な香りを
振り撒いているのだわ……




  ヘシャス・ジャンヌは溶けるような目でヨハネセンを見つめる。




*****




  明け方近くになっても、ジグヴァンゼラは夫人たちに囲まれながら微笑んでいた




「ザカリー伯爵、今夜の宴席は楽しませて頂きました。本当に素晴らしいお心遣いを堪能させてもらいましたよ」




  ジャガレット伯爵の鶴の一声で、先ずは女性陣が並んで小さくカーテシーを行って退場し、次に男性陣が握手を求めて挨拶のハグを交わした。





「ゆっくりお休み、我が弟よ」





  ジグヴァンゼラは驚いてボランズ伯爵を見た。温かな眼差しが注がれている。頬が自然と緩む。





「嬉しいお言葉です。心から」

「良いんだよ、礼など。明日もあるさ」





  気のおけない兄のようにざっくばらんに話すボランズ伯爵に、周りも倣って温かな輪ができ、その輪がばらけて立ち去った。



  リトワールが足早に近づく。





「異変が起きたようです、旦那様」

「異変とは」





  余韻が別のものに変わる。





「ルネが……」

「ルネっ。ルネがどうした」





  ジグヴァンゼラは、夕食の席に着く前に貴族らしい絢爛豪華な衣装に身を包んだルネを見て驚愕に固まったことを思い出した。




死神ルネ……
待っていたぞ、死神
隙を見てお前を必ず仕留める




  その時、ルネはジグヴァンゼラの顔にふっと白い粉を掛けた。ジグヴァンゼラが口を開いた瞬間だったから、口の中にかなりの量が入った。鼻からも吸い込んだ。



  ジグヴァンゼラは咳き込んだが、暫くして、柔らかい綿の上を歩いているような感覚と、気持ちが明るく高揚するのを感じた。



  ジグヴァンゼラは、表情を変えたリトワールが面白くて、もう一度その焦ったような顔が見たくてふらついてみたが、リトワールの差し出しかけた手を思わず払いのける仕草をした。



  それでも罪悪感はない。ふわふわしてもう一度だけ、今度は違う方法でからかってみたくなる。口の端しが弛む。



  その感覚は今夜のジグヴァンゼラに支配的な影響を与えて、女関係以外は何でもできるような気がする。



  ジグヴァンゼラは「剣を持て」と言った。リトワールがザカリー警備兵に剣を求めてその剣を手渡すと、ジグヴァンゼラは「ルネは何処だ」と強い口調で聞く。



  リトワールが先に立って案内する傍らを飛ぶような勢いで二階に駆け上がり、リトワールを追い越した。リトワールも急いて二段飛びに駆け上がる。二人の勢いに驚いたアネットも後を追った。



  二階の部屋に飛び込むと、縄で縛られて網を打たれたルネの姿があった。



  眼窩の青くくすんで隈になった様は死神そのものだが、網の中で縛られて崩折れた格好はもはや死んだかとシグヴァンゼラを落胆させた。



  それでも、シグヴァンゼラはルネの傍らに両膝をついて剣を逆手に振り上げた。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...