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第3章
『その名はドロップキック』
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いつも多忙な【kira ☆ kira】の2人には、休日という休日が殆どない。しかし、ごく稀に仕事先の都合や、空の便の欠航などで休みが貰える日があった。
「あー… 暇だなー……」
スターエッグプロダクションのビルの上層エリアにある【kira ☆ kira】の『アキラ』の自室は、殆ど寝るだけの部屋となっている。
しかし、今日は珍しくその部屋の主が、朝からずっとつまらなそうにベッドでゴロゴロしていた。
この日も【kira ☆ kira】の2人には仕事があったのだが、アキラが一方的に仕事相手に難癖をつけて断った形だ。
今までアキラが仕事を断ったことなどなく、今回が初めてのケースである。
明るく活発で、どんな仕事も全力で取り組む彼女が、なぜボイコットしたのかというと、その仕事相手の方に問題があった。
以前、その仕事相手に大切なパートナーであるキアラが傷付けられたのだ。
アキラは自分のことより、パートナーであるキアラが傷付くことが何よりも許せない。
実際はその仕事相手に過失はなく、アキラの誤解だったのだが、本人はまだそれを信じられてはいなかった。
「あー… ホント暇ー……」
いったい何度『暇』と繰り返した事だろう。アキラの部屋に所狭しと並べられているぬいぐるみたちに意思があるのなら、動き出して文句を言うほどには同じことを何度も何度も呟いていた。
「誰がアイツなんかと一緒に曲作るかっての……」
今日の【kira ☆ kira】の仕事は1日新曲作りの予定で、もちろんアキラも曲作りから関われることを楽しみにしていたのだが、その相手がまさかあの【Godly Place】の『ユウ』ともなれば話は別だ。
どんな理由であれ、キアラに水をぶちまけ、辱めたユウをアキラは許すつもりはない。しかし、当の本人は怒るどころか、助けて貰った命の恩人のような扱いをしていて、最近ではそのことで言い合いになることも少なくなかった。
そして今日も、先程キアラと言い合いになってしまったばかりだった。
ユウが来るからと、何日も前から服や化粧や案内する順番を考えてはウキウキしているキアラに、ついに耐えられなくなったアキラが「私とアイツとどっちが大切なんだよ!?」と、言ってキアラを責めてしまったのだ。
「あー、なんであんな事言っちゃったんだろ……」
『 スターエッグプロダクション』内の自室の布団の上でゴロゴロゴロゴロと、右へ左へ転がっても、あの時の自分の言動は消えず、嫌気が増すばかりだった。
「今頃、2人で新曲を書いてるのかな~… って、あれ!?」
アキラは自分が招いた状況にようやく気付いて戦慄する。
「アタシがいないってことは、スタジオで2人きりで作業してるんじゃないのか!?」
ちょっと考えればわかったはずなのに、キアラと喧嘩したことで頭が一杯になっていたようだ。
公共のトイレ前で女の子に水をぶっかけるケダモノが、密室でキアラと2人っきりで何をするかわかったもんじゃない!
「待ってろキアラ! 今行くからな!」
部屋着のままだということも忘れて、急いで部屋を飛び出したアキラは、練習用スタジオを近い所から一つ一つ順番に総当たりで探していく。
3つ目のスタジオのドアを勢い良く開けると、案の定心配していた通りに、椅子に座っているケダモノにキアラが抱き付くように、至近距離で見つめ合っている所だった。
「お前…!いったい何してんだよッ!?」
「へ? 」
「あ、アキラちゃん!?」
今のこの瞬間まで、キアラは自分と喧嘩したことなどすっかり忘れていたように見えて、それが余計にユウに対する怒りへと変換されていく。
「ユウ…… お前、今キアラに何しようとしてた!?」
「えっと、アキラなのか?ちょっとすまんが仮面がズレてて何も見えなくてだな―― 」
きっとアキラでなくとも、この状況だけ見れば2人がこれからここで何をしようとしていたのかということは容易に想像がつく。
ケダモノに命令されて、嫌々仮面をずらしてキスをするように言われた違いがないと、アキラは心の底から確信していた。
「――ち、違うんだ! アキラ、これには訳がッ!!」
「問答無用ーッ!!」
ケダモノに向かって突進し、その勢いのまま顔面に目掛けて両足を突き出す。
「これでも喰らえーッ!!」
「アキラちゃんダメーッ!!」
渾身のドロップキックがユウの顔面に綺麗に炸裂した。
「ぐっ、どうはあぁぁぁーー!!」
「ゆ、ユウさーーん!!」
ドロップキックをモロにくらったユウは、3メートルほど横回転しながら後ろに吹っ飛んで壁にぶつかり、そのままアキラに向かって土下座するような姿勢で床に崩れ落ちた。
「危ないところだったな、キアラ」
「…… 」
アキラは直ぐにキアラの元に駆け寄り、身体の隅々までチェックするように見回しながら話しかけた。
「キアラ、大丈夫か?」
「――どうしてこんな酷いことをするの、アキラちゃん!!」
顔を上げたキアラから飛び出した言葉は『感謝』や『お礼』ではなく、自分を責める言葉だったことにアキラは驚愕した。
「え…?だって……」
「ユウさんがアキラちゃんに何をしたって言うの!?」
「何って…?き、キアラに手を出そうとしてたじゃんか!」
「そんなことしてないでしょ!いきなり入って来て理由もなくユウさんを蹴り飛ばして! 言い掛かりつけるくらいなら最初から一緒に居ればよかったのに!」
違う… そんなんじゃない、そんなつもりはこれっぽっちも… ただ……
「アタシはキアラが心配で、それで……」
「――私が心配だったら、出てって……」
「え……?」
聞こえなかったわけではない、ただ言葉が出てこなかった… 信じたくなかった… キアラからそんな言葉が出てくるなんて……
「この部屋から出て行って!お願い、だから……」
そう言って泣き出してしまったキアラに、アキラは目の前がグルグルと歪んでいくような感覚に襲われて、その場から逃げるようにスタジオを飛び出した。
違う、違う、違う……
こんなはずじゃなかった……
呪文のように繰り返し呟きながら、おぼつかない足取りでフラフラと進む。歩けているのが不思議なくらいだ。
頭では何も考えられず無意識に進んでいたが、幸い身体が自分の部屋を覚えていたようで、そのまま雪崩れ込むように入ってはベッドに倒れ込んだ。
胸がムカムカして、頭がグラグラして、もう訳がわからない。アキラは枕に顔を強く押し当てると、全力で大声で叫んだ。
アタシはただ、ただキアラが心配だっただけなのに、どうしてこうなるんだよ!?
「アイツだ、アイツのせいだ、アイツが全部悪いんだ!」
そう言って顔を上げたアキラの枕は少し濡れていた。
☆
「――あれ?」
突然スイッチが入ったかのように目覚めたユウの視界にまず映ったのは、目の下を真っ赤に腫らせたキアラが優しく微笑んだ姿だった。
「ユウさん、気が付きましたか……?」
頭の下、仮面越しにも伝わってくる柔らかい感触から、ユウはキアラの膝枕で寝ている状況にある、ということだけは直ぐに理解できた。
(はいご褒美でーす、本当にありがとうございまッす!)
ニタニタした笑みを浮かべていることを自覚しつつ、仮面があって良かったとユウは安堵した。
もし仮面がなかったら、キアラにニヤけ顔を見られ、気持ち悪がられたに違いない。
「大丈夫ですか……?」
なかなか返事のないユウを心配して、キアラはより近くユウの顔を伺うように近付いた。
「大丈夫!ぜんぜん大丈夫!」
これ以上は不味いと、ユウは急いでキアラの膝上のオアシスから飛び起きた。
しかし、顔と首全体に鈍い痛みが走り、咄嗟に手を当ててしまう。
(そういえばアキラに問答無用でぶっ飛ばされたんだった!見えなかったけど感覚からしてあれは間違いなく両の足だったぞ、それってドロップキックじゃねえか!?)
思い出すと余計に痛みが走り、つい「痛て」と口から溢れる。
「やっぱりまだ痛むんですか?ごめんなさい、本当に……!」
「キアラが謝ることじゃないよ、それにあの瞬間だけを見たら誰だって勘違いするだろうし……」
「そうだとしたら、私の方がユウさんに迫っていたことになります!だから、私じゃなくてユウさんが蹴られるのはやっぱりおかしいです!」
「確かに、問答無用で蹴られたのは確かにいただけないけど… あ、そういえばアキラは?」
華麗にドロップキックをかました張本人は、ユウが意識を失っている間にどうやらいなくなったようだ。
「アキラちゃんなんて知りません!」
いつになく強い口調でキアラが言い放つ。 目の下を腫らしているキアラから察するに、どうやら2人の間で何か一悶着あったのかもしれない。
アキラに会ったら文句の一つでも言ってやろうと思った気持ちをユウはグッと胸の奥に仕舞い込んだ。
「もしかしてだけど、俺のせいで2人の仲が悪くなったりしてないよね?」
「それは… でもユウさんの所為ではないです! アキラちゃんが分からず屋なんです!」
(これはもしかして…… 俺のせいで伝説のアイドルユニットが解散とかにならないよね?)
どんな理由があるにしてもユウがキアラに水を浴びせ掛けたことは事実だし、自分の大切な人がそんなことをされれば誰だって怒るだろう。むしろ、怒って当然だ。
そんな相手と大切な人がイチャイチャしていたように見えれば、もう訳がわからなくなってしまうのも頷ける。
些細なすれ違いがいずれ大きな歪みになり、取り返しがつかなくなることなんて珍しい話ではない。
特に芸能界や音楽業界ともなれば死活問題だ。
蹴られたことはこの際水に流すとしても、何とかして2人の関係を修復しないといけないと、ユウは考えを巡らせた。
「俺、アキラに謝ってくるよ」
結局のところ謝ることしか出来ない。それ以外にユウは気の利いた解決策などを持ち合わせていなかった。
「いいえ、ユウさんが謝る必要はありません! さっきのことは全部アキラちゃんが悪いんですから!」
「そうかもしれないけど、アキラだって悪気があってやったことではないんじゃないかな?きっとキアラのことが大切で、心配で、その想いがちょっと強かったんだと思う」
「そう、かもしれません……」
無名の頃からトップアイドルになるまで、苦楽を共にしてきた2人だからこそ、ユウには計り知れない『絆』があるはずだ。
「それにさ、俺が原因で2人の仲が悪くなるのはやっぱり嫌だから……」
「ユウさん……」
それなりに格好いいことを言っているようなユウだが、内心は冷や汗ものだった。
もしこのまま2人が仲違いして【kira☆kira】が解散なんてことになってしまったら、日本中、いや世界中の【kira☆kira】ファンに申し訳なさ過ぎて、潔く腹を切るしかなくなってしまう。
「じゃあ、ちょっと行ってき――」
「それなら私も一緒に行きます!」
「え、いいの?」
「はい、それにユウさんはアキラちゃんがどこにいるか知らないんじゃないですか?」
「そうでした」
ここは完全なアウェーだったことを思い出し、ユウは身震いする。キアラが案内してくれたから何とかここまで来れたが、もし1人で出歩こうものなら一瞬で迷子になる自信がある。
ユウは素直にキアラの好意に甘える事にした。
「じゃあ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、お任せください!」
そう言って、ニコッと笑うキアラの姿に先程の暗影はなく、いつものように可愛らしかった。
(帰ったら【kira☆kira】のファンクラブに入ろう)
ユウはそう決意して、キアラの後についてスタジオを後にした。
アキラの部屋まで向かう道中、エレベーターに乗ったり、降りたり、また乗ったり、その後はまるでホテルの廊下のように、見た目そっくりな通路に同じようなドアがあり、どこまでも続いているような錯覚を覚える。
キアラ曰く、本当はもっと早い行き方があるらしいのだが、アキラが寄りそうなところを経由しつつ向かっていたため、迷路のような道をクネクネ曲がったり曲がらなかったり、部屋に入ったり入らなかったり、途中から方向感覚もおかしくなり、自分がどこにいるかも分からなくなっていた。
「このフロアが私とアキラちゃんが普段生活しているフロアになります」
「ふぁー……」
今までとは一回り広いエレベーターに乗って辿り着いた場所は、他のフロアと違ってグレードが高いと一目で分かるような豪華な作りだった。
エレベーターを降りてからまず目に入ったのは、それこそ何処か高級なホテルのような共用スペースだった。突き当たりは全面ガラス張りで外の景色が一望できる。
その横にはバーカウンターが設置されていて、蝶ネクタイが似合うバーテンダーが磨かなくても十分綺麗なグラスを丁寧に磨き上げている。
「このフロアは私たちだけでなく、社長に面会に来られるお客様なども泊まられるんですよ」
「そ、そうなんだー……」
住む世界が違うとはこういうことを言うのだろう。
「――ここがアキラちゃんの部屋です……」
共用スペースを抜けた通路を進んですぐの部屋の前で、立ち止まったキアラが静かに深呼吸をしてからユウに話しかけた。
今まで見てきたどの部屋のドアより一回り大きく豪華な装飾がなされていて、表札には「AKIRA」とローマ字で書かれている。
いつものユウであれば、中はどれだけ広いのだろうとか、部屋数とかを気にするところだが、アキラの部屋に向き合うキアラの横顔を見れば、そんな呑気な雰囲気すら出てくる気配はなかった。
しばらく、アキラの部屋を前で時間が過ぎていく。
そして、キアラは「スー」と聞こえるほどの息をゆっくり吐いてインターホンを押した。
「アキラちゃんキアラです、話しがあります」
「………」
短いチャイムの後、キアラがインターホンに向かって話しかけるが応答はない。
もしかして、自分の部屋にも帰って来てないのかと諦めかけた時、キアラはどこからともなく合鍵を取り出してユウに笑顔を向けた。
「こういう時のためにお互いに合鍵を持っているんです」
「流石です……」
キアラはそう言いながらカードキーを読み込み部分にタッチして鍵を開け、部屋の中に入って行った。
「お邪魔しまーす……」
女の子の部屋ということもあり、ユウは少し躊躇いながらもキアラの後に付いて部屋の中に足を踏み入れた。
アキラの部屋は想像していた通りのスイートルームのような部屋だったが、部屋の中はアキラの明るく元気なイメージからは想像出来ないような、大小様々なぬいぐるみや、やけにふわふわしたクッションなど可愛らしいもので溢れていた。
罵られ、嫌われて、最後は蹴られてと散々だったが、もしかしたらアキラにはこういう可愛らしい一面があるのかもしれない。
「――何しに来たんだよ!出てけッ!!」
少し枯れかかった怒鳴り声が発せられたのは、ベットの上の布団の丸い膨らみからだった。
(昔、妹の百合華も喧嘩した後、よくああしてベッドで布団を被って丸くなって拗ねてたな……)
「何でそいつを連れて来たんだよ、キアラ!?」
「アキラちゃんにちゃんとユウさんに謝ってほしいからだよ……」
「キアラ、俺は別に――」
「ふざけんな!誰がこんな奴に謝るもんか!」
「アキラちゃん!そんな言い方…!」
「もう!うるさいうるさいうるさいうるさい!!お前のせいで私とキアラの関係がめちゃくちゃだよ… ずっと… ずっと仲良しだったのに… なのに… なのに……」
自分と関わったせいで2人の関係が悪くなったのはユウ自身が認めていた事実だ。
実際に本人から言われると、わかってはいても棘が刺さったように心が痛い。
アキラだって同じはずだ。キアラに害をなすユウをなぜ庇うのかわからないし、逆にキアラから責められるのも理解できないし辛いだろう。
キアラがなぜ自分を庇うのか、それを説明すれば、あるいはお互いに和解できるのかもしれない…
けれど、それは同時にキアラの秘密を話す事になってしまう。ユウは堂々巡りのループの中に囚われ、ただ下を向くことしか出来なかった。
「聞いてアキラちゃん、ユウさんは……」
「…… 」
無限にも思えるほどの沈黙の時間を破り、キアラがアキラに声を掛ける。何か言いづらいことを伝えようとしているのか、何度も口を開きかけてはその言葉を出せずにまた口を塞ぐ。
ユウはそっとキアラの肩に自分の手を添えて無言でうなづいた。キアラが何を言おうとしているのかわかったからというのもあったが、考えるより先に身体が動いていた。
「ユウさんは…… ユウさんは私がお漏らししたのを庇ってくれたの!」
その後、キアラは堰を切ったようテレビ局でのトイレ事件の真相をアキラに語り始めた。
どうしてユウがほぼ初対面のキアラに水を掛けたのか、その状況と経緯をキアラはアキラにすべて話して聞かせた。
アキラは最初こそ布団から顔を出して驚いていたが、キアラが話し終わるまで何も言わずに黙って聞いていた。
ユウが墓まで持っていくつもりだったキアラの秘密を、ユウの汚名を晴らすためだけに自分の最も恥ずかしいことをキアラ自身が話してくれたのだ。
話の最後を「だから、これ以上ユウさんを悪く言わないで」締めくくり、キアラは泣き出してしまった。
「うん、わかった……」
アキラはそれだけ短く答えると、優しくキアラを抱き締めた。
場の空気が読めないことで有名なユウも、流石にこれは2人にした方がいいと思い、そっと部屋を抜け出そうと回れ右をしたところで、アキラから「おい」と呼び止められる。
「その… キアラのこといろいろ誤解して悪かったな……」
「え?今なんと?」
「だからその…ゴメンってことだよ!」
「お、おう……」
「キアラのこと庇ってくれて、今は感謝してる… でもやっぱりアタシ、お前の事嫌いだから!」
そう言いながらユウに向かって『あっかんべー』をしていたアキラだが、その顔は少し笑っているように見えた。
「フッ… 面と向かって『嫌い』って言われたの生まれて初めてだよ」
そう言い残してユウはアキラの部屋を後にした。邪魔者は退散し、しばらく2人にさせてあげようというユウの粋な計らいだ。
「さて、何か飲み物でも買いに行こうかしら!」
そう独り言を残し、満足感を噛み締めながらユウは自販機を探しに通路を進んでいった。
そして……
「あれ?ここはどこだ!?」
案の定、ユウは道に迷ったのだった。
「あー… 暇だなー……」
スターエッグプロダクションのビルの上層エリアにある【kira ☆ kira】の『アキラ』の自室は、殆ど寝るだけの部屋となっている。
しかし、今日は珍しくその部屋の主が、朝からずっとつまらなそうにベッドでゴロゴロしていた。
この日も【kira ☆ kira】の2人には仕事があったのだが、アキラが一方的に仕事相手に難癖をつけて断った形だ。
今までアキラが仕事を断ったことなどなく、今回が初めてのケースである。
明るく活発で、どんな仕事も全力で取り組む彼女が、なぜボイコットしたのかというと、その仕事相手の方に問題があった。
以前、その仕事相手に大切なパートナーであるキアラが傷付けられたのだ。
アキラは自分のことより、パートナーであるキアラが傷付くことが何よりも許せない。
実際はその仕事相手に過失はなく、アキラの誤解だったのだが、本人はまだそれを信じられてはいなかった。
「あー… ホント暇ー……」
いったい何度『暇』と繰り返した事だろう。アキラの部屋に所狭しと並べられているぬいぐるみたちに意思があるのなら、動き出して文句を言うほどには同じことを何度も何度も呟いていた。
「誰がアイツなんかと一緒に曲作るかっての……」
今日の【kira ☆ kira】の仕事は1日新曲作りの予定で、もちろんアキラも曲作りから関われることを楽しみにしていたのだが、その相手がまさかあの【Godly Place】の『ユウ』ともなれば話は別だ。
どんな理由であれ、キアラに水をぶちまけ、辱めたユウをアキラは許すつもりはない。しかし、当の本人は怒るどころか、助けて貰った命の恩人のような扱いをしていて、最近ではそのことで言い合いになることも少なくなかった。
そして今日も、先程キアラと言い合いになってしまったばかりだった。
ユウが来るからと、何日も前から服や化粧や案内する順番を考えてはウキウキしているキアラに、ついに耐えられなくなったアキラが「私とアイツとどっちが大切なんだよ!?」と、言ってキアラを責めてしまったのだ。
「あー、なんであんな事言っちゃったんだろ……」
『 スターエッグプロダクション』内の自室の布団の上でゴロゴロゴロゴロと、右へ左へ転がっても、あの時の自分の言動は消えず、嫌気が増すばかりだった。
「今頃、2人で新曲を書いてるのかな~… って、あれ!?」
アキラは自分が招いた状況にようやく気付いて戦慄する。
「アタシがいないってことは、スタジオで2人きりで作業してるんじゃないのか!?」
ちょっと考えればわかったはずなのに、キアラと喧嘩したことで頭が一杯になっていたようだ。
公共のトイレ前で女の子に水をぶっかけるケダモノが、密室でキアラと2人っきりで何をするかわかったもんじゃない!
「待ってろキアラ! 今行くからな!」
部屋着のままだということも忘れて、急いで部屋を飛び出したアキラは、練習用スタジオを近い所から一つ一つ順番に総当たりで探していく。
3つ目のスタジオのドアを勢い良く開けると、案の定心配していた通りに、椅子に座っているケダモノにキアラが抱き付くように、至近距離で見つめ合っている所だった。
「お前…!いったい何してんだよッ!?」
「へ? 」
「あ、アキラちゃん!?」
今のこの瞬間まで、キアラは自分と喧嘩したことなどすっかり忘れていたように見えて、それが余計にユウに対する怒りへと変換されていく。
「ユウ…… お前、今キアラに何しようとしてた!?」
「えっと、アキラなのか?ちょっとすまんが仮面がズレてて何も見えなくてだな―― 」
きっとアキラでなくとも、この状況だけ見れば2人がこれからここで何をしようとしていたのかということは容易に想像がつく。
ケダモノに命令されて、嫌々仮面をずらしてキスをするように言われた違いがないと、アキラは心の底から確信していた。
「――ち、違うんだ! アキラ、これには訳がッ!!」
「問答無用ーッ!!」
ケダモノに向かって突進し、その勢いのまま顔面に目掛けて両足を突き出す。
「これでも喰らえーッ!!」
「アキラちゃんダメーッ!!」
渾身のドロップキックがユウの顔面に綺麗に炸裂した。
「ぐっ、どうはあぁぁぁーー!!」
「ゆ、ユウさーーん!!」
ドロップキックをモロにくらったユウは、3メートルほど横回転しながら後ろに吹っ飛んで壁にぶつかり、そのままアキラに向かって土下座するような姿勢で床に崩れ落ちた。
「危ないところだったな、キアラ」
「…… 」
アキラは直ぐにキアラの元に駆け寄り、身体の隅々までチェックするように見回しながら話しかけた。
「キアラ、大丈夫か?」
「――どうしてこんな酷いことをするの、アキラちゃん!!」
顔を上げたキアラから飛び出した言葉は『感謝』や『お礼』ではなく、自分を責める言葉だったことにアキラは驚愕した。
「え…?だって……」
「ユウさんがアキラちゃんに何をしたって言うの!?」
「何って…?き、キアラに手を出そうとしてたじゃんか!」
「そんなことしてないでしょ!いきなり入って来て理由もなくユウさんを蹴り飛ばして! 言い掛かりつけるくらいなら最初から一緒に居ればよかったのに!」
違う… そんなんじゃない、そんなつもりはこれっぽっちも… ただ……
「アタシはキアラが心配で、それで……」
「――私が心配だったら、出てって……」
「え……?」
聞こえなかったわけではない、ただ言葉が出てこなかった… 信じたくなかった… キアラからそんな言葉が出てくるなんて……
「この部屋から出て行って!お願い、だから……」
そう言って泣き出してしまったキアラに、アキラは目の前がグルグルと歪んでいくような感覚に襲われて、その場から逃げるようにスタジオを飛び出した。
違う、違う、違う……
こんなはずじゃなかった……
呪文のように繰り返し呟きながら、おぼつかない足取りでフラフラと進む。歩けているのが不思議なくらいだ。
頭では何も考えられず無意識に進んでいたが、幸い身体が自分の部屋を覚えていたようで、そのまま雪崩れ込むように入ってはベッドに倒れ込んだ。
胸がムカムカして、頭がグラグラして、もう訳がわからない。アキラは枕に顔を強く押し当てると、全力で大声で叫んだ。
アタシはただ、ただキアラが心配だっただけなのに、どうしてこうなるんだよ!?
「アイツだ、アイツのせいだ、アイツが全部悪いんだ!」
そう言って顔を上げたアキラの枕は少し濡れていた。
☆
「――あれ?」
突然スイッチが入ったかのように目覚めたユウの視界にまず映ったのは、目の下を真っ赤に腫らせたキアラが優しく微笑んだ姿だった。
「ユウさん、気が付きましたか……?」
頭の下、仮面越しにも伝わってくる柔らかい感触から、ユウはキアラの膝枕で寝ている状況にある、ということだけは直ぐに理解できた。
(はいご褒美でーす、本当にありがとうございまッす!)
ニタニタした笑みを浮かべていることを自覚しつつ、仮面があって良かったとユウは安堵した。
もし仮面がなかったら、キアラにニヤけ顔を見られ、気持ち悪がられたに違いない。
「大丈夫ですか……?」
なかなか返事のないユウを心配して、キアラはより近くユウの顔を伺うように近付いた。
「大丈夫!ぜんぜん大丈夫!」
これ以上は不味いと、ユウは急いでキアラの膝上のオアシスから飛び起きた。
しかし、顔と首全体に鈍い痛みが走り、咄嗟に手を当ててしまう。
(そういえばアキラに問答無用でぶっ飛ばされたんだった!見えなかったけど感覚からしてあれは間違いなく両の足だったぞ、それってドロップキックじゃねえか!?)
思い出すと余計に痛みが走り、つい「痛て」と口から溢れる。
「やっぱりまだ痛むんですか?ごめんなさい、本当に……!」
「キアラが謝ることじゃないよ、それにあの瞬間だけを見たら誰だって勘違いするだろうし……」
「そうだとしたら、私の方がユウさんに迫っていたことになります!だから、私じゃなくてユウさんが蹴られるのはやっぱりおかしいです!」
「確かに、問答無用で蹴られたのは確かにいただけないけど… あ、そういえばアキラは?」
華麗にドロップキックをかました張本人は、ユウが意識を失っている間にどうやらいなくなったようだ。
「アキラちゃんなんて知りません!」
いつになく強い口調でキアラが言い放つ。 目の下を腫らしているキアラから察するに、どうやら2人の間で何か一悶着あったのかもしれない。
アキラに会ったら文句の一つでも言ってやろうと思った気持ちをユウはグッと胸の奥に仕舞い込んだ。
「もしかしてだけど、俺のせいで2人の仲が悪くなったりしてないよね?」
「それは… でもユウさんの所為ではないです! アキラちゃんが分からず屋なんです!」
(これはもしかして…… 俺のせいで伝説のアイドルユニットが解散とかにならないよね?)
どんな理由があるにしてもユウがキアラに水を浴びせ掛けたことは事実だし、自分の大切な人がそんなことをされれば誰だって怒るだろう。むしろ、怒って当然だ。
そんな相手と大切な人がイチャイチャしていたように見えれば、もう訳がわからなくなってしまうのも頷ける。
些細なすれ違いがいずれ大きな歪みになり、取り返しがつかなくなることなんて珍しい話ではない。
特に芸能界や音楽業界ともなれば死活問題だ。
蹴られたことはこの際水に流すとしても、何とかして2人の関係を修復しないといけないと、ユウは考えを巡らせた。
「俺、アキラに謝ってくるよ」
結局のところ謝ることしか出来ない。それ以外にユウは気の利いた解決策などを持ち合わせていなかった。
「いいえ、ユウさんが謝る必要はありません! さっきのことは全部アキラちゃんが悪いんですから!」
「そうかもしれないけど、アキラだって悪気があってやったことではないんじゃないかな?きっとキアラのことが大切で、心配で、その想いがちょっと強かったんだと思う」
「そう、かもしれません……」
無名の頃からトップアイドルになるまで、苦楽を共にしてきた2人だからこそ、ユウには計り知れない『絆』があるはずだ。
「それにさ、俺が原因で2人の仲が悪くなるのはやっぱり嫌だから……」
「ユウさん……」
それなりに格好いいことを言っているようなユウだが、内心は冷や汗ものだった。
もしこのまま2人が仲違いして【kira☆kira】が解散なんてことになってしまったら、日本中、いや世界中の【kira☆kira】ファンに申し訳なさ過ぎて、潔く腹を切るしかなくなってしまう。
「じゃあ、ちょっと行ってき――」
「それなら私も一緒に行きます!」
「え、いいの?」
「はい、それにユウさんはアキラちゃんがどこにいるか知らないんじゃないですか?」
「そうでした」
ここは完全なアウェーだったことを思い出し、ユウは身震いする。キアラが案内してくれたから何とかここまで来れたが、もし1人で出歩こうものなら一瞬で迷子になる自信がある。
ユウは素直にキアラの好意に甘える事にした。
「じゃあ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、お任せください!」
そう言って、ニコッと笑うキアラの姿に先程の暗影はなく、いつものように可愛らしかった。
(帰ったら【kira☆kira】のファンクラブに入ろう)
ユウはそう決意して、キアラの後についてスタジオを後にした。
アキラの部屋まで向かう道中、エレベーターに乗ったり、降りたり、また乗ったり、その後はまるでホテルの廊下のように、見た目そっくりな通路に同じようなドアがあり、どこまでも続いているような錯覚を覚える。
キアラ曰く、本当はもっと早い行き方があるらしいのだが、アキラが寄りそうなところを経由しつつ向かっていたため、迷路のような道をクネクネ曲がったり曲がらなかったり、部屋に入ったり入らなかったり、途中から方向感覚もおかしくなり、自分がどこにいるかも分からなくなっていた。
「このフロアが私とアキラちゃんが普段生活しているフロアになります」
「ふぁー……」
今までとは一回り広いエレベーターに乗って辿り着いた場所は、他のフロアと違ってグレードが高いと一目で分かるような豪華な作りだった。
エレベーターを降りてからまず目に入ったのは、それこそ何処か高級なホテルのような共用スペースだった。突き当たりは全面ガラス張りで外の景色が一望できる。
その横にはバーカウンターが設置されていて、蝶ネクタイが似合うバーテンダーが磨かなくても十分綺麗なグラスを丁寧に磨き上げている。
「このフロアは私たちだけでなく、社長に面会に来られるお客様なども泊まられるんですよ」
「そ、そうなんだー……」
住む世界が違うとはこういうことを言うのだろう。
「――ここがアキラちゃんの部屋です……」
共用スペースを抜けた通路を進んですぐの部屋の前で、立ち止まったキアラが静かに深呼吸をしてからユウに話しかけた。
今まで見てきたどの部屋のドアより一回り大きく豪華な装飾がなされていて、表札には「AKIRA」とローマ字で書かれている。
いつものユウであれば、中はどれだけ広いのだろうとか、部屋数とかを気にするところだが、アキラの部屋に向き合うキアラの横顔を見れば、そんな呑気な雰囲気すら出てくる気配はなかった。
しばらく、アキラの部屋を前で時間が過ぎていく。
そして、キアラは「スー」と聞こえるほどの息をゆっくり吐いてインターホンを押した。
「アキラちゃんキアラです、話しがあります」
「………」
短いチャイムの後、キアラがインターホンに向かって話しかけるが応答はない。
もしかして、自分の部屋にも帰って来てないのかと諦めかけた時、キアラはどこからともなく合鍵を取り出してユウに笑顔を向けた。
「こういう時のためにお互いに合鍵を持っているんです」
「流石です……」
キアラはそう言いながらカードキーを読み込み部分にタッチして鍵を開け、部屋の中に入って行った。
「お邪魔しまーす……」
女の子の部屋ということもあり、ユウは少し躊躇いながらもキアラの後に付いて部屋の中に足を踏み入れた。
アキラの部屋は想像していた通りのスイートルームのような部屋だったが、部屋の中はアキラの明るく元気なイメージからは想像出来ないような、大小様々なぬいぐるみや、やけにふわふわしたクッションなど可愛らしいもので溢れていた。
罵られ、嫌われて、最後は蹴られてと散々だったが、もしかしたらアキラにはこういう可愛らしい一面があるのかもしれない。
「――何しに来たんだよ!出てけッ!!」
少し枯れかかった怒鳴り声が発せられたのは、ベットの上の布団の丸い膨らみからだった。
(昔、妹の百合華も喧嘩した後、よくああしてベッドで布団を被って丸くなって拗ねてたな……)
「何でそいつを連れて来たんだよ、キアラ!?」
「アキラちゃんにちゃんとユウさんに謝ってほしいからだよ……」
「キアラ、俺は別に――」
「ふざけんな!誰がこんな奴に謝るもんか!」
「アキラちゃん!そんな言い方…!」
「もう!うるさいうるさいうるさいうるさい!!お前のせいで私とキアラの関係がめちゃくちゃだよ… ずっと… ずっと仲良しだったのに… なのに… なのに……」
自分と関わったせいで2人の関係が悪くなったのはユウ自身が認めていた事実だ。
実際に本人から言われると、わかってはいても棘が刺さったように心が痛い。
アキラだって同じはずだ。キアラに害をなすユウをなぜ庇うのかわからないし、逆にキアラから責められるのも理解できないし辛いだろう。
キアラがなぜ自分を庇うのか、それを説明すれば、あるいはお互いに和解できるのかもしれない…
けれど、それは同時にキアラの秘密を話す事になってしまう。ユウは堂々巡りのループの中に囚われ、ただ下を向くことしか出来なかった。
「聞いてアキラちゃん、ユウさんは……」
「…… 」
無限にも思えるほどの沈黙の時間を破り、キアラがアキラに声を掛ける。何か言いづらいことを伝えようとしているのか、何度も口を開きかけてはその言葉を出せずにまた口を塞ぐ。
ユウはそっとキアラの肩に自分の手を添えて無言でうなづいた。キアラが何を言おうとしているのかわかったからというのもあったが、考えるより先に身体が動いていた。
「ユウさんは…… ユウさんは私がお漏らししたのを庇ってくれたの!」
その後、キアラは堰を切ったようテレビ局でのトイレ事件の真相をアキラに語り始めた。
どうしてユウがほぼ初対面のキアラに水を掛けたのか、その状況と経緯をキアラはアキラにすべて話して聞かせた。
アキラは最初こそ布団から顔を出して驚いていたが、キアラが話し終わるまで何も言わずに黙って聞いていた。
ユウが墓まで持っていくつもりだったキアラの秘密を、ユウの汚名を晴らすためだけに自分の最も恥ずかしいことをキアラ自身が話してくれたのだ。
話の最後を「だから、これ以上ユウさんを悪く言わないで」締めくくり、キアラは泣き出してしまった。
「うん、わかった……」
アキラはそれだけ短く答えると、優しくキアラを抱き締めた。
場の空気が読めないことで有名なユウも、流石にこれは2人にした方がいいと思い、そっと部屋を抜け出そうと回れ右をしたところで、アキラから「おい」と呼び止められる。
「その… キアラのこといろいろ誤解して悪かったな……」
「え?今なんと?」
「だからその…ゴメンってことだよ!」
「お、おう……」
「キアラのこと庇ってくれて、今は感謝してる… でもやっぱりアタシ、お前の事嫌いだから!」
そう言いながらユウに向かって『あっかんべー』をしていたアキラだが、その顔は少し笑っているように見えた。
「フッ… 面と向かって『嫌い』って言われたの生まれて初めてだよ」
そう言い残してユウはアキラの部屋を後にした。邪魔者は退散し、しばらく2人にさせてあげようというユウの粋な計らいだ。
「さて、何か飲み物でも買いに行こうかしら!」
そう独り言を残し、満足感を噛み締めながらユウは自販機を探しに通路を進んでいった。
そして……
「あれ?ここはどこだ!?」
案の定、ユウは道に迷ったのだった。
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