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第一章:記憶
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三月。今にも雨が降りそうな空の下。俺は熱に浮かされたまま車を運転して帰宅した。倒れるようにソファの上で眠りに就き、夕方、弟の帰宅と共に目を覚ました。
「スーツのまま寝るなよ。さすがに」
呆れ顔で言われ、渋々着替える。その頃には熱も下がっていて、明日にはもう出勤出来るだろうと思った。
熱が出て早退したことを弟に説明すると、「病院行ったのか」と問われ、気まずげに首を振った。
「行けよ~! 原因わかんねぇじゃん」
「ごめん。だって、まっすぐ帰らなきゃ事故りそうだったんだって」
「俺に電話すりゃいいだろ、連れてってやれるじゃんか」
「ごめん……。でもお前バイクじゃん」
「兄ちゃんの車乗りゃ送ってやれるだろ!」
そか……、そりゃそうか。
「ごめん。でももう大丈夫。熱引いたし、喉も痛くないし、咳もない。疲れが出ただけだと思う。季節の変わり目……だし」
弟は「もう!」とまだ怒りながら、俺のおでこに手を当てて、「でももうちょっと寝てろ」と俺を寝室に押し込んだ。
「うどん作ってやるから、寝て待ってて」
「悪い」
ベッドに這い上がり、近い天井を睨みつけながら大きなため息を吐く。
熱を出している場合ではないのだ。仕事は山ほどある。明日は今日の分を取り返すために残業は免れないだろう。春は忙しいんだ。熱を出すなんてあり得ない。
携帯を手繰り寄せ、赤穂先輩にLINEを入れる。
『今日はすみませんでした。明日は出勤致します』
返事はすぐに帰ってきて、『大丈夫? 無理しないでよ』と優しい言葉を掛けて貰えた。
俺はそれにフフッと笑い、『みっちょん先輩が優しいと、調子狂います』と打ち込んで送信した。
先輩は、失礼しちゃう!と言いながらも、『土田宛の電話は一応全部対応しておいたから、また明日引き継ぐわね』と続けて送られてきた。明日はやっぱり休めそうにないな。
先輩に「了解しました」と送信し終えると、俺は布団を被り直してもう一度瞼を閉じた。
すぐに弟が起こしに来るだろうとは思ったが、何故かすぐにすとんと眠りに落ちた。
そんな現実と夢の狭間で見たものは、薄暗い部屋で三つ編みを結う女性の横顔だった。何してるの、どこかに出かけるのと不安げに尋ねると、彼女は首を振って笑顔でこう答えた。
『ううん、かわいいって言って欲しいの』
その言葉に、バチっと目が覚めた。
ベッドの柵を見つめ、「このまま少しでも頭を振れば夢を忘れる」と思った。「覚えろ!」そう強く思って、俺は忘れてしまいそうな夢の片鱗を手繰り寄せて声を出した。
「か……、か、わいい?」
口にした瞬間、夢の内容を忘れた。
そしたらどっと疲れたような気がして、むくりと上体を起こす。
「……可愛い。……可愛い、か。よく分かんないけど、覚えておこう」
誰が可愛かったのか。何が可愛かったのか。何故、可愛いと言ったのか、言わされたのか、どうして覚えておかなければいけないのか、……もう何も分からない。
ただ「可愛い」は絶対に忘れちゃいけないと思った。
うどん出来たよと呼びに来てくれた弟に返事を返し、俺は再びリビングへと移動する。
今日の俺は……なんだか少しおかしい。
とても……疲れた。
けど、覚えておこう。
「かわいい」
「ほぉ……。うどんが可愛く見える兄ちゃんのこと、俺は嫌いじゃないぜ」
「……ありがと」
弟に大笑いされながら、俺は出来上がったばかりのうどんをすすり込んだ。
「スーツのまま寝るなよ。さすがに」
呆れ顔で言われ、渋々着替える。その頃には熱も下がっていて、明日にはもう出勤出来るだろうと思った。
熱が出て早退したことを弟に説明すると、「病院行ったのか」と問われ、気まずげに首を振った。
「行けよ~! 原因わかんねぇじゃん」
「ごめん。だって、まっすぐ帰らなきゃ事故りそうだったんだって」
「俺に電話すりゃいいだろ、連れてってやれるじゃんか」
「ごめん……。でもお前バイクじゃん」
「兄ちゃんの車乗りゃ送ってやれるだろ!」
そか……、そりゃそうか。
「ごめん。でももう大丈夫。熱引いたし、喉も痛くないし、咳もない。疲れが出ただけだと思う。季節の変わり目……だし」
弟は「もう!」とまだ怒りながら、俺のおでこに手を当てて、「でももうちょっと寝てろ」と俺を寝室に押し込んだ。
「うどん作ってやるから、寝て待ってて」
「悪い」
ベッドに這い上がり、近い天井を睨みつけながら大きなため息を吐く。
熱を出している場合ではないのだ。仕事は山ほどある。明日は今日の分を取り返すために残業は免れないだろう。春は忙しいんだ。熱を出すなんてあり得ない。
携帯を手繰り寄せ、赤穂先輩にLINEを入れる。
『今日はすみませんでした。明日は出勤致します』
返事はすぐに帰ってきて、『大丈夫? 無理しないでよ』と優しい言葉を掛けて貰えた。
俺はそれにフフッと笑い、『みっちょん先輩が優しいと、調子狂います』と打ち込んで送信した。
先輩は、失礼しちゃう!と言いながらも、『土田宛の電話は一応全部対応しておいたから、また明日引き継ぐわね』と続けて送られてきた。明日はやっぱり休めそうにないな。
先輩に「了解しました」と送信し終えると、俺は布団を被り直してもう一度瞼を閉じた。
すぐに弟が起こしに来るだろうとは思ったが、何故かすぐにすとんと眠りに落ちた。
そんな現実と夢の狭間で見たものは、薄暗い部屋で三つ編みを結う女性の横顔だった。何してるの、どこかに出かけるのと不安げに尋ねると、彼女は首を振って笑顔でこう答えた。
『ううん、かわいいって言って欲しいの』
その言葉に、バチっと目が覚めた。
ベッドの柵を見つめ、「このまま少しでも頭を振れば夢を忘れる」と思った。「覚えろ!」そう強く思って、俺は忘れてしまいそうな夢の片鱗を手繰り寄せて声を出した。
「か……、か、わいい?」
口にした瞬間、夢の内容を忘れた。
そしたらどっと疲れたような気がして、むくりと上体を起こす。
「……可愛い。……可愛い、か。よく分かんないけど、覚えておこう」
誰が可愛かったのか。何が可愛かったのか。何故、可愛いと言ったのか、言わされたのか、どうして覚えておかなければいけないのか、……もう何も分からない。
ただ「可愛い」は絶対に忘れちゃいけないと思った。
うどん出来たよと呼びに来てくれた弟に返事を返し、俺は再びリビングへと移動する。
今日の俺は……なんだか少しおかしい。
とても……疲れた。
けど、覚えておこう。
「かわいい」
「ほぉ……。うどんが可愛く見える兄ちゃんのこと、俺は嫌いじゃないぜ」
「……ありがと」
弟に大笑いされながら、俺は出来上がったばかりのうどんをすすり込んだ。
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