幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

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第1話 婚約破棄編 約束の破綻

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「ねえ、アイラ」

名前を呼ばれて顔を上げると、そこにいたのは、きらきらと光を振りまく私の婚約者。オリバー王子、その人だ。ミルクティー色の髪は窓から差し込む陽の光を吸い込んで、それ自体が光源みたいに輝いている。空の色をそのまま閉じ込めたような青い瞳が優しく私を映す。

「どうしたの、オリバー」

私は読みかけの詩集から顔を上げて、できるだけ穏やかに微笑んでみせた。公爵令嬢アイラとしての完璧な微笑み。内心では、彼のその輝きが少しだけ眩しすぎて目を細めていたけれど。

「今日の君も、いつも通り綺麗だ!」

「ありがとう、オリバー。あなたも、いつも通り素敵よ」

いつも通り。そう、私たちの毎日はいつも通りで構成されていた。決められた時間に顔を合わせ、当たり障りのない会話を交わし庭園を散歩する。それはまるで、丁寧に織られた上質なタペストリーのようで、寸分の狂いもなく、ただただ穏やかに続いていく。退屈、と言ってしまえばそれまでだけど、波風の立たない日々は、それなりに快適だった。

この国で二番目に権力を持つ公爵家の娘である私と、次期国王であるオリバーとの婚約は、物心ついた頃には決まっていた。政略結婚。古い言葉だけど、私たちの間にあるものを表すのに、それ以上にしっくりくる言葉を私は知らない。

でも、彼が私を嫌っているわけではないことも私は知っていた。彼が向ける綺麗だね! という言葉に嘘はないのだろう。ただ、それは道端に咲く花を愛でるような、あるいは磨かれた宝玉を美しいと感じるような、そんな種類の感情なのだということも。そこに、私という個人の意思が入り込む隙間はきっとない。

彼にとって私は、公爵令嬢アイラという名の、穏やかで美しい婚約者という役割を果たす存在。それで、十分だった。私も、それでいいと思っていた。この穏やかな日々が、決められた未来まで続くのなら。

そう、思っていた。あの日までは。

その日、約束の時間に現れたオリバーは、いつものきらきらした光をどこかに置き忘れてきたみたいに、ひどい顔をしていた。ミルクティー色の髪は乱れ、青い瞳は泣き腫らして赤く染まっている。まるで、世界の終わりでも見てきたかのような、そんな絶望を全身で体現していた。

「……オリバー? どうしたの、その顔」

彼は私の問いに答える代わりに、テーブルに突っ伏して、子供のようにわんわんと泣き始めた。震える肩は、見ているこちらが不安になるくらい頼りない。私はとりあえず、メイドに温かいお茶を用意するように言いつけて、彼の背中を優しく撫でた。彼に何が起こったのか? 皆目見当もつかない。

「アイラ……っ、すまない……」

しゃくりあげながら、彼が絞り出した言葉はそれだけだった。何が、とは言わない。ただ、彼の全身からごめん……という感情が溢れ出しているのが分かった。

しばらくして、ようやく少し落ち着いたのか、彼は濡れた瞳で私を見上げた。その瞳に映る私は、きっと困惑した顔をしていたに違いない。

「ローズが……僕の、幼馴染のローズが……」

ローズ。その名前は、私も聞いたことがあった。確か、オリバーが幼い頃に一緒に遊んだという、男爵家の令嬢。体が弱くて、王宮の行事にもほとんど顔を出さないと聞いている。

「ローズ嬢が、どうかしたの?」

「……余命、一年、なんだ」

彼の口から放たれた言葉は、静かな温室の空気を一瞬で凍てつかせた。余命、一年。それは、物語の中でしか聞いたことのない、ひどく現実味のない響きを持っていた。
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