「幼馴染が妊娠したから結婚は無理」彼に嘘をつかれ、婚約破棄の責任を押しつけられた

佐藤 美奈

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第2話

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部屋を出て、長い廊下を歩きながら、誰も見ていないことを確認した瞬間、私は無意識に壁に手をつき、そこで力尽きたようにその場に崩れ落ちた。

「……っ、う……」

息ができない。胸が張り裂けそうだ。涙は、一滴も出なかった。ただ、心にぽっかりと大きな穴が開いて、そこから冷たい風が吹き込んでくるようだった。

信じていた。心から愛していた。彼との未来に、疑いを抱いたことなど一度もなかった。幼い頃、初めてダンスのパートナーとして手を取り合ったあの瞬間、彼の手の温もりは今でも鮮明に覚えている。

木漏れ日の下で、二人で将来の夢を語り合った日々、その時の彼のきらきらと輝く瞳は、今でも目の前に浮かぶようだ。公務で疲れて帰った私に、彼がこっそりと甘い菓子を差し入れてくれた時の、少し照れくさそうな笑顔も心の中で何度も繰り返し思い出す。

『イリアがいれば、僕はなんだってできる気がするよ』

そう言ってくれたじゃない。私なしではダメだと言ってくれたじゃない。あの時、あなたは本気でそう思ってくれていると信じていた。

なのに、今、目の前であなたが彼女を選んだと聞いて、私はどうすればいいの? 全て、あの言葉も、あの約束も、ただの嘘だったの? 私とロザミア、二人を天秤にかけて、私がどれだけ信じていたか、どれだけあなたを愛していたか分かるの?

幸せだったはずの思い出が、まるで鋭いガラスの破片のように、私の心に静かに刺さり痛みがゆっくりと広がっていく。私の世界は、音を立てて崩れていくように感じた。その絶望的な瞬間に、なぜか頭の片隅では不思議と冷静さを保っている自分に気づく。

ああ、これが失恋なんだと漠然と思う。しかし、それはただの失恋という言葉では表現できないほどの、深くて複雑な痛みだった。



婚約破棄から数週間が経った。私は公爵邸に引きこもり、誰とも顔を合わせずに過ごしていた。父であるヴィクトールは私の身を案じ無理にとは言わなかったが、その眼差しには深い悲しみとエリック王子への静かな怒りが宿っていた。

その日、突然、一通の招待状が私の元に届いた。予想もしなかった人物からの手紙だった――差出人はエリック。王家の紋章が押されたその封筒を見た瞬間、胸の奥で何かが急激に揺れ動き思わず吐き気を覚えた。

すっかり忘れかけていたはずの感情が、突如として鮮明に蘇ったのだ。あの忌まわしい過去が頭の中を駆け巡り、何もかもが嫌になり、目を背けたくなるような気持ちになった。

『最後に、君に謝罪する機会を設けたい。友人たちも集まる。どうか、出席してくれないだろうか』

手紙を握りつぶしてしまおうかと、一瞬考えた。どの面下げて、今さらそんなものを受け取る必要があるのか。だが、同時に心のどこかで、ほんのわずかな期待が芽生えていることも否定できなかった。

もしかしたら、彼は後悔しているのかもしれない。まだ何か言いたいことがあるのかもしれない。そんなことを考える自分が愚かで、馬鹿なことだとわかっていた。しかし、それでもその淡い期待にすがりたくなる自分がいた。

だから私は、夜会の準備を始めた。久しぶりに袖を通した豪奢なドレスは、まるで私の心を映すかのように、重く冷たく感じられた。その生地のひんやりとした感触が、胸に湧き上がる感情を一層強く感じさせ、私は不安と期待が入り混じった気持ちで静かに準備を進めた。
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