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第7話
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一方、王都では、エリックが頭を抱えていた。イリアを悪者にして婚約破棄の責任をすべて押し付け、ロザミアとの愛に生きるという選択は、確かに彼に甘美な未来を約束してくれるはずだった。だが、現実はその予想とはまるで違っていた。
彼が描いていた理想の未来は、次第に崩れ落ちていき、どこかに取り残されたような無力感が彼を包み込んでいた。ロザミアとの関係も、想像していたほどに満たされることはなく、むしろその中に漂う違和感が彼をさらに苦しめていた。自分が犯した選択の重さが、今や胸を締め付けるように迫ってきていた。
「エリック王子、この書類、どうなさるのですか?」
「ああ、それは……後で見ておく」
執務室の机の上には、決済を待つ書類が山積みになっていた。これまで、こういった雑多な公務はすべてイリアが完璧に処理してくれていた。彼女は、複雑な予算案や各部署からの報告書を、エリックが目を通しやすいように要点をまとめ、しっかりと分類してくれていたのだ。
しかし、イリアがいなくなって初めて、エリックはその膨大な書類の海に呑み込まれそうになっていた。どこから手をつけていいのか、さっぱり分からないまま、彼は机の上に広がる書類を見つめ圧倒されていた。彼女の存在がどれほど大きかったのか、改めて痛感する瞬間だった。
「ねえ、エリック。退屈だわ。どこかへ連れて行って」
執務室に、甘く優雅な声が響いた。ロザミアの声だった。彼女は、エリックが忙しく仕事をしている間も、何の遠慮もなくお構いなしにこうしてやってくる。彼女の存在は、いつもエリックの集中を妨げ、時にはその甘い声が耳に残り、作業に手がつかなくなることもあった。
しかし、彼女の存在を完全に無視することもできず、そのたびにエリックは内心で苦笑しながらも、少しだけ心を乱されている自分に気づくのだった。
「今は、仕事中なんだ。後にしてくれ」
「まあ、つめたい! 私よりもお仕事が大事なのね!」
ぷいとそっぽを向くロザミア。その仕草は、以前ならば可愛らしく感じられたものだが、今はただ、その無邪気さが神経に障るだけだった。彼女の態度が、どこか無遠慮でエリックの心を逆なでする。
(ロザミア、本当に……うるさいな。イリアなら、こんな時、どうしただろう)
エリックはふと思う。イリアは、彼が公務に集中できるよう、いつも静かに気を配ってくれた。彼女は、どんな小さなことにも気を使い、エリックの負担を軽くしようと心を砕いていた。
そして、もし彼が疲れていると見れば、絶妙なタイミングで熱い紅茶を淹れ、エリックの好きな焼き菓子を用意してくれた。その細やかな心配りが、今となってはますます恋しく思えた。
問題は、公務だけではなかった。先日、隣国からの使節団を歓待する席で、エリックは大きな失態を演じてしまった。使節団の一人が、難解な古代詩の一節を引用して挨拶をしたが、エリックにはその意味が全く分からず、ただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。その瞬間、場の空気が一瞬凍りつき、エリックはその不安を必死に隠すしかなかった。
(あの時、イリアがいれば……)
エリックは心の中でつぶやいた。もし彼女がその場にいたなら、きっと即座にその詩の意図を汲み取り、気の利いた返答で場を和ませてくれただろう。彼女が築き上げてきた各国の要人との個人的な繋がりも、今や彼には何一つ使えなくなってしまった。それを、初めて痛感する自分が愚かに感じられる。
エリックがどれほど、彼女の聡明さに気配りに、そして彼女が持つ広範な人脈に依存していたか。失って初めて、それにどれだけ助けられていたのかに気づくなんてあまりにも遅すぎる。
彼が描いていた理想の未来は、次第に崩れ落ちていき、どこかに取り残されたような無力感が彼を包み込んでいた。ロザミアとの関係も、想像していたほどに満たされることはなく、むしろその中に漂う違和感が彼をさらに苦しめていた。自分が犯した選択の重さが、今や胸を締め付けるように迫ってきていた。
「エリック王子、この書類、どうなさるのですか?」
「ああ、それは……後で見ておく」
執務室の机の上には、決済を待つ書類が山積みになっていた。これまで、こういった雑多な公務はすべてイリアが完璧に処理してくれていた。彼女は、複雑な予算案や各部署からの報告書を、エリックが目を通しやすいように要点をまとめ、しっかりと分類してくれていたのだ。
しかし、イリアがいなくなって初めて、エリックはその膨大な書類の海に呑み込まれそうになっていた。どこから手をつけていいのか、さっぱり分からないまま、彼は机の上に広がる書類を見つめ圧倒されていた。彼女の存在がどれほど大きかったのか、改めて痛感する瞬間だった。
「ねえ、エリック。退屈だわ。どこかへ連れて行って」
執務室に、甘く優雅な声が響いた。ロザミアの声だった。彼女は、エリックが忙しく仕事をしている間も、何の遠慮もなくお構いなしにこうしてやってくる。彼女の存在は、いつもエリックの集中を妨げ、時にはその甘い声が耳に残り、作業に手がつかなくなることもあった。
しかし、彼女の存在を完全に無視することもできず、そのたびにエリックは内心で苦笑しながらも、少しだけ心を乱されている自分に気づくのだった。
「今は、仕事中なんだ。後にしてくれ」
「まあ、つめたい! 私よりもお仕事が大事なのね!」
ぷいとそっぽを向くロザミア。その仕草は、以前ならば可愛らしく感じられたものだが、今はただ、その無邪気さが神経に障るだけだった。彼女の態度が、どこか無遠慮でエリックの心を逆なでする。
(ロザミア、本当に……うるさいな。イリアなら、こんな時、どうしただろう)
エリックはふと思う。イリアは、彼が公務に集中できるよう、いつも静かに気を配ってくれた。彼女は、どんな小さなことにも気を使い、エリックの負担を軽くしようと心を砕いていた。
そして、もし彼が疲れていると見れば、絶妙なタイミングで熱い紅茶を淹れ、エリックの好きな焼き菓子を用意してくれた。その細やかな心配りが、今となってはますます恋しく思えた。
問題は、公務だけではなかった。先日、隣国からの使節団を歓待する席で、エリックは大きな失態を演じてしまった。使節団の一人が、難解な古代詩の一節を引用して挨拶をしたが、エリックにはその意味が全く分からず、ただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。その瞬間、場の空気が一瞬凍りつき、エリックはその不安を必死に隠すしかなかった。
(あの時、イリアがいれば……)
エリックは心の中でつぶやいた。もし彼女がその場にいたなら、きっと即座にその詩の意図を汲み取り、気の利いた返答で場を和ませてくれただろう。彼女が築き上げてきた各国の要人との個人的な繋がりも、今や彼には何一つ使えなくなってしまった。それを、初めて痛感する自分が愚かに感じられる。
エリックがどれほど、彼女の聡明さに気配りに、そして彼女が持つ広範な人脈に依存していたか。失って初めて、それにどれだけ助けられていたのかに気づくなんてあまりにも遅すぎる。
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