マルドゥクの殺戮人形

今晩葉ミチル

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少年のスキル

海面に光る糸

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 オネットとミカエルは海岸を見渡す。
 海面は、天空の星明かりを果てしなく映していた。
「改めて見ると広いな」
「当たり前だ、そう簡単に見つからないに決まっている」
 ミカエルはオネットを睨む。さざ波がせわしなく寄せ返す。
「履き物を見つけて取り入り、より暗殺しやすい状況を作るつもりだったのだろうが、残念だったな。波に流されて見つけられないはずだ」
「取り入るつもりも恩人を仕留めるつもりもないが、もう見つかりそうだ」
「は?」
 ミカエルがオネットの言葉を理解する前に事態は進む。
 オネットが右手を高々と月明りにかざすと、五本の指の先がきらめいた。
 指先の光は細長い形状に変化する。糸となっているようだ。
 糸は枝分かれして、どんどん先っぽを増やしていく。ミカエルには、不気味な生き物が分裂していくように見えていた。
 光の糸たちは急速に海へ伸びていく。
 星明かりとは別の超自然的な光が、海に落とされて揺らめいた。光の糸は更に増えているようである。
「……何をしている?」
 ミカエルはやっとの事で口を開いた。
 見たこともないような光景に、圧倒されていた。
 弱音を吐かないのが精一杯であった。
 そんなミカエルの本音が分かっているのかいないのか。
「知らなくていいだろう」
 オネットはミカエルに見向きもせずに言っていた。自虐的に笑っている。

「マルドゥクからスキル持ちの中では最弱と言われた事があるし、否定するつもりもない。そんなスキルだ」

 オネットが右手を引き寄せると、光の糸たちがたちまちオネットの手元に集まる。
 ハイヒールは両側とも光の糸に絡んでいた。
 やがて光が消えると、ハイヒールが何事も無かったかのようにオネットの手元にあった。

「探し物はこれで間違いないか?」

 オネットが尋ねてくるが、ミカエルは槍を構えて震えていた。

「来るな、死神め!」
「そんなたいそうなものではない。ただのスキル持ちの暗殺者だ」
「うるさい!」
「そんなに大きな声を出したつもりはないのだが……このハイヒールがマリア王女のものなのか、確認してくれないか?」
 オネットが一歩近づく。ミカエルは数歩後ずさった。
 オネットは首を傾げた。
「ハイヒールはおまえか近衛兵に預ければいいのではなかったのか?」
「そのへんにしてやってくれ、ミカエルはお主のスキルの恐ろしさに気付いてしまったのじゃよ。誰にも気づかれずに人を殺せる事にのぅ」
 ふぉっふぉっふぉっと笑いながらスターが歩いてきた。
 ゆっくりとした足取りだが、しっかりしている。
「お主のスキルは”マリオネット”。今回はあえて糸を見えやすくしておったが、見えない糸も作れるのじゃろう? ミカエルが気づく前に、履き物を探しあてるための糸を海に静かに張り巡らせたのじゃろう」
「よく分かっているな」
「うむ、年の功じゃ」
 スターはオネットの前で足を止めた。

「ついでに言っておくと、『マルドゥクの殺戮人形』と呼ばれていたじゃろう?」

「……あまり思い出したくはないが、その通りだ」

 オネットは気まずそうに頷いていた。
 スターは口の端を上げた。
「まっすぐな目をしておる。殺し屋とつるんでいたのが信じられぬのぅ」
 オネットは首を横に振った。
「マルドゥクの命令だったとはいえ、ひどい事をしてきた」
「そうかそうか。そんな身の上でよくぞグローリア王国に来てくれた」
「逃げている途中で海に飛び込んで、偶然流れ着いただけだ」
「天が味方してくれたのかもしれんのぅ」
「死んだら間違いなく地獄行きだったな」
 オネットが自虐的に笑うのを、スターは豪快に笑い飛ばした。
「気にするな! 儂が若い頃には、猛獣も悪党もバッタバッタと倒したものじゃ。人は儂をこう呼んだ。英雄騎士と。気軽にスターと呼んでほしいがのぅ」
「俺の殺しはそれとは違う。罪のない人間を何人も殺めてきた。祖国を守るために必死だっただけの軍人も、戦う力のない親子も、殺してきた」
「儂は相手に罪があるかどうかは考えなかった。ただ、祖国を守るために戦ったものじゃ。殺す事が罪であるなら、儂は大罪人じゃのぅ」
「出会う時が違っていたら、俺はおまえを殺していたかもしれない」
 オネットは唇をかんだ。過去を悔やんでいるのかもしれない。
 スターは心底愉快そうにケラケラと笑った。
「お主とは酒を飲み交わしたいものだが、成人はしておらぬようだのぅ。残念じゃ」
「ああ、私のハイヒールを見つけてくれたの!?」
 マリアが元気よく走ってきた。
 今は着る物も履き物も、茶色い地味なものにしている。また汚してもすぐに洗えるものを選んだのかもしれない。
「すごいわ、本当にありがとう!」
 マリアはオネットの両手を握った。
 オネットは両目を見開いた。
「ハイヒールを受け取るのが先ではないのか?」
「それはそうだけど、あなただってお風呂に入らないと」
「暗殺者を風呂に入れるのですか!?」
 ミカエルが震える手で槍を構えていた。
 マリアは唇をとがらせる。
「いいでしょ、一緒に入るわけじゃないんだから」
「言語道断です!」
「一緒に入らないのが言語道断らしいのぅ」
「スター殿、真面目に止めろ! そのうち刺すぞ!」
 ミカエルは肩で息をしていた。
 スターは首を横に振った。
「オネットはグローリア王国にとって危険人物かもしれない。お主も見たじゃろうが”マリオネット”という恐ろしいスキルの使い手じゃ。そんな人間を目に見えるところに置いておかない方が儂は怖いと思うがのぅ。見えない糸がどこから来るのか分からぬ」
「そ、それは……!」
 ミカエルは視線をそらした。
 口をパクパクさせたが、結局は反論を述べる事はできなかった。
 スターはにやつく。
「そういうわけじゃ、オネット。王城に入ってくれないかのぅ? 儂らの安心のために」
「そんなに怖がらなくてもいいと思う」
 オネットはマリアにハイヒールを押し付けた。
「眠たくなった」
「お部屋なら用意するわ」
 マリアが提案するが、オネットは首を横に振った。
「せっかくだが、外の方が落ち着いて眠れる。猛獣の駆除は万全を期したい。朝にはここに来る」
 そう言って、海岸の岩場に姿をくらました。
 マリアが止める間もなかった。
「本当に良かったのかしら」
「仕方ないでしょう。彼には彼の事情があるのじゃ」
 スターはあくびをした。
「儂も眠くなった」
「そうね。私もよ」
 スターにつられるようにマリアもあくびをした。
「ゆっくり休みましょう」
「僕はここで見張ります。マリア王女はどうぞごゆっくり」
「むやみに人を疑わない方がいいと思うわ」
「常に最悪の想定をするのが騎士の務めですので」
 ミカエルは海岸を見つめた。
 月と星明かりを映した海面が、心なしか静かになっていた。明日の天気は良さそうだ。
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