測量士と人外護衛

胃頭

文字の大きさ
上 下
35 / 45

番外編【初めてのキスの話】

しおりを挟む
first kiss


 ガラガラと少し引っ掛かりのある扉を開ければ、懐かしい匂いがした。
 鼠色のタイルを敷き詰めた床とやけに段差のある土間。壁際の大きなシューズクロークにはフジの父の靴が何足か置かれているだけの状態だ。
 新大陸から戻ってからは他で寝泊まりすることが殆どで、フジはこの家には帰って来ていなかった。今日の為に一週間ほど前に掃除はしたものの、やはり埃っぽい気がする。もっと念入りに掃除しておけば良かったなと少し後悔した。
「あの…どうぞ…」
 今さら考えても仕方ない。おずおずと体を横にズラし、背後にいる人を招き入れれば軒下から大きな一歩。扉を越え玄関の中へと踏み込んだフルフェイスにフジの心臓は早まる。
 (俺の家にエルがいる…)
 慣れ親しんだ我が家に、三十年以上住んでいたこの家に、新大陸で出会い恋に落ちた相手がいる。
 違和感と興奮が混じったような、高まる気持ちを抑え、玄関で立ち尽くすエルを中へと催促するもジッとこちらを見るのでフジは首を傾げた。
「どうしました?」
「…いや…」
「あ!もしかして宇月さんの所の方が良かったですか?ごめんなさい、エルは私と一緒にいるものだと…」
 軍施設内に監禁状態だったエルを迎えに行き、その足でこの家に帰って来たのだがやはり研究所の方が彼には安心するだろうか。
 ここまで送り届けてくれた日高を呼び戻そうとしたフジは「待て」とエルに肩を掴まれ動きを止める。
「私の居場所は貴方の隣だ」
 エルはそう強く言って、それから少し躊躇うように何度か顔を上下させ困った顔で足元を見た。
「靴は脱ぐのだろうか」
「え?」
「すまない…誰かの家と言う所に来るのは初めてで…」
 その言葉にハッとなって思わずフジは顔を歪める。エルは人型になってから研究所と軍施設内に監禁状態だったのだ。外に出るのは新大陸渡航のみ。
 フジの当たり前が、彼にとって当たり前じゃないことになぜ気付かなかったのだろう。こんなにも大切な人を気遣うことも出来ない自分を恥じて咄嗟に謝った。
「ごめんなさい、気が回らず…」
「謝ることはない。常識を知らないのは私の責任だ」
「そんなことは!だってエルは今までずっとあんな狭い所に閉じ込められていたんですから…なのに、俺、貴方のこと…」
 エルを迎えに走ったフジが見たのは、あの時と変わらない愛しいエルの姿と、わずか二畳ほどの狭い狭い監獄のような部屋だ。
 自室だと聞いていたからもう少し広い、いや広くなくても部屋らしい部屋だと思っていたフジは金槌で頭を殴られたような衝撃に駆られた。こんな狭い、テーブルと椅子しか用意されていない牢屋みたいな所でエルを二年も待たせていたなんて。
 エルをあんな所に閉じ込めた奴への怒りと、そんなことも知らずに彼を閉じ込めたままにした自分への怒り。再会の喜びと、後処理のドタバタで一旦横に置いていた強い感情が戻って来たフジの背中を、優しく撫でる大きな手。
「フジ、その話は後にしよう。それより服を借りれるだろうか?出来ればシャワーも浴びたい」
「そう…ですね…」
 室内から動いていないとは言え体が不快なことには違いない。服も汚れているから、と玄関で上着を脱ぐエルにその場で待ってもらいフジは慌てて風呂場まで走った。
 キュル、キュルと二つの蛇口を回し、勢い良く流れ落ちる水とお湯を調節しながら適温を探っていく。これくらいか?エルは湯船に入るのは初めてなのだろうか。少しぬるいくらいが良いのかな。
 狭く深いだけのバスタブはあっという間に湯で溢れ、風呂場全体が湯気でけむる。
 温かな空間でハァ…っと息を吐いた。
 エルがいる。二年振りのエルだ。

 ◇

 アンダーウェアだけになったエルを脱衣所まで案内した後フジはリビングの畳の上で正座して待機した。
 だが、五分もしないうちにソワソワと立ち上がっては風呂場の前を通り、キッチンで時計を見て、風呂上がりのお茶の用意をして、またリビングに戻って、座ってを繰り返す。気が気じゃないのだ。
 新大陸でエルと別れて二年。
 長かったような早かったような。国家転覆は大きな流れで見れば簡単に進んだが、実際は複雑でやる事がとにかく多かった。国内を治めた後も、腐った政府の人間の最後の足掻きとも言えるような諸外国を交えた小競り合いを終え、ようやく情勢が落ち着きやっとエルを迎えに行けた。
 久しぶりに会ったエルはあの時と全く変わらなかったが、やはり二年と言う月日を無かったことには出来なくてどうしても緊張してしまう。
 あの時はどうやってエルと話していた?距離間は?言葉遣いは?出会った頃よりフジは二歳も老けてしまった。もうアラフォーと呼べる年だ。エルは人間で言えば十二歳になるのか。やっぱり犯罪臭がする。風呂から上がったエルにまずなんて声かけようか。言いたいことは山ほどある、まず、まずは…
「フジ」
 グルグルと思考を巡らせていれば聞こえて来たエルの声にフジはパッと顔を上げる。
 タオルを手にしたエルが立っていた。
「すみません気付かず…!」
「いや大丈夫だ」
「あ…服、やっぱり小さかったですね…」
 念の為に大きめの服を用意していたのだが、やはりエルには小さいようで少し丈の短いスウェットになってしまっていた。つんつるてんのその姿が可愛くてフジは思わず笑みが溢れてしまった。
「やっと笑ったな」
「え?」
 部屋に入り膝を付いたエルがフジの顔を覗き見る。
「先ほどから謝ってばかりだ」
「そんな…いや…そうでしたね…」
 気まずそうに目を逸らすフジの頬をエルはゆっくり撫でた。肌が少し荒れている。記憶の中より少し痩せただろうか。
 新大陸では飢えさせることがないように腹いっぱい食べさせていたつもりだったから、この二年のフジの苦労が計り知れる。
 会いたかった、ずっと。
 毎日毎日思い出さなかった日なんてない。外の様子はそれとなく把握していたがフジの姿は追わなかった。愛する人に待っていてくれと言われて待たない男ではない。フジが迎えに来ると言ったのだから信じてあの場所で待ったのだ。
 久しぶりのフジは変わらず美しいがどこか他人行儀だった。緊張か、嫌われたか…それはないな。
 ならば、と考えて恐らく二年待たせたことへの罪悪感だろう。
「貴方を待つと決めたのは私なのだから謝らなくていいんだ、フジ。それよりももっと聞きたい言葉がある」
 目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、エルの八つの赤い目が熱を帯びてフジを見た。
 いやずっとだ。再会した時からずっと、エルはこんなにも強く訴えてくれていたのにそれに気付いていなかったのは間抜けな自分にフジは呆れるしかなかった。
「エル…会いたかった…!」
「ああ、私もだ」
 胸元に飛び込めば強く抱きしめ返してくれる風呂上がりのまだ温かな体、エルの匂いがいつもと違う。フジの家の匂いを纏った体が不思議で、だけど嬉しくて、エルの胸元に額を押し付けた。
「エル…!エル!」
「フジ」
 フジはなんて言えばいいのか分からなくて、助けを求めるみたいにずっとエルの名前を呼んで腕の中の彼を離すまいと抱き締めた。
 二人がこれからも一緒に居られるように離れていた間、フジは忙殺され思考をエル以外に持って行かれることが多かった。だがふとした瞬間にエルを思い出すと体の半分を失ったような血の気の引く感覚。終わりのない真っ暗なトンネルを彷徨い続けているような不安。
 そして果てしない孤独が襲うのだ。
 怖い。
 エルがそばに居ないことがこんなにも、怖い。
 それでも離れたのは自分からだと心を奮い立たせ、エルの為に反逆者として大手を振って歩き続けた。
「怖かった…っ、貴方が隣にいないと…!おれ!ずっと、ずっと不安で…!」
「ああ、ああ。私もだ。フジのいない毎日は、貴方にまた会える日を迎える為の時間経過に過ぎない。フジ、顔を見せてくれ」
 再び頬に手を添えられ、促されるように上を向けば溜まっていた涙が重力に従い落ちていく。エルの綺麗な赤に情けない自分の顔が反射していた。
 知らなかった。
 エルを見る時の自分はこんなにも幸せそう表情をしているんだ。
 二人の間の時が止まって、また少し動き出す。
 エルの顔が近付いて来るのを感じて、キスされると気付いてしまった。
 心臓が口から飛び出しそうなほど痛い。
 あの時とは違う。エルに頭突きする為に誘き寄せたあの時の罠とは違って明確に二人の意思は同じはず。
 エルの吐息が、もう、すぐそこに。
 
 ――ゴーン、ポッポー、ポッポー、ポッポー
 
 ピタリと動きを止めエルが壁時計を見た。小さな鳩が時計上部の小さな窓から出たり入ったりを繰り返し、時間を部屋中に知らせた。
 どうやら鳩時計を初めて見たらしい。驚いたようにそれを眺めているエルの隣でフジは頭を抱えた。
「これは?」
「…カ、カラクリになっていて…時間をこうやって知らせてくれるんです。母の趣味で…」
「人間は面白いことを考えるな」
 すくりと立ち上がり、興味深そうに時計に近づくエルにどこか惜しい気持ちがありながらもフジはホッと息を吐いた。
「私もお風呂に入って来ますので…あの、ゆっくりしていて下さい…」
 バクバクと鳴る心臓を抑え震える声でエルの背中にそう言った。

 ぽちゃん、と湯船に落ちる水滴の音。
 フジは真っ赤な顔を手で覆って先ほどの光景を思い出した。
「うっ…胸が痛い…」
 キスだ。キスをしそうになった。
 今日はこの家にエルが泊まる。二人きりだ。つまり、キスもするしキス以上のことだってするはずだ。
 新大陸では地図作りと父のこと、地球のこれからのことなんて大それた事ばかりに気を取られ恋人らしい接触はあまり出来ていなかった。最後の方に色々とエロいことはされたが、あの相手はエルであってエルではない。ならば今日することが全て二人の初めてになる。
 何か事前に準備をした方がいいんじゃないかとフジは気を揉んだが、そう言った相談すると日高に強く止められた。
――絶対に何もするな。
――いやでも男同士だと色々と準備がいるって聞いたことはあるし。だったら先に一人でやっておいた方がいいんじゃないか?
――駄目だ。エルは人類ひいては地球にとって要となる存在なんだぞ。これからきっと色々と働いてもらうことになる。
――うん。俺も手伝うつもりだけどエルの負担がやっぱり大きくなるよな…だからこそ煩わせないように拡張とか、練習とかしておいた方が…
――馬鹿かお前は。だからこそ少しでも楽しみはとっておいてやらないと報われないだろ。
――楽しみ…?
――いいか総一郎、準備はなしだ。
――でも…
――絶対に、何も、するなよ!
 珍しく念押しして来る日高の圧に思わず頷き、言われた通り何も準備などして来なかったが今になってフジは後悔した。準備はせずとも知識くらい入れておけば良かった、と。
 ドキドキを通り越してドッドッドッと胸が激しく鳴る。キス、キスってどうするんだ?唇を合わせて、舌を入れるのは流石に知ってる。それから?
「わかんない…」
 エルは知ってるのだろうか、キスを。
「フジ」
「は、はい!!」
 扉の外から呼ばれた声に驚いて立ち上がる。すりガラスがあるとは言え、エルのシルエットが見えてこちら側も同じように見えているのだと気付きフジは慌てて湯船に戻った。
「驚かせてすまない。なかなか戻らないので心配になって」
「え!私そんなに入ってましたか?」
「50分は経っている」
「そ、そんなに…」
 すぐに出ます!と声をかければ遠去かる気配にホッと息を吐き、ふやけた自分の指を見て思わず苦笑した。

 和室で正座して待つエルはちょっと面白い。リビングに戻ってその姿を見たフジは緊張混じりに少し笑って、エルの向かいに座った。
 テーブルの上に置いてある自分で準備したお茶で喉を潤し、湯船の中で色々とシュミレーションしたのだが言葉が上手く出ない。ガラスコップを意味も無く触って、持ち上げて、置いて。
 チラリとエルを見れば目が合った。
「緊張しているのか」
 図星を突かれ、恐らく分かりやすかったのだろう自分の態度に恥ずかしくなる。風呂上がりも相まって顔が熱い。パタパタと手で仰ぎ「はい…」と情けなく笑えばエルも微かに笑った。
「私もだ」
「エルも?」
 そんな風には見えずフジは目をぱちくりさせる。
「貴方と過ごした時間より離れた時間の方が長くなってしまった。貴方を忘れた日はない。鮮明にその笑顔も体も匂いも全て覚えているが…やはり実物は、もっと美しい」
 その言葉に目の奥が熱くなってじわりと視界が滲んだ。フジは震える口をきゅっと結んで、少し落ち着かせるようにひと呼吸してゆっくりと話す。
「おれ…おれもっ、エルのこと忘れた日はありません…」
「緊張するのは仕方ない。それだけ想い合っていたと言うことなんだろう。だが我々が過ごした時間が無くなった訳じゃないんだ、少しずつお互いを思い出して行こう」
 コップを触っていた手を取られ指先を掴まれる。水滴で濡れたフジの手でエルの手を濡らしてしまったと頭の隅で考えながらも、久しぶりの接触にドキリと胸が鳴る。
 荒れたカサついた自分の指に黒く綺麗なエルの指が絡み付いた。爪と指の境目を撫でられそのまま人差し指、中指、薬指と確かめるように触られて体が少し揺れる。
「んっ…」
「擽ったいか?」
「少し…ふふ、触って何か思い出せましたか?」
「ああ。貴方のことが愛おしいと改めて」
 指と指を絡め合いお互いの体温を感じた。手のひらが汗ばんで折角風呂に入ったのにエルを汚してしまう気がして、思わず手を引いたが離すまいとより強く握られる。エルの手に力が籠った。もう片方の手をテーブルに付き、上半身を乗り上げたエルの顔が近付いた。
「フジ、そちらに行っても?」
「は…はい…」
 離そうとした癖に、離れて行く指を名残惜しいと思ってしまう。しかしすぐにこちら側に回って来たエルがまた強く、今度はフジの両手を握った。子どものお遊びのような手の握り合いだがそれでも今のフジには充分な刺激で、その温かな戯れが徐々に強張っていた心と体を解いてくれる。
 最初はこうしてよく手を繋いでいたものだ。
 ぬかるみ足場の悪い川沿いをエルに支えて貰いながら歩いた。山道も、獣の多い道も、平坦な道もフジの体力を気遣って手を引いてくれた。
 心が通じ合って、でもその時にはすでにファイが一緒にいた。あの子は賢い子だから人の言葉が分かる。そんな仲間の前であまり性的な接触をする気にはなれなくて、それに外と言うこともあって旅の道中は手を繋ぐことくらいしかしていなかった。
 でも今は二人きり。
 するりとエルの手がフジの手首を撫でピクリと肩を震わす。皮膚の薄いところはどうにも敏感だ。
「細いな」
「っ、ん…」
「折れてしまいそうだ」
「ふ…つうですよ…ッ、それに…宇月さんの方が細いでしょう?」
「確かにあの人は枝みたいな体をしている」
「言い方…」
 仲が良いからこその軽口なのだろうと笑っていれば、ゆっくり、ゆっくりとエルの手がフジの腕を上がって来る。手首から、肘、Tシャツの袖口に侵入して二の腕を触り、脇を撫でられ身を捩って笑う。
「あははっ、擽ったい!」
「ふふ」
「っ、はは!やめて!あはは!」
 そのままこしょこしょとくすぐられ、嫌ではないが体が勝手に抵抗してしまう。
 エルの手を退けて、逃げるように立ち上がり、和室から階段へと駆けた。笑って振り返ればエルも追いかけて来るのでトタトタと階段を上がり、突き当たりの部屋に入れば懐かしい自室。もうしばらくは使っていない。父と二人になってからは殆ど下で生活していたから。
「フジ」
「わっ!」
 過去の記憶に更けていれば背後から大きな腕で抱き締められる。
「貴方の部屋か」
「分かりますか?」
「この部屋だけ貴方の匂いが強い」
 そうなのか。フジには全く分からなかったがエルが言うのならそうなのだろう。何しろ彼はフジの匂いを追って遠く離れた、未だにどこに位置するかも分からない未知の新大陸から海を越えてこの国にやって来たのだから。
「大人になるまでこの部屋を使ってましたから」
 窓辺に置かれた勉強机に座っては外の景色を眺めたものだ。あの山には何があるのか、あっちの街には何があるのか、そんなことを考えて宿題なんかに手を付けず妄想の世界で旅をした。祖父と父と色んな街を歩き回ったことが本当に楽しくて、今度はいつ行けるかななんてワクワクしていたがそんな日はついぞ来なかった。
 窓から眺める景色はもう随分と悲しくなってしまった。
「フジ」
 名を呼ばれ顔を持ち上げればちゅっと額に熱を感じ、フジはポカンとした。いま、なにを…え、キス?
「え!」
「嫌だったか?」
「嫌だなんて…!ただ驚いて…」
「緊張はそろそろ解けただろうか」
「ええ、随分と…」
 くるりと向きを変えられて、膝裏に両手を差し込まれ抱き上げられる。高くなった視界と不安定な体勢に驚く間もなくそのままベッドまで運ばれ、そっと優しく置かれた。エルは床に膝を付きベッドに座るフジの手を取ると、真っ直ぐとこちらを見た。
「フジ、貴方とキスがしたい」
 ストレートな物言いにやっぱりちょっと笑ってしまった。こう言う時は雰囲気とか、その場の空気でキスをするものじゃないだろうかとも思うがやはりこの方がエルらしい。
「私も…エルとキスしたいです」
 恥ずかしがらずにきちんと言葉で返さなければ。
 握られた手をギュッと握り返して言えば、近付いてくるエルの顔にフジは目を閉じた。
「んっ…」
 人肌を唇に感じて、そっと離れる。
 目を開ければ真っ赤な八つの目が揺れ動いていた。
 また目を閉じて、熱を感じて何度も何度も唇を合わせた。キスのやり方なんて知らないけど本能のままに口を合わせて、無意識に舌を絡め合っていた。
 唇よりもずっと熱いエルの舌を咥内に迎え入れ、フジの舌もエルの口の中へと運ぶ。弄り合って、また離れて。その繰り返し。正しいかなんて分からない、ただお互いを貪り合うように唇を重ねた。
「ふっ…ん…ぁ、える…はぁっ、んんっ」
 膝を立てた体勢でキスをしていたエルが、どんどんと体を低め床に座ってしまった。ベッドにいるフジの顔を掬い上げるように口を合わせて来る所為で、フジは自然と下を向いてキスをすることになる。
「え、る…こっち、座って…んっ、ぁ…」
 重力に従い、キスをすれば彼の中に絶えず流れ落ちる唾液が恥ずかしくて、同じ位置に座って欲しいと催促するも口を塞がれまた唾液を奪い取られてしまう。
「はぁっ、える…んっ、この体勢だと…あの……」
 唾液が、とは何となく言えなくて、モゴモゴと躊躇っていれば「ん?」と声だけで尋ねられる。
「んっ…ふ…ぁ、ん…だから…んっ、んん…」
 捩じ込まれた舌で言い淀む口を開かれ、咥内を激しく犯される。ダラダラと溢れる唾液を舐め取られゴクリとエルの喉が鳴った。
 その音に顔がカッと熱くなるのが分かった。
 トントンと肩を叩いて離してくれと訴えかけるのにエルの口は離れず、むしろ深まる。ならばと顔を後ろに引いて逃げれば、追いかけられそのままぽすりとベッドに倒れフジの上に乗っかる形になったエルを見て笑った。
「逃げたな」
「貴方が言うこと聞いてくれないから」
 わざと唾液を飲んでるのに気付いたフジは、今度はエルが上になるような体勢へ変えてやりそっちの番だと目を細める。
「おれだって…エルの全部、ほしいです…」
 するりとエルの首に腕を回してみても、長年彼を縛っていた忌まわしい拘束具はもうない。それが嬉しくて、つい首の後ろの出っ張った骨を撫でてしまう。
 エルはもう自由だ。
 自分の方に引き寄せて早くとキスを強請れば、落ちて来る唇にフジは必死に食らい付いた。エルの舌が、口の中が、全て注がれて頭がクラクラする。酸素が足りない。興奮してる。もう随分と触っていない下半身が熱を帯びて痛い。
「フジ勃ってる」
「だって、ぇ…んっ、ん…ぁ、はぁ…あっ…」
「可愛いな」
「かわいくは…っ、ん…はあ、んんっ」
「いや、貴方は可愛い」
 四十近い男を前にこの人は何を言っているのかと呆れたが、自然とそれを受け入れられた。好きな人は可愛い。それは確かに今のフジには理解できることだ。
 ファイやクレスに感じる可愛いとはまた違う感情。
 愛おしくて、たまらなくて、泣きたくなるほど強い気持ち。
 この人に抱かれたい。
 一つになって、もう離れないと体に教え込ませて欲しい。
「エル、エル…触って、っ、おれ…」
「ッ、フジ」
「ん、っ、んん…はぁ、ぁ…んっ…」
 それなのにエルが与えてくれるのは口付けばかりでフジの下半身は寂しそうに泣く。
「んっ、ぁ…さわってよ、える…」
「今日はもうこれだけにしておこう。疲れているだろう?」
「そんな…!大丈夫です!一応必要な物だけは準備してて…」
 ベッドの下からこっそりと買っておいたローションとゴムを取り出せば、ピシリと固まるエルにフジはハッとして焦る。これでは今日セックスする気満々でした!と言ってるものじゃないか。
「えっと、あの、念の為!念の為に用意してたもので…あの…んっ」
 あわあわと言い訳する口にキスをしてエルは笑った。
「エッチだな」
「ううっ…」
 言い返す言葉もない。
 確かに、エッチだ。こんな触り合うことばかり考えて。
 エルと離れてる間も新大陸で弄られた体が時折り疼くのだ。性を知らずに三十年も生きて、これからも知らずに生きて行くと思っていたの。それでも構わなかった。性欲はあまりなかったし、一人でするのもただの処理だ。
 なのに、こんな。エルの所為なのに。
「フジ、急ぐことはない。今日からはずっと一緒なのだから」
 でも…と言いかけて頷いた。自分だけがいやらしく体を求めてるみたいで恥ずかしかったから。
 ベッドに座り二人分の体重でギシリと音を立てた。もう長いこと使ってるからあちこちガタガタで、このままエルと寝るのは不安だな。
「少し寝て、起きたら食事にしよう。そしたらまた…だから今は休むんだ」
 ゆっくり横に倒されて、フジが寂しげにエルを見上げれば同じく横になってくれた。軋む音がするけれど不思議とベッドはぐらつかないのはエルが何かしたのだろうか。
 こんな高まった気持ちのまま寝れる訳ないと思っていたが、横になりエルに抱き締められると自然と眠気が襲って来る。確かにやっと全部が終わったばかりだった。いや、終わりじゃなくて始まりなのだが、とりあえず大きな問題はひとまず終わりを迎えた。
「フジ、お疲れ様」
 エルがいる。
 それだけでこんなにも心強くて安心する。
 手足がじわりと温まり、全身に広がって瞼が重い。まだ、まだ寝たくない。エルともう少しだけキスをして、熱を感じたい。だけどもうすっかり思考もまばらで、体が柔らかな泥の中にずぶずぶと入っていくようだ。
「える…」
 愛してる、その言葉は言えないままフジは眠りについた。夢の中でもう一度エルとキス出来るように願って。


 

「……はぁ…」
 規則正しい寝息が聞こえ、止めていた息を吐き出すとエルはかっくりと首を折った。
 考えていた、檻の中で。色んな書物を漁りながら性行為について精力的に知識を取り込んで分かったこと、標準より大きな陰茎は受け入れる側の負担がでかい。
 まず肛門と、それから直腸の拡張。新大陸で少しフジを弄ったが、あの時の彼の反応を見る限りアナルで快感を得る才能はあるらしい。ならば受け入れても平気なほど柔らかくして、中を拡げて、絶対に痛くないようにしてあげなければならない。
「後は…結腸か」
 フジと出会うまで経験したことがなかった勃起。フジは何かとエルを十歳だ子どもだと言うが体は成人男性と同じように勃起もするし射精も可能だ。だが人間と違い多少ならば制御が出来るし、フジのこと以外で勃ち上がることはない。故に朝勃ちも夢精もこれまでエルには無縁だった。
 ひとり、あの部屋に残されて、試しにあの日のフジを思い出した。顔も体も真っ赤に染めて、涙を溢れさせながらエルに助けを求め、淫らに喘ぐフジの姿。むくむくと血液が集まり熱を帯び勃ち上がる自身はおおよそ二十一センチ。
 挿入は不可能ではない。が、全てを挿れるとなると必ずフジの奥の奥、結腸まで届くだろう。全部挿れなければ良いのかとも考えたがそれは無理だ。中への侵入を一度でも許されてしまったら、彼の最奥まで埋めなければきっと自分は気が済まない。
 そうして例えフジが気絶しても、もう無理だと音を上げても、腰を振り続け彼が孕んでしまうほど愛液でいっぱいに満たしてやるのだ。
 だからこんな薄汚い欲望で傷付けないように。
 結腸まで届かせてもフジが気持ち良くなれるように、これから体を開発していこう。
「フジ……」
 それはエルの楽しみでもあり、地獄でもある。
 我慢し続けなければならない。
 爆発しそうな劣情を耐えて、耐えて、フジの体が花開いたその時は――……
「んっ…え、る…」
 小さく溢れた寝言に胸が締め付けられる。
 この美しい人を自分の手でいやらしく、淫らな体に変えていくのだ。ゾクリと震えた。それと同時に、こんな凶暴なまでの欲を拒まれたとしたらと想像して怖くなった。
 ヒリつく唇を触る。何度もキスをした所為で少し腫れたらしい。初めての感覚、でもそれはフジとじゃなければ知り得なかったこと。
「馬鹿だな」
 フジに正体を明かしてしまえば嫌悪され、逃げて行くだろうと怯えていたあの時とまた同じことを考えている。愛して欲しい癖に最初から無理だと諦めて、それなのに少し期待して。
 フジならば受け入れてくれるだろうと心のどこかで分かってはいる。
 分かっては、いるのだ。
――お前…最初から俺を殺す気だったんだろ!
――殺さないで…!殺さないでくれ!!
――殺される前に殺すんだ!これは正当防衛だ!
――近寄るな!!気持ち悪い…化け物め!
 拒まれ続けた痛ましい過去を塗り替えるほどの色鮮やかな恋をした。だけどこの頭に鮮明に残る記憶はどうしたって消えやしない。
 弱虫で、臆病で、こんな情けない男の考えを知れば彼はどんな顔をするだろうか。
 きっと仕方ないなと困った顔をして、それから。
――受け入れますよ、貴方の全てを。
 春の暖かな日差しみたいな優しい顔で馬鹿だなと笑い飛ばすのだろう。
 それでも、私は。
 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ムチを持つ執事とローターをアナルに咥えたドM王子

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:40

【完結】もてあそびながら愛してくれ

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:106

第八皇子は人質王子を幸福にしたい

BL / 連載中 24h.ポイント:3,686pt お気に入り:1,029

アダルトショップ

BL / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:73

竜の国の人間様

BL / 連載中 24h.ポイント:1,775pt お気に入り:2,273

魔族に捕らえられた剣士、淫らに拘束され弄ばれる

BL / 連載中 24h.ポイント:291pt お気に入り:75

白猫は宰相閣下の膝の上

BL / 連載中 24h.ポイント:7,811pt お気に入り:913

片思いの先輩に

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:78

僕の家族の執着がすごい件について【休みの日更新⠀】

BL / 連載中 24h.ポイント:3,216pt お気に入り:3,016

処理中です...