Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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5月

2.

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 ジュース一杯では帰れそうもなく、そしてお酒に強くなさそうな顔なのにビール1本開けても酔った風もない男に潰すのは難しいと千晶は諦めた。

 赤の存在感たっぷりの大瓶を前にデリバリーを取ろうかという言われ、あるものでいいからと応えてお茶を濁したら、なぜか千晶がキッチンに立っていた。
 もちろん『あるものでいい』は『お構いなく』で、食事をするほど長居はしないという意味だった。

 冷蔵庫には見事に生鮮食品が無い。よく言えば合理的なタイプなんだろう。冷凍庫にあったキッシュやオードブルを温め、その他あるものを適当に混ぜ混ぜすることにした。

 (私なにやってんだろ、)こんな時に限って電話のひとつも鳴らない。彼の言う『ご飯食べてくでしょ』が『はよ帰れ』の意味だったらよかったのに。

 彼は手伝いながらも隙あらば手の離せない千晶の後にまわって、調理のために軽く結った髪に手をやり首筋に軽く触れる。
 髪から耳のうら、首、胸元へと鼻先が触れ、もう片方の手が腰にまわる。
 こんな人だったかな、と千晶は思いながらも口には出さずじゃれついていくる男にかまわず、料理――といえるかどうかはともかく支度の手を緩めななかった。

「テレビをつけてもいい?」
「いいよ、何か観てるのあるの?」
「ううん、うちにはテレビないから」
「そう、CSも少し入ってるから好きなの観てよ」

 地上波、ニュース、スポーツ、ドラマ、……選んだのは外国映画。纏わりつく存在の気が少しは逸れることも願って。
 その存在はどう思ったか映画館のように照明を落として音響のスイッチを入れてくた。

「ちょっと、観てるんだってば」
「聴いてるよ」

 字幕を追わなくてもいい彼は自由だ。ニュースや男性の好むスポーツにするべきだった。全く離れる気配がなくて、千晶はため息をひとつ。
  
 なぜかあった冷凍のかぼちゃと枝付レーズンでサラダをつくりながら、本当に人の家でなにやってるんだろうと千晶は思う。高そうなキッチンの使い勝手が気になったといえは気になったのだけれど。
 それでも纏わりつくこの香りは暖かい。 

「汗かいたかもだからほんとにやめて」
「くさくないよ、なんだろ、においしないな」
 千晶の首筋を生暖かいぬめりがせりあがる。
「わっぁ」
「味もしない、なんだろ質感がいい」
「ヘンタイ」
 千晶のウエストをなぞる手がブラウスの隙間から肌に触れ――たところで
「三大欲求は同時に対応できないんだってね」
「試し――」終わりまで言わせず、耳から輪郭へと味わう口元へ手元のレモンを押し付けて応戦する。
「酸っぱ」
 思わず顔をしかめた存在に茹でたパスタにアンチョビとザワークラフトを合わせるように指示し、千晶はデザートに瓶詰フルーツとヨーグルトを合わせて盛り付けた。
 片手にナイフをちらつかせて。

「お食事いただきましょうね」
「…いただきます」

 カウンターのスツールで隣に並んで食べる。向かいのリビングのテレビに向かった形だ。

 うん、美味しい。あり合わせなのにおいしいのはやっぱり素材のおかげ、よく知らないけど普段見かけないパッケージだったしきっといいものなんだろう、食事中は品よく静かに食べる隣に安心しながら千晶も味わって食べた。

 
 キッシュとオードブルの残りを持って、リビングに移動して映画の続きを観る。ポップコーンはないけれどビールとジュースを追加しながら――彼も千晶も画面からなんとなく目が離せないでいた。画面のむこうの世界ではそれぞれの満たされることない渇望が描かれていく。

 隣の男は食欲が満たされたせいかおとなしく観ていた。しばらくは。

 ちょっと冷えてきたねと千晶が口にしたのが間違いの元で、彼が毛布を持ってきてくれた所までは良かった。一枚の毛布を二人で掛けオットマンを引き寄せたあたりからおかしくなったのだ。

「さっきみたいにおとなしく隣に座っててよ」
「このほうが暖かいよ」

 前が後の存在に言う。さっきまで横にいた男はひょいと千晶を前にずらし、後ろへ回り込んだのだ。後の手は前のお腹に回って組まれ、片脚の膝は立て、もう片方の脚はオットマンに投げ出されている。

「だから観てるんだってば」
「知ってる」後が前の肩に頭を乗せ答える。
 首筋に生暖かい感覚が追加される。舐めるな。
「この状況で手を出さないのはレディに失礼だよね」
 廻り込んだ手がさわさわと腰をさする。
「全然、むしろヘンタイ紳士がサルになり下がるだけだよ」

 大人しくなった再び手が元に戻り、千晶の腹の前で軽く組まれた。そして後ろは距離を詰める。

「…なんか当たってるんだけど」

 いつからアレがソレに変形したのか、前後の距離に隙間がわずかになると、前の腰の下あたりにだけ密着するものを感じた。今度は後はソレを前の腰のあたりにこすり付け始める。

「ふーん、うっかりしてうっかりするつもりかもしれないけど、うっかり勢い付けると折れるらしいよ」
 (…いまちょっとひゅんってなった)
 遠回しに言った意味はちゃんと通じている、でも、しっかりと念を押しておこう。
「すーーーーーっごい痛いらしいね、トイレもすっごい大変だって。ちょっとしたはずみで簡単に折れるってよ」
「脅かさないでよ」
「ああ、違った、そんなに簡単に折れないよね。にはちゃんと骨が入ってるんだったね」
「……」
「人間は気をつけないとねぇ、完全には元に戻らないこともあるらしいよ」
 前の手が後の頭を撫でながら呟いた。
 犬のしつけは最初が肝心だ。
 映画も満たされることのない渇望を映している。
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