愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀

文字の大きさ
15 / 16

15.

しおりを挟む
 数秒後、リュカはようやく声を出すことができた。

「ど、どうしたんだ、エーヴ。この俺が困っているんだぞ? 試験の範囲を教えるくらい……」
「私もおおよその見当はついていますが、実際に当たっているかどうかは分かりません。もし外れていればリュカ殿下は、『使えない女だな』と私をなじるでしょう?」
「そんなこと言うと思うか? 私が君をどれだけ愛しているのか、分からないのか……!?」

 まさか拒否されるとは思わず、リュカは青ざめながら問いかけた。
 だがエーヴは笑顔のまま、

「だって前例がありますので」
「前例?」
「以前、ブリュエット様が予想された試験の範囲に多少ずれがあった時、あの方に『使えない女』に仰ったそうですね」
「そ、それはブリュエットだったからだ。君にそんなことを言うはずがないだろう!」
「そう仰られても、咎められない保証はどこにもありませんので」

 怖い、とリュカは初めてエーヴに恐怖を抱いた。
 満面の笑みを浮かべてはいるが、その下に隠されているのは強い拒絶だ。
 どれだけ変わってしまっても、自分への愛だけは不変だと信じていたのに。
 だがリュカの絶望はまだ終わらない。

「どうしてもどなたかの力をお借りしたいのなら、マチルド様を頼られては如何でしょう?」
「な、ぜその名を……」

 あの胸が大きいことだけが取り柄の女の名だ。
 愕然としていると、エーヴはようやく笑みを消した。
 そして悲しみと後悔が綯交ないまぜになったような表情で、リュカを見据える。

「……マチルド様を見ていると、かつての私を思い出します。無知で愚かで、おぞましい女でした」
「待つんだ、エーヴ。君は何か誤解をしている。俺は君以外を正妃にするつもりはない。マチルドはただの遊びなんだよ。君が勉強ばかりで俺を全く相手にしてくれないから……」
「でしたら、何故私を正妃にすると仰ったのですか? 側妃であれば、私は妃教育を受ける必要などなかった」
「……俺を恨んでいるのか?」
「いいえ。リュカ殿下のおかげで、私をここまで成長させてくださったブリュエット様に出会うことができましたもの」

 深々と頭を下げられる。
 だが彼女が一番感謝している相手は、自分ではない。
 その事実に、リュカの顔が歪む。
 エーヴにすら見限られた悔しさ、悲しみ、憎しみ。
 売女ばいたのような女が産み落とした汚らわしい女のくせに、王族の自分を捨てるというのか。

「は、はは……君はブリュエットに洗脳されているんだ、エーヴ。そうじゃなければ、そんな馬鹿なことを言うはずが……」
「殿下、これ以上は勉強の妨げになりますので!」

 家庭教師と部屋の外に控えていた兵士が、リュカを部屋から無理矢理連れ出す。
 王太子相手とは思えぬ手荒さで。

「待ってくれエーヴ! 目を覚ませ! 君を愛してやれるのは俺しかいないんだ! なぁってば……!」

 遠ざかっていく男の声に耳を傾けながら、エーヴは瞼を閉じる。
 彼との楽しかった思い出に浸るように。
 そして別れをするように瞼を開き、窓の外に広がる黄昏の空を瞳に映した。


 これがエーヴとリュカの、最後の会話だった。

 
しおりを挟む
感想 107

あなたにおすすめの小説

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

私を見ないあなたに大嫌いを告げるまで

木蓮
恋愛
ミリアベルの婚約者カシアスは初恋の令嬢を想い続けている。 彼女を愛しながらも自分も言うことを聞く都合の良い相手として扱うカシアスに心折れたミリアベルは自分を見ない彼に別れを告げた。 「今さらあなたが私をどう思っているかなんて知りたくもない」 婚約者を信じられなかった令嬢と大切な人を失ってやっと現実が見えた令息のお話。

【完結】「めでたし めでたし」から始まる物語

つくも茄子
恋愛
身分違の恋に落ちた王子様は「真実の愛」を貫き幸せになりました。 物語では「幸せになりました」と終わりましたが、現実はそうはいかないもの。果たして王子様と本当に幸せだったのでしょうか? 王子様には婚約者の公爵令嬢がいました。彼女は本当に王子様の恋を応援したのでしょうか? これは、めでたしめでたしのその後のお話です。 番外編がスタートしました。 意外な人物が出てきます!

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

いつまでも変わらない愛情を与えてもらえるのだと思っていた

奏千歌
恋愛
 [ディエム家の双子姉妹]  どうして、こんな事になってしまったのか。  妻から向けられる愛情を、どうして疎ましいと思ってしまっていたのか。

元婚約者は戻らない

基本二度寝
恋愛
侯爵家の子息カルバンは実行した。 人前で伯爵令嬢ナユリーナに、婚約破棄を告げてやった。 カルバンから破棄した婚約は、ナユリーナに瑕疵がつく。 そうなれば、彼女はもうまともな縁談は望めない。 見目は良いが気の強いナユリーナ。 彼女を愛人として拾ってやれば、カルバンに感謝して大人しい女になるはずだと考えた。 二話完結+余談

あなたが捨てた花冠と后の愛

小鳥遊 れいら
恋愛
幼き頃から皇后になるために育てられた公爵令嬢のリリィは婚約者であるレオナルド皇太子と相思相愛であった。 順調に愛を育み合った2人は結婚したが、なかなか子宝に恵まれなかった。。。 そんなある日、隣国から王女であるルチア様が側妃として嫁いでくることを相談なしに伝えられる。 リリィは強引に話をしてくるレオナルドに嫌悪感を抱くようになる。追い打ちをかけるような出来事が起き、愛ではなく未来の皇后として国を守っていくことに自分の人生をかけることをしていく。 そのためにリリィが取った行動とは何なのか。 リリィの心が離れてしまったレオナルドはどうしていくのか。 2人の未来はいかに···

不貞の末路《完結》

アーエル
恋愛
不思議です 公爵家で婚約者がいる男に侍る女たち 公爵家だったら不貞にならないとお思いですか?

処理中です...