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1巻
1-3
それから数時間後。救護兵の方々がやって来たころには、怪我人の手当てはほぼ終わっていた。
比較的軽傷の人たちが手当てを手伝ってくれたり、瓦礫の中に埋まっていた人たちを助けてくれたりしたおかげだ。
アルさんも、手が使えない代わりに薬の塗り方や包帯の巻き方をみんなに教えて回ってくれたのも大きい。
「……あれ?」
そういえば、アルさんとハルバートさんの姿が見当たらない。さっきまで、一段落したからって休憩していたのにな。
「そういえばあの人もいない……」
ハルバートさんに連行された商人も見当たらない。
まさか、二人と一緒にどこかへ? と疑っていると、その商人は木に縛られて、身動きが取れない状態で発見された。
暴行を受けた様子はないけれど、さっきとは何かが違う。特に顔の下半分が……
「あっ、髭がないっ!」
ちょび髭が一本残らずなくなっている!
自分のトレードマークを失った商人は、青ざめて震えていた。
「あ、あの男、私の髭を剣で全て切り落としてしまった……」
それはすごい神業。目の前で剣を振るわれたのだから、そりゃ怖かったよね。
でも、ちょび髭がないほうがかっこよく見えるのでは? イメチェンイメチェン。
「くそぉ……そこの小娘が作った薬が、あの店の薬よりもいいものだなんて、私は信じないぞぉ……」
悔しげな声で呻くように言う商人。
これから彼には厳しい取り調べと処罰が待っているのだろう。故意ではなかったとはいえ、こんな大事故を起こしてしまったのだ。二度と商人として仕事はできないに違いない。
可哀想だけど仕方ないね。
救護兵に「馬車で送っていきます」と言われたけれど、忙しいだろうから断る。
そして私は空になった鞄を持って、村に帰ってきた。
村に入ってすぐ、村長さんが出迎えてくれる。
「お~。戻ったか、レイフェルさん」
「ただいま帰りました~」
「ちょうどよかったわい。レイフェルさんに用があるとかで、村の外からのお客さんが来とるぞ」
「外⁉」
ギャッ。もしかしたら実家からの追っ手なのでは。
「山賊みたいな大男とひょろ長いお兄さんじゃ」
村長さんのその言葉に、私は目を丸くした。
「お邪魔してるぜ、嬢ちゃん」
急いで薬屋に戻ると、そこには笑顔のハルバートさんがいた。
その手には鋭い切れ味を持つ剣……ではなく、箒と塵取りが握られている。
「レイフェルちゃんを待っている間、暇だから何かやることはないかって言われてねぇ」
店番をお願いしていたおばあさんが、笑いながら朗らかに言う。
だからって、店内の掃除を頼んじゃ駄目だよ! と言いたいけれど、ハルバートさんは楽しそうに床を掃いているから、まあいいか……
「ハルバートさん、お掃除ありがとうございます」
「気にすんな。俺は、掃除が趣味なもんでな。部屋が綺麗になると、心もすっきり綺麗になるもんだぜ」
「それすごくわかります……!」
仕事上、整理整頓は心掛けているけれど、綺麗に片付けたあとだと作業がいつもより捗るんだよね。
同志との出会いに拳を握りしめて喜んでいると、ぶつぶつ呟いている怪しい人物を発見。
……アルさんだ。
うちの薬をじーっと見たりにおいを嗅いだりしている。私が近づいても気づく気配がない。すごい集中力だ。
「アル、嬢ちゃんが帰ってきたぞ!」
見兼ねたハルバートさんが、大きな声でアルさんを呼んだ。アルさんの細い肩がびくっと跳ね上がる。
「す、すみません、ハルバート様……ってああああ、おかえりなさい……ええと、レイフェル様!」
私に気づいた途端、アルさんは顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。
というより、どうして私の店がこの村にあるってわかったのかな。
不思議に思っていると、私の疑問を察してくれたハルバートさんが説明してくれた。
「嬢ちゃんが走ってきた方向にあるのは、この村くらいだからな。ここの村長さんに、優秀な薬師がいるか聞いてみたら、ビンゴだ」
「優秀だなんてそんな……」
「いえ、あなたの薬は素晴らしいものです。あの商人が持っていた薬とあなたの薬……それぞれのにおいを嗅いだ時、どちらが素晴らしいものかすぐにわかりました」
アルさんが興奮気味に言葉を被せてきた。に、におい?
よくわからずにいる私に、アルさんは柔和な表情で続ける。
「ですから、こうしてあなたの薬を全種類買いに来ました」
「全種類ぃ⁉」
「えっと、駄目でしょうか?」
「そんなことはありませんけれど」
薬師が他の薬師の薬を買うっていうのも変な話だけれど、禁止されているわけではない。
だけど……これは私の勘なんだけど、アルさんは多分、私よりすごい薬師様だ。
そんな人がどうして私の薬を欲しがるのか、気になるといえば気になる。
するとアルさんはニコニコしながら、こんなことを言い出した。
「実は僕、薬コレクターでもありまして。他国の薬をこうやって買い集めているのです」
「薬コレクター……」
「はい! 薬のにおいに囲まれているのが一番の至福の時なんです!」
か、変わってるなぁ~!
そう思っていると、ハルバートさんが呆れた様子で口を開いた。
「アルは『蛇の集い』いちの薬好きだからな」
あ、そういえば『蛇の集い』ってなんの集まりなのかな。
「『蛇の集い』について詳しく聞きたいんですけれど……」
「ああ、アスクラン薬師協会のことです」
アルさんがにこやかに教えてくれた。
「そ、そうなんですか」
私はこくこくと頷く。
うちの国にも薬師連盟というのはあるけれど、アスクラン王国ではそんなかっこいい呼び名があるんだ……
私って今までずっと薬のことばっかり考えていたから、他の国のこと、全然詳しくないんだよね。
あの国の王様がどうとか話題を振られても「?」だし。新聞を読んでも、いまいち興味が持てなくて。もう大人なのに情けない……
あ、でも『蛇の集い』の名前の由来はなんとなくわかる。
私たち薬師は薬神様っていう薬の神様を信仰しているのだけれど、蛇はその薬神様のペットなんだよ。
「こいつ、薬学王子なんてあだ名がついているんだぜ」
ハルバートさんがニヤニヤしながら言うと、アルさんは困った笑みを浮かべた。
「僕には分不相応なあだ名だと思いますが」
「でも、なんか、『薬のことならアルさんにお任せ!』って感じがして格好いいと思います!」
私がそう言うと、アルさんは顔を赤くしてしまった。褒められることに慣れていないのかな?
そう思いつつ、私はハルバートさんに向き直る。
「ハルバートさんも『蛇の集い』の人なんですか?」
「俺が薬師に見えるか?」
「見えませんね~」
私が即答すると、ハルバートさんは腰に差している剣の鞘を軽く叩いて笑った。
「俺はアルの叔父だよ。それで護衛みてぇなもんをやってる」
癒し系のアルさんと、ムキムキマンのハルバートさんが親戚……意外だ。
「俺の剣はなかなかのもんでな。アスクラン王国じゃ『剣聖』って言われてるんだぜ?」
確かに、あのちょび髭商人の髭だけ綺麗に斬ったんだもんね。相当な腕前だろう。
「あの、そんなお二人がなんでうちの国に……?」
私が気になっていることを聞くと、アルさんがその理由を話し始めた。
「『蛇の集い』はアスクランだけではなく、他国の薬師も勧誘しているのです。今回この国を訪れたのは、薬草伯爵……レオル伯アーロン様と会うためです。彼の薬屋が開発した薬は優れた効能を発揮していますから。新たな会員の最有力候補なのです!」
「うぐぅ……」
思わず呻いてしまった。
そんな私の顔を、アルさんが心配そうに覗き込む。
「レイフェル様? どうかなさいましたか?」
「いえ、大丈夫なのでお気になさらず……」
平常心、平常心。自分にそう言い聞かせる。
すると、ハルバートさんがアルさんに声をかけた。
「そろそろ時間だぞ」
「そうですね。そろそろ行きましょうか。……レイフェル様。このご恩はいつか必ずお返しいたします」
「そ、そんな、いいですよ!」
「そう、ですか……」
アルさんが悲しそうな顔をしてしまった。そ、そんな表情をさせるつもりでは。
彼の背後ではハルバートさんも困った顔をしている。
ここは私が折れるべきか。
「では、お礼、楽しみにお待ちしていますね」
「はい!」
アルさんは笑顔で頷いてくれた。ほっ。
◆ ◇ ◆
「わたくし、あの方が着けていたペンダントが欲しいのですけれど……ねえ、アーロン様ぁ」
私――アーロンに、ルージェは甘えた声を出した。
ルージェが言っているのは、先ほど私の屋敷を訪れたノートレイ伯爵の妻、カテリーナ夫人のペンダントのことだろう。
黄金のチェーンで繋がれた、青い海を彷彿とさせる大粒のサファイア。その周りにちりばめられた美しい輝きを放つダイヤモンドと、神秘的な光沢を持つホワイトパール。
宝石に関しては疎い私でも見事だと思うほどの、素晴らしい意匠だった。
なんでも、ノートレイ伯爵の夫人となった女性が代々身につける特別なものだそうだ。ノートレイ伯爵が自慢げに語っていた。
どれだけ金を積んでも、決して譲ってくれないだろう。それはペンダントの説明を聞いていたルージェも理解しているはずなのだが、ノートレイ伯爵と夫人が帰ると、すぐに私に強請ってきたのだ。
その姿はミルクを強請る仔猫のようで可愛らしいが、彼女が求めるものは可愛いとは到底言い難い。
「ルージェ、君の気持ちはよくわかるよ。確かに、夫人よりも君が身につけていたほうが、ペンダントも喜ぶと思う」
「本当ですか? でしたら……」
ルージェの表情がぱぁっと明るくなるが、こればかりは駄目だ。私は心を鬼にして最愛の婚約者に告げた。
「あのペンダントはノートレイ伯爵夫人の証のようなものだ。お金で手に入れられるものではないんだよ」
「えー! そ、そんなぁ……」
ルージェは目を潤ませ、俯いてしまう。
「わたくし、とっても辛いですわ……あんなに綺麗なサファイアを見せられたら、欲しくて欲しくてたまらなくなってしまいます。わたくしだけじゃなくて、誰だって欲しいって思いますわぁ……」
「ああ、確かにそうだろうね。私もあのペンダントの美しさから、しばらく目を逸らすことができなかった」
これ以上ルージェが悲しむ顔を見たくなくて、彼女に話を合わせる。ただ、ペンダントに見惚れていたのは本当だ。
先ほど本人にも言ったように、夫人ではなくルージェの胸元で輝くべきだとも思った。美しい装飾品は、美しい者が身につけるべきじゃないか。
少なくともカテリーナ夫人は、ペンダントの持ち主に相応しくない。
あんなに丸々と肥えた豚一歩手前の中年女なんて、どれだけ着飾っても変わらないだろう。むしろ宝石の美しさを損ねている。
私がそう考えていると、ルージェは頬を膨らませる。
「もう! なんなのでしょう、あの夫人! わたくしが悔しがるとわかっていて、わざとペンダントを着けてきたに決まっています!」
「言われてみれば……!」
ルージェの言葉に私は深く頷いた。
そんな大事なものを着けてくるなんて、常識がないんじゃないのか?
ルージェは可愛いから、ちょっとお馬鹿さんでも許されるが、豚なうえに馬鹿だなんて救いようがなさすぎる。ノートレイ伯爵もあんな女を妻にしてしまって、可哀想に……
ルージェは恍惚とした表情を浮かべている。
「あんなに綺麗で大きなサファイアを眺めたあとに眠りに就いたら、きっと幸せな夢を見ることができますわぁ」
「ルージェ……」
「ねえ、アーロン様。おねがぁい……」
ぎゅうと抱きつかれ、上目遣いでおねだりされる。
ふくよかな胸が腕に当たる感触に、私は天にも昇るような気持ちになった。
「よし、私に任せてくれ!」
愛するルージェのためだ。あのペンダントを手に入れてみせると、私は決意した。
どうやってあのペンダントを譲ってもらおうか必死に考えて、数週間後。事件が起きた。
「どうか私の妻たちの命を救っていただきたい。……金ならいくらでも払うつもりだ」
そう言ってきたのは、ノートレイ伯爵だ。
彼から話を聞くと、伯爵夫人はここのところ、いつものように茶会に参加したり、趣味のガーデニングを楽しんだりしていたらしい。
貴族の女が土いじりだなんてみっともない。ますます豚っぽいじゃないか。
……薬草摘みから帰って来たレイフェルもいつも土まみれだったな。
いや、今はそんなことは関係ない。私はレイフェルのことを頭から振り払うと、ノートレイ伯爵の話に集中する。
そんな伯爵夫人だが、ある茶会で振る舞われた果実のタルトに毒が仕込まれていたようだ。夫人を含めた数人が中毒症状に苦しんでいるという。
タルトを作ったメイドはすぐに取り押さえられ、茶会が開かれた貴族の屋敷では毒物の捜索が行われた。
しかし、毒物は見つからなかった。参加した夫人たちの容態も悪化の一途を辿っている。
そこで、ノートレイ伯爵は解毒剤を求めて私の薬屋を訪ねたというわけだ。
毒が何かもわからないのに、解毒剤を作れだって?
頭を下げて私に頼み込むノートレイ伯爵の姿に、いらだちが込み上げる。
「私もそうしたいところですが、なんの毒かわからない状態では難しいかと……」
「症状から、毒の種類を判別できないのかね。薬師ならば、症状を見ただけで特定できて当然のはずだ」
だからわからないって言ってるだろ!
薬師でもないくせにえらそうにしやがって。大体この男、自分の立場を理解しているのか?
こちらが怒りをどうにか抑えているのを知ってか知らずか、ノートレイ伯爵は落胆の眼差しを私に向けた。
「薬草伯爵の雇う薬師ならばもしや……と、藁にも縋る思いで来てみたが、無駄足だったようだ。すまなかったな、他を当たらせてもらう」
「お……お待ちください! 不可能とは申しておりません!」
立ち去ろうとするノートレイ伯爵を慌てて引き留める。
解毒剤作りを引き受けないとは誰も言っていない。
これは、ノートレイ伯爵に大きな貸しを作ることができるチャンスだ。
「私が雇っている優秀な薬師であれば、毒を消し去る薬を精製できると私は信じております。ですから、どうかノートレイ伯爵も私と私の薬師たちを信用してください」
「そこまで豪語するのであれば……わかった。そなたたちを信じてみよう」
「ありがとうございます!」
私はノートレイ伯爵に笑顔で応えた。
実は私には、毒に関して心当たりがあるのだ。
「一つお聞きしたいのですが、問題のタルトに使われていた材料を教えていただけませんか?」
「ふむ……それはすぐにわかると思うが、中毒症状を起こす食材はなかったはずだぞ」
「ええ。ですが、少し気になることがありまして」
いいからとっとと調べてこい。豚たちを助けてほしかったらなぁ?
いらいらしながら屋敷を出て行くノートレイ伯爵を見送ると、そのあとすぐに、彼の使いがタルトのレシピが書かれた手紙を届けに来た。
「こちらがタルトに使われた材料の一覧です」
それを受け取り、うちの薬師に渡し、書物を調べさせる。
以前、レイフェルはこんなことを言っていた。
そのまま食べればなんの害もない果実でも特定の酒に漬け込むと、有毒な成分を生むことが稀にあると。
そんなわけないだろと思っていたが、タルトを作らせたメイドを雇っていた貴族は大の酒好きだと聞いたことがある。特に酒に漬けた果実を非常に好み、様々な種類の酒と果実で試していたらしい。調べてみる価値はある。
しばらくすると、書物庫に籠っていた薬師が戻ってきた。
「アーロン様、大正解です……!」
ミジュレという果実を二日ほど酒に浸すと、毒素が発生する場合があるそうだ。
そして茶会で出されたタルトには、酒漬けのミジュレが使われている。
患者たちの症状も書物に書かれている内容と一致している。
よし、これで毒がわかったことだし、話が一気に進むぞ。
安堵していると、薬師が私に尊敬の眼差しを向けていた。
「さすが薬草伯爵ですね。私たちはこんな方法で毒が発生するなんて、聞いたことがありませんでした」
「君たちの雇い主として、知識を蓄えておくのは当然のことだ」
恐らくこいつだけではなく、他の薬師の奴らもこのことはわからないだろう。
何せ、件の毒は非常に珍しい。この方法で毒ができる確率は低すぎて、本当に実在するのか疑わしいと言う者もいるほどだ。……と、レイフェルが言っていた。
あいつは書物を読み漁っている最中に、たまたまその記述を見つけて覚えていたらしい。
私はその話を聞かされて、覚えていただけ。こうして難題を楽にクリアできたのだから、レイフェルにはほんの少しだけ感謝している。
私は満足して頷くと、薬師の一人に問う。
「それで? 解毒剤を作るのにどのくらい手間がかかる?」
「大してかかりません。材料も簡単に手に入るものばかりですから」
「よし、すぐに頼む」
「はい!」
これで問題解決だ。あとは薬師が解毒剤を完成させるのを待てばいい。
……ん? 待てよ。今、カテリーナ夫人たちを苦しめている毒の正体を掴んでいるのは私たちだけ。
この状況、かなり使えるんじゃないのか?
「ふ……ふふふふ……」
「ア、アーロン様? どうなさいました?」
「いや、君は気にしなくていいよ」
私はなんという天才なのだろう。
ノートレイ伯爵がやって来てから、数日後。
「きゃ~~~! そのペンダント、本当にわたくしが貰っていいのですかぁ⁉」
「ああ。どうぞ、ルージェ」
「はぁい!」
可愛いルージェの胸元で輝くサファイア。
うんうん、よく似合う。ペンダントも大喜びしている。
「でもでもぉ、どうやってカテリーナ夫人からいただきましたの?」
「ご夫人が珍しい毒に冒されてね。彼女のために解毒剤を用意したのだが、その材料が大変貴重なものだったんだ」
「ふーん、あのオバサ……ごっほん。あの方を苦しめられるような毒がありましたのねぇ」
「だから、その対価としてノートレイ伯爵家の宝を要求したんだ」
だが、ノートレイ伯爵があっさりとペンダントを渡したのには驚いた。
『妻だけでなく、他の者たちの命が懸かっている。こんな石ころで彼女たちが救えるのなら安いものだ』
なーんて偽善者ぶりやがって、気持ち悪いんだよ。
ただこれで、ルージェが欲しがっていたペンダントが手に入ったんだ。あのオッサンがうちの薬屋に来てくれて助かった。
「ああ……しあわせぇ」
ペンダントを見てうっとりとしているルージェが隣にいる。それだけで私も幸せだ。
薬師たちに急遽作らせた解毒剤のおかげで、他の中毒患者たちも回復に向かっているらしい。
これで今夜はゆっくり眠れる。明日は早起きをしなければならない。
何せ、あの薬学王子が私の店を訪問する予定になっている。恐らく私を『蛇の集い』に勧誘するためだろう。
ふふ……ふふふ! 顔のにやけが止まらない。
『蛇の集い』は世界最大の薬師協会だ。
その一員になれば、薬草伯爵の名前をもっと国中に広められる。
レイフェルの薬で私の薬屋は急成長を遂げている。薬のレシピを同業者に売って、かなりの稼ぎになったが、まだ足りない。
明るい未来を想像していると、薬師がノックもせずに部屋に入ってきた。
「大変です、アーロン様!」
なんだこいつ。今月の給料を減らしてやる。
「……騒々しいぞ。何があった?」
「解毒剤を服用したカテリーナ夫人の容態が急変したとのことです!」
「な……なんだと⁉」
他の夫人や令嬢は治ったんだぞ? なのにどうして、よりにもよってカテリーナ夫人だけが⁉
人間じゃなくて豚だからか⁉ 家畜では人間と違う効き目になるからなのか⁉
困惑していると、ルージェが笑顔で言い放った。
「カテリーナ夫人、死にそうなのですか? ふふっ。わたくし、あのオバサン大嫌いだから嬉しいですわ!」
ルージェ、今は黙っていてくれ! 薬師がドン引きしているじゃないか!
「大変です、アーロン様!」
今度は執事が入ってきた。だからノックしろよ!
私は怒鳴ろうとしたが、執事の言葉にそれどころじゃなくなった。
「明日の薬学王子の訪問ですが……あちらから『今回の話はなかったことに』という旨の書状が届きまして……」
「なぜだ! 理由は⁉」
「『あなたと、あなたの店の薬を信用することができない』とだけ……」
そ、そんな……。信用できないってなんだよ。レイフェルが作った薬のはずだぞ……?
私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
第二話 『蛇の集い』
「今日もいい天気だなぁ……」
早朝特有のすっきりとした空気。赤とオレンジ色を混ぜたような朝焼けが綺麗だ。
今日も一日の始まりは、森での薬草摘み。
先日の爆破事故で使った薬の補充は、昨日ようやく終わった。
前よりも在庫を多めにしておいた。また、同じようなことがあったときのためだ。
あんなことないのが一番だけど。
比較的軽傷の人たちが手当てを手伝ってくれたり、瓦礫の中に埋まっていた人たちを助けてくれたりしたおかげだ。
アルさんも、手が使えない代わりに薬の塗り方や包帯の巻き方をみんなに教えて回ってくれたのも大きい。
「……あれ?」
そういえば、アルさんとハルバートさんの姿が見当たらない。さっきまで、一段落したからって休憩していたのにな。
「そういえばあの人もいない……」
ハルバートさんに連行された商人も見当たらない。
まさか、二人と一緒にどこかへ? と疑っていると、その商人は木に縛られて、身動きが取れない状態で発見された。
暴行を受けた様子はないけれど、さっきとは何かが違う。特に顔の下半分が……
「あっ、髭がないっ!」
ちょび髭が一本残らずなくなっている!
自分のトレードマークを失った商人は、青ざめて震えていた。
「あ、あの男、私の髭を剣で全て切り落としてしまった……」
それはすごい神業。目の前で剣を振るわれたのだから、そりゃ怖かったよね。
でも、ちょび髭がないほうがかっこよく見えるのでは? イメチェンイメチェン。
「くそぉ……そこの小娘が作った薬が、あの店の薬よりもいいものだなんて、私は信じないぞぉ……」
悔しげな声で呻くように言う商人。
これから彼には厳しい取り調べと処罰が待っているのだろう。故意ではなかったとはいえ、こんな大事故を起こしてしまったのだ。二度と商人として仕事はできないに違いない。
可哀想だけど仕方ないね。
救護兵に「馬車で送っていきます」と言われたけれど、忙しいだろうから断る。
そして私は空になった鞄を持って、村に帰ってきた。
村に入ってすぐ、村長さんが出迎えてくれる。
「お~。戻ったか、レイフェルさん」
「ただいま帰りました~」
「ちょうどよかったわい。レイフェルさんに用があるとかで、村の外からのお客さんが来とるぞ」
「外⁉」
ギャッ。もしかしたら実家からの追っ手なのでは。
「山賊みたいな大男とひょろ長いお兄さんじゃ」
村長さんのその言葉に、私は目を丸くした。
「お邪魔してるぜ、嬢ちゃん」
急いで薬屋に戻ると、そこには笑顔のハルバートさんがいた。
その手には鋭い切れ味を持つ剣……ではなく、箒と塵取りが握られている。
「レイフェルちゃんを待っている間、暇だから何かやることはないかって言われてねぇ」
店番をお願いしていたおばあさんが、笑いながら朗らかに言う。
だからって、店内の掃除を頼んじゃ駄目だよ! と言いたいけれど、ハルバートさんは楽しそうに床を掃いているから、まあいいか……
「ハルバートさん、お掃除ありがとうございます」
「気にすんな。俺は、掃除が趣味なもんでな。部屋が綺麗になると、心もすっきり綺麗になるもんだぜ」
「それすごくわかります……!」
仕事上、整理整頓は心掛けているけれど、綺麗に片付けたあとだと作業がいつもより捗るんだよね。
同志との出会いに拳を握りしめて喜んでいると、ぶつぶつ呟いている怪しい人物を発見。
……アルさんだ。
うちの薬をじーっと見たりにおいを嗅いだりしている。私が近づいても気づく気配がない。すごい集中力だ。
「アル、嬢ちゃんが帰ってきたぞ!」
見兼ねたハルバートさんが、大きな声でアルさんを呼んだ。アルさんの細い肩がびくっと跳ね上がる。
「す、すみません、ハルバート様……ってああああ、おかえりなさい……ええと、レイフェル様!」
私に気づいた途端、アルさんは顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。
というより、どうして私の店がこの村にあるってわかったのかな。
不思議に思っていると、私の疑問を察してくれたハルバートさんが説明してくれた。
「嬢ちゃんが走ってきた方向にあるのは、この村くらいだからな。ここの村長さんに、優秀な薬師がいるか聞いてみたら、ビンゴだ」
「優秀だなんてそんな……」
「いえ、あなたの薬は素晴らしいものです。あの商人が持っていた薬とあなたの薬……それぞれのにおいを嗅いだ時、どちらが素晴らしいものかすぐにわかりました」
アルさんが興奮気味に言葉を被せてきた。に、におい?
よくわからずにいる私に、アルさんは柔和な表情で続ける。
「ですから、こうしてあなたの薬を全種類買いに来ました」
「全種類ぃ⁉」
「えっと、駄目でしょうか?」
「そんなことはありませんけれど」
薬師が他の薬師の薬を買うっていうのも変な話だけれど、禁止されているわけではない。
だけど……これは私の勘なんだけど、アルさんは多分、私よりすごい薬師様だ。
そんな人がどうして私の薬を欲しがるのか、気になるといえば気になる。
するとアルさんはニコニコしながら、こんなことを言い出した。
「実は僕、薬コレクターでもありまして。他国の薬をこうやって買い集めているのです」
「薬コレクター……」
「はい! 薬のにおいに囲まれているのが一番の至福の時なんです!」
か、変わってるなぁ~!
そう思っていると、ハルバートさんが呆れた様子で口を開いた。
「アルは『蛇の集い』いちの薬好きだからな」
あ、そういえば『蛇の集い』ってなんの集まりなのかな。
「『蛇の集い』について詳しく聞きたいんですけれど……」
「ああ、アスクラン薬師協会のことです」
アルさんがにこやかに教えてくれた。
「そ、そうなんですか」
私はこくこくと頷く。
うちの国にも薬師連盟というのはあるけれど、アスクラン王国ではそんなかっこいい呼び名があるんだ……
私って今までずっと薬のことばっかり考えていたから、他の国のこと、全然詳しくないんだよね。
あの国の王様がどうとか話題を振られても「?」だし。新聞を読んでも、いまいち興味が持てなくて。もう大人なのに情けない……
あ、でも『蛇の集い』の名前の由来はなんとなくわかる。
私たち薬師は薬神様っていう薬の神様を信仰しているのだけれど、蛇はその薬神様のペットなんだよ。
「こいつ、薬学王子なんてあだ名がついているんだぜ」
ハルバートさんがニヤニヤしながら言うと、アルさんは困った笑みを浮かべた。
「僕には分不相応なあだ名だと思いますが」
「でも、なんか、『薬のことならアルさんにお任せ!』って感じがして格好いいと思います!」
私がそう言うと、アルさんは顔を赤くしてしまった。褒められることに慣れていないのかな?
そう思いつつ、私はハルバートさんに向き直る。
「ハルバートさんも『蛇の集い』の人なんですか?」
「俺が薬師に見えるか?」
「見えませんね~」
私が即答すると、ハルバートさんは腰に差している剣の鞘を軽く叩いて笑った。
「俺はアルの叔父だよ。それで護衛みてぇなもんをやってる」
癒し系のアルさんと、ムキムキマンのハルバートさんが親戚……意外だ。
「俺の剣はなかなかのもんでな。アスクラン王国じゃ『剣聖』って言われてるんだぜ?」
確かに、あのちょび髭商人の髭だけ綺麗に斬ったんだもんね。相当な腕前だろう。
「あの、そんなお二人がなんでうちの国に……?」
私が気になっていることを聞くと、アルさんがその理由を話し始めた。
「『蛇の集い』はアスクランだけではなく、他国の薬師も勧誘しているのです。今回この国を訪れたのは、薬草伯爵……レオル伯アーロン様と会うためです。彼の薬屋が開発した薬は優れた効能を発揮していますから。新たな会員の最有力候補なのです!」
「うぐぅ……」
思わず呻いてしまった。
そんな私の顔を、アルさんが心配そうに覗き込む。
「レイフェル様? どうかなさいましたか?」
「いえ、大丈夫なのでお気になさらず……」
平常心、平常心。自分にそう言い聞かせる。
すると、ハルバートさんがアルさんに声をかけた。
「そろそろ時間だぞ」
「そうですね。そろそろ行きましょうか。……レイフェル様。このご恩はいつか必ずお返しいたします」
「そ、そんな、いいですよ!」
「そう、ですか……」
アルさんが悲しそうな顔をしてしまった。そ、そんな表情をさせるつもりでは。
彼の背後ではハルバートさんも困った顔をしている。
ここは私が折れるべきか。
「では、お礼、楽しみにお待ちしていますね」
「はい!」
アルさんは笑顔で頷いてくれた。ほっ。
◆ ◇ ◆
「わたくし、あの方が着けていたペンダントが欲しいのですけれど……ねえ、アーロン様ぁ」
私――アーロンに、ルージェは甘えた声を出した。
ルージェが言っているのは、先ほど私の屋敷を訪れたノートレイ伯爵の妻、カテリーナ夫人のペンダントのことだろう。
黄金のチェーンで繋がれた、青い海を彷彿とさせる大粒のサファイア。その周りにちりばめられた美しい輝きを放つダイヤモンドと、神秘的な光沢を持つホワイトパール。
宝石に関しては疎い私でも見事だと思うほどの、素晴らしい意匠だった。
なんでも、ノートレイ伯爵の夫人となった女性が代々身につける特別なものだそうだ。ノートレイ伯爵が自慢げに語っていた。
どれだけ金を積んでも、決して譲ってくれないだろう。それはペンダントの説明を聞いていたルージェも理解しているはずなのだが、ノートレイ伯爵と夫人が帰ると、すぐに私に強請ってきたのだ。
その姿はミルクを強請る仔猫のようで可愛らしいが、彼女が求めるものは可愛いとは到底言い難い。
「ルージェ、君の気持ちはよくわかるよ。確かに、夫人よりも君が身につけていたほうが、ペンダントも喜ぶと思う」
「本当ですか? でしたら……」
ルージェの表情がぱぁっと明るくなるが、こればかりは駄目だ。私は心を鬼にして最愛の婚約者に告げた。
「あのペンダントはノートレイ伯爵夫人の証のようなものだ。お金で手に入れられるものではないんだよ」
「えー! そ、そんなぁ……」
ルージェは目を潤ませ、俯いてしまう。
「わたくし、とっても辛いですわ……あんなに綺麗なサファイアを見せられたら、欲しくて欲しくてたまらなくなってしまいます。わたくしだけじゃなくて、誰だって欲しいって思いますわぁ……」
「ああ、確かにそうだろうね。私もあのペンダントの美しさから、しばらく目を逸らすことができなかった」
これ以上ルージェが悲しむ顔を見たくなくて、彼女に話を合わせる。ただ、ペンダントに見惚れていたのは本当だ。
先ほど本人にも言ったように、夫人ではなくルージェの胸元で輝くべきだとも思った。美しい装飾品は、美しい者が身につけるべきじゃないか。
少なくともカテリーナ夫人は、ペンダントの持ち主に相応しくない。
あんなに丸々と肥えた豚一歩手前の中年女なんて、どれだけ着飾っても変わらないだろう。むしろ宝石の美しさを損ねている。
私がそう考えていると、ルージェは頬を膨らませる。
「もう! なんなのでしょう、あの夫人! わたくしが悔しがるとわかっていて、わざとペンダントを着けてきたに決まっています!」
「言われてみれば……!」
ルージェの言葉に私は深く頷いた。
そんな大事なものを着けてくるなんて、常識がないんじゃないのか?
ルージェは可愛いから、ちょっとお馬鹿さんでも許されるが、豚なうえに馬鹿だなんて救いようがなさすぎる。ノートレイ伯爵もあんな女を妻にしてしまって、可哀想に……
ルージェは恍惚とした表情を浮かべている。
「あんなに綺麗で大きなサファイアを眺めたあとに眠りに就いたら、きっと幸せな夢を見ることができますわぁ」
「ルージェ……」
「ねえ、アーロン様。おねがぁい……」
ぎゅうと抱きつかれ、上目遣いでおねだりされる。
ふくよかな胸が腕に当たる感触に、私は天にも昇るような気持ちになった。
「よし、私に任せてくれ!」
愛するルージェのためだ。あのペンダントを手に入れてみせると、私は決意した。
どうやってあのペンダントを譲ってもらおうか必死に考えて、数週間後。事件が起きた。
「どうか私の妻たちの命を救っていただきたい。……金ならいくらでも払うつもりだ」
そう言ってきたのは、ノートレイ伯爵だ。
彼から話を聞くと、伯爵夫人はここのところ、いつものように茶会に参加したり、趣味のガーデニングを楽しんだりしていたらしい。
貴族の女が土いじりだなんてみっともない。ますます豚っぽいじゃないか。
……薬草摘みから帰って来たレイフェルもいつも土まみれだったな。
いや、今はそんなことは関係ない。私はレイフェルのことを頭から振り払うと、ノートレイ伯爵の話に集中する。
そんな伯爵夫人だが、ある茶会で振る舞われた果実のタルトに毒が仕込まれていたようだ。夫人を含めた数人が中毒症状に苦しんでいるという。
タルトを作ったメイドはすぐに取り押さえられ、茶会が開かれた貴族の屋敷では毒物の捜索が行われた。
しかし、毒物は見つからなかった。参加した夫人たちの容態も悪化の一途を辿っている。
そこで、ノートレイ伯爵は解毒剤を求めて私の薬屋を訪ねたというわけだ。
毒が何かもわからないのに、解毒剤を作れだって?
頭を下げて私に頼み込むノートレイ伯爵の姿に、いらだちが込み上げる。
「私もそうしたいところですが、なんの毒かわからない状態では難しいかと……」
「症状から、毒の種類を判別できないのかね。薬師ならば、症状を見ただけで特定できて当然のはずだ」
だからわからないって言ってるだろ!
薬師でもないくせにえらそうにしやがって。大体この男、自分の立場を理解しているのか?
こちらが怒りをどうにか抑えているのを知ってか知らずか、ノートレイ伯爵は落胆の眼差しを私に向けた。
「薬草伯爵の雇う薬師ならばもしや……と、藁にも縋る思いで来てみたが、無駄足だったようだ。すまなかったな、他を当たらせてもらう」
「お……お待ちください! 不可能とは申しておりません!」
立ち去ろうとするノートレイ伯爵を慌てて引き留める。
解毒剤作りを引き受けないとは誰も言っていない。
これは、ノートレイ伯爵に大きな貸しを作ることができるチャンスだ。
「私が雇っている優秀な薬師であれば、毒を消し去る薬を精製できると私は信じております。ですから、どうかノートレイ伯爵も私と私の薬師たちを信用してください」
「そこまで豪語するのであれば……わかった。そなたたちを信じてみよう」
「ありがとうございます!」
私はノートレイ伯爵に笑顔で応えた。
実は私には、毒に関して心当たりがあるのだ。
「一つお聞きしたいのですが、問題のタルトに使われていた材料を教えていただけませんか?」
「ふむ……それはすぐにわかると思うが、中毒症状を起こす食材はなかったはずだぞ」
「ええ。ですが、少し気になることがありまして」
いいからとっとと調べてこい。豚たちを助けてほしかったらなぁ?
いらいらしながら屋敷を出て行くノートレイ伯爵を見送ると、そのあとすぐに、彼の使いがタルトのレシピが書かれた手紙を届けに来た。
「こちらがタルトに使われた材料の一覧です」
それを受け取り、うちの薬師に渡し、書物を調べさせる。
以前、レイフェルはこんなことを言っていた。
そのまま食べればなんの害もない果実でも特定の酒に漬け込むと、有毒な成分を生むことが稀にあると。
そんなわけないだろと思っていたが、タルトを作らせたメイドを雇っていた貴族は大の酒好きだと聞いたことがある。特に酒に漬けた果実を非常に好み、様々な種類の酒と果実で試していたらしい。調べてみる価値はある。
しばらくすると、書物庫に籠っていた薬師が戻ってきた。
「アーロン様、大正解です……!」
ミジュレという果実を二日ほど酒に浸すと、毒素が発生する場合があるそうだ。
そして茶会で出されたタルトには、酒漬けのミジュレが使われている。
患者たちの症状も書物に書かれている内容と一致している。
よし、これで毒がわかったことだし、話が一気に進むぞ。
安堵していると、薬師が私に尊敬の眼差しを向けていた。
「さすが薬草伯爵ですね。私たちはこんな方法で毒が発生するなんて、聞いたことがありませんでした」
「君たちの雇い主として、知識を蓄えておくのは当然のことだ」
恐らくこいつだけではなく、他の薬師の奴らもこのことはわからないだろう。
何せ、件の毒は非常に珍しい。この方法で毒ができる確率は低すぎて、本当に実在するのか疑わしいと言う者もいるほどだ。……と、レイフェルが言っていた。
あいつは書物を読み漁っている最中に、たまたまその記述を見つけて覚えていたらしい。
私はその話を聞かされて、覚えていただけ。こうして難題を楽にクリアできたのだから、レイフェルにはほんの少しだけ感謝している。
私は満足して頷くと、薬師の一人に問う。
「それで? 解毒剤を作るのにどのくらい手間がかかる?」
「大してかかりません。材料も簡単に手に入るものばかりですから」
「よし、すぐに頼む」
「はい!」
これで問題解決だ。あとは薬師が解毒剤を完成させるのを待てばいい。
……ん? 待てよ。今、カテリーナ夫人たちを苦しめている毒の正体を掴んでいるのは私たちだけ。
この状況、かなり使えるんじゃないのか?
「ふ……ふふふふ……」
「ア、アーロン様? どうなさいました?」
「いや、君は気にしなくていいよ」
私はなんという天才なのだろう。
ノートレイ伯爵がやって来てから、数日後。
「きゃ~~~! そのペンダント、本当にわたくしが貰っていいのですかぁ⁉」
「ああ。どうぞ、ルージェ」
「はぁい!」
可愛いルージェの胸元で輝くサファイア。
うんうん、よく似合う。ペンダントも大喜びしている。
「でもでもぉ、どうやってカテリーナ夫人からいただきましたの?」
「ご夫人が珍しい毒に冒されてね。彼女のために解毒剤を用意したのだが、その材料が大変貴重なものだったんだ」
「ふーん、あのオバサ……ごっほん。あの方を苦しめられるような毒がありましたのねぇ」
「だから、その対価としてノートレイ伯爵家の宝を要求したんだ」
だが、ノートレイ伯爵があっさりとペンダントを渡したのには驚いた。
『妻だけでなく、他の者たちの命が懸かっている。こんな石ころで彼女たちが救えるのなら安いものだ』
なーんて偽善者ぶりやがって、気持ち悪いんだよ。
ただこれで、ルージェが欲しがっていたペンダントが手に入ったんだ。あのオッサンがうちの薬屋に来てくれて助かった。
「ああ……しあわせぇ」
ペンダントを見てうっとりとしているルージェが隣にいる。それだけで私も幸せだ。
薬師たちに急遽作らせた解毒剤のおかげで、他の中毒患者たちも回復に向かっているらしい。
これで今夜はゆっくり眠れる。明日は早起きをしなければならない。
何せ、あの薬学王子が私の店を訪問する予定になっている。恐らく私を『蛇の集い』に勧誘するためだろう。
ふふ……ふふふ! 顔のにやけが止まらない。
『蛇の集い』は世界最大の薬師協会だ。
その一員になれば、薬草伯爵の名前をもっと国中に広められる。
レイフェルの薬で私の薬屋は急成長を遂げている。薬のレシピを同業者に売って、かなりの稼ぎになったが、まだ足りない。
明るい未来を想像していると、薬師がノックもせずに部屋に入ってきた。
「大変です、アーロン様!」
なんだこいつ。今月の給料を減らしてやる。
「……騒々しいぞ。何があった?」
「解毒剤を服用したカテリーナ夫人の容態が急変したとのことです!」
「な……なんだと⁉」
他の夫人や令嬢は治ったんだぞ? なのにどうして、よりにもよってカテリーナ夫人だけが⁉
人間じゃなくて豚だからか⁉ 家畜では人間と違う効き目になるからなのか⁉
困惑していると、ルージェが笑顔で言い放った。
「カテリーナ夫人、死にそうなのですか? ふふっ。わたくし、あのオバサン大嫌いだから嬉しいですわ!」
ルージェ、今は黙っていてくれ! 薬師がドン引きしているじゃないか!
「大変です、アーロン様!」
今度は執事が入ってきた。だからノックしろよ!
私は怒鳴ろうとしたが、執事の言葉にそれどころじゃなくなった。
「明日の薬学王子の訪問ですが……あちらから『今回の話はなかったことに』という旨の書状が届きまして……」
「なぜだ! 理由は⁉」
「『あなたと、あなたの店の薬を信用することができない』とだけ……」
そ、そんな……。信用できないってなんだよ。レイフェルが作った薬のはずだぞ……?
私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
第二話 『蛇の集い』
「今日もいい天気だなぁ……」
早朝特有のすっきりとした空気。赤とオレンジ色を混ぜたような朝焼けが綺麗だ。
今日も一日の始まりは、森での薬草摘み。
先日の爆破事故で使った薬の補充は、昨日ようやく終わった。
前よりも在庫を多めにしておいた。また、同じようなことがあったときのためだ。
あんなことないのが一番だけど。
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※ざまぁパートは第16話〜です
