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二
しおりを挟む「なっ、なに?」
「なにがあったか知らないけどさ、死んじゃダメだよ」
焦っているような男の声が耳元で叫ぶ。制服越しに伝わる体温が、先程感じた風よりも熱を持って二瑚を包み込む。生温かな、生きた人間の体温。それがお天道様の照り返しと合わさって、熱い。
「あ、あの。離してください」
状況が飲み込めずに身を固くしながら、精一杯の勇気を振り絞って二瑚は抗議した。
しかし男は二瑚を抱きしめる力を強くして、かぶりをふった。
「嫌だ。離したら死ぬんでしょ?」
泣き出しそうな男の声に、二瑚は自分が驚いているのか怖がっているのかもわからないまま、慌てて言葉を返した。
「死なない……ていうか、別に死のうとなんてしてませんから、私!」
二瑚が叫ぶと、素っ頓狂な声を上げて、漸く男の身体が離れた。
二瑚に死ぬ気がないとわかった少年は、驚かせた詫びだと、近くのコンビニでアイスを奢ると言いだした。訝しみながらも、悪意を感じさせない少年の陽気な笑顔に逆らえず、二瑚は彼の後をついて来てしまった。
しかし会計のとき、少年は財布を持っていないと言いだした。二瑚は呆れた。それでも、「お詫びのアイスを買ってあげることもできない」と言って項垂れる彼の姿を見たら、なんだか可哀想に思えてきた。そして気付けば二瑚が彼にアイスを奢っていた。
「ありがとう」
少年は満面に笑みを浮かべて言った。
嬉しそうにソーダ味のアイスを舐め始めた彼の隣に、二瑚も腰を下ろす。
コンビニの駐車場脇に置かれたベンチ。鍍金が剥がれたり汚れていたりして元の色がよくわからないそこで、二人は肩を並べている。ちょうど木陰になっていて涼しい。
青い氷の塊を器用に舌で舐めていく姿を見ていると、初対面の相手だというのに、なぜだか懐かしさを覚えた。不思議と、彼に対する警戒心が薄れていく。否、そんなものはもうとっくに消え去っている。
「ねえ、名前教えてよ」
問いながら、二瑚もアイスを袋から取り出した。
「……波知」
そう答えた少年は少しだけ挙動不審だった。
その名に二瑚は少しだけ驚いて、視線を隣に座る彼へと向けた。
肩ほどまで伸びた赤みの強い茶髪は、真夏の太陽の下でも暑苦しさを感じさせず、元からその色なのかと思うほど綺麗だ。細くやわらかそうな髪はふわふわとしていて、まるで幼子のように無邪気な笑顔を浮かべる彼によく似合っている。
(全然似てないなぁ)
波知。その名前を聞いて小学生の頃に想いを寄せていたクラスメイトの顔を思い出したのだが、隣に座る彼にその面影を見つけることはできない。初恋の彼はどちらかというと無愛想な表情が格好いい男の子で、隣の彼のような笑顔を浮かべるような人ではなかった。
「えっと……なにかな?」
困惑顔の波知に問われ、二瑚は彼の顔を凝視していたことに気付いた。
「あ、ごめんなさい。違うの」
会ったばかりの、それも異性の顔を至近距離で無遠慮に眺めてしまった。そのことが恥ずかしくて、二瑚は体温が上がっていくのを感じながら慌てて視線を逸らした。
「あの、犬をね、思い出しちゃって。昔飼っていた犬の名前も……ハチだったから……」
なにか言わなくてはと思い、咄嗟に口をついて出た言葉だった。実際、二瑚はハチと名付けた犬を飼っていたことがあるので嘘ではない。だからと言って、そんな理由で人の顔を見つめるというのも可笑しな話である。
「えっと……だから……」
結局まともな言い訳も思いつかず、二瑚は手元のアイスをかじった。早くも溶けかけているアイスを気にしているという体で、どうにか羞恥心から逃れようとする。
「そっか。二瑚は、その犬が好きだった?」
二瑚の言動を怪しむでもからかうでもなく、波知はなんだか嬉しそうに表情を緩めながら訊いてきた。彼は犬好きなのだろうか。
「うん。大切な、大好きな家族だった」
だから亡くなったときは哀しくて毎日泣いていたのだと話すと、波知の手が無言で頭に乗せられた。そのまま、優しく髪を梳くように頭を撫でられる。
二瑚は再び驚いて波知を見上げた。歳の近い異性にこんなことをされるのは恥ずかしかったが、なぜだか哀しそうに眉尻を下げている波知を見ると、やめてとは言えなかった。
そのまま大人しく頭を撫でられていると、二瑚がアイスを食べ終えたのを見計らって、波知がぽつりと呟いた。
「二瑚は、本当に死のうとしてたわけじゃないんだよね?」
迷子の子どもよりも不安気な波知の声に、二瑚の心がざわりと揺れた。
また胸の奥で《奴》が暴れ始めたのではないかと心配したが、その様子はない。寧ろ《奴》が現れたときとは正反対のざわめきだ。不安はあるけれどそれは自身を押し潰すものではないし、苛立ちなんてこれっぽっちも感じられない。
波知の零れんばかりの大きな漆黒の瞳。そこに二瑚の姿が映っている。
不安はそこにあった。これは、波知が抱いている不安だ。
「さっきの二瑚、思い詰めた顔で川を睨みつけてた。それを見て、胸がぎゅって苦しくなって、慌てて二瑚を止めなきゃって――」
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