メタモ

さくら

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 告げられた言葉に、耳を疑い、同時に電話口の声が遠くなる。
 持っていた身分証の写真とご遺体の顔が同じなので間違いはないでしょうが、一応、古橋綾人さんで間違いないかの確認に――。古橋さんのご家族は海外に在住して――。帰国前に同居人である広瀬さんに確認していただきたいと、ご家族の要望で――。古橋――。事件――。死亡――。
 伊藤と名乗った警察官がまだなにか話しているが、言葉が耳の上を滑っていく。
 意味がわからない。だって、ついさっきまで一緒にいたのだ。唐突におでんが食べたいと言われたから具材を買ってきて、煮始めた頃に辛子を買い忘れたことに気付いて。近くのコンビニで買ってきてほしいと頼んで、それからまだ十五分も経っていない。
 出掛けたばかりの綾人が、死んで、埋められていた?
 そんなはずがないだろう。
「最後に古橋さんと連絡がとれたのは、いつ頃かわかりますか?」
 問われた瞬間、沸騰しきった鍋から泡が溢れだした。飛びかけていた意識が現実に引き戻される。
 冬彦は慌てて火を止めると、かろうじて聞き取れていた質問の答えを口にした。
「さっき。つい、さっきです」
「は? いえ、あの……古橋綾人さんご本人と連絡をとられた日を知りたいのですが」
「だから、さっきです。さっきまで、綾人と一緒にいました」
 答える冬彦に、警察はそんなはずはないと事実を否定する。
「ご遺体の損傷具合から見ても、少なくとも死後、半年は経過しているはずなんです」
「……は?」
 半年。そんなわけがない。
 半年前といえば、丁度メタモがいなくなった時期だ。その頃から綾人はずっと、この家にいた。放浪の旅に出ることもなく、ずっと冬彦の傍にいてくれたのだ。
 メタモがいなくなり、傷心していた冬彦の側に……。
 ふいに、綾人がメタモを買ったときに店主が言っていたという言葉を思い出した。
『ペットは主人に似るというけれど――』
 深く考えたことはなかったが、あれはどういう意味だったのだろう。
 嫌な胸騒ぎを覚えた。そのとき、
「ただいまぁ」
 玄関から、綾人の声が響く。
「とりあえず、古橋さんのご家族にももう一度連絡を入れますので。その後で広瀬さんには――」
 電話の向こうでは、警察が一方的に話しを続けている。
 金持ちだという綾人の両親は、海外のどこにいるのだろう。国内であいつが頼れる奴なんて、自分の他に冬彦は知らない。そんな必要かもわからないことを、どこか遠退く意識で思う。
「あ、ごめん。電話中?」
 すぐ背後で綾人の声がした。振り返ると、そこには間違いなく彼が立っている。
「もしもし。どうしました?」
 耳元で警察の声がして、冬彦は困惑しながらも口を開く。
「あの、本当に、そいつは……」
 警察署にある遺体は綾人のものなのか。
 そんなはずはない。彼はいまも冬彦の目の前にいて、この半年ずっと一緒に暮らしているのだから。
 綾人が半年前に亡くなった?
 じゃあ、ここにいる綾人は?
 目の前にいるのは誰だというのか。
 半年前。半年前には、突然メタモがいなくなった。それ以来ずっと、綾人は冬彦の側にいてくれている。メタモがいなくても寂しくないように。放浪癖もなくなって。ずっと一緒に。
 本当に?
 本当にいなくなったのは、メタモだったのだろうか?
『ペットは主人に似るというけれど、こいつは主人になっていく』
 綾人が聞いたという店主の言葉が、頭から離れない。久しぶりに、メタモに関することで気味の悪さを感じた。
 どうして綾人はこの間、宮殿を撮影した場所を思い出せなかったのだろう。彼らしくないと覚えた違和感が、いまになって膨らんでいく。
「どうした、冬彦。電話の相手、誰?」
 スマホを耳に当てたまま黙り込んだ冬彦を心配してくれているのだろうか。それにしては険しい顔をした綾人が近付いてきて、スマホを持つ冬彦の腕を掴んだ。
 痛い。思わずスマホを床に落としてしまうくらいには、掴まれた腕が痛かった。
「どう、して……」
 掠れた声が洩れる。腕は未だ、綾人の手に掴まれたままだ。彼の、握力が失われて久しいはずの右手に――。
 込められた右手の力に驚いて、冬彦は電話の向こう側に向かって叫ぶ。
「助けて!」
 直後、綾人の目がぎょろりと冬彦を見つめた。
 
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