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第二章 誠忠のホムンクルス
第77話 悪夢
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――グラスの最初の記憶は、腐臭漂うゴミ箱の中だった。
そこに捨てられていたときの記憶か、或いは生きるためにゴミを漁っていたときの記憶かは定かではない。
金と欲望が渦巻く街、ロエンガマの片隅でストリートチルドレンとして生きてきた日々は、その後の生活と比較するにかなり過酷だ。
砂漠の中心にオアシスのように出現する街、ロエンガマには、この世のありとあらゆる欲望に溢れていた。
だが、華やかな街の裏には、この世の全ての絶望が詰まったような地獄があることを訪れる人々は知らないし、見向きもしないだろう。そこに堕ちた大人は、凄惨な最後を辿るが、やがて『掃除』される。
ストリートチルドレンの末路も同じだ。大人になれば、ゴミを漁るだけでは生きていけない。子供という立場を利用して、生きるために食いつなぎ、仲間と身体を寄せ合って眠る日々。運が良ければ人買いに連れて行かれ、そうでなければ街の片隅で屍になるか『掃除』の対象になる。わかりやすい生と死の縮図があることは、幼くても本能的に理解出来た。
育ての親、フェイル・ディメリアと出会ったのは、雪の舞う冬の日だった。
数日前にもねぐらにしていた地下通路を訪れたこの男は、迷わずに僕の元へとやってきて、養子に迎えたいと言い出した。
僕はソイルという名を捨て、フェイルから、『グラス=ディメリア』という新しい名を与えられた。
旅の錬金術師だというフェイルは、僕が雑草のように強く生きている姿に心打たれたと告げ、その名を僕に贈った。僕はフェイルから錬金術を学ぶことを条件に、人並みの生活を与えられた。
最初の頃こそ、文字の読み書きに苦心したものの、フェイルの熱心な教育により、すぐに彼の期待に応えることが出来るようになった。
フェイルは僕の成長を喜び、次々と新たな課題を与え、時には自分の仕事を手伝わせた。親のいない僕にとって、フェイルとの安定した生活は、これまでに感じたことのない心の平安をもたらすものだった。
ソイルだった頃の自分には考えられない生活、『グラス』という新しい名前、外の世界と錬金術の知識を教えてくれる養父――フェイル・ディメリアを、僕は誰よりも尊敬していた。
なにかに憑りつかれたように研究にのめり込む姿には、子供心に危険なものを感じ、怖いと思っていたが、それを表に出さずに養父を支えることが自分の役割だと信じていた。
まだ子供だった頃の自分は、彼の力になれる自分が誇らしかったのだ。
「――優秀だからこそ『材料』に相応しいのだよ、雑草はね」
冷たい言葉とともに、容赦なく首に手がかけられる。フェイルは、僕を人間として見てはいなかった。教育も知識も全てはホムンクルスの『材料』にするため。知識の詰まった人間を材料に使えば、効率良く質のよいホムンクルスを錬成できるからだった。
息が出来ずに、必死で抵抗した僕は、気がつけば血溜まりの中にいた。
藻掻きながら必死に伸ばした手で掴んだ彫像で、無我夢中で養父を殴り続けたらしい。血溜まりの中で動かなくなった養父の姿を見て、安堵の息を吐いたのも束の間、とてつもない罪悪感に襲われた。
赤く染まった彫像は、僕が初めて錬金術で認められた記念に得たトロフィーだ。床にぞんざいに転がされていたそれは、養父の僕への態度が偽りであったことを皮肉にも示していた。だが、僕にはもうそれを責めることはできない。
――殺してしまった……。
最も信頼し、尊敬していた養父の裏切りと、この手で殺めたという取り返しのつかない罪の重さに、心臓が早鐘のように脈打ち、冷たい汗が噴き出す。
「あぁああああああああっ!」
「マスター、マスター!」
夢の中のグラスが絶叫すると同時に、ホムの悲鳴のような声で現実に引き戻された。
「……ホム……」
「ここにおります」
僕の覚醒を確かめたホムが、ベッドの傍らに片膝をつく。
「夢……か……」
わかっていたが、改めて確かめたくて呟くと、ホムが静かに頷いた。大きく息を吐いて、呼吸を整える。動悸も酷く呼吸も荒い。しかも、喉がヒリヒリと痛いところをみると、どうやら僕自身も叫び声を上げていたようだ。
「……ずいぶん魘されていらっしゃいましたが、大丈夫でしょうか? 冷たいお水か、温かいお飲み物ををお持ちしましょうか?」
どうやらホムは、僕が魘されていたので心配になって起こしてくれたようだ。だが、それに感謝できるほど、僕の心に余裕はなかった。
――やはりホムンクルスが、全ての元凶だった……。
わかっていて、ホムを作った。全てはホムを利用し、僕と大切な人たちを守るために。そこまで割り切っていても、今、ホムが同じ部屋にいることに耐えられそうになかった。
「……大丈夫だ。大丈夫だから、一人にしてくれ」
「かしこまりました」
ホムは頷き、部屋を出て行った。同室なのを忘れて追い出してしまったが、夜明けは近いしどうにかなるだろう。
「……違う、もうあれは過ぎたことだ……。僕はホムンクルスの材料なんかじゃない」
そう、僕は雑草じゃない。僕はリュージュナ夫妻の娘。父ルドラと母ナタルの間に生まれた、リーフ・ナーガ・リュージュナだ。
繰り返し自分に言い聞かせながら、膝を抱き、身体を丸める。そうしていないと、全身を包む嫌な震えはおさまりそうになかった。
そこに捨てられていたときの記憶か、或いは生きるためにゴミを漁っていたときの記憶かは定かではない。
金と欲望が渦巻く街、ロエンガマの片隅でストリートチルドレンとして生きてきた日々は、その後の生活と比較するにかなり過酷だ。
砂漠の中心にオアシスのように出現する街、ロエンガマには、この世のありとあらゆる欲望に溢れていた。
だが、華やかな街の裏には、この世の全ての絶望が詰まったような地獄があることを訪れる人々は知らないし、見向きもしないだろう。そこに堕ちた大人は、凄惨な最後を辿るが、やがて『掃除』される。
ストリートチルドレンの末路も同じだ。大人になれば、ゴミを漁るだけでは生きていけない。子供という立場を利用して、生きるために食いつなぎ、仲間と身体を寄せ合って眠る日々。運が良ければ人買いに連れて行かれ、そうでなければ街の片隅で屍になるか『掃除』の対象になる。わかりやすい生と死の縮図があることは、幼くても本能的に理解出来た。
育ての親、フェイル・ディメリアと出会ったのは、雪の舞う冬の日だった。
数日前にもねぐらにしていた地下通路を訪れたこの男は、迷わずに僕の元へとやってきて、養子に迎えたいと言い出した。
僕はソイルという名を捨て、フェイルから、『グラス=ディメリア』という新しい名を与えられた。
旅の錬金術師だというフェイルは、僕が雑草のように強く生きている姿に心打たれたと告げ、その名を僕に贈った。僕はフェイルから錬金術を学ぶことを条件に、人並みの生活を与えられた。
最初の頃こそ、文字の読み書きに苦心したものの、フェイルの熱心な教育により、すぐに彼の期待に応えることが出来るようになった。
フェイルは僕の成長を喜び、次々と新たな課題を与え、時には自分の仕事を手伝わせた。親のいない僕にとって、フェイルとの安定した生活は、これまでに感じたことのない心の平安をもたらすものだった。
ソイルだった頃の自分には考えられない生活、『グラス』という新しい名前、外の世界と錬金術の知識を教えてくれる養父――フェイル・ディメリアを、僕は誰よりも尊敬していた。
なにかに憑りつかれたように研究にのめり込む姿には、子供心に危険なものを感じ、怖いと思っていたが、それを表に出さずに養父を支えることが自分の役割だと信じていた。
まだ子供だった頃の自分は、彼の力になれる自分が誇らしかったのだ。
「――優秀だからこそ『材料』に相応しいのだよ、雑草はね」
冷たい言葉とともに、容赦なく首に手がかけられる。フェイルは、僕を人間として見てはいなかった。教育も知識も全てはホムンクルスの『材料』にするため。知識の詰まった人間を材料に使えば、効率良く質のよいホムンクルスを錬成できるからだった。
息が出来ずに、必死で抵抗した僕は、気がつけば血溜まりの中にいた。
藻掻きながら必死に伸ばした手で掴んだ彫像で、無我夢中で養父を殴り続けたらしい。血溜まりの中で動かなくなった養父の姿を見て、安堵の息を吐いたのも束の間、とてつもない罪悪感に襲われた。
赤く染まった彫像は、僕が初めて錬金術で認められた記念に得たトロフィーだ。床にぞんざいに転がされていたそれは、養父の僕への態度が偽りであったことを皮肉にも示していた。だが、僕にはもうそれを責めることはできない。
――殺してしまった……。
最も信頼し、尊敬していた養父の裏切りと、この手で殺めたという取り返しのつかない罪の重さに、心臓が早鐘のように脈打ち、冷たい汗が噴き出す。
「あぁああああああああっ!」
「マスター、マスター!」
夢の中のグラスが絶叫すると同時に、ホムの悲鳴のような声で現実に引き戻された。
「……ホム……」
「ここにおります」
僕の覚醒を確かめたホムが、ベッドの傍らに片膝をつく。
「夢……か……」
わかっていたが、改めて確かめたくて呟くと、ホムが静かに頷いた。大きく息を吐いて、呼吸を整える。動悸も酷く呼吸も荒い。しかも、喉がヒリヒリと痛いところをみると、どうやら僕自身も叫び声を上げていたようだ。
「……ずいぶん魘されていらっしゃいましたが、大丈夫でしょうか? 冷たいお水か、温かいお飲み物ををお持ちしましょうか?」
どうやらホムは、僕が魘されていたので心配になって起こしてくれたようだ。だが、それに感謝できるほど、僕の心に余裕はなかった。
――やはりホムンクルスが、全ての元凶だった……。
わかっていて、ホムを作った。全てはホムを利用し、僕と大切な人たちを守るために。そこまで割り切っていても、今、ホムが同じ部屋にいることに耐えられそうになかった。
「……大丈夫だ。大丈夫だから、一人にしてくれ」
「かしこまりました」
ホムは頷き、部屋を出て行った。同室なのを忘れて追い出してしまったが、夜明けは近いしどうにかなるだろう。
「……違う、もうあれは過ぎたことだ……。僕はホムンクルスの材料なんかじゃない」
そう、僕は雑草じゃない。僕はリュージュナ夫妻の娘。父ルドラと母ナタルの間に生まれた、リーフ・ナーガ・リュージュナだ。
繰り返し自分に言い聞かせながら、膝を抱き、身体を丸める。そうしていないと、全身を包む嫌な震えはおさまりそうになかった。
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