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第三章 暴風のコロッセオ

第154話 ぽかぽかタイム

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 食堂を出たのが最後だったので、大浴場はほとんど僕たちの貸し切りだった。

 学年別の序列をなくす目的があるのか、基本的には学年での交代制になっているらしい。一年生の番はなかなか回ってこないので、ご褒美的に使われるのだろうな。

 前世の僕グラスは錬金術以外のことに興味を示していなかったこともあり、こうした大浴場で気心の知れた仲間と寛ぐというのは、なかなかに新鮮だ。

「ふふふっ。いい匂いだね、リーフ♡」

 マチルダ先生の薬湯の効果を、最大限活かそうとしているのか、珍しく角膜接触レンズコンタクトを外したアルフェが、いつもは隠している金色の浄眼を煌めかせて喜んでいる。

「そういえば、浄眼のままでいるのは久しぶりだね」
「うん。ここでは浄眼を隠す必要もないし、たまにはいいかなって」

 そういえば、この学園の貴族には両目が浄眼の上級生もいたな。亜人差別はあるものの、浄眼が差別されている様子はないし、もしかするとアルフェがコンプレックスから解放される良い機会なのかもしれない。落ち着いたら作り直そうと思っていたけれど、もう少し様子を見てみた方が良さそうだ。

「どうしたの、リーフ。そんなに見つめて」
「ううん。アルフェの瞳はやっぱり綺麗だなと思って」

 本当に久しぶりに角膜接触レンズコンタクトをしていないアルフェの瞳を見たな。見つめていると吸い込まれそうに美しくて、僕としてはずっとこのままでいてほしいくらいだ。アルフェに無理強いをするつもりはないけれど。

「早く入ろうか。マチルダ先生の薬湯も久しぶりだしね」

「うん。初回の授業で一番にクレイゴーレムを倒したらご褒美をくれるって言うから、リリルルちゃんと頑張ったんだ」

 ああ、なるほど。薬湯はアルフェとリリルルのリクエストのようだ。だからリリルルがヴァナベル経由で伝言を頼んだんだろうな。伝言にしたのはF組のF同盟が理由というよりは、一番風呂に入りたかったせいかもしれない。

 そういう意味ではアルフェもかなり疲れているだろうに、僕たちと一緒にいるときは笑顔を保っているのがすごいと思う。昔は泣き虫だったアルフェも、すっかり頼もしい姿を見せるようになったな。僕はその姿を当たり前だと思わないように、ずっと覚えておこう。アルフェは繊細で優しくて、いつだってみんなのことを一番に考えてくれる子だ。その分、自分のことを犠牲にしかねないから気をつけておかないと。

「まあ、最後になっちまったけど、これなら好き勝手しても怒られねぇだろうし、結果オーライだな」

 あっという間に服を脱いだヴァナベルが、ここぞとばかりに湯船に飛び込む。

「にゃはっ! 広いからって泳ぐなよ~」

 ファラがヴァナベルがやりそうなことに気づいて指摘したが、ヴァナベルは気にせず全身を湯に浸している。泳ぐというよりは潜っているような感じだ。

「ヌメも~」

 そういえばヌメリンと入浴が一緒になるのは初めてだな。ヌメリンの頭髪に当たる部分は蝓蝓つゆつゆ族特有の粘液のもので覆われていて、流動しているわけだが、これは濡らしても大丈夫なものなのだろうか。

「それーっ!」
「わっぷ! 飛び込むんじゃねぇよ!」

 僕の心配をよそにヌメリンが勢い良く湯船に飛び込む。水しぶきの向こうから、ヴァナベルの悲鳴が上がった。

「……ったく、ヌメ~。お前はこうしてやるっ」
「あ~~~んっ!」

 湯船ではヴァナベルとヌメリンが楽しげにじゃれあっている。ヴァナベルがヌメリンの頭に湯をかけてわしわしと髪のような形状の粘液に揉み込んでいるが、あれは大丈夫なんだろうか……?

「リーフも、行こっ」

 僕の手を引いて脱衣所から浴室に入ったアルフェが、なにかに気づいて立ち止まる。

「あれ? ヌメリンちゃん……」

 アルフェの視線を辿ると、ヌメリンの頭を覆っていた粘液が湯船の湯を吸収して膨らんでいるのが見えた。

「それ……大丈夫なのかい?」

 あまりに興味を惹かれすぎて、気がついたときにはヌメリンに直接聞いてしまっていた。

「大丈夫だよぉ~」

 ヌメリンは重そうに膨らんだ髪をぷるぷると揺らしながら振り返ると、毛先に当たる部分を掴んで引き抜いた。

「ひぇっ! 大丈夫じゃねぇだろ!」

 度肝を抜かれたファラが驚愕の悲鳴を上げている。ヌメリンの粘液で覆われた髪は、引き抜かれた傍からぼたぼたと湯の上に落ち、薬湯の上にピンク色の粘液状の塊となってぶよぶよと広がっていく。

「おっし、良い感じに抜けたな。久しぶりにアレやるか!」

 ヴァナベルが慣れた様子でヌメリンの抜け落ちた粘液を拾いあげ、身体や顔に塗り始める。

「へ……? なにしてんだぁ?」
「なにって、蝓蝓族の産地直送美容液だよ。これやると、肌の調子が良くなるし、怪我も早く治るぜ。ほらっ」
「遠慮なくどーぞ♪」

 ヌメリンを見ると、いつの間にか抜け落ちた髪の粘液が元に戻っている。どうやら水を含むと膨らんで抜け落ちる性質があるらしい。しかもヴァナベルの話が本当だとすると、知る人ぞ知る美容液のようなものらしい。

「にゃはっ! なんだこの、初めての感覚~っ」

 興味津々に腹部に粘液を塗りつけたファラが、くすぐったそうにくねくねと身体を動かしている。

「お湯でふやけてるせいか、あったかくて気持ちイイにゃ~」

 すっかり気に入った様子で、湯から粘液を集めて身体の彼方此方に塗りたくっている。

「だろ?」

 顔を含めてほぼ全身に粘液を塗ったヴァナベルが、湯に足を泳がせながらリラックスした様子を見せている。二人の様子を見るに、かなり気持ち良さそうだな。

「アルフェもやる~。リーフとホムちゃんもやろうよ」
「そうだね」
「是非お願いします」

 アルフェが代表してヌメリンの粘液を湯から回収し、僕とホムに手渡してくれる。湯で温まった粘液は、触れただけでしっとりとしているのがわかり、肌にすっと馴染む感じがした。

「お肌がすべすべになるんだよぉ~」

 ヌメリンも自分の顔に塗り込みながら、にこにこと教えてくれる。

「なんかいいなこれ。けど、生え替わるのって体力使うんじゃないのか?」
「一回だけならスッキリするよ~。何度もやると身体の水分バランスが変わって疲れちゃうんだ~」

 ああ、なんだかわかる気がする。今日は軍事科の実践演習がかなり激しかったようだし、ヌメリンもすっきりしたかったんだろうな。

「……それはそうと、来週からの共通授業の軍事訓練の話、聞いてるか?」

 ひとしきりヌメリンの抜け落ちた髪の粘液で身体をしっとりと潤したところで、ヴァナベルが切り出した。

「なにかあるのかい?」
「機兵が追加されるんだよ」

 ああ、そういえば機兵の操縦訓練も共通授業の軍事訓練の必須科目だったな。軍事科は今日の授業で先に情報が出されたらしく、ホムも相槌を打っている。

「どんな機体を使うんだい?」
「レギオンっていう二百年前の戦争で使われた機体を使うとかって、話だな」
「はぁ、二百年前って化石みてぇだな。動くって方が驚きだぜ」

 ファラの話にヴァナベルが大きく息を吐く。それから、ふと思い出したように僕を見つめた。

「っていうか、そんなガチの機兵に、リーフは乗れるのかよ?」
「ああ、僕なら心配ないよ。特別にアーケシウスを持ち込んでいるからね」
「アーケ……なんだ?」
「まあ、レギオンには敵わないけれど、骨董ものの従機だね。僕が修理と改良を施して、カスタマイズしてある」

 馴染みがない従機の名前を繰り返しても意味がないので、簡単に掻い摘まんで説明する。ヴァナベルはふんふんと相槌を打ちながら聞いていたが、僕の話を最後まで聞いてから、突然立ち上がった。

「はぁ!? てめぇで乗れるようにしたってことかぁ!?」
「そうだけど――」
「すっげーーーー!!」

 ヴァナベルの驚嘆の叫びが大浴場に響き渡る。

「声がおっきいよ、ベル~」
「オレらしかいねぇんだし、いいんだよ」
「にゃはっ。けど、適性値の測定はレギオンがベースになってるって話だぜ?」

 この体格なので減点要素は出来るだけ排除しておきたいところだが、それは想定外かもしれない。

「それは……ちょっと困るな」
「どうしたの、リーフ?」
「……脚が届かないかもしれない」

 僕がぽつりと打ち明けると、ヴァナベルが湯船の湯を叩いて笑い飛ばした。

「あっははははっ! 確かに乗れねぇってのに、同じ機体で適性値が測れるかよって話だよなぁ! タヌタヌ先生に話しといてやるぜ!」

 今から行くつもりなのか、ヴァナベルが勢い良くまた湯船から上がり、そのまま行ってしまった。

「親切……なのかな?」

 あまりの行動の速さにアルフェが面食らった様子で目を瞬いている。

「まあ、彼女なりの親切だろうね」
「改心されたようで良かったです」

 馬鹿にされるかと思えば、心から心配されたのには僕も驚いたけれど。

「ふふっ。ベルは不器用だけど、リーフにはすっごく感謝してるからねぇ~」
「そうなのか!? 今のうちに喋っちまえよ、ヌメリン!」

 ヌメリンの含みのある発言にファラが飛びつく。

「それはヌメとベルの仲だから~、秘密~」

 にこにこと笑うヌメリンは、それ以上は教えてくれなかった。

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