愛ゆえに～幼馴染は三角関係に悩む～

9．鞭打ちの罰

遠乗りでずぶ濡れになってから、フェルディナントは案の定熱を出して寝込んだ。ヨハンは侯爵夫妻の怒りを買い、鞭打ち10回の罰を受けた後、謹慎2週間を被ることになった。フェルディナントは高熱で朦朧としながら寝台の上から両親に懇願した。

「父上、母上…ヨハンは悪くありません。私が遠乗りに行くと言ってきかなかったからヨハンは付き合っただけです」
「庇っても無駄ですよ。もう鞭打ちさせましたからね」
「そんな…！」

侯爵家の執事であるヨハンの父は、主人に命令された通り、ヨハンに鞭を打った。ヨハンの父も、豪雨になりそうな天候の中で身体の弱い侯爵家の跡取りを連れ出した自分の息子に怒り心頭で、ヨハンの背中に思いきり鞭打った。

鞭打ち後、ヨハンは傷がひどく痛んで自室でうつ伏せになって唸っていた。白いシャツの後身頃は所々裂けて血が滲んでいた。

ヨハンのように住み込みで独身の使用人は、通常、他の使用人と相部屋だが、ヨハンはフェルディナントのお気に入りの侍従になってから両親の部屋から独立して個室を与えられていた。ヨハンにとって誰かが同室じゃなくて幸いだった。こんな姿は誰にも見せたくない。

コンコンとノックの音がしたような気がしたが、ヨハンは鞭打ちの痕が痛くてそれどころではなかった。すると今度はもっと強く扉がノックされ、流石にヨハンにも聞こえた。ヨハンがなんとか返事すると、洗濯や掃除を担当する下女のロゼが入って来た。

「ああ！ヨハン！かわいそうに！ニコから軟膏をもらってきたよ。化膿するといけないから塗ってあげる。シャツを脱いで」

ロゼは庭師のニコと付き合っているわけではないが、彼女に気のあるニコから色々物を融・通・し・て・も・ら・っ・て・い・る・。なのにロゼはなにかとヨハンに構ってくるのだ。

「いいよ。痛いからしばらくこのままじっとしてるよ」
「何言ってるの！最初が肝心だよ。早く脱いで！」
「いいってば！」
「遠慮しないで！あんたの怪我してる背中見て欲情するってわけじゃないんだから！それにしても旦那様もあんたの父さんも酷いね。元はと言えば坊ちゃんの我儘のせいだって言うのに」
「我儘なんかじゃない！そんなこと誰が言った？」
「えっ？！」

怒りを隠せず低い声で問い詰めたヨハンにロゼは怯んだ。

「誰が言った？」
「だ、誰って…皆だよ、使用人皆」
「皆？」
「ああそう。誰が最初に言ったかなんてもうわからないよ。皆、勝手に色々話してるんだから」

ヨハンがシャツを脱ぎそうもないもないのを見てロゼはシャツに手を伸ばした。

「触るな！」
「えっ？！」
「あ…済まない。シャツが背中にちょっと触れるだけで激痛が走るんだ。放っておいてくれないか」
「わかったよ。軟膏は置いていくから落ち着いたら後で誰かに塗ってもらうといいよ」
「ありがとう」

ロゼが部屋を出て行くと、ヨハンは大きなため息をついた。

その日の夜――ヨハンの部屋で普通と違うノックの音がした。

――コン、コンコン、コン、コンコン

その音でヨハンはフェルディナントとわかって急いで起き上がって扉を開けた。

「フェル！駄目じゃないか！まだ熱があるだろう？」
「もうほとんど下がったよ。それより背中はどう？ドミニク先生から軟膏をもらってきたよ。塗ってあげる。シャツを脱いで」

フェルディナントの持って来た軟膏はロゼのものより薬効があり、一介の使用人には高すぎる。だが、フェルディナントは両親に内緒でドミニクからこっそり調達した。

「…うっ！」

シャツを脱ぐとまだ瘡蓋で塞がっていない傷が擦れて激痛が走った。

「…ごめん……僕のせいで…」
「違うよ。俺の判断ミス」
「そんな…」

フェルディナントが軟膏を塗る手の横でポタポタと雫がヨハンの背中に落ちた。

「うっ！染みるっ！」
「ごめん…もうそろそろ行かなきゃ。軟膏は置いていくよ。明日また塗ってあげる」

汗ばんで前髪が張り付いたヨハンの額にフェルディナントはキスを贈って部屋を出て行った。

翌日、めげずにロゼがまたヨハンのところに来た。

「ヨハン！少しはよくなった？軟膏、塗ってあげるよ！」
「いいよ、もう塗っ…」

塗ってもらったからと言おうとしてヨハンはあわてて口を噤んだ。ヨハンはフェルディナントのお気に入りになってただでさえ使用人達の妬みを買っている。ロゼの口が堅いのならいいが、残念ながらそうではない。

「いいから、いいから！昨日、親父に塗ってもらったから大丈夫！」
「ほんとに？ヨハンの父さんが塗ってくれるとは思えないんだけど…」
「いいから！じゃあね！」

ヨハンはロゼを半ば無理矢理部屋の外へ出したが、その前に軟膏の容器がナイトテーブルの上に2個乗っているのがロゼの目に入ってしまった。目ざとい彼女は、そのうちの1つが高級品だとほんの一瞬で見分けてしまった。