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2.見知らぬ老夫婦
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この国には、6歳から12歳までの平民の子供達が最低限の読み書きや計算などを習う義務教育の学校があり、イレーネとカイも通っていた。
イレーネとカイが最終学年になった年、学校からの帰宅途中に2人の傍へどこかの紋章がついた黒塗りの立派な馬車が停まった。カイは警戒してイレーネを後ろに隠したが、呑気なイレーネは見たことのないピカピカの馬車を見たくてカイの後ろから首を伸ばした。
「カイ、こんな馬車見たことないよ。すごいね。私達に何か用かな?」
「そんなわけないよ。いいから、早く行こう」
カイはイレーネの腕を引っ張ったが、イレーネは立派な馬車に目を見開いて足に根が生えたかのようにその場から動かなかった。
そうこうしているうちに、馬車の扉がガチャリと開き、見知らぬ老紳士と老婦人が降りて来た。彼らの身なりは、父親の代書屋の客なんかよりもずっと上等だった。
「あなた達がイレーネちゃんとカイくん?」
優しそうな老婦人が2人に質問すると、イレーネはすぐに何か言おうとした。だがイレーネが口を開く前に、カイはすばやく彼女の口をふさぎ、警戒心を露わに尋ねた。
「あなた達は誰ですか?」
「わたし達は、あなた達のおじいちゃん、おばあちゃんなの。一緒にちょっとお出掛けしておいしいケーキでも食べましょうか?」
「うん、食べ……」
「駄目だよ、イレーネ! 知らない人についていっちゃ駄目って、お父さんも学校の先生も言ってたでしょ?」
「心配しないで。わたし達は、本当にあなた達のおじいちゃん、おばあちゃんなの。あなた達のお母さんも一緒に来ているわよ。ほら、馬車の中を見て」
さっき老紳士と老婦人が降りて来た馬車には、本当にイレーネとカイの母ウルリケが乗っており、窓際で手招きしていた。
ウルリケは普段滅多に出かけられないから、家族そろって外出した思い出が2人にはほとんどない。ウルリケがこの人達と一緒に外出したこと自体、2人にとっては驚きだった。
母の姿を見たカイは警戒心を少し緩め、イレーネと一緒に老夫婦の後を馬車までついて行った。老夫婦は2人に馬車に乗るように勧めたが、カイはすぐに乗ろうとしたイレーネを制止してウルリケに問いただした。
「お母さん、この人達がお母さんのお父さん、お母さんだって言っているけど、本当なの?」
「そうよ。後で説明するから、今は馬車に乗ってくれる?」
「え、でも……」
「心配ないわよ。ほら、ここにいつまでも馬車が停まっていたら、邪魔になるでしょう? とにかく乗って」
イレーネは喜び勇んで乗り込み、カイは渋々姉の後に続いた。
馬車はそれから貴族街の方へ進み、2人が行ったこともないような高級カフェの前で停まった。イレーネは馬車の窓にぴったり顔をつけて目を見開いた。
「うわぁ、すごく綺麗!」
カフェの内部は、天井画が施されてシャンデリアがぶら下がっており、壁にかかっている絵画も室内に置かれている家具も何もかも美しかった。
イレーネは、見たこともない豪華なカフェに興奮のあまり有頂天になり、自分達の服装が高級カフェでいかに浮いているか全く気づいていなかった。
イレーネとカイの服は、ところどころほつれていて、いかにも着古していた。そんな粗末な服を着た2人がカフェに入った途端、悪い意味で他のお客さん達の注目の的となり、ひそひそ話と白い目が2人に向けられた。
だが、教育の行き届いたカフェの店員は何でもないかのように接客し、一行を個室へ素早く案内した。
メニューには、イレーネとカイが見たことも聞いたこともないケーキがずらりと載っていた。実際、貧しい育ちの2人はケーキを食べたことがほとんどなかった。ずっと前、父の羽振りがもう少しよかった頃、誕生日に1度食べたきりである。
老婦人は、戸惑う2人を気遣ってチョコトルテを勧めてくれた。
「チョコトルテはどう? ここの名物なのよ」
「チョコって何ですか?」
「あら……そんな……」
チョコレートは、飲み物としても固形のお菓子としても高級過ぎてイレーネ達が口に入れられる代物ではなかった。裕福な老婦人は、孫達がチョコレートを見たことも聞いたこともないような環境で育ったことを知り、言葉に詰まった。
「それじゃあ、チョコトルテを食べてみましょうか。チョコはね、正式にはチョコレートという名前なのよ。見かけは黒っぽいけど、甘くておいしいわよ。チョコトルテは、ケーキの上にそのチョコレートがかかっているケーキなの」
老夫婦は、他にもたくさん注文してくれた。イレーネは、目の前に並べられた色とりどりのケーキに目を見開いた。
「ほんとにこれ、全部食べていいの?!」
「いいわよ」
「お母様、全部はちょっと……イレーネ、あんまり食べ過ぎは駄目よ。晩御飯が食べられなくなるでしょう?」
「大丈夫だよ、お母さん! ケーキは別腹って聞いたことがあるよ。ね、カイ、そうだよね?」
「そうかなぁ……」
ずっと押し黙っていたウルリケが口を開くと、イレーネはますますはしゃいだ。イレーネはケーキをパクパク食べ続けたが、カイはケーキを一口食べただけで黙ってじっと座っていた。
その間に商人がやってきて老夫婦に子供服と靴を渡してすぐに退出していった。老夫婦は、それらをすぐにイレーネとカイに喜び勇んで見せた。
「ほら、見てごらん。お前達の洋服と靴だよ」
夢にまで見たフリルやレースがふんだんにあしらわれたドレスが目の前にあったものだから、イレーネは何着もあるドレスを取っ替え引っ替えして胸に当てて大はしゃぎした。
「うわぁ、かわいい! おじいちゃん、おばあちゃん、本当に私のにしていいの?」
「ええ、もちろんよ。全部あなた達のものよ」
現金なイレーネは、すぐに『おじいちゃん』『おばあちゃん』と老夫婦を呼ぶようになったが、警戒心の強いカイはそう呼ばず、目の前に広げられた服もさっと一瞥しただけだった。
「どれもすごくかわいい! 早く着たいなぁ……」
「今、着てみる?」
「うん!」
「あなた、着替え用に別の個室を頼みましょうよ」
「そうだな。店員を呼……」
老紳士が呼び鈴を鳴らそうとしたちょうどその時、個室の前が急に騒がしくなった。
イレーネとカイが最終学年になった年、学校からの帰宅途中に2人の傍へどこかの紋章がついた黒塗りの立派な馬車が停まった。カイは警戒してイレーネを後ろに隠したが、呑気なイレーネは見たことのないピカピカの馬車を見たくてカイの後ろから首を伸ばした。
「カイ、こんな馬車見たことないよ。すごいね。私達に何か用かな?」
「そんなわけないよ。いいから、早く行こう」
カイはイレーネの腕を引っ張ったが、イレーネは立派な馬車に目を見開いて足に根が生えたかのようにその場から動かなかった。
そうこうしているうちに、馬車の扉がガチャリと開き、見知らぬ老紳士と老婦人が降りて来た。彼らの身なりは、父親の代書屋の客なんかよりもずっと上等だった。
「あなた達がイレーネちゃんとカイくん?」
優しそうな老婦人が2人に質問すると、イレーネはすぐに何か言おうとした。だがイレーネが口を開く前に、カイはすばやく彼女の口をふさぎ、警戒心を露わに尋ねた。
「あなた達は誰ですか?」
「わたし達は、あなた達のおじいちゃん、おばあちゃんなの。一緒にちょっとお出掛けしておいしいケーキでも食べましょうか?」
「うん、食べ……」
「駄目だよ、イレーネ! 知らない人についていっちゃ駄目って、お父さんも学校の先生も言ってたでしょ?」
「心配しないで。わたし達は、本当にあなた達のおじいちゃん、おばあちゃんなの。あなた達のお母さんも一緒に来ているわよ。ほら、馬車の中を見て」
さっき老紳士と老婦人が降りて来た馬車には、本当にイレーネとカイの母ウルリケが乗っており、窓際で手招きしていた。
ウルリケは普段滅多に出かけられないから、家族そろって外出した思い出が2人にはほとんどない。ウルリケがこの人達と一緒に外出したこと自体、2人にとっては驚きだった。
母の姿を見たカイは警戒心を少し緩め、イレーネと一緒に老夫婦の後を馬車までついて行った。老夫婦は2人に馬車に乗るように勧めたが、カイはすぐに乗ろうとしたイレーネを制止してウルリケに問いただした。
「お母さん、この人達がお母さんのお父さん、お母さんだって言っているけど、本当なの?」
「そうよ。後で説明するから、今は馬車に乗ってくれる?」
「え、でも……」
「心配ないわよ。ほら、ここにいつまでも馬車が停まっていたら、邪魔になるでしょう? とにかく乗って」
イレーネは喜び勇んで乗り込み、カイは渋々姉の後に続いた。
馬車はそれから貴族街の方へ進み、2人が行ったこともないような高級カフェの前で停まった。イレーネは馬車の窓にぴったり顔をつけて目を見開いた。
「うわぁ、すごく綺麗!」
カフェの内部は、天井画が施されてシャンデリアがぶら下がっており、壁にかかっている絵画も室内に置かれている家具も何もかも美しかった。
イレーネは、見たこともない豪華なカフェに興奮のあまり有頂天になり、自分達の服装が高級カフェでいかに浮いているか全く気づいていなかった。
イレーネとカイの服は、ところどころほつれていて、いかにも着古していた。そんな粗末な服を着た2人がカフェに入った途端、悪い意味で他のお客さん達の注目の的となり、ひそひそ話と白い目が2人に向けられた。
だが、教育の行き届いたカフェの店員は何でもないかのように接客し、一行を個室へ素早く案内した。
メニューには、イレーネとカイが見たことも聞いたこともないケーキがずらりと載っていた。実際、貧しい育ちの2人はケーキを食べたことがほとんどなかった。ずっと前、父の羽振りがもう少しよかった頃、誕生日に1度食べたきりである。
老婦人は、戸惑う2人を気遣ってチョコトルテを勧めてくれた。
「チョコトルテはどう? ここの名物なのよ」
「チョコって何ですか?」
「あら……そんな……」
チョコレートは、飲み物としても固形のお菓子としても高級過ぎてイレーネ達が口に入れられる代物ではなかった。裕福な老婦人は、孫達がチョコレートを見たことも聞いたこともないような環境で育ったことを知り、言葉に詰まった。
「それじゃあ、チョコトルテを食べてみましょうか。チョコはね、正式にはチョコレートという名前なのよ。見かけは黒っぽいけど、甘くておいしいわよ。チョコトルテは、ケーキの上にそのチョコレートがかかっているケーキなの」
老夫婦は、他にもたくさん注文してくれた。イレーネは、目の前に並べられた色とりどりのケーキに目を見開いた。
「ほんとにこれ、全部食べていいの?!」
「いいわよ」
「お母様、全部はちょっと……イレーネ、あんまり食べ過ぎは駄目よ。晩御飯が食べられなくなるでしょう?」
「大丈夫だよ、お母さん! ケーキは別腹って聞いたことがあるよ。ね、カイ、そうだよね?」
「そうかなぁ……」
ずっと押し黙っていたウルリケが口を開くと、イレーネはますますはしゃいだ。イレーネはケーキをパクパク食べ続けたが、カイはケーキを一口食べただけで黙ってじっと座っていた。
その間に商人がやってきて老夫婦に子供服と靴を渡してすぐに退出していった。老夫婦は、それらをすぐにイレーネとカイに喜び勇んで見せた。
「ほら、見てごらん。お前達の洋服と靴だよ」
夢にまで見たフリルやレースがふんだんにあしらわれたドレスが目の前にあったものだから、イレーネは何着もあるドレスを取っ替え引っ替えして胸に当てて大はしゃぎした。
「うわぁ、かわいい! おじいちゃん、おばあちゃん、本当に私のにしていいの?」
「ええ、もちろんよ。全部あなた達のものよ」
現金なイレーネは、すぐに『おじいちゃん』『おばあちゃん』と老夫婦を呼ぶようになったが、警戒心の強いカイはそう呼ばず、目の前に広げられた服もさっと一瞥しただけだった。
「どれもすごくかわいい! 早く着たいなぁ……」
「今、着てみる?」
「うん!」
「あなた、着替え用に別の個室を頼みましょうよ」
「そうだな。店員を呼……」
老紳士が呼び鈴を鳴らそうとしたちょうどその時、個室の前が急に騒がしくなった。
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