【R18】紅の獅子は白き花を抱く

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紅の騎士は白き花を愛でる

3.ついてきちゃって、よかったの?

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 ごとごとと、馬車の揺れる音だけが、その狭い空間を満たしていた。
 リシェーナと対面で座ったジオークは頬杖をついたまま、窓の外の景色に視線を投げていて、リシェーナに横顔だけを晒している。

 よくよく見ても、やはりジオークは綺麗な顔立ちをしている。
 男の人なのに睫毛は長いし、肌も綺麗。
 男の人なのに、ずるいと思う。

 リシェーナは、あまりじろじろ見ては不躾かな、と思い直し、ジオークが見ているのとは逆の窓の外に視線をやる。
 その、直後だった。


「…ついてきちゃって、よかったの?」


 耳に届いた声に、リシェーナはふっと目の前に視線を戻す。
 そうすれば、いつの間にかジオークはリシェーナを見ていて、その柘榴石の瞳とかちあった。


「おれについてきちゃって、よかったの?」


 唐突な問いかけに、リシェーナは首を傾げる。
「…ダメ?」

 ついてきてはいけなかったのだろうか、と思い、そう問い返せば、慌てたようにジオークは口を開いた。
「あ、違う。 おれが言いたいのは、そんなに簡単に、よく知らない男を信用してよかったの? ってこと」
 つまり、それは、リシェーナのことを案じてくれているということ。
 そして、よく知らないジオークについてきたリシェーナのことを、心配している。
 もしくは、呆れているのだろうか。
 やはり、ジオークは優しい人だ、と思えば、気持ちと表情が、同時に緩んで、リシェーナは慣れない言葉で口を開く。

「わたし、知った」
「え?」
「知った」
 儘ならない言葉に焦れったい思いをしながらリシェーナが繰り返すと、ジオークは苦笑いした。
「結婚式で少し話したくらいじゃ、おれのことなんてわからないでしょ?」

 リシェーナは自分の拙い言葉でどれだけ伝わるかわからなかったが、それでも伝えずにいられなくて口を開く。
「わたし、言葉、上手、ない」
「ああ、いいよ。 気にしないで。 知ってるから」

 やっぱり、ジオークはリシェーナがこの国の公用語であるフレンティア語が得手でないことを知ってくれていたらしい。
 だから、リシェーナは安心して、話すことができたのだと思う。 一呼吸置いて、もう一度言う。
「わたし、あなた、知った」


 じっと、ジオークの柘榴石の瞳を見つめる。
 その方が、言葉に換えられない気持ちが伝わるような気がしたから。
「父、たくさん、来た」

 リシェーナが言えば、ジオークは目を見張った。
 リシェーナの瞳に、嘘はないとわかったのだろう。
 ジオークは苦笑すると、鷹揚な動作で自分の紅緋の髪を一房、つまんだ。
「…目立つって…損得両方なんだよねー…やっぱり」


 ジオークは、その目立つ、派手な髪の色のために、リシェーナがジオークを覚えていたと思っているのだろう。
 確かにそれもあるけれど。


「父、あなた、好き」
 リシェーナの父は、リシェーナが幼いときはこの国――フレンティアの要職に就いていたということだったが、リシェーナの母が亡くなって仕事を辞めた。
 表向きの理由は、「国の次代を育てるため」だ。
 母の死を理解できずに、母がいないと泣き暮らすリシェーナの傍にいることが本当の目的だったのだろうと、成長した今ならばわかる。

 よく知らないけれど、父はフレンティアのどこかの貴族の養子だったらしい。 本当は、その貴族の落とし胤らしいのだが、恐妻家だったそのお貴族様は使用人夫婦の子どもとして父を育てさせ、「優秀だったから」という理由で父を養子にしたという。
 父は、リシェーナにとっては祖父にあたるそのひとのことを、一度も悪く言ったことはなかった。 「お祖父様はね、とても優しくて、優しすぎて、臆病なひとだったんだよ」というのが、父の口癖だった。

 恐妻家だったお祖父様は、父の母であるメイドに安らぎと癒やしを求めたらしかった。 きっと、父がお祖父様のことを悪く言わないのは、リシェーナのお祖母様と父が、お祖父様に大切にされていたからなんだと思う。


 父の生い立ちは、それなりに複雑だった。


 だから父は、国の現在の在り方と、国の未来を憂いたのだと思う。 貴族の子どもしか満足に教育を受けられず、登用されないような在り方に異を唱えた。 だから、無償で平民の子どもたちへの私塾を開いたのだ、と父の親友であるというオズワルドおじさまが教えてくれた。
 父の葬儀には、オズワルドおじさまとは別に、とても身分の高そうな方々もお忍びで来てくださった。 現在の国のいしづえを築いたのは父なのだと、その人たちは教えてくれた。
 父はオズワルドおじさまと、その方たちに言ったらしい。 「私は、次代の国を担う人材を育てることに専念するよ。 その子たちが成長したとき、彼らが活躍する場を造れるのは君たちだ」と言ったらしい。


 嬉しかった。
 父が生きた証が、リシェーナの記憶や胸の中だけでなく、たくさんのひとの中に、そしてこの国にも、残っていることが。


 父の私塾の生徒の中に、リシェーナの元夫であるキュビスもいたらしいが、リシェーナはキュビスのことは覚えていなかった。
 けれど、今、目の前にいるジオークのことは、覚えていた。
 父が、彼のことを気に入っていたし、褒めていたからだ。
 だから覚えていた、と伝えると、ジオークは視線を少し落として、笑みを見せる。
 懐かしむような、けれど、少し寂しそうな笑み。
 それがひどく印象的で、リシェーナはじっとジオークを見つめた。

「…うん。 すごくよくしてもらってたし…おれもせんせいのこと、好きだった」
「だから、よかった」
 意識せぬままに、そう、リシェーナの唇からは言葉が零れていた。

「?」
 意味がわからなかったのだろう。
 ジオークはそんな表情をしていた。
 だからリシェーナは、ジオークを見据えたままで、笑んだ。
「あなた、よかった」

 父が、認めていたひとだったからよかった。
 ジオークが、本当に父のことを慕ってくれていたのがわかるから、よかった。
 それから、リシェーナが、ジオークのことを好きだと思ったから、よかった。
 軽く見張られたジオークの目が、だんだんと細められて、笑みに変わった。
「…そう」
 小さく、落とすような呟き。
 それは、どういう意味だろう。
 だから、リシェーナはジオークを窺い見る。


「…迷惑?」
「迷惑じゃないよ。 ばあやは大喜びだと思う」
 ジオークは、即答する。
 リシェーナはまた、不思議に思った。 ジオークはさっきから「ばあや」と口にしているし、どうやらお祖母様と二人暮らしなのだろう。
 それで、どうしてジオークのお祖母様が、リシェーナを連れて帰ると喜ぶのだろう。
「なぜ?」
「おれが、家に女性を連れてくの、初めてだから」

 事実か嘘かわからない、ジオークの言葉に、リシェーナは面食らう。
 どう言葉を返したものかと考えていると、ジオークが続けた。
「…自分の家だと思って、くつろいでくれたら嬉しいな。 ばあやもそう思ってくれるだろうし。 遠慮なんかしないでね」
「…ありがとう」
 ジオークの優しい言葉に、自然とその言葉が洩れていた。

 不思議なことに、不安はなかった。
 父が亡くなって、キュビスに引き取られるときとは、違って。


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