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紅の騎士は白き花を抱く
10.国王をも怖れぬ所業だな。
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ジオークのせいで、昼食を摂る気にはなれなかった。
帰り支度を始める時間になったが、まだ食欲は戻らない。
ぼんやりとキュビスは、ジオークとのやり取りを振り返った。
自分が、何らかの罪に問われない自信はある。
全ては、可能性の話でしかないのだ。
キュビスが取り寄せた、林檎の花の蜂蜜を、ハニーフがリシェーナに分け与えるかもしれない。
それを、リシェーナが口にするかもしれない。
リシェーナがアレルギー反応を起こすかもしれない。
リシェーナの腹の子が、流れるかもしれない。
そこまで考えたとき、ジオークの声が蘇った。
――そんなに、リシェのお腹の子ども、邪魔だった?
…ああ、邪魔だったさ。
あの、腹の子が、キュビスの子だという扱いを受ければ、違っただろう。
けれど、あの腹の子にとって、キュビスの存在は、なかったことにされるのだ。
ジオークはジオークが語ったとおり、あの子を自分の子として愛し、育てるだろう。
あの見た目が派手で軽薄な男は、見た目に反して情に厚い。
あの腹の子は、リシェーナとジオークの仲を、絆を、更に深めるものにしかならない。
ジオークが、あの腹の子を理由に、リシェーナと家族になるつもりだと、気づいたのだ。
望んで、欲して、手に入れて、けれど、手放さなければならなかったもの。
それを、キュビスは、一度手に入れた自分のものだと、思っていたかった。
腹の子、だけではない。
手に入らないのであれば。
自分ではない、ほかの男のものになるのであれば。
自分の手で、壊してしまった方が、いっそ。
「カージナル」
不意に、名を呼ばれて、キュビスはハッとする。
声のした方を見れば、ハニーフの父親であり、キュビスの上司である外務部門長官がキュビスを見てふいと踵を返し、長官に与えられる執務室に入ったところだった。
あれは恐らく、話がある、ということだろう。
キュビスは荷物を置いて、長官の執務室の扉をノックし、開ける。
「お呼びでしょうか」
扉を閉めて声をかけると、背を向けていた長官がゆっくりと振り返った。
その表情は若干硬く、微妙なもので、キュビスは察した。
「…良くない話、でしょうか」
業務で何かをしでかした覚えはない。
一体何だろう、と思いを巡らせていると、長官が細く息を吐いて肩の力を抜いた。
「上司としては喜ばしいが、義父となると微妙なところだ」
表情を引き締めた長官が、キュビスに向き直り、告げる。
「栄転、なのだろうな。 国王陛下より直々の使命だ。 エルディースの外交官として、現地に向かうように」
刹那、蘇ったのもまた、ジオークの声だった。
――例えば、これからその身に何か不幸が降りかかったら、天罰だとでも思いなね?
他にも長官が何か、きっと事務連絡や業務の引継についてを言っているのだろうが、キュビスの耳には入ってこなかった。
不安分子を、リシェーナの近くに置いておきたくないということだろうか。
ああ、けれど、いや、それにしたって、女一人のために、国王陛下を動かすなんて。
無意識に、顔が歪んだ。 きっと、泣き笑いのような顔になったことだろう。
「国王をも怖れぬ所行だな」
小さな独白が、自分の耳に届いて、キュビスは気づく。
否、あの男は、自分の人生を、国王に売ったのだ。
何も持たない、ただひとりの女の為に、一生を国に繋がれる覚悟をした。
ああ、確かに。
お前の覚悟なんて、俺は何一つ、わかっていなかった。
帰り支度を始める時間になったが、まだ食欲は戻らない。
ぼんやりとキュビスは、ジオークとのやり取りを振り返った。
自分が、何らかの罪に問われない自信はある。
全ては、可能性の話でしかないのだ。
キュビスが取り寄せた、林檎の花の蜂蜜を、ハニーフがリシェーナに分け与えるかもしれない。
それを、リシェーナが口にするかもしれない。
リシェーナがアレルギー反応を起こすかもしれない。
リシェーナの腹の子が、流れるかもしれない。
そこまで考えたとき、ジオークの声が蘇った。
――そんなに、リシェのお腹の子ども、邪魔だった?
…ああ、邪魔だったさ。
あの、腹の子が、キュビスの子だという扱いを受ければ、違っただろう。
けれど、あの腹の子にとって、キュビスの存在は、なかったことにされるのだ。
ジオークはジオークが語ったとおり、あの子を自分の子として愛し、育てるだろう。
あの見た目が派手で軽薄な男は、見た目に反して情に厚い。
あの腹の子は、リシェーナとジオークの仲を、絆を、更に深めるものにしかならない。
ジオークが、あの腹の子を理由に、リシェーナと家族になるつもりだと、気づいたのだ。
望んで、欲して、手に入れて、けれど、手放さなければならなかったもの。
それを、キュビスは、一度手に入れた自分のものだと、思っていたかった。
腹の子、だけではない。
手に入らないのであれば。
自分ではない、ほかの男のものになるのであれば。
自分の手で、壊してしまった方が、いっそ。
「カージナル」
不意に、名を呼ばれて、キュビスはハッとする。
声のした方を見れば、ハニーフの父親であり、キュビスの上司である外務部門長官がキュビスを見てふいと踵を返し、長官に与えられる執務室に入ったところだった。
あれは恐らく、話がある、ということだろう。
キュビスは荷物を置いて、長官の執務室の扉をノックし、開ける。
「お呼びでしょうか」
扉を閉めて声をかけると、背を向けていた長官がゆっくりと振り返った。
その表情は若干硬く、微妙なもので、キュビスは察した。
「…良くない話、でしょうか」
業務で何かをしでかした覚えはない。
一体何だろう、と思いを巡らせていると、長官が細く息を吐いて肩の力を抜いた。
「上司としては喜ばしいが、義父となると微妙なところだ」
表情を引き締めた長官が、キュビスに向き直り、告げる。
「栄転、なのだろうな。 国王陛下より直々の使命だ。 エルディースの外交官として、現地に向かうように」
刹那、蘇ったのもまた、ジオークの声だった。
――例えば、これからその身に何か不幸が降りかかったら、天罰だとでも思いなね?
他にも長官が何か、きっと事務連絡や業務の引継についてを言っているのだろうが、キュビスの耳には入ってこなかった。
不安分子を、リシェーナの近くに置いておきたくないということだろうか。
ああ、けれど、いや、それにしたって、女一人のために、国王陛下を動かすなんて。
無意識に、顔が歪んだ。 きっと、泣き笑いのような顔になったことだろう。
「国王をも怖れぬ所行だな」
小さな独白が、自分の耳に届いて、キュビスは気づく。
否、あの男は、自分の人生を、国王に売ったのだ。
何も持たない、ただひとりの女の為に、一生を国に繋がれる覚悟をした。
ああ、確かに。
お前の覚悟なんて、俺は何一つ、わかっていなかった。
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