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『雨と小屋と、もうひとつの影』
昼前から、空が少し重たくなっていた。
風はそれほど強くないが、湖の水面には小さな波紋が広がり、木々のざわめきもどこか湿って聞こえる。
悠真はリビングの窓を見ながら、天気予報アプリを一応確認してみた。
もちろん、異世界の天候データなど載っているわけがない。
だが、現実世界の空とそれほど違わないとしたら──この空模様は、おそらく「雨の前」だ。
「……今日は遠出はしない方がいいな」
と、思った矢先だった。
ルナのオムツを替えている途中、ふと前日のことが頭をよぎった。
(あの木箱のあった場所、奥にも道が続いてたよな……)
道というには曖昧な踏み跡だったが、誰かが歩いたことがあるような、かすかな痕跡が森の奥へと伸びていた。
あの先には何があるのか。少しだけ気になっていた。
(今のうちなら、戻ってこれるか?)
天気が崩れるまでに、片道十五分もかからない距離なら往復できる。
万が一のために、ルナは家に置いていく。
ベビーモニターを起動し、昼寝に合わせて寝かせたあと、悠真は身支度を整えた。
腰に小さな折り畳み傘を引っかけ、ナイフとスマホをポケットに入れ、上着のフードを深くかぶる。
雨が降ってもすぐ戻れるように、靴は滑りにくいスニーカーに履き替えた。
「よし、行ってくる。すぐ戻るからな」
ソファの上で寝息を立てるルナにそう告げて、玄関を出た。
⸻
湖畔沿いを進み、木箱のあった場所を過ぎると、そこから先は草の丈が低くなっていた。
誰かが定期的に歩いた──あるいは、かつて道だった──ような痕跡だ。
踏みしめられた土と、わずかに倒れている草。
慎重にそのあとを追っていくと、しばらくして木立の中に、灰色の塊が見えてきた。
「あれは……?」
近づいてみると、それは小屋だった。
木材と石を組み合わせた簡素な建物で、屋根は苔に覆われ、壁には雨風にさらされた痕がある。
扉は半分開いていた。
中をのぞくと、棚と机と椅子がひとつずつ。
埃はあるが、崩れたり壊れたりはしていない。
暮らしていた形跡というより、避難所のような空間だ。
壁の一角には、黒ずんだ布がかけられた棚があり、その中に乾いたパンのような物が数個転がっていた。
「保存食か……?」
手に取ると、固くて軽い。
スキャンしてみると、以下の表示が出た。
【対象:保存携帯食(主に旅人・野営者用)】
【状態:乾燥済・一部風味劣化あり】
【栄養価:低め・非常時用】
まだ使えるらしい。
ありがたく、数個だけ持ち帰ることにする。
さらに机の引き出しを開けると、折りたたまれた紙束が出てきた。
開いてみると、文字が書かれている。が、見たことのない字体だ。
(この世界の文字か……さすがに読めないな)
とりあえずそれも持ち帰り、後でじっくり調べることにする。
その時、ぽつ、という音が天井を叩いた。
「あ、降ってきたか……」
空を見上げると、鈍い雲の隙間から、しずくが落ちてくるのが見えた。
早足で戻る。傘を差すほどではなかったが、歩くたびに草が濡れ始めていた。
⸻
帰宅すると、ルナはちょうど目を覚ましたところだった。
ベビーモニターで確認した通り、泣くこともなくおとなしく寝ていたらしい。
「おつかれさん。ただいま」
オムツとミルクをすませてから、小屋で見つけた紙束をもう一度確認する。
細かい文字が並び、地図のような図形も描かれていた。
(翻訳機能、無いんだよなこのアプリ……)
だが、裏面には何かの印が押されていた。
街の紋章か、組織のマークのような印影。
記憶にないが、後々どこかで目にする可能性もある。
(近くにあるって言われてた街と、関係あるかも)
自宅から南西に数キロ先、“街”があるとされている。
今はそこまで行く理由も余裕もないが、いずれ誰かと接触するなら、その街が最初の相手になるはずだ。
(今はまだ、無理に踏み出さなくていい)
手に入れた保存食は、一部を電子レンジで温めてみた。
味はまあ……非常食そのものだったが、温めるだけでだいぶマシになる。
ついでに、ゴミとなったビニール包装や紙くずをスキャンしてみる。
【生活廃棄物を確認。再資源処理中──チャージ完了】
(やっぱり、こういうのまでポイント……いや、現金になるのは便利すぎる)
台所のゴミ箱は既に設置されていたが、これで“溜めるだけ”の不安が解消された。
育児と生活。探索と備え。
どちらもまだ手探りだけど、少しずつ、形になってきた気がする。
悠真は窓の外を見ながら、明日も雨が続くかどうかを考えていた。
天気が崩れている今こそ、家の中の作業を進める時間だ。
明日は、紙束のスキャンと保存食の整理。
その先には、きっと何かが待っている。
昼前から、空が少し重たくなっていた。
風はそれほど強くないが、湖の水面には小さな波紋が広がり、木々のざわめきもどこか湿って聞こえる。
悠真はリビングの窓を見ながら、天気予報アプリを一応確認してみた。
もちろん、異世界の天候データなど載っているわけがない。
だが、現実世界の空とそれほど違わないとしたら──この空模様は、おそらく「雨の前」だ。
「……今日は遠出はしない方がいいな」
と、思った矢先だった。
ルナのオムツを替えている途中、ふと前日のことが頭をよぎった。
(あの木箱のあった場所、奥にも道が続いてたよな……)
道というには曖昧な踏み跡だったが、誰かが歩いたことがあるような、かすかな痕跡が森の奥へと伸びていた。
あの先には何があるのか。少しだけ気になっていた。
(今のうちなら、戻ってこれるか?)
天気が崩れるまでに、片道十五分もかからない距離なら往復できる。
万が一のために、ルナは家に置いていく。
ベビーモニターを起動し、昼寝に合わせて寝かせたあと、悠真は身支度を整えた。
腰に小さな折り畳み傘を引っかけ、ナイフとスマホをポケットに入れ、上着のフードを深くかぶる。
雨が降ってもすぐ戻れるように、靴は滑りにくいスニーカーに履き替えた。
「よし、行ってくる。すぐ戻るからな」
ソファの上で寝息を立てるルナにそう告げて、玄関を出た。
⸻
湖畔沿いを進み、木箱のあった場所を過ぎると、そこから先は草の丈が低くなっていた。
誰かが定期的に歩いた──あるいは、かつて道だった──ような痕跡だ。
踏みしめられた土と、わずかに倒れている草。
慎重にそのあとを追っていくと、しばらくして木立の中に、灰色の塊が見えてきた。
「あれは……?」
近づいてみると、それは小屋だった。
木材と石を組み合わせた簡素な建物で、屋根は苔に覆われ、壁には雨風にさらされた痕がある。
扉は半分開いていた。
中をのぞくと、棚と机と椅子がひとつずつ。
埃はあるが、崩れたり壊れたりはしていない。
暮らしていた形跡というより、避難所のような空間だ。
壁の一角には、黒ずんだ布がかけられた棚があり、その中に乾いたパンのような物が数個転がっていた。
「保存食か……?」
手に取ると、固くて軽い。
スキャンしてみると、以下の表示が出た。
【対象:保存携帯食(主に旅人・野営者用)】
【状態:乾燥済・一部風味劣化あり】
【栄養価:低め・非常時用】
まだ使えるらしい。
ありがたく、数個だけ持ち帰ることにする。
さらに机の引き出しを開けると、折りたたまれた紙束が出てきた。
開いてみると、文字が書かれている。が、見たことのない字体だ。
(この世界の文字か……さすがに読めないな)
とりあえずそれも持ち帰り、後でじっくり調べることにする。
その時、ぽつ、という音が天井を叩いた。
「あ、降ってきたか……」
空を見上げると、鈍い雲の隙間から、しずくが落ちてくるのが見えた。
早足で戻る。傘を差すほどではなかったが、歩くたびに草が濡れ始めていた。
⸻
帰宅すると、ルナはちょうど目を覚ましたところだった。
ベビーモニターで確認した通り、泣くこともなくおとなしく寝ていたらしい。
「おつかれさん。ただいま」
オムツとミルクをすませてから、小屋で見つけた紙束をもう一度確認する。
細かい文字が並び、地図のような図形も描かれていた。
(翻訳機能、無いんだよなこのアプリ……)
だが、裏面には何かの印が押されていた。
街の紋章か、組織のマークのような印影。
記憶にないが、後々どこかで目にする可能性もある。
(近くにあるって言われてた街と、関係あるかも)
自宅から南西に数キロ先、“街”があるとされている。
今はそこまで行く理由も余裕もないが、いずれ誰かと接触するなら、その街が最初の相手になるはずだ。
(今はまだ、無理に踏み出さなくていい)
手に入れた保存食は、一部を電子レンジで温めてみた。
味はまあ……非常食そのものだったが、温めるだけでだいぶマシになる。
ついでに、ゴミとなったビニール包装や紙くずをスキャンしてみる。
【生活廃棄物を確認。再資源処理中──チャージ完了】
(やっぱり、こういうのまでポイント……いや、現金になるのは便利すぎる)
台所のゴミ箱は既に設置されていたが、これで“溜めるだけ”の不安が解消された。
育児と生活。探索と備え。
どちらもまだ手探りだけど、少しずつ、形になってきた気がする。
悠真は窓の外を見ながら、明日も雨が続くかどうかを考えていた。
天気が崩れている今こそ、家の中の作業を進める時間だ。
明日は、紙束のスキャンと保存食の整理。
その先には、きっと何かが待っている。
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