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第十六話 煎じ薬

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「煎じ薬だ」

 峰葵が戻ってくると入れ替わるように良蘭が席を外す。
 先程の良蘭の言葉を意識してしまい、花琳は峰葵のことがなかなか見れなかった。

「どうした? 具合が悪いのか?」
「……っ」

 不意に額に触れられて身体が強張る。
 焦って峰葵を見ると、彼と視線がバチっと合ってしまってすぐに慌てて逸らしてしまった。

「何だ、急にその態度は。俺が何かしたか?」

 花琳の態度に不機嫌になる峰葵。
 確かに、急に態度が変わればおかしいと思うだろう。

 だが、そうは言われても恥ずかしいものは恥ずかしいわけで。
 恋心を察されないようにするのに必死な花琳は、それどころではなかった。

「まぁ、いい。どうせ良蘭が何かよからぬことでも言ったのだろう」

 近からず遠からず。

 間違ってはいないが、それを否定したり肯定したりするのは憚られて花琳は目を閉じると「こら、狸寝入りしようとするんじゃない」と峰葵に指摘される。

「煎じ薬を飲めと言っただろう。寝るなら飲んでから寝ろ。自分で飲めるか?」
「…………っ……」

 狸寝入りは諦めて、花琳が煎じ薬を飲もうと手を伸ばす。

 けれど、まだ力が上手く入らない腕は持ち上がらない。
 身体を起こそうにも、やはり力が上手く入らなかった。

「俺が身体を起こそうか?」

 峰葵の提案に小さく頷くと、背に腕を回されて身体を起こされる。

 身体に力が入らないせいか、肩を強く抱かれて峰葵に抱きしめられるような形で支えられた。
 胸板に顔を推しつけるような体勢に、まさかそんな距離感になるとは思わず、花琳は固まる。

(距離が近すぎる)

 いつぞやのような甘いような芳しいような彼らしい匂いに、鼓動が早鐘を打つ。
 顔も赤くなるのを感じるが、身動きが取れないせいで離れたいが離れられない状況だった。

 しかも、寝たきりだったせいで身体を清めてもいなければ着替えなどもしてなかったので、花琳は自分の匂いや汚れなどが気になってしまって落ち着かない。
 上手く喋れもしない上に、下手な言動をしたらさらに峰葵の機嫌を損ねそうで、どうすればいいのか花琳は必死に考えた。

(こんなに近かったら汗臭いのがバレちゃう。臭いとか汚いとか思われたらどうしよう)

 いくら幼馴染という親しい関係とはいえ、想い人にはよく見られたいというのが乙女心。
 それを抱えながら、花琳は身動きの取れない身体でできるだけ体臭や汚れがバレぬようにジッと大人しく息を潜める。

「これでは上手く飲ませられそうにないな」

 峰葵は花琳が戸惑っている様子に気づいていないのか、唸るように独りごちる。
 その真剣な表情に、しょうもないことで悩んでる花琳は自分がちょっとだけ恥ずかしくなった。

(そうよね。峰葵は、私のために煎じ薬を飲ませてくれようとしてるんだし。手が使えたら自分で飲めるけど、今のままじゃ飲ませてもらわないといけないんだから大人しくしていないと。でも、なるべく近づかないで欲しい。できれば息を止めてこちらを見ないで欲しい)

 我ながら無茶な要求であることはわかっているが、そう思わざるをえなかった。

(いやでも、峰葵は私がどうこうとかじゃなくてあくまで秋王の世話をしているだけよね)

 乙女心としては間違っていないかもしれないが、峰葵は花琳としてではなく秋王として自分を介抱してくれているのだから、一々汚かろうが臭かろうが気にしないだろう。
 意識するなんて、勘違いも甚だしいと花琳は自分の心を律した。

 ゆっくりと深呼吸していると、不意に峰葵に再び布団の上に横たわされる。
 ずっと支えてたせいで重かったのだろうか、はたまたやっぱり臭かったり汚かったりしたせいかもと思っていると、なぜか花琳用に煎じたはずの煎じ薬を呷る峰葵に目を奪われる。

(え、何で峰葵が……?)

 自分が飲むはずの煎じ薬を峰葵が呷ったことに混乱していると、そのまま彼が覆い被さってくる。
 そして、気づくと彼の唇が自分の唇に重なっていた。

「……っ、……ん……」

(何が、起こっているの……!?)

 現実とは思えない状況に目が白黒する。
 花琳は初めてのことにどうすればいいのかわからないでいると、唇をこじ開けるように舌で唇をつつかれた。

(開けろってこと……?)

 固く閉じていた唇をゆっくりと開くと、そこに流し込まれたのは煎じ薬。

 そこで初めて花琳は煎じ薬を飲ませるために口づけられたことを察した。

 ゆっくりと少しずつ口の中に薬を流し込まれて、それを受け入れる。
 嚥下すると、その薬のあまりの苦さや口当たりの悪さに思わず顔を歪めて逸らそうとするも、峰葵に頬を手で固定されて唇を離すことができなかった。

「……っ、ぅ……っ……」
「……苦いな」

 唇が離れたと思えば、口の端に垂れた煎じ薬を指で拭う峰葵。

 たったそれだけなのに扇情的に見えるのは峰葵の色気ゆえか、花琳の欲目か。

 つい惚けたように峰葵を見つめていると、「何だ? 物足りなかったか?」と揶揄われて、花琳は思わず反射的に「べっ」と舌を出す。

(初めてだったのに)

 心の準備もなく、峰葵と口づけを交わしてしまった事実に戸惑う。
 峰葵からしたら大したことではないかもしれないが、経験値の低い花琳にとっては大問題であった。

 しかも、されたことが嫌ではない自分がいるのも花琳にとっては由々しき事態だ。

 先程の行為が脳裏にこべりついて離れず、胸奥はキュンキュンと甘く疼くし、あの感触を思い出してしまってどう反応したらよいかわからなかった。

「随分と積極的だな。舌を絡めたかったのか?」
「~~~っ! ……ち、ぁ…………う!」
「はは、冗談だ」

 抗議すると、笑っていなされる。
 頭を撫でられて「少しは元気を取り戻したようで何よりだ」と微笑まれた。

「ほら、病人はさっさと寝ろ」

(何なの、もう)

 内心で不平を言うもされた行為にときめいている自分がいて、花琳はそんな自分に言い訳するように「あれは医療行為なのよ。仕方なくしたんだから」と言い聞かせる。

 そうでなくては、勘違いしてしまいそうだった。

「恨めしそうにこっちを見るんじゃない。仕方ないだろう。飲ませるためなんだから。とにかく早く寝ろ。寝るまでここにいてやるから」

 峰葵の大きな手の平が視界を隠すように瞼の上に覆い被さってくる。
 兄の余暉とはまた違った大きくて温かい手。
 ゆっくりと目を閉じると、だんだんと意識が遠ざかってくる。

「おやすみ、花琳。早く元気になれ」
「……ん……」

 とんとん、と赤子をあやすかのように身体を規則的に優しく叩かれる。

 最初こそ緊張していたが、まだ万全でない身体は睡眠を欲していたようで、花琳はゆっくりと睡魔に誘われるままに意識を手放していったのだった。
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