イシュタムに会うのはまた今度

プロローグ

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　当時の僕には女の子のその言葉の意味が理解出来なかった。当たり前のことだ。あの頃の僕らは互いを色々な意味で特別視していたし、女の子の言葉には考えられないほどの含みと配慮と真意と優しい比喩で満ちていた。
「貴方は、普通の生活を想像したことがある？」
　と女の子が言った。
「あるよ、たくさん」
　と僕は答えた。
「そう。それで少しは楽になった？」
「君は残酷なことを言うね」
　むしろ普通の生活との違いが鮮明に分かって、ただただ落胆したよ。
「貴方は今も、普通の生活に憧れているの？」
「どうだろうね。分からないよ」
「自分のことなのに？」
「うん」
「貴方にならできるでしょう？」
「分からないんだよ」
「どうしたいの？」
「だから分からないんだって」
「貴方なら大丈夫だよ」
　綺麗事でまとめないでくれよ、と思った。
「そんなこと分からない」
「さっきから分からないことばかりだね」
「色々なことがあったんだ。長いこと、ずっと酷いことばかりだった。そしてそれが仕方のないことだと諦めていた。沢山の問題が山積みだし、どれから手をつけていいのかも分からない」
「大丈夫だよ」
「言葉で言うのは簡単だよ」
「今までそうやって悩んできた人はたくさんいる。でもその人たちは、何とかやってきた」
「うん。でも僕はその人たちじゃないから」
　確かにその通りだね、と女の子は言う。女の子は何もかもどうでもよさそうな顔をしながらキャンディーを舐めている。
　ボソリと、まるで独り言のように女の子が言った。
「そろそろ帰ったら？」
「うん。そうするよ」
　僕らは女の子に背を向けて、短い挨拶を言い合う。
「さようなら」
「さようなら」