婚約破棄された令嬢は、もう誰の答えも借りません

鷹 綾

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第18話 届かなかった手紙

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第18話 届かなかった手紙

 庁舎の中庭に、初夏の風が吹き抜けていた。

 書類を抱えた官僚たちが忙しなく行き交い、噴水の水音が一定のリズムで響く。
 私はその光景を窓越しに眺めながら、ペンを走らせていた。

 今日の議題は、地方視察の結果を反映した生活必需品価格の是正案。
 数字はすでに揃っている。
 あとは、どの順序で、どの言葉で伝えるかだ。

「……よし」

 最後の一行を書き終え、私は深く息を吐いた。

 机の端には、未開封の封筒が一通置かれている。
 昼前に届けられたものだ。

 王宮の紋章。

 それを見ただけで、内容の大半は想像がついた。

(……まだ、諦めていなかったのですね)

 私は封を切らず、そのまま脇へと寄せた。

 仕事を優先する。
 それが、今の私の選択だった。

 午後の会議は長引いた。

 各都市の事情は微妙に異なり、一律の施策では歪みが出る。
 だが、調整は可能だ。

「段階的に導入します。
 まずは、価格変動が最も激しい地域から」

「反発は」

「出ます。
 ですが、説明と補助を同時に行えば、抑えられます」

 私は、はっきりと答えた。

 誰も、異を唱えない。
 議論は、現実的な方向へと進んでいく。

 会議が終わる頃には、夕方になっていた。

 執務室に戻ると、カイルが待っていた。

「……その封筒、王宮からですね」

 視線は、机の端に向けられている。

「ええ」

 私は、隠すことなく答えた。

「読まないのですか」

「必要性を感じません」

 カイルは、少しだけ眉を動かした。

「内容は、想像がつく?」

「おおよそは」

 私は、椅子に腰を下ろし、静かに続ける。

「状況の説明。
 困難に直面していること。
 そして、“かつての協力”を求める言葉」

 カイルは、否定しなかった。

「……返答は」

「公式な案件であれば、窓口を通して対応します。
 個人的な手紙には、返しません」

 それは、冷たさではない。
 線引きだった。

 王国では、曖昧な関係が、私を縛っていた。
 今は違う。

「正しい判断だと思います」

 カイルは、そう言った。

「あなたが応じれば、過去に引き戻される」

「ええ」

 私は、頷く。

「それは、もう選びません」

 夜、迎賓館に戻った私は、ようやくその封筒を手に取った。

 開封はしない。
 ただ、そこにある重みを確かめる。

 紙一枚。
 けれど、その裏には、私を“元の場所”へ戻そうとする意志がある。

(……届かなくて、いい)

 私は、封筒を引き出しにしまった。

 返事を書かないという選択も、また一つの返答だ。

 同じ頃、王宮では、王太子レオナルトが焦燥に駆られていた。

「……まだ、返事は来ないのか」

「はい。
 隣国からの返答はありません」

 補佐官は、言葉を選びながら報告する。

 机の上には、写しの手紙。
 丁寧で、誠実を装った文章。

 だが、その本質は、助けを求めるものだった。

(……読まれもしない、ということか)

 胸に、重たいものが沈む。

 彼は、初めて理解し始めていた。

 謝罪も、後悔も、
 “必要になってから”差し出すものではないのだと。

 必要とされていた時に、
 彼女は、確かにそこにいた。

 それを、切り捨てたのは、自分だ。

 夜、私は迎賓館の灯りを落とし、窓辺に立った。

 街は静かで、穏やかだ。
 誰も、過去を引きずってはいない。

 届かなかった手紙。
 それは、拒絶ではない。

 ただ、私が前に進んだという証だ。

 もう、戻らない。
 もう、振り返らない。

 私は、静かにカーテンを閉めた。

 明日もまた、やるべき仕事がある。
 それだけで、十分だった。
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