無実の罪で永遠に謹慎する女 ――謹慎していたい令嬢は、何もしないことを選びました**

鷹 綾

文字の大きさ
17 / 39

第18話 メイドの一言

しおりを挟む
第18話 メイドの一言

 

その言葉は、
とても小さく、
とても静かで、
だからこそ――
決定的だった。

 

いつもと同じ午後。

光は柔らかく、
影は動かず、
部屋は、
完璧な静けさを保っている。

 

エレシアは、
窓際の椅子に腰掛け、
何もしていなかった。

 

本を読むわけでもなく、
考え事をするわけでもなく、
ただ、
そこにいる。

 

それが、
彼女の日常になっていた。

 

控えめなノック。

扉が開き、
盆が運び込まれる。

 

食事の時間。

 

メイドは、
いつもと同じ動作で、
同じ距離感で、
同じ無言を保っていた。

 

だが――
その日は、
違った。

 

盆を置いたあと、
彼女は、
ほんの一瞬だけ、
動きを止めた。

 

それは、
意図的ではない。

 

言葉が、
こぼれ落ちたのだ。

 

「……最近、
 お名前を、
 聞きません」

 

エレシアは、
一瞬、
理解できなかった。

 

「……?」

 

聞き返すほどでもない。

 

だが、
その一言が、
何を意味しているのかは、
すぐに分かった。

 

――城の中で。
――人々の会話の中で。
――噂話の端々で。

 

エレシアの名前が、
 出なくなった。

 

それを、
この部屋で唯一、
外と繋がっている存在が、
告げてきたのだ。

 

エレシアは、
ゆっくりと視線を上げ、
メイドを見る。

 

彼女は、
いつも通り無表情で、
視線を伏せている。

 

同情も、
慰めも、
探る色もない。

 

ただ、
事実を、
落としただけ。

 

「……そう」

 

エレシアは、
それだけ答えた。

 

声は、
驚くほど落ち着いていた。

 

メイドは、
何も言わず、
一礼して、
扉へ向かう。

 

その背中を、
エレシアは、
ぼんやりと見送った。

 

扉が閉まる。

 

再び、
完全な静寂。

 

だが――
部屋の空気が、
少しだけ変わっていた。

 

(……名前を、
 聞かない)

 

エレシアは、
その言葉を、
心の中で繰り返す。

 

それは、
予想していたことだ。

 

噂が途絶え、
記録が整理され、
干渉が遮断されている。

 

当然の帰結。

 

なのに――
胸の奥で、
小さな震えがあった。

 

(……本当に、
 そうなったのね)

 

想像と、
現実が、
重なった瞬間。

 

前世では、
名前を呼ばれなくなることは、
恐怖だった。

 

会議で呼ばれない。
連絡が来ない。
話題に上らない。

 

それは、
「切り捨て」の合図だった。

 

だが、今は違う。

 

(……嬉しい)

 

はっきりと、
そう思った。

 

名前とは、
ラベルだ。

 

人を、
役割に固定するための。

 

「王太子妃候補」
「令嬢」
「被疑者」
「無期限謹慎者」

 

そのすべてが、
名前に紐づいていた。

 

だが、
その名前が、
呼ばれなくなった。

 

(……私は、
 どこにも、
 固定されていない)

 

それは、
存在の消失ではない。

 

束縛の解除だ。

 

エレシアは、
食事に手を伸ばす。

 

味は、
いつもと同じ。

 

だが、
なぜか、
今日は、
少しだけ美味しく感じた。

 

(……名前がないと、
 こんなに、
 軽いのね)

 

誰かに呼ばれない。
誰かに期待されない。
誰かに定義されない。

 

それは、
透明になることではない。

 

自由になることだ。

 

夜。

 

ランプの灯りの下で、
エレシアは、
ふと、
考える。

 

(……私のこと)

(今、
 覚えている人は、
 どれくらいいるのかしら)

 

答えは、
すぐに出ない。

 

だが、
それでいいと思えた。

 

覚えられていなくても、
困らない。

 

むしろ、
その方がいい。

 

メイドの一言は、
警告ではなかった。

 

宣告でもない。

 

報告だ。

 

世界が、
エレシアを、
話題から外したという。

 

それは、
彼女にとって――
最高の知らせだった。

 

エレシアは、
ベッドに横になり、
静かに目を閉じる。

 

(……このまま)

(……完全に、
 誰の会話にも、
 出なくなればいい)

 

それは、
願いというより、
自然な流れへの同意だった。

 

誰も、
彼女を探さない。

 

誰も、
彼女を呼ばない。

 

その状態を、
彼女は、
心から、
歓迎していた。

 

こうして――
名前は、
人の口から、
静かに消えていく。

 

音もなく。
抵抗もなく。

 

第4章は、
さらに深く、
**「忘却」**へと進んでいった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

元婚約者のあなたへ どうか幸せに

石里 唯
恋愛
 公爵令嬢ローラは王太子ケネスの婚約者だったが、家が困窮したことから、婚約破棄をされることになる。破棄だけでなく、相愛と信じていたケネスの冷酷な態度に傷つき、最後の挨拶もできず別れる。失意を抱いたローラは、国を出て隣国の大学の奨学生となることを決意する。  隣国は3年前、疫病が広がり大打撃を受け、国全体が復興への熱意に満ち、ローラもその熱意に染まり勉学に勤しむ日々を送っていたところ、ある日、一人の「学生」がローラに声をかけてきて―――。

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて

ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」 お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。 綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。 今はもう、私に微笑みかける事はありません。 貴方の笑顔は別の方のもの。 私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。 私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。 ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか? ―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。 ※ゆるゆる設定です。 ※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」 ※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド

私の婚約者を奪った義妹は、幸せになるはずでした

しおしお
恋愛
侯爵令嬢フィオレッタ・ランベールは、公爵令息ギルベルトとの婚約が決まっていた。 けれど、他国へ嫁ぐのが嫌だと訴える義妹カトリーヌは、可憐でか弱い姿を武器に、少しずつ周囲の心を動かしていく。 そしてついに起こる、婚約者交換。 婚約を奪われたフィオレッタは、義妹が拒んだ相手――他国アルディシア公国の公爵フェリクスのもとへ向かうことになる。 突然変えられ「他国へ嫁ぐなんて嫌ですわ」 そう泣いた義妹は、姉の婚約者を奪った。 侯爵令嬢フィオレッタ・ランベールは、公爵令息との婚約を義妹カトリーヌに奪われ、代わりに義妹が拒んだ他国の公爵へ嫁ぐことになる。 傷つきながらも静かに運命を受け入れるフィオレッタと、愛される幸せを手に入れたと信じるカトリーヌ。 だが、婚約交換から始まった二人の人生は、やがて思いもよらぬ形で分かれていく。 奪われた姉が辿り着く未来と、奪った妹が手にする結末とは――。 婚約交換から始まる、姉妹の明暗を描いた恋愛ざまぁ物語。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

(完結)婚約破棄から始まる真実の愛

青空一夏
恋愛
 私は、幼い頃からの婚約者の公爵様から、『つまらない女性なのは罪だ。妹のアリッサ王女と婚約する』と言われた。私は、そんなにつまらない人間なのだろうか?お父様もお母様も、砂糖菓子のようなかわいい雰囲気のアリッサだけをかわいがる。  女王であったお婆さまのお気に入りだった私は、一年前にお婆さまが亡くなってから虐げられる日々をおくっていた。婚約者を奪われ、妹の代わりに隣国の老王に嫁がされる私はどうなってしまうの?  美しく聡明な王女が、両親や妹に酷い仕打ちを受けながらも、結局は一番幸せになっているという内容になる(予定です)

【完結】断罪された悪役令嬢は、二度目は復讐に生きる

くろねこ
恋愛
公爵令嬢リリアーネ・アルフェルトは、 聖女と王国第一王子に嵌められ、 悪女として公開断罪され、処刑された。 弁明は許されず、真実を知る者は沈黙し、 彼女は石を投げられ、罵られ、 罪人として命を奪われた――はずだった。 しかし、彼女は教会の地下で目を覚ます。 死を代償に得たのは......... 赦しは選ばない。 和解もしない。 名乗るつもりもない。 彼女が選んだのは、 自分を裁いた者たちを、 同じ法と断罪で裁き返すこと。 最初に落ちるのは、 彼女を裏切った小さな歯車。 次に崩れるのは、 聖女の“奇跡”と信仰。 やがて王子は、 自ら築いた裁判台へと引きずり出される。 かつて正義を振りかざした者たちは、 自分が断罪される未来を想像すらしていなかった。 悪女は表舞台に立たない。 だがその裏側で、 嘘は暴かれ、 罪は積み上がり、 裁きは逃げ場なく迫っていく。 これは、 一度死んだ悪女が、 “ざまぁ”のために暴れる物語ではない。 ――逃げ場のない断罪を、 一人ずつ成立させていく物語だ。

婚約破棄されたので、もう私が支えるのはやめます

ふわふわ
恋愛
王太子アルヴィスの婚約者として、誰よりも完璧であることを求められてきた侯爵令嬢エレノア。 けれど卒業舞踏会の夜、彼女は突然、王太子から婚約破棄を告げられる。 隣に立っていたのは、可憐で愛らしい義妹ミレイユ。 「真実の愛」を掲げる二人に悪女として断じられたエレノアは、すべてを失った――はずだった。 しかし、王宮はなぜか急に回らなくなり、王太子と義妹は少しずつ綻びを見せ始める。 そんな中、エレノアの手腕にいち早く気づいていた冷徹公爵レオンハルトが、彼女へ手を差し伸べる。 「もう、あちらを支える必要はない」 王太子のためでも、侯爵家のためでもなく。 今度こそ自分の意思で立つために、エレノアは公爵家で新たな一歩を踏み出す。 一方、彼女を失って初めて、その価値の大きさを思い知る王太子と、奪ったはずの場所で何も支えられない義妹。 静かに、けれど確実に始まる立場逆転――。 これは、ずっと「選ばれる側」だった令嬢が、もう誰かのために自分を削るのをやめて、幸せも未来も自分で選び取る物語。

処理中です...