無実の罪で永遠に謹慎する女 ――謹慎していたい令嬢は、何もしないことを選びました**

鷹 綾

文字の大きさ
38 / 39

第39話 忘れられる者と、忘れられない者

しおりを挟む
第39話 忘れられる者と、忘れられない者

 

時間は、
すべてを均等に、
流していく。

 

そう思われがちだ。

 

だが――
本当は違う。

 

時間は、
残すものを選ぶ。

 

 

王城の文書庫。

 

埃の匂いと、
紙の重なり合う音の中で、
一人の書記官が、
古い記録を整理していた。

 

「……ええと……」

 

棚から引き抜いた帳簿に、
かつて、
王太子妃候補として
名を連ねていた令嬢の一覧がある。

 

いくつもの名前。

 

婚約が成立し、
結婚し、
歴史に残った者。

 

破談になり、
忘れられた者。

 

そして――
その中の一つに、
小さく、
補足が添えられている。

 

「無期限謹慎」

 

それだけ。

 

理由も、
解除日も、
追記もない。

 

書記官は、
一瞬だけ、
眉をひそめた。

 

「……この人、
 どうなったんだ?」

 

隣にいた同僚が、
肩をすくめる。

 

「……さあな。
 でも、
 今も、
 謹慎中らしい」

 

「……今も?」

 

「……そういう話だ」

 

それ以上、
会話は続かなかった。

 

なぜなら――
それ以上の情報が、
 存在しないからだ。

 

彼女に関する記録は、
それだけ。

 

増えない。
更新されない。

 

つまり――
歴史において、
静止している。

 

 

一方で。

 

別の棚には、
王太子に関する記録が、
増え続けていた。

 

政策。
判断。
評価。
噂。

 

公式記録だけでなく、
注釈欄に、
小さく、
こんな文言が、
繰り返し書かれている。

 

「無実の者への、
 過剰な処分」

 

「秩序を優先した判断」

 

「結果として、
 修正不能」

 

それは、
罪状ではない。

 

だが――
評価だった。

 

 

城下。

 

新しい酒場で、
若い者たちが、
政治の話をしている。

 

「……王太子って、
 どんな人?」

 

その問いに、
少し年上の男が、
考えるように、
顎に手を当てた。

 

「……真面目、
 だったんじゃないか」

 

「だった?」

 

「……今も、
 真面目だろう」

 

「でもさ」

 

別の男が、
言葉を挟む。

 

「……無実の女を、
 ずっと、
 謹慎させてるんだろ?」

 

その場に、
微妙な沈黙が落ちる。

 

「……ああ」

 

「それって、
 どうなんだ?」

 

誰も、
即答しない。

 

だが、
全員、
同じことを、
考えている。

 

評価は、
 すでに、
 決まっている。

 

 

王城。

 

王太子は、
執務机の前で、
一人、
書類を閉じた。

 

そこには、
彼女の名前がある。

 

ただ、
それだけ。

 

(……記録が、
 増えない)

 

彼女は、
何も、
していない。

 

だから、
記録が、
増えない。

 

それは、
ある意味、
完全な消失だった。

 

政治とは、
行動の積み重ねだ。

 

行動しない者は、
評価の対象にならない。

 

つまり――
忘れられる。

 

一方で、
自分は。

 

判断し、
命令し、
修正しようとし、
失敗した。

 

だから――
記録が、
増え続ける。

 

(……彼女は、
 消えていく)

 

(……私は、
 残り続ける)

 

その対比が、
王太子の胸を、
静かに、
締めつけた。

 

 

一方――
エレシア。

 

彼女は、
その日も、
静かな午後を、
迎えていた。

 

窓辺に座り、
光の動きを、
眺める。

 

(……最近、
 名前を、
 呼ばれない)

 

それに、
気づいてはいる。

 

だが、
不安は、
なかった。

 

(……それで、
 いい)

 

前世では、
名前を呼ばれないことが、
恐怖だった。

 

存在が、
消えるような、
気がして。

 

だが、
今は違う。

 

名前を呼ばれないことは、
干渉されない
ということだ。

 

(……静か)

 

それが、
何よりの、
価値だった。

 

メイドが、
食事を運ぶ。

 

「……本日も、
 変わりありません」

 

それは、
報告というより、
確認だった。

 

エレシアは、
小さく頷く。

 

「……ええ。
 それで、
 十分」

 

メイドは、
一瞬、
微笑んだ。

 

ほんの、
わずかに。

 

 

夕方。

 

王城では、
新たな議題が、
次々と、
積み上がっていく。

 

新しい問題。
新しい争い。
新しい判断。

 

誰も、
彼女の話を、
しなくなった。

 

だが――
王太子の判断として、
あの件は、
必ず、
引き合いに出される。

 

「……以前の件を、
 考えると……」

 

「……あの時の、
 処理を、
 踏まえれば……」

 

彼女は、
語られない。

 

だが――
王太子の評価として、
常に、
そこにいる。

 

 

夜。

 

エレシアは、
ベッドに横たわり、
静かに、
目を閉じる。

 

(……今日も、
 何も、
 起きなかった)

 

それが、
当たり前になった。

 

そして――
その当たり前こそが、
彼女を、
世界から、
ゆっくりと、
切り離していく。

 

一方で。

 

王太子は、
切り離されない。

 

判断した者として。
命令した者として。
修正できなかった者として。

 

忘れられない者
として。

 

第39話は、
ここで終わる。

 

彼女は、
静かに、
忘れられていく。

 

だが――
王太子は、
決して、
忘れられない。

 

それが、
この物語における、
最も残酷で、
最も静かな、
ざまぁだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です

しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

女神様、もっと早く祝福が欲しかった。

しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。 今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。 女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか? 一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。

婚約者様への逆襲です。

有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。 理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。 だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。 ――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」 すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。 そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。 これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。 断罪は終わりではなく、始まりだった。 “信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは夫と婚姻してから三年という長い時間を振り返る。 その間、夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

居候と婚約者が手を組んでいた!

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!  って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!  父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。  アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。  最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。

よかった、わたくしは貴女みたいに美人じゃなくて

碧井 汐桜香
ファンタジー
美しくないが優秀な第一王子妃に嫌味ばかり言う国王。 美しい王妃と王子たちが守るものの、国の最高権力者だから咎めることはできない。 第二王子が美しい妃を嫁に迎えると、国王は第二王子妃を娘のように甘やかし、第二王子妃は第一王子妃を蔑むのだった。

処理中です...