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第十三話 劇場の貸切
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第十三話 劇場の貸切
王宮での話し合いは、終わってみれば予想通りに不愉快だった。
配慮を欠いたことは遺憾。感情の行き違いが大きな場で表に出たことは望ましくない。双方にとって冷静な再整理が必要――。
言葉は丁寧で、声色も柔らかかった。けれど中身は薄く、肝心なところだけ見事に避けていた。
なぜ王立劇場の壇上で婚約破棄をしたのか。
なぜオディールを隣へ立たせたのか。
なぜ侯爵家へ事前の通達もなく、あの形式を選んだのか。
そこへ踏み込むたびに、王家側の政務官は巧みに言葉をずらした。
第二王子セドリックは結局、最後まで姿を見せなかった。
体調が優れない、という理由だった。
実に便利な体調だと、サビーネは思った。壇上ではあれほど声高だったのに、説明の席になると急に弱るらしい。
ドルレアン侯爵家へ戻る馬車の中で、父はしばらく黙っていた。王宮を出てすぐに怒りを言葉へ変えるような人ではない。だからこそ、沈黙が深い時ほど怒っている。
やがて、父が低く言った。
「見事なほど、何も認めなかったな」
「ええ」
サビーネは窓の外を見たまま答えた。
「謝っているようで、何一つ引き取ってはくださいませんでした」
「王家というのはそういうものだ」
「わかっていたつもりでしたけれど、実際にやられると腹が立ちますわね」
父はそこで、ほんの少しだけ口元を動かした。
「よろしい。腹を立てるのは健全だ」
「健全」
「曖昧な謝罪で納得したふりをする方が不健全だ」
サビーネは膝の上で手を組み直した。
王宮の小応接室で浴びせられた、あの綺麗な煙みたいな言葉を思い出す。
感情的な行き違い。若さゆえの未熟。残念な形で表へ出た破談。
違う。
全部違う。
あれはそんな可愛いものではなかった。
見世物だった。
自分を舞台へ上げ、泣く役を押しつけ、悪女として拍手を取ろうとした、下品な演出だった。
それを“残念な行き違い”として薄められることが、やはりたまらなく腹立たしい。
「お前はどうしたい」
父の問いは、突然だった。
サビーネは顔を上げる。
「どう、とは」
「このまま王家の曖昧な文面と口頭の遺憾で終えるか。終えぬなら、どう動くかだ」
馬車の中の空気が少しだけ張る。
サビーネはすぐには答えなかった。
父は試しているのではない。本当に、娘がどこまで考えているかを聞いている。
そして自分は、答えを持っていなければならない。
「終えたくはありません」
まず、そこから言った。
「でしょうね」
「でも、真正面から王家へ噛みついても、きっと“感情的な娘が騒いでいる”に戻されるだけですわ」
「その通りだ」
「だから、あの夜の形そのものを、別の意味で残したいのです」
父の視線がわずかに鋭くなる。
「別の意味?」
サビーネは、そこで初めて自分の中に形になりかけていた考えを言葉にした。
「あの夜、わたくしは見世物にされました」
「……ああ」
「ならば、次はわたくしが舞台の意味を決めたいのです」
言った瞬間、自分でも少し驚いた。
でも、しっくりきた。
壇上での婚約破棄は、王家にとっては一度きりの演出だったのだろう。こちらが黙って泣いて終われば、あとは“公開された真実”として固定できたはずだ。
けれどそうはならなかった。
ならば次は、自分の手で意味を塗り替えたい。
あの夜は、自分が黙って恥をかいた夜ではなく、王家の下品さが露呈した夜だったのだと。
父はしばらく考えるように黙り、それから言った。
「続けろ」
「王立劇場を借ります」
言ってしまってから、馬車の中の空気がもう一段変わったのがわかった。
「……ほう」
父の声が低くなる。
「そして、人を集めます」
「何をする気だ」
「説明いたしますの」
サビーネは自分でも驚くほど落ち着いていた。
「わたくし個人の恨み言を並べるのではなく、あの夜に起きたことを、侯爵家の娘として、必要な範囲で、整えて公にいたします」
父の目が細まる。
「公開説明会、か」
「はい」
「大胆だな」
「劇場で婚約破棄をなさったのは、あちらですもの」
サビーネは静かに言った。
「同じ場所で、“あれは恋のもつれではなく、家への侮辱を含む見世物だった”と明かされれば、王家もそう簡単には若気の至りで済ませられませんわ」
父はすぐには賛成しなかった。
反対もしない。
その沈黙は、この人が本気で計算している時のものだ。
「危うい策でもある」
「わかっております」
「一歩誤れば、お前が王家へ公然と喧嘩を売った女になる」
「でも一歩うまくいけば」
サビーネは言った。
「“黙って飲み込むはずだった娘”ではなくなります」
父はそこで、小さく息を吐いた。
「もう十分そうなっている気もするがな」
「さらに、です」
サビーネは少しだけ微笑んだ。
今日、王宮で綺麗に丸められかけたことで、逆に決まったのだと思う。王家は言葉を濁す。ならばこちらは、濁さず形にするしかない。
父は娘を見つめたまま、やがて低く言った。
「貸切の手配は私が動けばできる」
「……反対なさらないのですか」
「反対してほしかったか」
「少しは」
「残念だったな」
そこで馬車が屋敷へ着く。会話は一度切れたが、その沈黙はもう否定のものではなかった。
屋敷へ戻ると、サビーネはすぐに自室へ向かわず、書斎へ父と一緒に入った。家令が呼ばれ、王立劇場の使用可能日程と、貸切費用、手続き上必要な名目の確認が命じられる。
家令は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの無表情へ戻った。
「侯爵家主催で、でございますか」
「そうだ」
父が答える。
「名目は“先日の慈善晩餐会に関連する説明会”でよい」
「承知いたしました」
家令が去ると、今度はマルゴが呼ばれた。
入ってきた彼女は、いつものように静かに一礼する。
「お呼びでしょうか」
「ええ」
サビーネは言った。
「私、王立劇場を借りることにしたわ」
普通の侍女なら、え、とか、まあ、とか、少しくらい驚くところだろう。
だがマルゴはただ一つ頷いた。
「ようやくですか」
「ようやくって何」
「お嬢様なら、いずれそうなさると思っておりました」
父がわずかに眉を動かす。
「予想していたのか」
「はい。お嬢様は、見世物にされたことそのものへ一番お怒りでしたので。でしたら舞台を取り返そうとなさるのは自然かと」
自然。
この侍女は、いつも時々恐ろしいほどこちらを見ている。
「私はそんなにわかりやすい?」
「かなり」
「嬉しくないわね」
「ですが今回は長所です」
マルゴは平然としている。
父は腕を組み、娘と侍女を順に見た。
「では、お前はどう見る」
侍女へ意見を求めるあたり、父もこの女の毒舌を案外あてにしているらしい。
「危険です」
マルゴは即答した。
「でしょうね」
「ですが、王家が“行き違い”へ薄めたがっている今なら、逆に一度大きく形にしてしまった方が有利です」
「理由は」
「人は、一度整った見方を持つと、あとから上書きされにくいからです」
父が小さくうなずく。
サビーネはその言葉に、はっとした。
そうか。
自分がやろうとしているのは、反撃だけではない。見方の固定なのだ。
あの夜を、王子の華やかな断罪劇ではなく、王家の下品な失敗として世間に定着させる。そのために劇場という同じ器を使う。
マルゴは続けた。
「放っておけば、“若い二人の感情的な破談”として落ち着かせられます。ですが同じ劇場で、同じく人を集めて、侯爵家側が整った説明をしたとなれば、今度はそちらが正式な記憶になります」
正式な記憶。
面白い言い方だ、とサビーネは思った。
でも正しい。社交界の記憶は曖昧だ。だからこそ、いったん“これが本筋です”という顔をした話が出ると、そちらへ寄っていく。
父が低く言う。
「招待客の選定が重要だな」
「ええ」
サビーネもすぐに答える。
「先日の晩餐会にいた方々はもちろんですが、それだけでは足りません」
「どう足りん」
「“見た人”だけでは、内輪の揉め事に見えます」
サビーネは机の上の紙を一枚引き寄せた。
「ですから、“今後どちらの見方が主流になるか”を決める方々も必要ですわ」
王妃派の貴婦人たち。上位貴族の夫人たち。劇場支援者。慈善事業に名を連ねる面々。王都で噂の流れを左右する、舌の上手い人たち。
そういう顔ぶれが揃えば、ただの感情の暴発ではなく、“説明すべき出来事があったのだ”という空気を作れる。
「欠席しにくい顔ぶれにいたします」
サビーネが言うと、父が少しだけ笑った。
「怖い娘だな」
「誰の娘でしょう」
「たしかに私の娘だ」
そこは否定しないのね、とサビーネは思った。
家令が戻ってきたのは、それから少ししてだった。
「旦那様。三日後の午後であれば、王立劇場の主舞台および前方客席の一部を押さえられます」
「早いな」
「先日の件で劇場側も神経質になっております。侯爵家主催と聞いて、むしろ即答でございました」
それはそうだろう。王家の騒動を招いた場所として、劇場側だってこれ以上妙な噂は増やしたくないはずだ。
「押さえろ」
父が言う。
「承知いたしました」
「それと、晩餐会当日の出席者一覧も改めて確認しておけ」
「かしこまりました」
家令が再び下がる。
書斎の中に、今度は静かな熱が残った。
三日後。
ずいぶん早い。でも、このくらいでいい。時間が空きすぎれば、王家が先に新しい物語を流し込む。
サビーネは机に置かれた空白の紙を見つめた。
何を話し、何を話さないか。
どこまで事実を出し、どこで止めるか。
感情ではなく、整えられた説明として成立させるには相当の準備がいる。
でも不思議と、怖さより先に頭が回り始めていた。
やるべきことがある。
それだけで、人は少し楽になる。
その時、書斎の外で控えていた若い従僕が、慌てた様子で一礼した。
「旦那様、ベルナール監督官より急ぎの伝言が」
サビーネと父が同時にそちらを見る。
「何だ」
「本日王宮内で、“侯爵家側が話を大きくしようとしている”との見方が出始めているため、先手を打つなら早い方がよい、と」
父の口元がわずかに歪む。
「相変わらず耳が早い男だ」
サビーネは胸の奥で思う。
あの人なら、きっとこう言うだろう。
舞台装置の点検はできる、と。
マルゴが小さく言った。
「ちょうどよろしいのでは」
「ええ」
サビーネは答える。
「ちょうど、よろしいわ」
王家があの夜を曖昧に薄めたいなら、こちらは同じ劇場で、もっと輪郭のはっきりした形へ整えればいい。
泣くためではない。
訴えるためだけでもない。
舞台の意味を奪い返すために。
サビーネは、真っ白な紙を手前へ引き寄せた。
そして、王立劇場で何を語るべきか、その最初の一行を書き始める。
――先日の王立劇場における公開婚約破棄について、ドルレアン侯爵家よりご説明申し上げます。
王宮での話し合いは、終わってみれば予想通りに不愉快だった。
配慮を欠いたことは遺憾。感情の行き違いが大きな場で表に出たことは望ましくない。双方にとって冷静な再整理が必要――。
言葉は丁寧で、声色も柔らかかった。けれど中身は薄く、肝心なところだけ見事に避けていた。
なぜ王立劇場の壇上で婚約破棄をしたのか。
なぜオディールを隣へ立たせたのか。
なぜ侯爵家へ事前の通達もなく、あの形式を選んだのか。
そこへ踏み込むたびに、王家側の政務官は巧みに言葉をずらした。
第二王子セドリックは結局、最後まで姿を見せなかった。
体調が優れない、という理由だった。
実に便利な体調だと、サビーネは思った。壇上ではあれほど声高だったのに、説明の席になると急に弱るらしい。
ドルレアン侯爵家へ戻る馬車の中で、父はしばらく黙っていた。王宮を出てすぐに怒りを言葉へ変えるような人ではない。だからこそ、沈黙が深い時ほど怒っている。
やがて、父が低く言った。
「見事なほど、何も認めなかったな」
「ええ」
サビーネは窓の外を見たまま答えた。
「謝っているようで、何一つ引き取ってはくださいませんでした」
「王家というのはそういうものだ」
「わかっていたつもりでしたけれど、実際にやられると腹が立ちますわね」
父はそこで、ほんの少しだけ口元を動かした。
「よろしい。腹を立てるのは健全だ」
「健全」
「曖昧な謝罪で納得したふりをする方が不健全だ」
サビーネは膝の上で手を組み直した。
王宮の小応接室で浴びせられた、あの綺麗な煙みたいな言葉を思い出す。
感情的な行き違い。若さゆえの未熟。残念な形で表へ出た破談。
違う。
全部違う。
あれはそんな可愛いものではなかった。
見世物だった。
自分を舞台へ上げ、泣く役を押しつけ、悪女として拍手を取ろうとした、下品な演出だった。
それを“残念な行き違い”として薄められることが、やはりたまらなく腹立たしい。
「お前はどうしたい」
父の問いは、突然だった。
サビーネは顔を上げる。
「どう、とは」
「このまま王家の曖昧な文面と口頭の遺憾で終えるか。終えぬなら、どう動くかだ」
馬車の中の空気が少しだけ張る。
サビーネはすぐには答えなかった。
父は試しているのではない。本当に、娘がどこまで考えているかを聞いている。
そして自分は、答えを持っていなければならない。
「終えたくはありません」
まず、そこから言った。
「でしょうね」
「でも、真正面から王家へ噛みついても、きっと“感情的な娘が騒いでいる”に戻されるだけですわ」
「その通りだ」
「だから、あの夜の形そのものを、別の意味で残したいのです」
父の視線がわずかに鋭くなる。
「別の意味?」
サビーネは、そこで初めて自分の中に形になりかけていた考えを言葉にした。
「あの夜、わたくしは見世物にされました」
「……ああ」
「ならば、次はわたくしが舞台の意味を決めたいのです」
言った瞬間、自分でも少し驚いた。
でも、しっくりきた。
壇上での婚約破棄は、王家にとっては一度きりの演出だったのだろう。こちらが黙って泣いて終われば、あとは“公開された真実”として固定できたはずだ。
けれどそうはならなかった。
ならば次は、自分の手で意味を塗り替えたい。
あの夜は、自分が黙って恥をかいた夜ではなく、王家の下品さが露呈した夜だったのだと。
父はしばらく考えるように黙り、それから言った。
「続けろ」
「王立劇場を借ります」
言ってしまってから、馬車の中の空気がもう一段変わったのがわかった。
「……ほう」
父の声が低くなる。
「そして、人を集めます」
「何をする気だ」
「説明いたしますの」
サビーネは自分でも驚くほど落ち着いていた。
「わたくし個人の恨み言を並べるのではなく、あの夜に起きたことを、侯爵家の娘として、必要な範囲で、整えて公にいたします」
父の目が細まる。
「公開説明会、か」
「はい」
「大胆だな」
「劇場で婚約破棄をなさったのは、あちらですもの」
サビーネは静かに言った。
「同じ場所で、“あれは恋のもつれではなく、家への侮辱を含む見世物だった”と明かされれば、王家もそう簡単には若気の至りで済ませられませんわ」
父はすぐには賛成しなかった。
反対もしない。
その沈黙は、この人が本気で計算している時のものだ。
「危うい策でもある」
「わかっております」
「一歩誤れば、お前が王家へ公然と喧嘩を売った女になる」
「でも一歩うまくいけば」
サビーネは言った。
「“黙って飲み込むはずだった娘”ではなくなります」
父はそこで、小さく息を吐いた。
「もう十分そうなっている気もするがな」
「さらに、です」
サビーネは少しだけ微笑んだ。
今日、王宮で綺麗に丸められかけたことで、逆に決まったのだと思う。王家は言葉を濁す。ならばこちらは、濁さず形にするしかない。
父は娘を見つめたまま、やがて低く言った。
「貸切の手配は私が動けばできる」
「……反対なさらないのですか」
「反対してほしかったか」
「少しは」
「残念だったな」
そこで馬車が屋敷へ着く。会話は一度切れたが、その沈黙はもう否定のものではなかった。
屋敷へ戻ると、サビーネはすぐに自室へ向かわず、書斎へ父と一緒に入った。家令が呼ばれ、王立劇場の使用可能日程と、貸切費用、手続き上必要な名目の確認が命じられる。
家令は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの無表情へ戻った。
「侯爵家主催で、でございますか」
「そうだ」
父が答える。
「名目は“先日の慈善晩餐会に関連する説明会”でよい」
「承知いたしました」
家令が去ると、今度はマルゴが呼ばれた。
入ってきた彼女は、いつものように静かに一礼する。
「お呼びでしょうか」
「ええ」
サビーネは言った。
「私、王立劇場を借りることにしたわ」
普通の侍女なら、え、とか、まあ、とか、少しくらい驚くところだろう。
だがマルゴはただ一つ頷いた。
「ようやくですか」
「ようやくって何」
「お嬢様なら、いずれそうなさると思っておりました」
父がわずかに眉を動かす。
「予想していたのか」
「はい。お嬢様は、見世物にされたことそのものへ一番お怒りでしたので。でしたら舞台を取り返そうとなさるのは自然かと」
自然。
この侍女は、いつも時々恐ろしいほどこちらを見ている。
「私はそんなにわかりやすい?」
「かなり」
「嬉しくないわね」
「ですが今回は長所です」
マルゴは平然としている。
父は腕を組み、娘と侍女を順に見た。
「では、お前はどう見る」
侍女へ意見を求めるあたり、父もこの女の毒舌を案外あてにしているらしい。
「危険です」
マルゴは即答した。
「でしょうね」
「ですが、王家が“行き違い”へ薄めたがっている今なら、逆に一度大きく形にしてしまった方が有利です」
「理由は」
「人は、一度整った見方を持つと、あとから上書きされにくいからです」
父が小さくうなずく。
サビーネはその言葉に、はっとした。
そうか。
自分がやろうとしているのは、反撃だけではない。見方の固定なのだ。
あの夜を、王子の華やかな断罪劇ではなく、王家の下品な失敗として世間に定着させる。そのために劇場という同じ器を使う。
マルゴは続けた。
「放っておけば、“若い二人の感情的な破談”として落ち着かせられます。ですが同じ劇場で、同じく人を集めて、侯爵家側が整った説明をしたとなれば、今度はそちらが正式な記憶になります」
正式な記憶。
面白い言い方だ、とサビーネは思った。
でも正しい。社交界の記憶は曖昧だ。だからこそ、いったん“これが本筋です”という顔をした話が出ると、そちらへ寄っていく。
父が低く言う。
「招待客の選定が重要だな」
「ええ」
サビーネもすぐに答える。
「先日の晩餐会にいた方々はもちろんですが、それだけでは足りません」
「どう足りん」
「“見た人”だけでは、内輪の揉め事に見えます」
サビーネは机の上の紙を一枚引き寄せた。
「ですから、“今後どちらの見方が主流になるか”を決める方々も必要ですわ」
王妃派の貴婦人たち。上位貴族の夫人たち。劇場支援者。慈善事業に名を連ねる面々。王都で噂の流れを左右する、舌の上手い人たち。
そういう顔ぶれが揃えば、ただの感情の暴発ではなく、“説明すべき出来事があったのだ”という空気を作れる。
「欠席しにくい顔ぶれにいたします」
サビーネが言うと、父が少しだけ笑った。
「怖い娘だな」
「誰の娘でしょう」
「たしかに私の娘だ」
そこは否定しないのね、とサビーネは思った。
家令が戻ってきたのは、それから少ししてだった。
「旦那様。三日後の午後であれば、王立劇場の主舞台および前方客席の一部を押さえられます」
「早いな」
「先日の件で劇場側も神経質になっております。侯爵家主催と聞いて、むしろ即答でございました」
それはそうだろう。王家の騒動を招いた場所として、劇場側だってこれ以上妙な噂は増やしたくないはずだ。
「押さえろ」
父が言う。
「承知いたしました」
「それと、晩餐会当日の出席者一覧も改めて確認しておけ」
「かしこまりました」
家令が再び下がる。
書斎の中に、今度は静かな熱が残った。
三日後。
ずいぶん早い。でも、このくらいでいい。時間が空きすぎれば、王家が先に新しい物語を流し込む。
サビーネは机に置かれた空白の紙を見つめた。
何を話し、何を話さないか。
どこまで事実を出し、どこで止めるか。
感情ではなく、整えられた説明として成立させるには相当の準備がいる。
でも不思議と、怖さより先に頭が回り始めていた。
やるべきことがある。
それだけで、人は少し楽になる。
その時、書斎の外で控えていた若い従僕が、慌てた様子で一礼した。
「旦那様、ベルナール監督官より急ぎの伝言が」
サビーネと父が同時にそちらを見る。
「何だ」
「本日王宮内で、“侯爵家側が話を大きくしようとしている”との見方が出始めているため、先手を打つなら早い方がよい、と」
父の口元がわずかに歪む。
「相変わらず耳が早い男だ」
サビーネは胸の奥で思う。
あの人なら、きっとこう言うだろう。
舞台装置の点検はできる、と。
マルゴが小さく言った。
「ちょうどよろしいのでは」
「ええ」
サビーネは答える。
「ちょうど、よろしいわ」
王家があの夜を曖昧に薄めたいなら、こちらは同じ劇場で、もっと輪郭のはっきりした形へ整えればいい。
泣くためではない。
訴えるためだけでもない。
舞台の意味を奪い返すために。
サビーネは、真っ白な紙を手前へ引き寄せた。
そして、王立劇場で何を語るべきか、その最初の一行を書き始める。
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イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
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レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
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