『婚約破棄は劇場にて――見世物にされた侯爵令嬢は、舞台ごと奪い返す』

鷹 綾

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第十四話 招待状は全員分

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第十四話 招待状は全員分

 王立劇場を借り切ると決めたその日から、ドルレアン侯爵家の空気は明らかに変わった。

 重苦しさが消えたわけではない。王家と真正面からやり合う形になるのだから、むしろ緊張は増している。けれど、ただ受け身で次の手を待つのとは違った。屋敷の中を行き交う使用人たちの足取りが少し速くなり、書斎へ出入りする家令や執事の声も低く引き締まっている。

 動き始めたのだ。

 そして動き始めた以上、サビーネもただ感情を抱えているだけではいられなかった。

 書斎の長机の上には、先日の慈善晩餐会の出席者一覧、劇場支援者名簿、王都の上位貴族家の近況メモ、慈善事業関連の寄付名簿などが何列にも並べられている。その横には真新しい招待状の見本紙と封蝋の色見本。

 まるで夜会の準備みたいだった。

 実際は、もっとずっと性質が悪い。

「お嬢様」

 家令が一礼しながら言った。

「晩餐会当日の出席者名簿を、改めて整理いたしました」

「ありがとう」

 サビーネは受け取った紙へ目を落とす。

 名前が整然と並んでいる。侯爵、伯爵、男爵、夫人、令嬢、劇場後援者。先日の場にいた者たちは、ある意味では全員共犯だ。誰も止めなかったし、誰もその場で異議を唱えなかった。

 もちろん、それは責めるためではない。

 けれど彼らには、“見た”という事実がある。

 ならば、次の舞台にも立ち会ってもらうべきだ。

 父が机の向こうで腕を組んだ。

「さて、誰を呼ぶ」

「まず、晩餐会当日の出席者は全員です」

 サビーネはすぐに答えた。

「外せば“都合の悪い相手を避けた”と取られますし、逆に招けば“あの夜を知る者への説明”という名目が立ちます」

 父はうなずく。

「それだけでは足りんな」

「ええ」

 サビーネは次の一覧へ手を伸ばした。

「ですから、劇場支援者と慈善事業の名義人も加えます」

 その紙には、先日の晩餐会の後援に名を連ねていた家々が並んでいる。直接の主催者ではなくとも、名前が出ている以上、あの場の品位がどう扱われたかには無関係ではいられない人々だ。

「劇場を私的見世物に使われた件を、“関係のない恋沙汰”として見ていられない顔ぶれになります」

 父が小さく笑う。

「逃げ道を減らすわけだな」

「ええ。できるだけ」

 すると、その脇で一覧をのぞいていたマルゴが口を挟んだ。

「あと、お嬢様」

「何かしら」

「“来ないと損”だと思う方々も必要です」

 父が片眉を上げる。

「どういう意味だ」

「社交界には、“正義だから来る方”より“面白そうだから来る方”の方が多うございます」

 サビーネは思わず息を吐いた。

 言い方は身も蓋もないが、否定はできない。

「ですので、王都で噂の流れを左右する方々、つまり舌の軽い上位夫人方はぜひ」

「あなた、ほんとうに遠慮がないわね」

「必要な方々を選んでおります」

 必要、ね、とサビーネは思う。

 たしかに必要だ。高潔で口の堅い人ばかりを呼んだところで、その場の空気は整っても王都全体の“記憶”は変えられない。

 この手の話は、うまく広げる人間がいて初めて定着する。

「クラヴェル伯爵夫人はもちろん」

 サビーネが言う。

「それから、デュノワ公爵夫人、ラングレー侯爵夫人、セヴェール伯爵夫人も」

 父が少しだけ目を細めた。

「かなり濃い顔ぶれだな」

「ええ。でも、この方々が“あれは若い二人の破談ではなく、王家の不出来だった”という顔をなされば、流れはかなり変わります」

 家令がすぐにメモを取る。

「ほかには」

「慈善事業へ実際に尽力している方も必要ですわ」

 サビーネは別紙を指先で示した。

「先日の晩餐会の“名目”そのものを、殿下がどう扱ったかを感じていただける方々です」

 ただの好奇心ではなく、あの場の下品さを腹立たしく思う人間も必要だった。そうでなければ、全部が娯楽として消費されてしまう。

「なるほどな」

 父は短く言う。

「お前は今回、“敵を糾弾する場”ではなく“意味を定める場”を作ろうとしている」

 サビーネは顔を上げた。

「はい」

「だから観客の質が要る」

「ええ」

 そこで、部屋が一瞬だけ静かになる。

 父にそこまで正確に言い当てられると、妙に背筋が伸びる。そうだ。自分がやろうとしているのは復讐だけではない。

 意味の上書きだ。

 あの夜を、王子が真実の愛のために立ち上がった夜ではなく、王家が劇場で下品に失敗した夜として定着させること。そのための観客を集めている。

 家令が問いを重ねる。

「王家側へもお送りいたしますか」

「もちろん」

 サビーネは即答した。

 父も口を挟まない。

「王弟殿下、王妃付き女官長、先日応対に出た政務官と年長侍従、それから――」

 少しだけ間を置く。

「第二王子殿下にも」

 部屋の空気がわずかに揺れた。

 家令が確認するように言う。

「ご本人にも、でございますか」

「ええ」

 サビーネは静かに答える。

「来るかどうかは別として、招待は必要ですわ」

 もし送らなければ、“侯爵家側が王子を除いて勝手に騒ぎを広げた”と言われる口実になる。送れば、来なかった時に“説明の場を避けた”という意味が残る。

 どちらへ転んでも、こちらが損をしない形にする。

 それが大事だった。

「オディール・メルヴィ嬢にも?」

 今度は父が聞いた。

 サビーネは少しだけ考えた。

 あの娘をどう位置づけるかは、意外と重要だ。婚約破棄の当事者ではないが、壇上へいた。無関係と言い切らせるには存在感がありすぎるし、かといって真正面から主役扱いするほどの格もない。

「送ります」

 サビーネは決めた。

「ただし、格式は落とします」

「どういうことだ」

「主賓席に近い扱いではなく、晩餐会当日の同席者の一人として」

 父が小さくうなずく。

 なるほど、と目が言っていた。

 オディールを“新しい王子の隣席”として扱わず、あくまであの夜その場にいた一人へ引き下ろす。招待することで排除の口実は消しつつ、格上げはしない。

 それだけで、見え方はかなり変わる。

「お前は性格が悪いな」

 父が淡々と言う。

「誰の娘でしょう」

「その返しを気に入っているな」

「便利ですので」

 そこで、マルゴがさらりと言った。

「ですが、まだ足りません」

 サビーネと父が同時に彼女を見る。

「何が」

「来たくても、来ない方々への対策です」

 たしかに。

 顔ぶれが濃くなればなるほど、“関わらずに済ませたい”と考える人間も出る。

 とくに王家寄りの家々は、当日の流れが読めない以上、欠席を選ぶ可能性が高い。

「どうなさるの」

 サビーネが聞くと、マルゴはまるで当然のように答えた。

「招待状の文面に、“先日の王立劇場での件について、当日ご臨席の皆様へ、侯爵家より説明を申し上げる”と明記なさってください」

 家令がすぐに筆を走らせる。

 サビーネはその意味を考え、ゆっくり息を吐いた。

「なるほど」

「当日の出席者である以上、“自分は知らない”では済みにくくなります」

 父が低く言う。

「つまり、“あの場にいたのに来なかった”こと自体が一つの態度になるわけだな」

「はい」

 マルゴは頷いた。

「出るも地獄、出ないも地獄にいたします」

「あなた、たまに本当に私の侍女なのか疑わしくなるわ」

「光栄です」

 少しも光栄そうではなかった。

 だが、そこまで追い込む必要はある。欠席しやすい説明会では意味がない。来るか、来ないか、その選択自体に意味が発生するよう整えなければならないのだ。

「文面は私が作ります」

 サビーネが言った。

「持っていかれる印象が強すぎても困りますし、逆に柔らかすぎれば“適当に欠席してもよさそう”になりますもの」

「よろしい」

 父が言う。

「ただし、一読は私もする」

「ええ」

 長机の上へ新しい紙が広げられる。

 サビーネは羽根ペンを取り、少しだけ目を閉じた。招待状の文面には、その場の空気が先に宿る。強すぎれば宣戦布告になる。弱すぎれば世間話の延長に見える。

 必要なのは、“丁寧なのに断れない文”。

 なんて嫌な注文だろう。

 でも、今の自分にはそういう文章の方が向いている気がした。

 書き始める。

 先日の王立劇場における慈善晩餐会の場にて、第二王子殿下より公の婚約解消がなされました件につき、当日ご臨席の皆様へ、ドルレアン侯爵家より必要なご説明を申し上げたく――

 そこまで書いて、サビーネは手を止めた。

 “必要なご説明”。

 いい。

 恨み言ではない。感情の吐露でもない。あくまで、必要があるから説明するのだという顔をしている。

「続けてくださいませ、お嬢様」

 マルゴが言う。

「今の書き出しは上出来です」

「たまには素直に褒めるのね」

「必要な時には」

 必要、必要、と本当にこの侍女はそればかりだ。

 でも今日は、その言葉が不思議と頼もしい。

 文面を整え終えると、父がそれを受け取り黙って目を通す。途中で一度だけ眉が動いたが、最後まで読み終えてから言ったのは短い一言だった。

「よい」

 それだけで十分だった。

 家令が控えめに問う。

「封蝋の色は、侯爵家の正式色でよろしいでしょうか」

 サビーネは一瞬だけ考える。

 濃紺の封蝋は侯爵家の正式色だ。格式は十分。だが少し硬すぎて、いかにも“抗議文”に見える恐れもある。

「銀灰にいたします」

 サビーネが言った。

 家令が目を上げる。

「銀灰、でございますか」

「ええ。劇場関連の正式招待で使う色に近いものを」

 父が口元をわずかに歪めた。

「徹底しているな」

「今回の主役は侯爵家ではなく、劇場そのものですもの」

 王立劇場で始まったことは、王立劇場で決着の意味を付ける。その演出は徹底した方がいい。

 マルゴがさらりと言う。

「殿下は封を見ただけで嫌な顔をなさるでしょうね」

「それは少し楽しみだわ」

 サビーネは本音をこぼした。

 家令が一礼する。

「では、これより至急で手配いたします」

「ええ。今夜のうちに出してください」

「かしこまりました」

 家令が去ると、部屋には妙な静けさが残った。

 これで決まった。

 招待状は全員分出る。

 見た人にも、見ていない人にも。味方にも、敵にも、傍観者にも。王家にも、オディールにも、舌の軽い夫人たちにも。

 来なければ、態度になる。

 来れば、証人になる。

 どちらにしても、あの夜を“若い二人の気まずい破談”として流すことは難しくなる。

 サビーネは椅子へ少し深く座りなおした。

 頭は働いている。むしろ冴えている。

 なのに胸の奥では、少しだけ不思議な感情が揺れていた。

 怖いのだ。

 これだけ大きく打ち出してしまえば、もう後戻りはできない。王家も黙ってはいないだろうし、王都の視線はさらに集まる。今よりずっと、名前を出される。

 でも、その怖さの下には、別の感覚もある。

 ようやく、自分で舞台の幕を引く側へ回れた、という感覚だ。

「お嬢様」

 マルゴが静かに言った。

「何かしら」

「お顔が、少しだけ楽しそうです」

 サビーネは思わず眉を寄せた。

「そんなことないわ」

「ございます」

「嫌な言い方ね」

「事実ですので」

 またそれだ、とサビーネは思ったが、否定しきれなかった。

 たしかに少しだけ、そうかもしれない。

 楽しいというと不謹慎だ。けれど、正しくは“手応えがある”に近い。誰かが用意した筋書きに乗せられるのではなく、自分の言葉で次の場を作っている。その感覚が、怖さと一緒に体の中を走っていた。

 その時、書斎の扉が控えめに叩かれた。

 従僕が入ってくる。

「旦那様、王宮より使者が」

 父とサビーネが同時に顔を上げた。

「何だ」

「招待状の文面について、まだお伝えしておりませんのに、先方が“侯爵家がさらに場を荒立てるつもりではないか”と探りを」

 早い。

 いや、王宮も警戒しているのだろう。こちらが王立劇場を再び押さえたことが、もう漏れたに違いない。

 父が冷たく言う。

「返答は」

「“必要な説明の場を設けるのみである”と」

「それでよい」

 従僕が下がる。

 マルゴが小さく呟いた。

「ずいぶん慌てておいでですね」

「ええ」

 サビーネは静かに答えた。

「だって、招待状がまだ届く前から怖がっているのですもの」

 それはつまり、王家自身がわかっているということだ。

 あの夜をきちんと整えて説明されることの厄介さを。

 サビーネは机の上に残った招待状の控えを見た。

 もうすぐ、これが王都中へ飛ぶ。

 誰もが封を切り、顔をしかめ、あるいは目を輝かせるだろう。

 そして三日後、王立劇場にはまた人が集まる。

 今度は、誰かの泣き顔を見るためではない。

 あの夜に何があったのかを、侯爵家の娘がどう定義するのかを見るために。
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