13 / 31
第十四話 招待状は全員分
しおりを挟む
第十四話 招待状は全員分
王立劇場を借り切ると決めたその日から、ドルレアン侯爵家の空気は明らかに変わった。
重苦しさが消えたわけではない。王家と真正面からやり合う形になるのだから、むしろ緊張は増している。けれど、ただ受け身で次の手を待つのとは違った。屋敷の中を行き交う使用人たちの足取りが少し速くなり、書斎へ出入りする家令や執事の声も低く引き締まっている。
動き始めたのだ。
そして動き始めた以上、サビーネもただ感情を抱えているだけではいられなかった。
書斎の長机の上には、先日の慈善晩餐会の出席者一覧、劇場支援者名簿、王都の上位貴族家の近況メモ、慈善事業関連の寄付名簿などが何列にも並べられている。その横には真新しい招待状の見本紙と封蝋の色見本。
まるで夜会の準備みたいだった。
実際は、もっとずっと性質が悪い。
「お嬢様」
家令が一礼しながら言った。
「晩餐会当日の出席者名簿を、改めて整理いたしました」
「ありがとう」
サビーネは受け取った紙へ目を落とす。
名前が整然と並んでいる。侯爵、伯爵、男爵、夫人、令嬢、劇場後援者。先日の場にいた者たちは、ある意味では全員共犯だ。誰も止めなかったし、誰もその場で異議を唱えなかった。
もちろん、それは責めるためではない。
けれど彼らには、“見た”という事実がある。
ならば、次の舞台にも立ち会ってもらうべきだ。
父が机の向こうで腕を組んだ。
「さて、誰を呼ぶ」
「まず、晩餐会当日の出席者は全員です」
サビーネはすぐに答えた。
「外せば“都合の悪い相手を避けた”と取られますし、逆に招けば“あの夜を知る者への説明”という名目が立ちます」
父はうなずく。
「それだけでは足りんな」
「ええ」
サビーネは次の一覧へ手を伸ばした。
「ですから、劇場支援者と慈善事業の名義人も加えます」
その紙には、先日の晩餐会の後援に名を連ねていた家々が並んでいる。直接の主催者ではなくとも、名前が出ている以上、あの場の品位がどう扱われたかには無関係ではいられない人々だ。
「劇場を私的見世物に使われた件を、“関係のない恋沙汰”として見ていられない顔ぶれになります」
父が小さく笑う。
「逃げ道を減らすわけだな」
「ええ。できるだけ」
すると、その脇で一覧をのぞいていたマルゴが口を挟んだ。
「あと、お嬢様」
「何かしら」
「“来ないと損”だと思う方々も必要です」
父が片眉を上げる。
「どういう意味だ」
「社交界には、“正義だから来る方”より“面白そうだから来る方”の方が多うございます」
サビーネは思わず息を吐いた。
言い方は身も蓋もないが、否定はできない。
「ですので、王都で噂の流れを左右する方々、つまり舌の軽い上位夫人方はぜひ」
「あなた、ほんとうに遠慮がないわね」
「必要な方々を選んでおります」
必要、ね、とサビーネは思う。
たしかに必要だ。高潔で口の堅い人ばかりを呼んだところで、その場の空気は整っても王都全体の“記憶”は変えられない。
この手の話は、うまく広げる人間がいて初めて定着する。
「クラヴェル伯爵夫人はもちろん」
サビーネが言う。
「それから、デュノワ公爵夫人、ラングレー侯爵夫人、セヴェール伯爵夫人も」
父が少しだけ目を細めた。
「かなり濃い顔ぶれだな」
「ええ。でも、この方々が“あれは若い二人の破談ではなく、王家の不出来だった”という顔をなされば、流れはかなり変わります」
家令がすぐにメモを取る。
「ほかには」
「慈善事業へ実際に尽力している方も必要ですわ」
サビーネは別紙を指先で示した。
「先日の晩餐会の“名目”そのものを、殿下がどう扱ったかを感じていただける方々です」
ただの好奇心ではなく、あの場の下品さを腹立たしく思う人間も必要だった。そうでなければ、全部が娯楽として消費されてしまう。
「なるほどな」
父は短く言う。
「お前は今回、“敵を糾弾する場”ではなく“意味を定める場”を作ろうとしている」
サビーネは顔を上げた。
「はい」
「だから観客の質が要る」
「ええ」
そこで、部屋が一瞬だけ静かになる。
父にそこまで正確に言い当てられると、妙に背筋が伸びる。そうだ。自分がやろうとしているのは復讐だけではない。
意味の上書きだ。
あの夜を、王子が真実の愛のために立ち上がった夜ではなく、王家が劇場で下品に失敗した夜として定着させること。そのための観客を集めている。
家令が問いを重ねる。
「王家側へもお送りいたしますか」
「もちろん」
サビーネは即答した。
父も口を挟まない。
「王弟殿下、王妃付き女官長、先日応対に出た政務官と年長侍従、それから――」
少しだけ間を置く。
「第二王子殿下にも」
部屋の空気がわずかに揺れた。
家令が確認するように言う。
「ご本人にも、でございますか」
「ええ」
サビーネは静かに答える。
「来るかどうかは別として、招待は必要ですわ」
もし送らなければ、“侯爵家側が王子を除いて勝手に騒ぎを広げた”と言われる口実になる。送れば、来なかった時に“説明の場を避けた”という意味が残る。
どちらへ転んでも、こちらが損をしない形にする。
それが大事だった。
「オディール・メルヴィ嬢にも?」
今度は父が聞いた。
サビーネは少しだけ考えた。
あの娘をどう位置づけるかは、意外と重要だ。婚約破棄の当事者ではないが、壇上へいた。無関係と言い切らせるには存在感がありすぎるし、かといって真正面から主役扱いするほどの格もない。
「送ります」
サビーネは決めた。
「ただし、格式は落とします」
「どういうことだ」
「主賓席に近い扱いではなく、晩餐会当日の同席者の一人として」
父が小さくうなずく。
なるほど、と目が言っていた。
オディールを“新しい王子の隣席”として扱わず、あくまであの夜その場にいた一人へ引き下ろす。招待することで排除の口実は消しつつ、格上げはしない。
それだけで、見え方はかなり変わる。
「お前は性格が悪いな」
父が淡々と言う。
「誰の娘でしょう」
「その返しを気に入っているな」
「便利ですので」
そこで、マルゴがさらりと言った。
「ですが、まだ足りません」
サビーネと父が同時に彼女を見る。
「何が」
「来たくても、来ない方々への対策です」
たしかに。
顔ぶれが濃くなればなるほど、“関わらずに済ませたい”と考える人間も出る。
とくに王家寄りの家々は、当日の流れが読めない以上、欠席を選ぶ可能性が高い。
「どうなさるの」
サビーネが聞くと、マルゴはまるで当然のように答えた。
「招待状の文面に、“先日の王立劇場での件について、当日ご臨席の皆様へ、侯爵家より説明を申し上げる”と明記なさってください」
家令がすぐに筆を走らせる。
サビーネはその意味を考え、ゆっくり息を吐いた。
「なるほど」
「当日の出席者である以上、“自分は知らない”では済みにくくなります」
父が低く言う。
「つまり、“あの場にいたのに来なかった”こと自体が一つの態度になるわけだな」
「はい」
マルゴは頷いた。
「出るも地獄、出ないも地獄にいたします」
「あなた、たまに本当に私の侍女なのか疑わしくなるわ」
「光栄です」
少しも光栄そうではなかった。
だが、そこまで追い込む必要はある。欠席しやすい説明会では意味がない。来るか、来ないか、その選択自体に意味が発生するよう整えなければならないのだ。
「文面は私が作ります」
サビーネが言った。
「持っていかれる印象が強すぎても困りますし、逆に柔らかすぎれば“適当に欠席してもよさそう”になりますもの」
「よろしい」
父が言う。
「ただし、一読は私もする」
「ええ」
長机の上へ新しい紙が広げられる。
サビーネは羽根ペンを取り、少しだけ目を閉じた。招待状の文面には、その場の空気が先に宿る。強すぎれば宣戦布告になる。弱すぎれば世間話の延長に見える。
必要なのは、“丁寧なのに断れない文”。
なんて嫌な注文だろう。
でも、今の自分にはそういう文章の方が向いている気がした。
書き始める。
先日の王立劇場における慈善晩餐会の場にて、第二王子殿下より公の婚約解消がなされました件につき、当日ご臨席の皆様へ、ドルレアン侯爵家より必要なご説明を申し上げたく――
そこまで書いて、サビーネは手を止めた。
“必要なご説明”。
いい。
恨み言ではない。感情の吐露でもない。あくまで、必要があるから説明するのだという顔をしている。
「続けてくださいませ、お嬢様」
マルゴが言う。
「今の書き出しは上出来です」
「たまには素直に褒めるのね」
「必要な時には」
必要、必要、と本当にこの侍女はそればかりだ。
でも今日は、その言葉が不思議と頼もしい。
文面を整え終えると、父がそれを受け取り黙って目を通す。途中で一度だけ眉が動いたが、最後まで読み終えてから言ったのは短い一言だった。
「よい」
それだけで十分だった。
家令が控えめに問う。
「封蝋の色は、侯爵家の正式色でよろしいでしょうか」
サビーネは一瞬だけ考える。
濃紺の封蝋は侯爵家の正式色だ。格式は十分。だが少し硬すぎて、いかにも“抗議文”に見える恐れもある。
「銀灰にいたします」
サビーネが言った。
家令が目を上げる。
「銀灰、でございますか」
「ええ。劇場関連の正式招待で使う色に近いものを」
父が口元をわずかに歪めた。
「徹底しているな」
「今回の主役は侯爵家ではなく、劇場そのものですもの」
王立劇場で始まったことは、王立劇場で決着の意味を付ける。その演出は徹底した方がいい。
マルゴがさらりと言う。
「殿下は封を見ただけで嫌な顔をなさるでしょうね」
「それは少し楽しみだわ」
サビーネは本音をこぼした。
家令が一礼する。
「では、これより至急で手配いたします」
「ええ。今夜のうちに出してください」
「かしこまりました」
家令が去ると、部屋には妙な静けさが残った。
これで決まった。
招待状は全員分出る。
見た人にも、見ていない人にも。味方にも、敵にも、傍観者にも。王家にも、オディールにも、舌の軽い夫人たちにも。
来なければ、態度になる。
来れば、証人になる。
どちらにしても、あの夜を“若い二人の気まずい破談”として流すことは難しくなる。
サビーネは椅子へ少し深く座りなおした。
頭は働いている。むしろ冴えている。
なのに胸の奥では、少しだけ不思議な感情が揺れていた。
怖いのだ。
これだけ大きく打ち出してしまえば、もう後戻りはできない。王家も黙ってはいないだろうし、王都の視線はさらに集まる。今よりずっと、名前を出される。
でも、その怖さの下には、別の感覚もある。
ようやく、自分で舞台の幕を引く側へ回れた、という感覚だ。
「お嬢様」
マルゴが静かに言った。
「何かしら」
「お顔が、少しだけ楽しそうです」
サビーネは思わず眉を寄せた。
「そんなことないわ」
「ございます」
「嫌な言い方ね」
「事実ですので」
またそれだ、とサビーネは思ったが、否定しきれなかった。
たしかに少しだけ、そうかもしれない。
楽しいというと不謹慎だ。けれど、正しくは“手応えがある”に近い。誰かが用意した筋書きに乗せられるのではなく、自分の言葉で次の場を作っている。その感覚が、怖さと一緒に体の中を走っていた。
その時、書斎の扉が控えめに叩かれた。
従僕が入ってくる。
「旦那様、王宮より使者が」
父とサビーネが同時に顔を上げた。
「何だ」
「招待状の文面について、まだお伝えしておりませんのに、先方が“侯爵家がさらに場を荒立てるつもりではないか”と探りを」
早い。
いや、王宮も警戒しているのだろう。こちらが王立劇場を再び押さえたことが、もう漏れたに違いない。
父が冷たく言う。
「返答は」
「“必要な説明の場を設けるのみである”と」
「それでよい」
従僕が下がる。
マルゴが小さく呟いた。
「ずいぶん慌てておいでですね」
「ええ」
サビーネは静かに答えた。
「だって、招待状がまだ届く前から怖がっているのですもの」
それはつまり、王家自身がわかっているということだ。
あの夜をきちんと整えて説明されることの厄介さを。
サビーネは机の上に残った招待状の控えを見た。
もうすぐ、これが王都中へ飛ぶ。
誰もが封を切り、顔をしかめ、あるいは目を輝かせるだろう。
そして三日後、王立劇場にはまた人が集まる。
今度は、誰かの泣き顔を見るためではない。
あの夜に何があったのかを、侯爵家の娘がどう定義するのかを見るために。
王立劇場を借り切ると決めたその日から、ドルレアン侯爵家の空気は明らかに変わった。
重苦しさが消えたわけではない。王家と真正面からやり合う形になるのだから、むしろ緊張は増している。けれど、ただ受け身で次の手を待つのとは違った。屋敷の中を行き交う使用人たちの足取りが少し速くなり、書斎へ出入りする家令や執事の声も低く引き締まっている。
動き始めたのだ。
そして動き始めた以上、サビーネもただ感情を抱えているだけではいられなかった。
書斎の長机の上には、先日の慈善晩餐会の出席者一覧、劇場支援者名簿、王都の上位貴族家の近況メモ、慈善事業関連の寄付名簿などが何列にも並べられている。その横には真新しい招待状の見本紙と封蝋の色見本。
まるで夜会の準備みたいだった。
実際は、もっとずっと性質が悪い。
「お嬢様」
家令が一礼しながら言った。
「晩餐会当日の出席者名簿を、改めて整理いたしました」
「ありがとう」
サビーネは受け取った紙へ目を落とす。
名前が整然と並んでいる。侯爵、伯爵、男爵、夫人、令嬢、劇場後援者。先日の場にいた者たちは、ある意味では全員共犯だ。誰も止めなかったし、誰もその場で異議を唱えなかった。
もちろん、それは責めるためではない。
けれど彼らには、“見た”という事実がある。
ならば、次の舞台にも立ち会ってもらうべきだ。
父が机の向こうで腕を組んだ。
「さて、誰を呼ぶ」
「まず、晩餐会当日の出席者は全員です」
サビーネはすぐに答えた。
「外せば“都合の悪い相手を避けた”と取られますし、逆に招けば“あの夜を知る者への説明”という名目が立ちます」
父はうなずく。
「それだけでは足りんな」
「ええ」
サビーネは次の一覧へ手を伸ばした。
「ですから、劇場支援者と慈善事業の名義人も加えます」
その紙には、先日の晩餐会の後援に名を連ねていた家々が並んでいる。直接の主催者ではなくとも、名前が出ている以上、あの場の品位がどう扱われたかには無関係ではいられない人々だ。
「劇場を私的見世物に使われた件を、“関係のない恋沙汰”として見ていられない顔ぶれになります」
父が小さく笑う。
「逃げ道を減らすわけだな」
「ええ。できるだけ」
すると、その脇で一覧をのぞいていたマルゴが口を挟んだ。
「あと、お嬢様」
「何かしら」
「“来ないと損”だと思う方々も必要です」
父が片眉を上げる。
「どういう意味だ」
「社交界には、“正義だから来る方”より“面白そうだから来る方”の方が多うございます」
サビーネは思わず息を吐いた。
言い方は身も蓋もないが、否定はできない。
「ですので、王都で噂の流れを左右する方々、つまり舌の軽い上位夫人方はぜひ」
「あなた、ほんとうに遠慮がないわね」
「必要な方々を選んでおります」
必要、ね、とサビーネは思う。
たしかに必要だ。高潔で口の堅い人ばかりを呼んだところで、その場の空気は整っても王都全体の“記憶”は変えられない。
この手の話は、うまく広げる人間がいて初めて定着する。
「クラヴェル伯爵夫人はもちろん」
サビーネが言う。
「それから、デュノワ公爵夫人、ラングレー侯爵夫人、セヴェール伯爵夫人も」
父が少しだけ目を細めた。
「かなり濃い顔ぶれだな」
「ええ。でも、この方々が“あれは若い二人の破談ではなく、王家の不出来だった”という顔をなされば、流れはかなり変わります」
家令がすぐにメモを取る。
「ほかには」
「慈善事業へ実際に尽力している方も必要ですわ」
サビーネは別紙を指先で示した。
「先日の晩餐会の“名目”そのものを、殿下がどう扱ったかを感じていただける方々です」
ただの好奇心ではなく、あの場の下品さを腹立たしく思う人間も必要だった。そうでなければ、全部が娯楽として消費されてしまう。
「なるほどな」
父は短く言う。
「お前は今回、“敵を糾弾する場”ではなく“意味を定める場”を作ろうとしている」
サビーネは顔を上げた。
「はい」
「だから観客の質が要る」
「ええ」
そこで、部屋が一瞬だけ静かになる。
父にそこまで正確に言い当てられると、妙に背筋が伸びる。そうだ。自分がやろうとしているのは復讐だけではない。
意味の上書きだ。
あの夜を、王子が真実の愛のために立ち上がった夜ではなく、王家が劇場で下品に失敗した夜として定着させること。そのための観客を集めている。
家令が問いを重ねる。
「王家側へもお送りいたしますか」
「もちろん」
サビーネは即答した。
父も口を挟まない。
「王弟殿下、王妃付き女官長、先日応対に出た政務官と年長侍従、それから――」
少しだけ間を置く。
「第二王子殿下にも」
部屋の空気がわずかに揺れた。
家令が確認するように言う。
「ご本人にも、でございますか」
「ええ」
サビーネは静かに答える。
「来るかどうかは別として、招待は必要ですわ」
もし送らなければ、“侯爵家側が王子を除いて勝手に騒ぎを広げた”と言われる口実になる。送れば、来なかった時に“説明の場を避けた”という意味が残る。
どちらへ転んでも、こちらが損をしない形にする。
それが大事だった。
「オディール・メルヴィ嬢にも?」
今度は父が聞いた。
サビーネは少しだけ考えた。
あの娘をどう位置づけるかは、意外と重要だ。婚約破棄の当事者ではないが、壇上へいた。無関係と言い切らせるには存在感がありすぎるし、かといって真正面から主役扱いするほどの格もない。
「送ります」
サビーネは決めた。
「ただし、格式は落とします」
「どういうことだ」
「主賓席に近い扱いではなく、晩餐会当日の同席者の一人として」
父が小さくうなずく。
なるほど、と目が言っていた。
オディールを“新しい王子の隣席”として扱わず、あくまであの夜その場にいた一人へ引き下ろす。招待することで排除の口実は消しつつ、格上げはしない。
それだけで、見え方はかなり変わる。
「お前は性格が悪いな」
父が淡々と言う。
「誰の娘でしょう」
「その返しを気に入っているな」
「便利ですので」
そこで、マルゴがさらりと言った。
「ですが、まだ足りません」
サビーネと父が同時に彼女を見る。
「何が」
「来たくても、来ない方々への対策です」
たしかに。
顔ぶれが濃くなればなるほど、“関わらずに済ませたい”と考える人間も出る。
とくに王家寄りの家々は、当日の流れが読めない以上、欠席を選ぶ可能性が高い。
「どうなさるの」
サビーネが聞くと、マルゴはまるで当然のように答えた。
「招待状の文面に、“先日の王立劇場での件について、当日ご臨席の皆様へ、侯爵家より説明を申し上げる”と明記なさってください」
家令がすぐに筆を走らせる。
サビーネはその意味を考え、ゆっくり息を吐いた。
「なるほど」
「当日の出席者である以上、“自分は知らない”では済みにくくなります」
父が低く言う。
「つまり、“あの場にいたのに来なかった”こと自体が一つの態度になるわけだな」
「はい」
マルゴは頷いた。
「出るも地獄、出ないも地獄にいたします」
「あなた、たまに本当に私の侍女なのか疑わしくなるわ」
「光栄です」
少しも光栄そうではなかった。
だが、そこまで追い込む必要はある。欠席しやすい説明会では意味がない。来るか、来ないか、その選択自体に意味が発生するよう整えなければならないのだ。
「文面は私が作ります」
サビーネが言った。
「持っていかれる印象が強すぎても困りますし、逆に柔らかすぎれば“適当に欠席してもよさそう”になりますもの」
「よろしい」
父が言う。
「ただし、一読は私もする」
「ええ」
長机の上へ新しい紙が広げられる。
サビーネは羽根ペンを取り、少しだけ目を閉じた。招待状の文面には、その場の空気が先に宿る。強すぎれば宣戦布告になる。弱すぎれば世間話の延長に見える。
必要なのは、“丁寧なのに断れない文”。
なんて嫌な注文だろう。
でも、今の自分にはそういう文章の方が向いている気がした。
書き始める。
先日の王立劇場における慈善晩餐会の場にて、第二王子殿下より公の婚約解消がなされました件につき、当日ご臨席の皆様へ、ドルレアン侯爵家より必要なご説明を申し上げたく――
そこまで書いて、サビーネは手を止めた。
“必要なご説明”。
いい。
恨み言ではない。感情の吐露でもない。あくまで、必要があるから説明するのだという顔をしている。
「続けてくださいませ、お嬢様」
マルゴが言う。
「今の書き出しは上出来です」
「たまには素直に褒めるのね」
「必要な時には」
必要、必要、と本当にこの侍女はそればかりだ。
でも今日は、その言葉が不思議と頼もしい。
文面を整え終えると、父がそれを受け取り黙って目を通す。途中で一度だけ眉が動いたが、最後まで読み終えてから言ったのは短い一言だった。
「よい」
それだけで十分だった。
家令が控えめに問う。
「封蝋の色は、侯爵家の正式色でよろしいでしょうか」
サビーネは一瞬だけ考える。
濃紺の封蝋は侯爵家の正式色だ。格式は十分。だが少し硬すぎて、いかにも“抗議文”に見える恐れもある。
「銀灰にいたします」
サビーネが言った。
家令が目を上げる。
「銀灰、でございますか」
「ええ。劇場関連の正式招待で使う色に近いものを」
父が口元をわずかに歪めた。
「徹底しているな」
「今回の主役は侯爵家ではなく、劇場そのものですもの」
王立劇場で始まったことは、王立劇場で決着の意味を付ける。その演出は徹底した方がいい。
マルゴがさらりと言う。
「殿下は封を見ただけで嫌な顔をなさるでしょうね」
「それは少し楽しみだわ」
サビーネは本音をこぼした。
家令が一礼する。
「では、これより至急で手配いたします」
「ええ。今夜のうちに出してください」
「かしこまりました」
家令が去ると、部屋には妙な静けさが残った。
これで決まった。
招待状は全員分出る。
見た人にも、見ていない人にも。味方にも、敵にも、傍観者にも。王家にも、オディールにも、舌の軽い夫人たちにも。
来なければ、態度になる。
来れば、証人になる。
どちらにしても、あの夜を“若い二人の気まずい破談”として流すことは難しくなる。
サビーネは椅子へ少し深く座りなおした。
頭は働いている。むしろ冴えている。
なのに胸の奥では、少しだけ不思議な感情が揺れていた。
怖いのだ。
これだけ大きく打ち出してしまえば、もう後戻りはできない。王家も黙ってはいないだろうし、王都の視線はさらに集まる。今よりずっと、名前を出される。
でも、その怖さの下には、別の感覚もある。
ようやく、自分で舞台の幕を引く側へ回れた、という感覚だ。
「お嬢様」
マルゴが静かに言った。
「何かしら」
「お顔が、少しだけ楽しそうです」
サビーネは思わず眉を寄せた。
「そんなことないわ」
「ございます」
「嫌な言い方ね」
「事実ですので」
またそれだ、とサビーネは思ったが、否定しきれなかった。
たしかに少しだけ、そうかもしれない。
楽しいというと不謹慎だ。けれど、正しくは“手応えがある”に近い。誰かが用意した筋書きに乗せられるのではなく、自分の言葉で次の場を作っている。その感覚が、怖さと一緒に体の中を走っていた。
その時、書斎の扉が控えめに叩かれた。
従僕が入ってくる。
「旦那様、王宮より使者が」
父とサビーネが同時に顔を上げた。
「何だ」
「招待状の文面について、まだお伝えしておりませんのに、先方が“侯爵家がさらに場を荒立てるつもりではないか”と探りを」
早い。
いや、王宮も警戒しているのだろう。こちらが王立劇場を再び押さえたことが、もう漏れたに違いない。
父が冷たく言う。
「返答は」
「“必要な説明の場を設けるのみである”と」
「それでよい」
従僕が下がる。
マルゴが小さく呟いた。
「ずいぶん慌てておいでですね」
「ええ」
サビーネは静かに答えた。
「だって、招待状がまだ届く前から怖がっているのですもの」
それはつまり、王家自身がわかっているということだ。
あの夜をきちんと整えて説明されることの厄介さを。
サビーネは机の上に残った招待状の控えを見た。
もうすぐ、これが王都中へ飛ぶ。
誰もが封を切り、顔をしかめ、あるいは目を輝かせるだろう。
そして三日後、王立劇場にはまた人が集まる。
今度は、誰かの泣き顔を見るためではない。
あの夜に何があったのかを、侯爵家の娘がどう定義するのかを見るために。
0
あなたにおすすめの小説
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?
みこと。
恋愛
鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。
「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。
(あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)
現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。
そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。
なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?
この出会いが、クローディアに新しい道を拓く!
※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです
藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。
――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。
妹は父の愛人の子。
身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、
彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。
婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、
当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。
一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。
だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。
これは、誰かが罰した物語ではない。
ただ、選んだ道の先にあった現実の話。
覚悟のなかった婚約者が、
自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。
結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。
山田 バルス
恋愛
結婚三年目の春、エマは伯爵家の夫アンドレオから突然、側室を迎える話を告げられる。子をなせなかったことを理由に、彼女は僅かな補償のみで離縁された。妻として過ごした三年間は「無価値だった」と突きつけられ、エマは貴族社会から静かに切り捨てられる。
また実家の父母の墓参りに行くと、当主になっていた兄に離縁金を奪われてしまう。
大ピンチのエマには、秘密があった。なんと彼女は幼少期に前世の記憶を思い出していたのだ。
かつて観光地で石を磨き、アクセサリーを作り、人に喜ばれる仕事をしていた人生。何も持たない今だからこそ、もう一度「自分の手で生きる」ことを選び、あの人が住む商業国家スペイラ帝国へ向かう決意をする。
国境への道中、盗賊に襲われるが、護衛兵ロドリゲスの活躍で難を逃れる。彼の誠実な態度に、エマは「守られる価値のある存在」として扱われたことに胸を打たれた。
スペイラ帝国では身分に縛られず働ける。エマは前世の技術を活かし、石を磨いてアクセサリーを作る小さな露店を始める。石に意味を込めた腕輪やペンダントは人々の心を掴み、体験教室も開かれるようになる。伯爵夫人だった頃よりも、今の方がずっと「生きている」と実感していた。
ある朝、ロドリゲスが市場を訪れ、エマの作ったタイガーアイの腕輪を購入する。ところがその夜、彼は驚いた様子で戻り、腕輪が力を一・五倍に高める魔道具だと判明したと告げる。エマ自身は無意識だったが、彼女の作るアクセサリーには確かな力が宿っていた。
後日二人は食事に出かけ、エマは自分が貴族の妻として離縁された過去を打ち明ける。ロドリゲスは強く憤り、「最悪な貴族だ」と彼女と一緒になって怒ってくれた。その気持ちが、エマにとって何よりの救いだった。彼は次に防御力を高める腕輪を依頼し、冒険者ギルドで正式な鑑定を受けるよう勧める。
翌日、冒険者ギルドで鑑定を行った結果、エマの腕輪は高い防御効果を持つことが判明。さらに彼女自身を鑑定すると、なんと「付与特化型聖女」であることが明らかになる。聖女が付与した魔道具は現実の力として強く発現するのだ。
価値がないと切り捨てられた人生は、ここでは確かな力となった。スペイラ帝国で、聖女エマの新しい人生が、静かに、そして輝かしく始まる。
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結
まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。
コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる