『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第12話 触れない選択

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第12話 触れない選択

 その日は、静かすぎるほど静かだった。

 フェルディナンドは執務を早めに切り上げ、誰とも会わず、自室に籠もっていた。
 侍従たちも、ノインにだけは何も言わなかった。
 ――言えなかった、のかもしれない。

 ノインは、自室の窓辺で紅茶を冷ましながら、庭を眺めていた。
 心配で胸がざわつくのに、足は自然と動かない。

 (……今日は、行かないほうがいい)

 昨夜のフェルディナンドの表情が、脳裏に焼き付いていた。
 拒絶ではない。
 けれど、明確な「限界」の色。

 ノインは、自分の力を知っている。
 触れれば、癒せる。
 触れれば、痛みを和らげられる。

 ――けれど、それは万能ではない。

 彼女の力は、“傷”には効く。
 だが、“拒み続けた心”を、無理やりこじ開けるものではない。

 「……待つ、か」

 小さく呟いたそのときだった。

 控えめなノックが響く。

 「ノイン様」

 扉の外にいたのは、執事のラドクリフだった。
 彼はいつになく、慎重な声で告げる。

 「閣下が……お呼びです」

 ノインの心臓が、強く跳ねた。

 * * *

 フェルディナンドの部屋は、薄暗かった。
 カーテンは閉じられ、ランプの灯りだけが静かに揺れている。

 彼は、椅子に深く腰掛け、片手で額を押さえていた。

 「……来てくれたか」

 声は落ち着いているが、どこか掠れている。

 ノインは、数歩手前で立ち止まった。

 「……今日は、触れません」

 入室早々、そう言った。

 フェルディナンドは、驚いたように顔を上げる。

 「……なぜだ」

 ノインは、まっすぐ彼を見た。

 「フェルディナンド様が、望んでいないからです」

 一瞬、空気が張り詰めた。

 拒絶されると思ったのか、彼の指先がわずかに強張る。

 だが、ノインは続けた。

 「でも……話すことは、できます」

 ゆっくりと、彼女は椅子を引き、向かいに座った。

 「無理に過去を聞いたりしません。
 ただ……フェルディナンド様が、今、何を感じているのか。
 それだけ、教えてもらえたら」

 長い沈黙。

 やがて、彼は小さく笑った。

 「……君は、本当に……」

 言葉を探すように、視線を彷徨わせる。

 「癒し手のくせに……癒さない選択をする」

 「はい」

 ノインは、はっきりと頷いた。

 「だって、触れることより……
 “信じて待つ”ほうが、必要なときもありますから」

 フェルディナンドの喉が、わずかに鳴った。

 「……怖いんだ」

 ぽつり、と零れた本音。

 「呪いが解けていくほど……
 自分が、何を思っていたのか、何を拒んできたのか……
 はっきりしてくる」

 彼は、拳を握る。

 「……この姿になった理由を、忘れて生きてきたわけじゃない。
 ただ……思い出さないようにしてきただけだ」

 ノインは、何も言わなかった。
 否定も、励ましも、急かしもしない。

 ただ、そこにいる。

 フェルディナンドは、深く息を吐いた。

 「……君が、触れないでいてくれるのが……
 今は、救いだ」

 その言葉に、ノインは小さく微笑んだ。

 「それなら、よかったです」

 彼は、少しだけ目を伏せる。

 「……次に、君の手を求めるときは」

 その声は、低く、決意を帯びていた。

 「……わたし自身が、逃げずに向き合うときだ」

 ノインの胸が、静かに熱くなる。

 (……もう少し)

 呪いの核は、確実に近づいている。

 けれどそれは、
 力で壊すものではなく――

 彼自身が、“触れていい”と選ぶことで、
 初めて、姿を現すものなのだ。

 その夜、フェルディナンドは久しぶりに、
 短いながらも、眠りについた。

 ノインが“触れなかった”夜は、
 確かに、彼の心を一歩だけ前に進めていた。
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