『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第14話 触れる覚悟、触れられる心

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第14話 触れる覚悟、触れられる心

 その日は、朝から空気が張りつめていた。

 屋敷の使用人たちも、どこか落ち着かない。
 理由を問えば、誰もが口を濁すだけだった。

 ノインには、わかっていた。
 ――今日は、来る。

 朝食の席で向かい合ったフェルディナンドは、いつもと変わらぬ表情を保っていたが、その金の瞳の奥には、微かな緊張が宿っていた。

 「ノイン」

 食事を終えたあと、彼は静かに言った。

 「今夜……礼拝堂を使う」

 ノインの指先が、わずかに震える。

 「……核に、触れるのですね」

 フェルディナンドは否定しなかった。

 「完全ではない。
 だが……これ以上、先延ばしにはできない」

 彼は視線を落とす。

 「もし、途中で止めたくなったら……君は、迷わず手を引け」

 それは命令ではなく、懇願だった。

 ノインは、ゆっくりと首を振る。

 「……いいえ。
 逃げるのは、もう終わりにしましょう」

 その言葉に、フェルディナンドの肩がわずかに揺れた。

 * * *

 夜。

 礼拝堂には、最低限の灯りだけがともされていた。
 祭壇の前に立つフェルディナンドの背は、いつもより大きく見える。

 ノインは、一歩距離を保ったまま、静かに声をかけた。

 「……触れても、いいですか?」

 ほんの一瞬、沈黙。

 やがて、彼は頷いた。

 「……ああ。
 今度は、逃げない」

 その言葉を合図に、ノインはゆっくりと歩み寄る。

 手を伸ばす前に、もう一度、彼の顔を見上げた。

 「……苦しかったら、言ってください。
 無理は、しません」

 「……ああ」

 ノインの掌が、フェルディナンドの胸に触れた。

 瞬間――

 ズン、と空気が歪む。

 視界が暗転し、礼拝堂の壁が遠のく。

 (……来た)

 ノインの意識は、深い場所へ引き込まれていく。

 そこは、冷たく、暗い空間だった。

 無数の鎖が、絡み合うように張り巡らされている。
 鎖の中心に、ひとつの影がうずくまっていた。

 「……誰だ」

 掠れた声。

 ノインは、胸の奥が締めつけられるのを感じた。

 「……フェルディナンド様?」

 影は、ゆっくりと顔を上げる。

 そこにいたのは、角も鱗もない、
 けれどひどく怯えた目をした“少年”だった。

 「……来るな」

 震える声。

 「来たら……壊れる」

 ノインは、足を止めなかった。

 「壊れません」

 はっきりと、言い切る。

 「あなたは、壊れない。
 もう、ひとりじゃないから」

 少年の目が、大きく揺れる。

 「……嘘だ」

 「嘘じゃありません」

 ノインは、そっと膝をついた。

 鎖に触れない距離で。

 「触れていいのは……
 あなたが、許したときだけです」

 少年は、唇を噛みしめた。

 「……触れたら、嫌われる」

 ノインの胸が、痛む。

 「……触れなくても、わたしは、ここにいます」

 その言葉に、鎖がかすかに鳴った。

 一本、また一本と、
 音を立てて、ひびが入る。

 「……どうして」

 少年の声が、弱くなる。

 「どうして……そこまで……」

 ノインは、静かに答えた。

 「わたしが、あなたを好きだからです」

 少年の瞳から、涙がこぼれ落ちた。

 鎖が、砕け散る。

 同時に――

 現実の礼拝堂で、フェルディナンドが大きく息を吐いた。

 ノインは、まだ胸に手を当てたまま、動かない。

 「……フェルディナンド様」

 彼の声が、はっきりと返ってくる。

 「ああ……ここにいる」

 金の瞳が、まっすぐノインを映していた。

 角と鱗は、まだ消えていない。
 だが、その輪郭が、確かに薄くなっている。

 「……今のは……」

 「始まりだ」

 フェルディナンドは、静かに言った。

 「……核に、初めて触れた」

 ノインは、ゆっくりと手を離す。

 触れた時間は、ほんのわずか。

 だが、それは確実に――
 呪いの中心を、揺らしていた。

 「……ありがとう」

 フェルディナンドの声は、震えていたが、逃げてはいなかった。

 ノインは、静かに微笑む。

 「こちらこそ。
 ……触れさせてくれて、ありがとうございます」

 その夜、呪いはまだ終わらない。

 けれど、確かに――
 “拒絶だけでできた殻”は、砕け始めていた。
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