『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第33話 「揺り戻し」

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第33話 「揺り戻し」

 王弟リオネルの来訪から数日、公爵邸には再び“静けさ”が戻っていた。
 けれどそれは、嵐が過ぎ去ったあとの凪ではない。潮が引き、次の波が力を溜めている――そんな沈黙だった。

 ノインは朝の回廊を歩きながら、使用人たちの視線を感じていた。露骨ではない。囁き声もない。ただ、ほんの一瞬だけ向けられて、すぐに逸らされる目線。
 (……噂は、消えていない)

 「おはようございます、ノイン様」
 声をかけてきた若い侍女は、丁寧に頭を下げた。以前よりも距離が近い。敬意が混じるぶん、よそよそしさもある。

 礼を返しながら、ノインは胸の奥で小さく息を吐いた。
 守られている。けれど、守られているからこそ、注がれる視線も増えている。

 書斎では、フェルディナンドが書簡に目を通していた。机の上には、王都の封蝋がいくつも並んでいる。

 「……多いですね」
 「王都は動きが早い」

 彼は一通を閉じ、静かに言った。

 「調査団の報告が回り、王弟が動いた。次は――周辺だ」
 「周辺……?」

 フェルディナンドは、別の封書を差し出した。
 差出人の名を見て、ノインの指先が止まる。

 「……エドラー伯爵家」

 胸が、ひやりと冷える。
 忘れたつもりはなかった。だが、距離ができたことで、過去になりかけていた名前。

 「内容は?」
 「“安否伺い”と、“再会の希望”だ」

 ノインは、思わず苦笑した。

 「……ずいぶん、都合がいいですね」
 「噂を聞いたのだろう。呪いが弱まり、王家が注目していると」

 フェルディナンドの声音は淡々としている。

 「価値が出た途端、関係を取り戻そうとする。貴族としては、珍しくもない」
 「……私は」

 ノインは、言葉を選んだ。

 「会うべきでしょうか」
 「会いたいか?」

 即座に返された問いに、ノインは一瞬、黙った。
 過去の記憶が、脳裏をよぎる。
 身代わり。冷遇。押し付けられた役目。

 「……いいえ」
 「なら、答えは出ている」

 フェルディナンドは、迷いなく封書を脇へ置いた。

 そのとき、ラドクリフ執事が入室した。

 「閣下。王都より、非公式の打診がもう一件」
 「続くな」
 「はい。“協議の場”についてです。時期と形式を定めたいと」

 ノインは、深く息を吸った。

 「……始まった、ということですね」
 「始まったのは、少し前だ」

 フェルディナンドは立ち上がり、窓辺に向かった。庭園の向こう、遠くの空を見据える。

 「大事なのは、流されないことだ」
 「……はい」
 「要求は増える。善意の顔をした圧力も来る」

 彼は振り返り、ノインを見る。

 「だが、選ぶのはお前だ。話を聞くか、拒むか。協力するか、しないか」
 「……私が、決めていいんですね」
 「ああ」

 その一言が、ノインの背中を押した。

 午後、庭園で一人になったノインは、掌に力を込めた。
 自分の中にある、微かな温もり。人の痛みに寄り添うときに感じる、あの感覚。

 (これは……誰かのものじゃない)

 孤児だった過去も、身代わりだった時間も、消えはしない。
 けれど――今は違う。

 屋敷の奥で、鐘が鳴った。
 王都からの波は、確実に近づいている。

 それでもノインは、目を逸らさなかった。
 揺り戻しは来る。
 だからこそ、足場を確かめ、立ち続ける。

 守られるためではなく、
 選び続けるために。
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