33 / 40
第33話 「揺り戻し」
しおりを挟む
第33話 「揺り戻し」
王弟リオネルの来訪から数日、公爵邸には再び“静けさ”が戻っていた。
けれどそれは、嵐が過ぎ去ったあとの凪ではない。潮が引き、次の波が力を溜めている――そんな沈黙だった。
ノインは朝の回廊を歩きながら、使用人たちの視線を感じていた。露骨ではない。囁き声もない。ただ、ほんの一瞬だけ向けられて、すぐに逸らされる目線。
(……噂は、消えていない)
「おはようございます、ノイン様」
声をかけてきた若い侍女は、丁寧に頭を下げた。以前よりも距離が近い。敬意が混じるぶん、よそよそしさもある。
礼を返しながら、ノインは胸の奥で小さく息を吐いた。
守られている。けれど、守られているからこそ、注がれる視線も増えている。
書斎では、フェルディナンドが書簡に目を通していた。机の上には、王都の封蝋がいくつも並んでいる。
「……多いですね」
「王都は動きが早い」
彼は一通を閉じ、静かに言った。
「調査団の報告が回り、王弟が動いた。次は――周辺だ」
「周辺……?」
フェルディナンドは、別の封書を差し出した。
差出人の名を見て、ノインの指先が止まる。
「……エドラー伯爵家」
胸が、ひやりと冷える。
忘れたつもりはなかった。だが、距離ができたことで、過去になりかけていた名前。
「内容は?」
「“安否伺い”と、“再会の希望”だ」
ノインは、思わず苦笑した。
「……ずいぶん、都合がいいですね」
「噂を聞いたのだろう。呪いが弱まり、王家が注目していると」
フェルディナンドの声音は淡々としている。
「価値が出た途端、関係を取り戻そうとする。貴族としては、珍しくもない」
「……私は」
ノインは、言葉を選んだ。
「会うべきでしょうか」
「会いたいか?」
即座に返された問いに、ノインは一瞬、黙った。
過去の記憶が、脳裏をよぎる。
身代わり。冷遇。押し付けられた役目。
「……いいえ」
「なら、答えは出ている」
フェルディナンドは、迷いなく封書を脇へ置いた。
そのとき、ラドクリフ執事が入室した。
「閣下。王都より、非公式の打診がもう一件」
「続くな」
「はい。“協議の場”についてです。時期と形式を定めたいと」
ノインは、深く息を吸った。
「……始まった、ということですね」
「始まったのは、少し前だ」
フェルディナンドは立ち上がり、窓辺に向かった。庭園の向こう、遠くの空を見据える。
「大事なのは、流されないことだ」
「……はい」
「要求は増える。善意の顔をした圧力も来る」
彼は振り返り、ノインを見る。
「だが、選ぶのはお前だ。話を聞くか、拒むか。協力するか、しないか」
「……私が、決めていいんですね」
「ああ」
その一言が、ノインの背中を押した。
午後、庭園で一人になったノインは、掌に力を込めた。
自分の中にある、微かな温もり。人の痛みに寄り添うときに感じる、あの感覚。
(これは……誰かのものじゃない)
孤児だった過去も、身代わりだった時間も、消えはしない。
けれど――今は違う。
屋敷の奥で、鐘が鳴った。
王都からの波は、確実に近づいている。
それでもノインは、目を逸らさなかった。
揺り戻しは来る。
だからこそ、足場を確かめ、立ち続ける。
守られるためではなく、
選び続けるために。
王弟リオネルの来訪から数日、公爵邸には再び“静けさ”が戻っていた。
けれどそれは、嵐が過ぎ去ったあとの凪ではない。潮が引き、次の波が力を溜めている――そんな沈黙だった。
ノインは朝の回廊を歩きながら、使用人たちの視線を感じていた。露骨ではない。囁き声もない。ただ、ほんの一瞬だけ向けられて、すぐに逸らされる目線。
(……噂は、消えていない)
「おはようございます、ノイン様」
声をかけてきた若い侍女は、丁寧に頭を下げた。以前よりも距離が近い。敬意が混じるぶん、よそよそしさもある。
礼を返しながら、ノインは胸の奥で小さく息を吐いた。
守られている。けれど、守られているからこそ、注がれる視線も増えている。
書斎では、フェルディナンドが書簡に目を通していた。机の上には、王都の封蝋がいくつも並んでいる。
「……多いですね」
「王都は動きが早い」
彼は一通を閉じ、静かに言った。
「調査団の報告が回り、王弟が動いた。次は――周辺だ」
「周辺……?」
フェルディナンドは、別の封書を差し出した。
差出人の名を見て、ノインの指先が止まる。
「……エドラー伯爵家」
胸が、ひやりと冷える。
忘れたつもりはなかった。だが、距離ができたことで、過去になりかけていた名前。
「内容は?」
「“安否伺い”と、“再会の希望”だ」
ノインは、思わず苦笑した。
「……ずいぶん、都合がいいですね」
「噂を聞いたのだろう。呪いが弱まり、王家が注目していると」
フェルディナンドの声音は淡々としている。
「価値が出た途端、関係を取り戻そうとする。貴族としては、珍しくもない」
「……私は」
ノインは、言葉を選んだ。
「会うべきでしょうか」
「会いたいか?」
即座に返された問いに、ノインは一瞬、黙った。
過去の記憶が、脳裏をよぎる。
身代わり。冷遇。押し付けられた役目。
「……いいえ」
「なら、答えは出ている」
フェルディナンドは、迷いなく封書を脇へ置いた。
そのとき、ラドクリフ執事が入室した。
「閣下。王都より、非公式の打診がもう一件」
「続くな」
「はい。“協議の場”についてです。時期と形式を定めたいと」
ノインは、深く息を吸った。
「……始まった、ということですね」
「始まったのは、少し前だ」
フェルディナンドは立ち上がり、窓辺に向かった。庭園の向こう、遠くの空を見据える。
「大事なのは、流されないことだ」
「……はい」
「要求は増える。善意の顔をした圧力も来る」
彼は振り返り、ノインを見る。
「だが、選ぶのはお前だ。話を聞くか、拒むか。協力するか、しないか」
「……私が、決めていいんですね」
「ああ」
その一言が、ノインの背中を押した。
午後、庭園で一人になったノインは、掌に力を込めた。
自分の中にある、微かな温もり。人の痛みに寄り添うときに感じる、あの感覚。
(これは……誰かのものじゃない)
孤児だった過去も、身代わりだった時間も、消えはしない。
けれど――今は違う。
屋敷の奥で、鐘が鳴った。
王都からの波は、確実に近づいている。
それでもノインは、目を逸らさなかった。
揺り戻しは来る。
だからこそ、足場を確かめ、立ち続ける。
守られるためではなく、
選び続けるために。
3
あなたにおすすめの小説
無能令嬢、『雑役係』として辺境送りされたけど、世界樹の加護を受けて規格外に成長する
タマ マコト
ファンタジー
名門エルフォルト家の長女クレアは、生まれつきの“虚弱体質”と誤解され、家族から無能扱いされ続けてきた。
社交界デビュー目前、突然「役立たず」と決めつけられ、王都で雑役係として働く名目で辺境へ追放される。
孤独と諦めを抱えたまま向かった辺境の村フィルナで、クレアは自分の体調がなぜか安定し、壊れた道具や荒れた土地が彼女の手に触れるだけで少しずつ息を吹き返す“奇妙な変化”に気づく。
そしてある夜、瘴気に満ちた森の奥から呼び寄せられるように、一人で足を踏み入れた彼女は、朽ちた“世界樹の分枝”と出会い、自分が世界樹の血を引く“末裔”であることを知る——。
追放されたはずの少女が、世界を動かす存在へ覚醒する始まりの物語。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約は破棄する。もう用済み
そう言い放ったのは、五年間想い続けた婚約者――王太子アレクシスさま。
広間に響く冷たい声。貴族たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。
「アレクシスさま……どういう、ことでしょうか……?」
震える声で問い返すと、彼は心底嫌そうに眉を顰めた。
「言葉の意味が理解できないのか? ――お前は“無属性”だ。魔法の才能もなければ、聖女の資質もない。王太子妃として役不足だ」
「無……属性?」
傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~
日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】
https://ncode.syosetu.com/n1741iq/
https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199
【小説家になろうで先行公開中】
https://ncode.syosetu.com/n0091ip/
働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。
地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?
編み物好き地味令嬢はお荷物として幼女化されましたが、えっ?これ魔法陣なんですか?
灯息めてら
恋愛
編み物しか芸がないと言われた地味令嬢ニニィアネは、家族から冷遇された挙句、幼女化されて魔族の公爵に売り飛ばされてしまう。
しかし、彼女の編み物が複雑な魔法陣だと発見した公爵によって、ニニィアネの生活は一変する。しかもなんだか……溺愛されてる!?
悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。
潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
『婚約破棄されたので北の港を発展させたら
ふわふわ
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。
公爵令嬢アリアベルは、王太子カルディオンから突然の婚約破棄を告げられる。
「真実の愛を見つけた」
そう言って王太子が選んだのは、涙を流す義妹ヴィオレッタだった。
王都から追い出され、すべてを失った――
はずだった。
アリアベルが向かったのは、王国の北にある小さな港町。
しかし彼女の手腕によって港は急速に発展し、やがて王国最大の交易港へと変わっていく。
一方その頃、王太子と義妹は王都で好き勝手に振る舞っていたが――
やがてすべてが崩れ始める。
王太子は国外追放。
義妹は社交界から追放され修道院送り。
そして気づいた頃には、北の港こそが王国の中心になっていた。
「私はもう誰のものでもありません」
これは、婚約破棄された令嬢が自分の人生を取り戻し、
王国の未来を変えていく物語。
そして――
彼女の隣には、いつしか新しい王太子の姿があった。
婚約破棄から始まる、逆転ざまぁロマンス。✨
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる