婚約破棄されたので、王太子はもう何も決めません

鷹 綾

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第二十八話 積み上げるという仕事

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第二十八話 積み上げるという仕事

 第十一週目の週次報告は、これまで以上に地味だった。

 税収、微増。
 流通量、横ばい。
 価格指数、安定。

 どれも誤差の範囲と言えば、それまでの数字だ。
 新聞の見出しにもならない。
 噂話の種にもならない。

 だが、王太子コンラートは、その報告書を読み終えたあと、しばらく机から手を離さなかった。

「……積み上がっているな」

 側近が、少し不思議そうに首を傾げる。

「殿下。
 数値としては、前週と大差ありませんが……」

「だからだ」

 コンラートは、ゆっくりと顔を上げる。

「大差がない。
 それが、積み上げだ」

 派手な上昇は、短期の刺激で作れる。
 だが、崩れない状態を続けることは、何より難しい。

 午前の定例会議でも、議題は静かだった。

「第十一週目、急激な変動は確認されません」

 報告官の声に、誰も肩を落とさない。
 誰も期待を裏切られた顔をしない。

 それが、以前との決定的な違いだった。

「……このまま行けば、
 次に必要なのは施策ではなく、調整ですな」

 ヴォルフガング・ハルトマンが、ぽつりと口にする。

「ええ」

 コンラートは、頷いた。

「何かを“起こす”段階は終わった。
 これからは、“崩さない”段階だ」

 調整。
 それは、政治において最も評価されにくい仕事だ。

 目立たず、
 感謝もされず、
 失敗したときだけ、強く責められる。

 だが、国を回すとは、
 本来そういう仕事の連続だ。

 昼過ぎ、商人組合の代表が、非公式に王宮を訪れた。

「殿下。
 新しい支援の要望ではありません」

 最初にそう断った上で、言葉を続ける。

「現場では、今の水準を前提に、
 仕入れや雇用の再編を始めています」

 コンラートは、静かに聞いていた。

「急な回復を期待しない分、
 長く続けられる形を探しているのです」

 それは、以前にはなかった動きだ。

 以前は、
 「いつ元に戻るのか」
 「支援はいつか」
 そればかりが問われていた。

 今は違う。

「この水準なら、どう回すか」

 思考の軸が、変わっている。

「……それでいい」

 コンラートは、短く答えた。

「無理をしない判断が、
 次の一歩を可能にする」

 商人組合の代表は、深く一礼して去っていった。

 その背中を見送りながら、コンラートは思う。

 政治とは、舞台を整える仕事だ。
 主役は、いつも現場にいる。

 ノクティア侯爵邸では、エヴァレット・ノクティアが、複数の地方報告を並べて読んでいた。

「……雇用形態の見直し、
 取引規模の再設定、
 価格の安定化……」

 どれも、派手ではない。
 だが、現実的だ。

「積み上げる段階に入りましたわね」

 それは、回復よりも難しい。

 回復は、勢いで起こる。
 だが、積み上げは、毎日の判断の連続だ。

 夜、王宮の執務室。
 コンラートは、次週の説明資料を作っていた。

 新しい施策は、ない。
 目玉となる数字も、ない。

「……つまらない資料だな」

 苦笑する。

 だが、それでいい。

 今、必要なのは、
 期待を煽る言葉ではなく、
 現状を正確に共有することだ。

 説明の場で、彼はこう述べた。

「第十一週目、大きな変化はありません」

 ざわめきは起きない。

「それは、失敗ではありません。
 崩れていない、という結果です」

 人々は、静かに聞いている。

「これからしばらく、
 皆さんが目にするのは、
 こうした“退屈な報告”が続くでしょう」

 誰かが、小さく笑った。

「だが、その退屈さこそが、
 今の国に必要な状態です」

 拍手はない。
 だが、否定もない。

 夜更け、執務室で一人になったコンラートは、椅子に深く腰掛けた。

「……積み上げる、か」

 派手な決断はない。
 劇的な逆転もない。

 だが、
 今日も崩れなかった。
 明日も、崩さない。

 それを繰り返す。

「地味だな」

 そう呟きながらも、
 その口調には、以前のような焦りはなかった。

 王太子コンラートは、
 ようやく理解していた。

 国を立て直すとは、
 何かを変え続けることではない。
 壊れない状態を、淡々と積み上げることだ。

 その仕事に、喝采はない。
 だが、確実に、未来を支える。

 第十一週目は、
 何も起きなかった週ではない。

 積み上げるという仕事が、
 静かに始まった週だった。
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