婚約破棄されたので、王太子はもう何も決めません

鷹 綾

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第三十七話 引き受けるという覚悟

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第三十七話 引き受けるという覚悟

 第二十週目の週次報告は、これまでとほとんど変わらない数字を並べていた。

 税収、横ばい。
 流通量、微増。
 価格指数、安定。

 もはや、この数値が並ぶこと自体が、王宮にとっては「日常」になりつつある。
 だが、その朝、コンラートの執務室に届いた一通の報告は、数字以上の重みを持っていた。

『エルヴァーン市、代表者辞任の申し出』

 コンラートは、ゆっくりと文面を読み進める。

 抗議集会の後、
 市の代表者が、再編判断とその後の対応について責任を感じ、
 辞任を申し出た、という内容だった。

「……逃げなかった、か」

 側近が、慎重に口を開く。

「殿下。
 抗議は沈静化しています。
 しかし、代表は自ら責任を取る意向です」

「責任を“取る”とは、
 どういう意味だと思う」

 突然の問いに、側近は言葉を探した。

「……判断の結果に対する、
 けじめ、でしょうか」

「そうだ」

 コンラートは、静かに頷いた。

「だが、
 そのけじめが“逃げ”になってはいけない」

 午前の定例会議では、この件が中心議題となった。

「代表者の辞任を受理すべきでしょうか」 「住民の不満を鎮める効果はあります」 「一方で、責任の所在が曖昧になる恐れも」

 意見は割れた。
 辞任は、政治において、分かりやすい“終わり”を演出する。
 だが、その分、残された課題が宙に浮くことも多い。

 コンラートは、全員の意見を聞き終えた後、静かに口を開いた。

「辞任は、本人の意思だ。
 止めることはしない」

 誰かが、ほっと息をつく。

「だが」

 その一言で、空気が引き締まる。

「責任を取るという形が、
 “席を空けること”だけだとは、
 私は認めない」

 会議室が静まり返った。

「彼は、判断した。
 そして、抗議を受け止めた」

 それは、第三十六話で描かれた光景の延長線だ。

「ならば、
 結果の整理と引き継ぎまでを、
 彼自身がやり切る必要がある」

 ヴォルフガング・ハルトマンが、低く唸る。

「……辞める前に、
 やるべきことをやれ、ということですな」

「そうだ」

 コンラートは、肯定した。

「責任とは、
 怒られることでも、
 辞めることでもない」

 彼は、はっきりと言葉を刻む。

「結果と向き合い、
 次に渡すところまでを引き受けることだ」

 その方針は、即座にエルヴァーン市へ伝えられた。

 数日後、エルヴァーン市庁舎。
 代表者は、市民向け説明会の場に立っていた。

「私は、辞任を決めました」

 ざわめきが起きる。

「ですが、
 それは今日ではありません」

 人々の視線が集まる。

「再編の進捗、
 再就職支援の現状、
 今後半年の計画――
 すべてを整理し、
 次の代表に引き継いだ上で、
 席を空けます」

 怒号が飛ぶ。
 罵声もある。

 それでも、代表は視線を逸らさない。

「これは、
 私が選んだ判断の後始末です」

 沈黙が、少しずつ広がっていく。

「逃げるために辞めるのではありません。
 引き受けたまま、去るために辞めます」

 その言葉は、派手ではない。
 だが、重かった。

 王都では、この報告を受けた文官が、驚きを隠せずにいた。

「……辞任するのに、
 ここまでやるのですか」

 側近の言葉に、コンラートは淡々と答える。

「やるべきだからだ」

「殿下は、
 そこまで求めるおつもりですか」

「求めてはいない」

 彼は、静かに首を横に振る。

「引き受ける覚悟を、
 軽く扱わないだけだ」

 ノクティア侯爵邸で、エヴァレット・ノクティアは、この件を知り、深く息を吐いた。

「……責任が、
 罰ではなくなり始めていますわね」

 これまで、責任とは、
 誰かを切り、
 誰かを退場させるための言葉だった。

「今は違います」

 引き受けること。
 向き合うこと。
 次へ渡すこと。

「それが、
 “責任を取る”という意味に戻ってきている」

 夜、王宮の執務室。
 コンラートは、灯りの少なくなった街を見下ろしていた。

「……責任を引き受ける覚悟は、
 痛みを伴う」

 誰もが、避けたがる。

「だが、
 引き受けた者が逃げなければ、
 周囲も、逃げにくくなる」

 それは、強制ではない。
 連鎖だ。

「引き受ける姿を見せることが、
 次の誰かの背中になる」

 第二十週目は、
 誰かが責任を“取った”週ではない。

 誰かが、
 責任を最後まで引き受けると決めた週だった。

 王太子コンラートは、
 その選択を、
 評価も称賛もせず、
 ただ――
 当然のものとして受け止めていた。

 それこそが、
 この国が変わり始めている証だと、
 彼は確信していた。
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