婚約破棄されたので、王太子はもう何も決めません

鷹 綾

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第三十九話 委ねるという最後の試練

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第三十九話 委ねるという最後の試練

 第二十二週目の朝、王宮に差し込む光は、どこか柔らかかった。
 季節が変わり始めている。
 それは、数字よりも先に、空気が教えてくれる変化だった。

 王太子コンラートは、いつものように週次報告に目を通す。

 税収、横ばい。
 流通量、微増。
 価格指数、安定。

 だが、彼はすぐに視線を上げ、机の脇に置かれた別の書類へと手を伸ばした。

『地方議会より、共同声明案の提出』

 封を切ると、そこには各地の代表者たちの署名が並んでいた。

 内容は、簡潔だ。

『今後の再編・評価・修正について、
 王宮の指示を仰ぐのではなく、
 地方議会間で協議し、
 必要に応じて王宮へ報告する』

 コンラートは、ゆっくりと紙を置いた。

「……ついに、ここまで来たか」

 側近が、慎重に口を開く。

「殿下。
 これは……王宮の関与を、
 さらに減らすという宣言とも取れます」

「そうだな」

 彼は、否定も肯定もせずに答えた。

「そして、
 それは私たちにとって、
 一番厄介な局面だ」

 午前の定例会議。
 その共同声明案は、即座に議題に上げられた。

「地方が、
 自らの判断で協議を進めたい、と」

「王宮は、
 報告を受ける立場に回る形になります」

 ざわめきが広がる。

「それでは、
 統制が取れなくなるのでは?」 「責任の所在が、
 さらに曖昧になるのでは?」

 当然の懸念だった。

 コンラートは、全員の意見を聞き終えたあと、静かに言った。

「これは、
 “逃げ”ではない」

 視線が集まる。

「彼らは、
 判断を放棄していない」

 むしろ、と続ける。

「判断を、
 自分たちの手に留めようとしている」

 ヴォルフガング・ハルトマンが、低く息を吐いた。

「……殿下。
 それを認めれば、
 王宮は“最後の決定権”を、
 自ら手放すことになります」

「そうだ」

 コンラートは、迷いなく答えた。

「だからこそ、
 これは最後の試練だ」

 会議室が、静まり返る。

「ここで王宮が、
 不安を理由に介入すれば、
 これまで積み上げてきたものは、
 一瞬で崩れる」

 彼は、はっきりと言葉を刻んだ。

「委ねる覚悟がないなら、
 最初から、委ねる振りなどすべきではなかった」

 決断は、長く引き延ばされなかった。

 王宮は、共同声明案を受理する。
 内容に口出しはしない。
 ただし、報告義務と情報共有の枠組みだけは維持する。

 それだけだ。

 その決定が伝えられたとき、地方議会には、静かなざわめきが広がった。

「……認められた」 「本当に、
 王宮は口を出さないのか?」 「報告は必要だが、
 決めるのは、
 俺たちだ」

 誰も歓声を上げない。
 誰も勝利を宣言しない。

 それが、この決定の重さだった。

 ノクティア侯爵邸で、エヴァレット・ノクティアは、この共同声明を読み、深く息を吐いた。

「……殿下は、
 いよいよ“守る側”から、
 完全に降りましたわね」

 侍女が、戸惑いを含んだ声で言う。

「不安では……?」

「不安ですわ」

 即答だった。

「ですが、
 不安を理由に、
 取り上げていい権限ではありません」

 彼女は、書類を閉じる。

「委ねるとは、
 信じることではない」

 少し間を置いて、続けた。

「失敗する可能性ごと、
 引き受けることです」

 夜、王宮の執務室。
 コンラートは、灯りを落とした室内で、窓の外を眺めていた。

 地方の灯りは、
 それぞれの場所で、
 それぞれの明るさで揺れている。

「……これで、
 本当に戻れなくなったな」

 それは後悔ではない。
 確認だった。

 命令しない。
 決めない。
 評価も、最小限に留める。

「残るのは、
 見守る責任だけだ」

 それは、権力を振るうよりも、
 はるかに難しい役割だった。

 第二十二週目は、
 何かが完成した週ではない。

 だが――

 王宮が、
 “委ねる”という行為から、
 逃げなかったことが証明された週だった。

 王太子コンラートは、
 静まり返った執務室で、
 一つだけ確信していた。

 この国は、
 もう、誰か一人の判断に、
 縋らなくても進める。

 そして、
 それを許した自分自身もまた、
 戻らない道を、
 確かに歩き始めているのだと。

 残されたのは、
 成功でも失敗でもない。

 委ねた先で、
 何が生まれるのかを、
 最後まで見届ける責任だけだった。
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