婚約破棄されたので、王太子はもう何も決めません

鷹 綾

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第四十話 答えを持たない王の国

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第四十話 答えを持たない王の国

 第二十三週目の朝、王宮は驚くほど静かだった。
 慌ただしく走る文官の姿はなく、回廊には、いつもより長い足音の余韻が残る。

 王太子コンラートは、執務室の窓を開け、外の空気を吸い込んだ。
 季節は、確かに変わっている。
 だが、それ以上に――国の呼吸そのものが、以前とは違っていた。

 机の上に置かれた週次報告。
 最後の確認のように、彼はそれを開く。

 税収、横ばい。
 流通量、微増。
 価格指数、安定。

 数字は、派手さの欠片もない。
 だが、そこに添えられた補足欄は、これまでとは明らかに様相が異なっていた。

『地方議会連絡会、初の独自合意形成』
『再編評価基準の暫定案、地方発で策定』
『王宮への要請事項:なし』

 最後の一文を読んだとき、コンラートは、思わず小さく笑った。

「……要請、なし、か」

 側近が、少し不安そうに言う。

「殿下。
 本当に……王宮は、何もしなくてよいのでしょうか」

 その問いは、これまで何度も繰り返されてきた。
 だが、今日のそれは、性質が違っていた。

 恐れではない。
 確認だった。

 コンラートは、椅子に深く腰を下ろし、ゆっくりと言った。

「何もしない、というのは違う」

 視線が集まる。

「私は、
 答えを出さないだけだ」

 午前の定例会議は、異様なほど短かった。

 報告は簡潔。
 懸念点は整理され、
 いずれも“地方で議論中”と記されている。

「……以上です」

 報告が終わると、誰もすぐには口を開かなかった。

 やがて、年配の官僚が、静かに言った。

「殿下。
 ここまで来ると……
 我々は、何のためにここにいるのでしょうな」

 それは、皮肉でも批判でもない。
 純粋な問いだった。

 コンラートは、少し考えてから答えた。

「答えを独占しないためだ」

 会議室が、静まり返る。

「かつて、
 王宮は“正解”を持つ場所だった」

 彼は、淡々と語る。

「だがその正解は、
 いつの間にか、
 誰かの思考を止め、
 誰かの声を奪っていた」

 視線を巡らせ、続ける。

「今の王宮は、
 考えるための場所でいい。
 迷うことを許す場所でいい」

 そして、静かに言い切った。

「答えを持たないことを、
 恥じない場所であればいい」

 午後、王都の街は、いつもと変わらない賑わいを見せていた。

「……最近、王宮が静かだな」 「ああ。
 でも、困ってる感じはしない」 「指示が来ないって、
 逆に不安じゃないか?」 「最初はな。
 でも……今は、自分で決めるしかないって分かってる」

 市井の会話は、以前よりも現実的だった。
 誰かを待つ言葉が、減っている。

 ノクティア侯爵邸で、エヴァレット・ノクティアは、最後のまとめ報告を読み終え、ゆっくりと目を閉じた。

「……終わりましたわね」

 侍女が、慎重に言う。

「成功……なのでしょうか」

 エヴァレットは、少しだけ微笑んだ。

「成功かどうかは、
 誰にも決められません」

 それは、冷たい言葉ではない。

「でも、
 “誰かが全部を決めなくても、
 国が止まらない”ことは、
 証明されました」

 それで十分だ、と彼女は思っていた。

 夜、王宮の執務室。
 灯りは最小限に落とされ、室内は静まり返っている。

 コンラートは、一枚の白紙を前に、ペンを置いたまま動かなかった。

 本来なら、
 ここに“最終方針”や“結論”が書かれるはずだった。

 だが、彼は何も書かない。

「……答えを書かないという選択」

 それは、王として、
 最も勇気のいる行為だった。

 答えを書けば、
 人は安心する。
 だが同時に、考えることをやめる。

「答えがないという状態を、
 耐えられるかどうか」

 それが、この国の最後の試練だった。

 彼は、白紙を静かに引き出しにしまった。

「これでいい」

 未完成でいい。
 揺れていていい。

 問いが残り、
 迷いがあり、
 それでも歩みが止まらないなら。

「その国は、
 もう誰かの支えなしでも、
 立っていられる」

 第二十三週目。
 何かが終わった週ではない。

 だが――

 誰も答えを持たないまま、
 それでも前に進むことを選んだ週だった。

 王太子コンラートは、
 王宮という場所を、
 “答えを与える場所”から、
 “問いを手放す場所”へと変えた。

 それは、
 拍手も、称賛も、伝説も残さない改革だ。

 だが、静かに、確実に――
 国は、自分の足で立っていた。

 答えを持たない王の国で、
 人々は、
 それぞれの答えを探し続ける。

 そしてその営みこそが、
 この国の未来そのものなのだと――
 彼は、もう疑っていなかった。
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