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第28話 耳打ち
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第28話 耳打ち
王妃の私室。
夜の静かな時間だった。
暖炉の火がゆらゆらと揺れている。
宮殿の夜は深い。
昼の喧騒が嘘のように、回廊も庭園も静まり返っている。
この時間。
王妃の私室に残っているのは、ほんのわずかな者だけだ。
侍女。
女官長。
そして――
クシェ。
アデル・ド・モンフォール。
王妃の寝間着を渡す儀礼はすでに終わっている。
侍女たちは下がり、部屋には王妃とアデルの二人だけが残っていた。
王妃はソファに座り、ゆったりとお茶を飲んでいる。
夜の習慣だった。
「アデル」
王妃が優しく呼ぶ。
アデルは静かに近づいた。
「はい、陛下」
王妃はカップを置いた。
「昼の話だけれど」
アデルは一瞬だけ視線を落とした。
ルイ=フィリップ王子。
元王太子。
突然の婚約申し込み。
あまりにも都合のいい話だった。
王妃は小さくため息をつく。
「まったく……」
「懲りない人ね」
アデルは控えめに言う。
「殿下もお立場が苦しいのでしょう」
王妃は肩をすくめる。
「だからといって」
「あなたを頼るなんて」
「本当に都合のいい男だわ」
その口調には、少しだけ呆れが混じっていた。
王妃はふと笑う。
「でも」
「あなたは困っているのでしょう?」
アデルは少しだけ躊躇した。
そして静かに言った。
「……正直に申し上げますと」
「少々、困っております」
王妃は興味深そうに目を細める。
「どうして?」
アデルは言葉を選ぶ。
「もし私が婚約を受ければ」
「社交界ではこう言われます」
王妃は黙って聞く。
アデルは続けた。
「妹の婚約者を奪った」
王妃の眉がわずかに動いた。
アデルはさらに言う。
「たとえ事実でなくても」
「そう噂されるでしょう」
「そしてその噂は」
「宮廷にも届きます」
王妃はゆっくりうなずく。
宮廷の噂は早い。
そして残酷だ。
一度広がれば消えない。
アデルは少しだけ顔を曇らせた。
「そのような陰口」
「とても耐えられそうにありません」
部屋が静かになる。
暖炉の音だけが聞こえる。
王妃はしばらく黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「……なるほど」
その笑みは優しかった。
王妃は言った。
「確かに」
「それは耐え難き屈辱ですわね」
アデルは深く頭を下げた。
「恐れ入ります」
王妃はソファから立ち上がる。
そしてアデルの肩に手を置いた。
「心配しないで」
その声は穏やかだった。
だがその言葉には力があった。
「任せて」
「あなたの願いなら」
「殿下にお辞めになるよう」
「お話してあげましょう」
アデルは静かに礼をする。
「ありがとうございます」
王妃は笑った。
「これがクシェの特権よ」
王妃の私室。
王妃の耳元。
そこでささやかれる言葉。
それは――
ときに宮廷の運命を変える。
王妃は窓の外を見た。
夜の宮殿。
静かな庭園。
そして呟く。
「明日は」
「忙しくなりそうね」
その言葉は静かだった。
だがその翌日。
宮廷は再び大きく動くことになる。
王妃の私室。
夜の静かな時間だった。
暖炉の火がゆらゆらと揺れている。
宮殿の夜は深い。
昼の喧騒が嘘のように、回廊も庭園も静まり返っている。
この時間。
王妃の私室に残っているのは、ほんのわずかな者だけだ。
侍女。
女官長。
そして――
クシェ。
アデル・ド・モンフォール。
王妃の寝間着を渡す儀礼はすでに終わっている。
侍女たちは下がり、部屋には王妃とアデルの二人だけが残っていた。
王妃はソファに座り、ゆったりとお茶を飲んでいる。
夜の習慣だった。
「アデル」
王妃が優しく呼ぶ。
アデルは静かに近づいた。
「はい、陛下」
王妃はカップを置いた。
「昼の話だけれど」
アデルは一瞬だけ視線を落とした。
ルイ=フィリップ王子。
元王太子。
突然の婚約申し込み。
あまりにも都合のいい話だった。
王妃は小さくため息をつく。
「まったく……」
「懲りない人ね」
アデルは控えめに言う。
「殿下もお立場が苦しいのでしょう」
王妃は肩をすくめる。
「だからといって」
「あなたを頼るなんて」
「本当に都合のいい男だわ」
その口調には、少しだけ呆れが混じっていた。
王妃はふと笑う。
「でも」
「あなたは困っているのでしょう?」
アデルは少しだけ躊躇した。
そして静かに言った。
「……正直に申し上げますと」
「少々、困っております」
王妃は興味深そうに目を細める。
「どうして?」
アデルは言葉を選ぶ。
「もし私が婚約を受ければ」
「社交界ではこう言われます」
王妃は黙って聞く。
アデルは続けた。
「妹の婚約者を奪った」
王妃の眉がわずかに動いた。
アデルはさらに言う。
「たとえ事実でなくても」
「そう噂されるでしょう」
「そしてその噂は」
「宮廷にも届きます」
王妃はゆっくりうなずく。
宮廷の噂は早い。
そして残酷だ。
一度広がれば消えない。
アデルは少しだけ顔を曇らせた。
「そのような陰口」
「とても耐えられそうにありません」
部屋が静かになる。
暖炉の音だけが聞こえる。
王妃はしばらく黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「……なるほど」
その笑みは優しかった。
王妃は言った。
「確かに」
「それは耐え難き屈辱ですわね」
アデルは深く頭を下げた。
「恐れ入ります」
王妃はソファから立ち上がる。
そしてアデルの肩に手を置いた。
「心配しないで」
その声は穏やかだった。
だがその言葉には力があった。
「任せて」
「あなたの願いなら」
「殿下にお辞めになるよう」
「お話してあげましょう」
アデルは静かに礼をする。
「ありがとうございます」
王妃は笑った。
「これがクシェの特権よ」
王妃の私室。
王妃の耳元。
そこでささやかれる言葉。
それは――
ときに宮廷の運命を変える。
王妃は窓の外を見た。
夜の宮殿。
静かな庭園。
そして呟く。
「明日は」
「忙しくなりそうね」
その言葉は静かだった。
だがその翌日。
宮廷は再び大きく動くことになる。
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