引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第9話 静かに狂い始める空

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第9話 静かに狂い始める空

 その日、王都の朝は奇妙な静けさに包まれていた。

 雲一つないはずの空は、どこか色が鈍く、太陽の光も弱々しい。
 風は吹いているのに、季節感が伴わない。
 初夏のはずなのに、空気は冷たく、指先がひんやりとする。

 人々は、それを「気のせい」だと片づけようとした。

 天候など、日によって変わるものだ。
 一日くらい、少しおかしくても不思議ではない。

 だが、その違和感は、確実に王都全体へと広がっていった。

 ◇

 市場では、露店の商人たちが首をかしげていた。

 「今日は、客足が悪いな……」

 「寒くないか? この時期にしちゃ、おかしい」

 果物は熟しきらず、
 焼き菓子は思ったほど売れない。

 人々は無意識のうちに、早足で通り過ぎていく。
 理由は分からない。
 ただ、長居したくない気分になるのだ。

 昼前になると、空の色がさらに変わった。

 青とも灰色ともつかない、濁った色。
 太陽が雲に隠れたわけでもないのに、影が薄くなる。

 「……なんだ、この空は」

 衛兵の一人が呟く。

 見張り塔の上から見渡す王都は、
 どこか輪郭がぼやけて見えた。

 ◇

 王城でも、異変は感じ取られていた。

 「気圧が不安定です」

 気象を担当する役人が、王宮会議で報告する。

 「風向きが一定せず、雲の流れも乱れています」

 「嵐の兆し、というわけではないのか?」

 宰相の問いに、役人は首を振った。

 「現時点では、断定できません。
 ただ……例年の記録とは、明らかに違います」

 その場にいた者たちは、無言で視線を交わした。

 不安、というほどではない。
 だが、胸の奥に引っかかるものがある。

 「……聖女が解任された件と、関係は?」

 誰かが、恐る恐る口にした。

 一瞬、空気が張り詰める。

 「馬鹿な」

 王太子リチャードが、即座に切り捨てた。

 「一人の引きこもり令嬢がいなくなった程度で、
 天候が乱れるなど、非科学的だ」

 彼は、そう言い切る。

 「たまたまだ。
 偶然が重なっただけだろう」

 その言葉に、表立って反論する者はいなかった。

 だが――
 納得した者も、ほとんどいなかった。

 ◇

 その日の夕方、王都の外れで、小さな事故が起きた。

 川の水位が、急に上昇したのだ。

 氾濫するほどではない。
 だが、普段より明らかに流れが速く、濁っている。

 「上流で雨でも降ったのか?」

 農民たちは首をひねる。

 だが、上流の村からは、雨の報告はなかった。

 夜になると、今度は冷たい雨が降り始めた。

 激しい雨ではない。
 だが、じわじわと体温を奪う、嫌な雨だ。

 人々は、家にこもり、戸を閉める。

 街灯の明かりが、雨に滲む。

 その光景は、どこか不安を煽るものだった。

 ◇

 一方、スター公爵家の奥。

 ポーラ・スターは、いつもと変わらぬ部屋で、静かに過ごしていた。

 外で何が起きているのか、彼女は知らない。
 知ろうともしていない。

 それでも――

 胸の奥に、わずかな違和感があった。

 不安、ではない。
 恐怖、でもない。

 ただ、世界の「重さ」が、少し変わったような感覚。

 毛布に包まりながら、ポーラは目を閉じる。

 聖女ではなくなった。
 役目も、義務もない。

 それなのに、胸の奥が静かにざわつく。

 ――外が、うるさい。

 そんな、曖昧な言葉が頭に浮かんだ。

 彼女は、それ以上考えないようにした。

 今は、自分のことで精一杯だ。

 ◇

 翌日。

 王都では、はっきりとした「異変」が観測され始めた。

 晴れているはずなのに、突然の突風。
 昼間なのに、急激に冷え込む気温。

 そして、人々の間に広がる噂。

 「最近、空がおかしくないか」

 「天候が、落ち着かない」

 「聖女様がいなくなったから、じゃ……」

 最後の言葉は、決まって小声だった。

 誰も、はっきりとは言わない。
 だが、心のどこかで、皆が同じことを考え始めていた。

 ――本当に、偶然なのだろうか。

 王都に漂い始めたのは、
 嵐そのものではなく、
 嵐の前触れだった。

 それはまだ、被害を出していない。
 だが、確実に、王国の空気を変えつつあった。

 誰もが気づいているのに、
 誰も正面から向き合おうとしない。

 その歪みが、
 やがて取り返しのつかない形で噴き出すことを、
 この時点では、まだ誰も理解していなかった。
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