引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第10話 父の誤解

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第10話 父の誤解

 スター公爵は、その報告を受け取った瞬間、指先がわずかに震えるのを感じた。

 ――天候不順が続いている。

 報告書にはそう簡潔に書かれていた。
 王都周辺の冷え込み、突風、季節外れの雨。
 どれも致命的ではないが、確実に「おかしい」と言える現象。

 そして、その始まりの日付。

 公爵は、無意識のうちに目を伏せた。

 「……婚約破棄の、翌日か」

 胸の奥が、ずしりと重くなる。

 スター公爵は政治家であり、理性的な人物だ。
 因果関係を軽々しく結びつけるようなことは、普段ならしない。

 だが今回は、どうしても一つの考えが頭から離れなかった。

 ――ポーラだ。

 婚約破棄。
 聖女解任。

 あれほど繊細で、臆病で、心を閉ざした娘が、
 あの宣告を受けて、何も感じないはずがない。

 「……ショックを、受けたに違いない」

 そう考えるのは、父として自然なことだった。

 公爵は、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、額に手を当てる。

 扉越しにしか会えない娘。
 声も、表情も、もう何年も見ていない。

 それでも、分かっているつもりだった。

 いや――
 分かっている「つもり」だっただけかもしれない。

 ◇

 その日の午後、スター公爵は屋敷の使用人たちを集めた。

 「……最近のポーラの様子は、どうだ」

 問いかけは、慎重だった。

 使用人たちは顔を見合わせ、一瞬の沈黙の後、年長の侍女が口を開く。

 「大きな変化は、ございません」

 「食事も、いつも通りです。
 お部屋から出られることも、ありません」

 「……そうか」

 公爵は、ほっとしたような、しかし同時に、落胆したような表情を浮かべた。

 変化がない。
 それはつまり――
 外から見て分かるほどの異変が、ないということだ。

 だが、それが安心材料になるとは限らなかった。

 むしろ逆だ。

 「……感情を、押し殺しているのかもしれないな」

 ぽつりと漏れた言葉に、使用人たちは何も返せなかった。

 彼らもまた、
 ポーラがどれほど「内側」で傷つくタイプなのかを知っている。

 声を荒げることもない。
 泣き叫ぶこともない。

 ただ、静かに、深く、沈んでいく。

 「放っておくわけにはいかない」

 スター公爵は、はっきりと言った。

 「このままでは、あの子の心が……壊れてしまう」

 ◇

 公爵が思い浮かべた人物は、一人しかいなかった。

 ロードリック・フォージャー子爵。

 精神医療の分野で名を知られ、
 王侯貴族の診療も数多く引き受けてきた人物。

 そして何より、
 「無理に治そうとしない医師」として知られている。

 その日のうちに、公爵は書簡を送った。

 内容は簡潔だった。

 ――娘が、大きな精神的衝撃を受けた。
 ――対人恐怖症が悪化する恐れがある。
 ――診察を、お願いしたい。

 返事は、翌朝には届いた。

 「お引き受けします」

 それだけだった。

 ◇

 夜。

 スター公爵は、自室で一人、窓の外を見つめていた。

 空は曇り、月は見えない。
 風が、屋敷の壁を低く唸らせる。

 「……すまない、ポーラ」

 誰にも聞かれないように、そう呟く。

 聖女に任命された時も。
 婚約が決まった時も。

 反対はした。
 確かに、した。

 だが、最後まで止めきれなかった。

 結果として、娘は政治に利用され、
 そして切り捨てられた。

 それが、どれほどの傷になるかを、
 本当の意味で想像できていなかった。

 「父親失格、だな……」

 そう言って、自嘲気味に笑う。

 その瞬間、
 窓の外で、強い風が吹き抜けた。

 木々が大きく揺れ、
 屋敷の灯りが、わずかに揺らぐ。

 スター公爵は、その様子を見ながら、
 胸の奥で一つの結論にたどり着いていた。

 ――これは、あの子の心の叫びなのだ。

 傷つき、壊れかけた心が、
 無意識に、世界に影響を及ぼしている。

 それが正しいかどうかは、分からない。
 だが、父として、そう信じたかった。

 「だからこそ……治療が必要だ」

 そうしなければ、
 娘は、完全に閉じこもってしまう。

 世界からも。
 そして――自分自身からも。

 スター公爵は、静かに決意した。

 この誤解が、
 やがて思いもよらぬ形で、
 ポーラの人生を変えていくことになるとも知らずに。

 その夜、
 王都の空には、冷たい雨が降り続いていた。
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