22 / 82
22
しおりを挟む
何故と、尋ねるようなことはなかった。マンフレットはシャルロッテの意図を即座に理解して頷くと、口を開いた。
「リーンハルト様は宜しいのですか?」
重厚な低音が空気を震わせる。執事にしておくには惜しいほどに、迫力のある良い声だった。
「リーン兄さまは大丈夫。何かあるようなら、ヒルデちゃんが教えてくれるでしょうから」
普段はコンラートの言動をヴァネッサが諫めることが多く、尻に敷いているように見えるかもしれないが、有事の際は状況が変わってくる。ヴァネッサは、コンラートが下した決断に異を唱えることはしない。例え自身の考えが夫とは違っても、付き従うことを良しとする節がある。
一方ブリュンヒルデは、リーンハルトの決断が彼のためにならないと考えれば公然と異を唱える。そこには一切の妥協は存在せず、どんな手を使ってでも意見を変えさせようとするだろう。
「分かりました。コンラート様を注視するよう、周囲の者にそれとなく伝えておきます」
マンフレットもリーンハルトには監視の必要はないと分かったうえで、確認のために聞いたのだろう。恭しく頭を下げると、音もなく扉に近づき内鍵を開けた。
「他に何かご用命はございますか?」
「いいえ、特には」
シャルロッテの返答に、マンフレットが扉を開ける。しかしすぐにシャルロッテが「あっ」と小さな一音を漏らした瞬間、素早く扉を閉めた。指先を鍵にかけたまま、続く言葉を待っている。
「難しい話じゃなくて、ただの買い物のお願いなんだけれど……」
施錠する必要はないと言葉の端に滲ませる。マンフレットの指が鍵から離れ、こちらに向き直った。
「今度、友達を招いてお茶会をするでしょう? その時に使う茶葉を買い足してほしくて」
「……茶葉、ですか?」
マンフレットの眉が微かに動く。いつもなら、一を言えば十を理解してくれる察しの良い優秀な執事なのだが、この時ばかりは怪訝な表情でシャルロッテを見つめていた。
通常のシャルロッテであれば彼の態度に違和感を抱いただろうが、ここ数日の心労のためそこまで気を回すことが出来なかった。
「この間、オウカから仕入れた茶葉よ。ヴァネッサさんとヒルデちゃんのところにもお裾分けしたでしょう? 同じのが欲しいの」
「それは承知しておりますが……」
煮え切らない返答に、シャルロッテが首を傾げた。
「もしかして、手に入れるのが難しい?」
「いえ、入手不可能なほど希少性があるものではないと聞いておりますので」
シャルロッテがいたく気に入っている様子を見て、マンフレットは今後の定期的な購入が可能かどうかをオウカの商人にあらかじめ尋ねていた。茶葉自体が高級で大量生産に向かず、通常の販売ルートに乗せることは難しいが、事前に購入数を言ってくれれば入手は出来ると言う回答だった。
マンフレットが何かを言いかけて、思い直したように口を閉じる。逡巡するように視線を足元に落としたが、すぐに顔を上げると「承知しました」と短く答えた。
彼は優秀な執事で、主が間違っているときは毅然と指摘することが出来た。しかしそれは、明確な間違いを犯しているときに限定される。多少の違和感程度では、なにか考えがあるのだろうと判断し、主の意見を優先させるのだ。
シャルロッテは数日前にメイに、昨日は他のメイドに、同じ茶葉を入手するよう頼んでいた。全ての要望は彼女たちからマンフレットに伝わっており、茶葉の購入が重複していることは気づいていた。しかし、シャルロッテは今まで一度もこのようなつまらないミスを犯したことがなかったため、何か考えがあるのだろうと判断したマンフレットはそのままオウカの商人に注文を通した。
結果として、コルネリウス家にはシャルロッテが想定した量の三倍の茶葉が運び込まれることになったのだった。
「リーンハルト様は宜しいのですか?」
重厚な低音が空気を震わせる。執事にしておくには惜しいほどに、迫力のある良い声だった。
「リーン兄さまは大丈夫。何かあるようなら、ヒルデちゃんが教えてくれるでしょうから」
普段はコンラートの言動をヴァネッサが諫めることが多く、尻に敷いているように見えるかもしれないが、有事の際は状況が変わってくる。ヴァネッサは、コンラートが下した決断に異を唱えることはしない。例え自身の考えが夫とは違っても、付き従うことを良しとする節がある。
一方ブリュンヒルデは、リーンハルトの決断が彼のためにならないと考えれば公然と異を唱える。そこには一切の妥協は存在せず、どんな手を使ってでも意見を変えさせようとするだろう。
「分かりました。コンラート様を注視するよう、周囲の者にそれとなく伝えておきます」
マンフレットもリーンハルトには監視の必要はないと分かったうえで、確認のために聞いたのだろう。恭しく頭を下げると、音もなく扉に近づき内鍵を開けた。
「他に何かご用命はございますか?」
「いいえ、特には」
シャルロッテの返答に、マンフレットが扉を開ける。しかしすぐにシャルロッテが「あっ」と小さな一音を漏らした瞬間、素早く扉を閉めた。指先を鍵にかけたまま、続く言葉を待っている。
「難しい話じゃなくて、ただの買い物のお願いなんだけれど……」
施錠する必要はないと言葉の端に滲ませる。マンフレットの指が鍵から離れ、こちらに向き直った。
「今度、友達を招いてお茶会をするでしょう? その時に使う茶葉を買い足してほしくて」
「……茶葉、ですか?」
マンフレットの眉が微かに動く。いつもなら、一を言えば十を理解してくれる察しの良い優秀な執事なのだが、この時ばかりは怪訝な表情でシャルロッテを見つめていた。
通常のシャルロッテであれば彼の態度に違和感を抱いただろうが、ここ数日の心労のためそこまで気を回すことが出来なかった。
「この間、オウカから仕入れた茶葉よ。ヴァネッサさんとヒルデちゃんのところにもお裾分けしたでしょう? 同じのが欲しいの」
「それは承知しておりますが……」
煮え切らない返答に、シャルロッテが首を傾げた。
「もしかして、手に入れるのが難しい?」
「いえ、入手不可能なほど希少性があるものではないと聞いておりますので」
シャルロッテがいたく気に入っている様子を見て、マンフレットは今後の定期的な購入が可能かどうかをオウカの商人にあらかじめ尋ねていた。茶葉自体が高級で大量生産に向かず、通常の販売ルートに乗せることは難しいが、事前に購入数を言ってくれれば入手は出来ると言う回答だった。
マンフレットが何かを言いかけて、思い直したように口を閉じる。逡巡するように視線を足元に落としたが、すぐに顔を上げると「承知しました」と短く答えた。
彼は優秀な執事で、主が間違っているときは毅然と指摘することが出来た。しかしそれは、明確な間違いを犯しているときに限定される。多少の違和感程度では、なにか考えがあるのだろうと判断し、主の意見を優先させるのだ。
シャルロッテは数日前にメイに、昨日は他のメイドに、同じ茶葉を入手するよう頼んでいた。全ての要望は彼女たちからマンフレットに伝わっており、茶葉の購入が重複していることは気づいていた。しかし、シャルロッテは今まで一度もこのようなつまらないミスを犯したことがなかったため、何か考えがあるのだろうと判断したマンフレットはそのままオウカの商人に注文を通した。
結果として、コルネリウス家にはシャルロッテが想定した量の三倍の茶葉が運び込まれることになったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
公爵家の養女
透明
恋愛
リーナ・フォン・ヴァンディリア
彼女はヴァンディリア公爵家の養女である。
見目麗しいその姿を見て、人々は〝公爵家に咲く一輪の白薔薇〟と評した。
彼女は良くも悪くも常に社交界の中心にいた。
そんな彼女ももう時期、結婚をする。
数多の名家の若い男が彼女に思いを寄せている中、選ばれたのはとある伯爵家の息子だった。
美しき公爵家の白薔薇も、いよいよ人の者になる。
国中ではその話題で持ちきり、彼女に思いを寄せていた男たちは皆、胸を痛める中「リーナ・フォン・ヴァンディリア公女が、盗賊に襲われ逝去された」と伝令が響き渡る。
リーナの死は、貴族たちの関係を大いに揺るがし、一日にして国中を混乱と悲しみに包み込んだ。
そんな事も知らず何故か森で殺された彼女は、自身の寝室のベッドの上で目を覚ましたのだった。
愛に憎悪、帝国の闇
回帰した直後のリーナは、それらが自身の運命に絡んでくると言うことは、この時はまだ、夢にも思っていなかったのだった――
※第一章、十九話まで毎日朝8時10分頃投稿いたします。
その後、毎週月、水朝の8時、金夜の22時投稿します。
小説家になろう様でも掲載しております。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる