詩片の灯影①〜想い結びの糸〜

桜のはなびら

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言葉のある場所

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 ある日の灯影書房の午後。

 夏の午後の陽射しは、少しずつ傾き始めていた。

 結は、随筆を読み終えたあと、そっと本を閉じた。
 草壁はカウンターの奥で帳簿をめくっていたが、結の視線に気づくと、静かに顔を上げた。
 
「今日は、何か気になる言葉、あった?」
 
 結は少し考えてから、ページを開き直し、指で一行をなぞった。
 
「“人は、静けさの中でしか、自分の声を聴けない。”って書いてありました」
 
 草壁はうなずいた。
 
「いい言葉だね。……君は、自分の声、聴けてる?」
 
 結は、少しだけ目を伏せた。
 
「……聴こうとしてる。でも、まだよくわからないです」

 自分で決めたはずのこと。後悔ないと思っていたこと。なのに煩悶とした想いを抱いたことを結は思い出す。ほんのつい最近のことだ。

 
「同じだ。俺も未だにわからないよ。それでも、聴こうとすることが大事なんだと思うよ」
 
 その言葉は、結の胸に静かに落ちた。
 まるで、長い間探していた答えの一部に触れたような気がした。
 
 その日、店を出るとき、結はふと振り返った。
 
「草壁さん、灯影書房って、どういう意味なんですか?」
 
 草壁は少しだけ笑った。
 
「灯影——灯りの影。
強い光じゃなくて、静かに揺れる灯りの、その影にこそ、物語があるのだと思う」
 前店主が名付けた屋号。この店名で五十年以上この地に根を下ろしていることが、この店舗を事業ごと買う決意をした大きな理由なのだと草壁は言った。
 
 結は、もう一度店の看板を見た。
 墨のかすれた文字が、夕暮れの光に溶けていた。
 
「……いい名前ですね」
 
「俺もそう思う」
 
 鈴の音が、また静かに鳴った。

 
 その夜
 結は、帰宅後、母・美沙と夕食を囲んでいた。
 食卓には、冷やしうどんと、母が漬けた茄子の浅漬け。
 
「今日も、あの本屋さん行ってたの?」
 
「うん。……随筆を読んだ」
 
「どんな話だった?」
 
 結は、少しだけ迷ってから、言葉を選んだ。
 
「静けさの中でしか、自分の声は聴こえないって」
 
 美沙は箸を止めて、少しだけ目を細めた。
 
「……それ、わかる気がする」
 
「お母さんも、聴こえたことある?」
 
「あるよ。……でも、聴こえたときには、もう遅かったこともある」
 静かな時って、大抵自分一人になっているときだから。美沙は少し悲しそうに微笑んでそう言った。
 
 その言葉に、結は何も返せなかった。
 でも、母の言葉の奥にある何かを、少しだけ感じ取った気がした。
 
 
 次の週末
 灯影書房の読書スペースには、結が持ち込んだノートが置かれていた。
 詩集でも随筆でもなく、自分の言葉を綴るためのノート。
 
 草壁は、それに気づいて、静かに尋ねた。
 
「書いてるの?」
 
「……はい。少しずつ」
 
「見せてとは言わないけど、書くって、いいことだよ」
 
「……書くと、少しだけ、自分の声が聴こえる気がします」
 
 草壁は、うれしそうにうなずいた。
 
「それなら、灯影書房は、君にとって、いい場所になれたかもしれないね」
 
 結は、すっきりとした笑顔を見せた。
 
「……はい。そう思います」
 
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